「つまんねーな」
そうぼやいたのは下村だった。
「なら、帰れ」
言い放ったのは桜内。
小さな机に二人で向き合って、出前のカレーを口に運んでいる。
「帰ってもつまんねーから、ここにいるんですよ」
「病院を暇潰しの場所って考えてる人が多いのよね」
背後から山根の声がして、下村は苦笑を浮かべた。
山根は通りかかっただけなのか、そのまま書類を棚に並べるとスタスタと出て行く。
「みろ、これで機嫌が崩れたぞ。俺は午後の診察で嫌味を言われるんだ。責任とれ」
「一杯おごりますよ」
「今日は日曜だろうが」
「じゃ、月曜」
平淡な声でたんたんと会話を交わして、プツリと途切れる。
さっきからこんな会話が続いている。
「今日帰ってくるんだろう? お前の天使は」
「今日の夕方。まだまだ時間がある」
はぁ、と悲壮そうに溜息をついてスプーンを置いた。
坂井は金曜あたりから東京へ出張した。
なんでも新しい取り引き先との約束に手違いがあって、日曜の今日まで予定が食い込んだらしい。
それから下村は暇を持て余しまるで主人の帰りを待つ犬のように、一分おきくらいには携帯電話を見やる。
「あーあ、つまんねー」
「……なぁ、下村よ」
「なんです?」
「男同士のセックスって気持ちいいわけか?」
ぶっちゃけた話に下村は顔色を変えずに、そうだなぁと考えて、
「俺はかなりいいんですけど、坂井はよく痛いって言って泣きますけどね」
「…………へぇ」
「そんなに女抱くのと変わんないんじゃないですか? 惚れてりゃやっぱ、いいですよ」
ちらりと山根の消えた方を見ながら下村らしい笑みを刻む。
その笑みもこの街に流れ着いた当初から比べればずっと柔らかい印象を持つようになった。
もっともそれは日常の話で、非日常的な状況で浮かべる笑みには凄みが漂うようになった。
「そりゃ、やっぱ、骨格はしっかりしてますし、甘いこと囁いてさっさとおちるようなことはないですけどね」
「最近、やたら可愛くなったよな。坂井」
ぽそっと桜内が呟けば、一瞬きょとんとしてからすぐに眉間に皺を刻んでじとりと睨んでくる。
「心配するなよ。俺はどんなに可愛かろうが野郎よりは女の方がいい」
「どうだか。節操ないから、ドクは」
迂闊な一言だったらしい。
この先坂井が一人でここを訪れることは少なくなりそうだ。
「でもよ、あの慇懃無礼なバーテンダーのどこに惚れたんだ? っつーか、いつから目ぇつけてた?」
下村が流れ着いたその時は、女が絡んだ事件の渦中だったはず。
節操なんて、それこそ下村には言われたくないものだ。
「さぁ、わかんないですよ。それこそ最初は、これからややこしく関わる奴なんだろうなとは思いましたがね」
下村が腹に傷をつくって桜内の診療所にやってきた時に、一緒にやってきたのは坂井だった。
その時の坂井の表情が、いつもとほんの少しだけ違ったのを覚えている。
下村が左手をなくして、棺桶に片脚突っ込んだ状態のところに駆けつけて死体かと思うような下村を連れて来た時の表情も。
ひょっとしたら、下村なんかよりもずっと早くに坂井の方がおちていたのかもしれない。
「この街で会った人の中じゃ、坂井が一番歳も近かったから、どこかでこの野郎って気はしてましたよ。いつからなんて強いて言うなら、入院中に後ついて来てくれた時かな」
坂井を慕う若者達へ世話をやくのとはまた違った様子で、坂井は下村を気にかけた。
下村が左手を切断した時も、一番それを気にしたのは坂井だろう。
当の本人はけろりとしているし、桜内も川中達もどちらかと言えば義手をした下村を想像して、似合うんじゃないかとさえ思っていたくらいだ。
「叶さんのことで、傷を負ったってのも大きいのかもしれない」
坂井が隠し切れなかった空気を下村が感じた。
何時の間にか二人揃っての散歩が習慣になっていた。
その散歩の間に、坂井は下村にいろいろな面を見せたのだろう。
強さや弱さ。
子どものような一面も。
「側にいたら、面白いだろうなって思ったんです。毎日いろんな顔見せてくれるだろうなとか」
へらりとく口元が緩んでだらしない顔になる。
店で見せる表情よりはずっと人間らしくていい。
「それに俺の天使だし」
「お前にはその一言があったな」
大の男を捕まえて天使だなんて言うこの男の気がしれない。
確かに、下村がこの街に来てから坂井がたまにのぞかせるようになった笑顔は、子どものようで可愛いと思うことはあるが。
「坂井はその天使っての、お前なんかを助けに行ってやって優しい人間だからって意味にとってたんじゃないか?」
「あぁ、でしょうね。お空からのお迎えってことじゃなくて、こっちの世界に引き戻したってね」
「今はどういう意味で坂井を天使、なんて呼んでるんだ?」
食後の一服を銜えて桜内がにやりと笑いながら尋ねれば、同じくにっと人の悪い笑みが返る。
「日頃見てるはずですけどね。ドクは」
「もういい。お前その面下げてキドニーんとこ行って来い」
うんざりと言った風に肩を上下させて、カルテに視線を落とし始めた。
「宇野さんのところなんか言ったら追い出されるに決まってますよ」
つまらんとパイプ椅子にのけぞって下村は診察室のウィンドウを指で下げて眼下の海を見る。
「坂井、早く帰ってこねーかなぁ」
いつ惚れたかなんてわからない。
本当にいつの間にか惹きつけられていた。
まりこのことを考えれば確かに節操がないよなと思わざるをえないけれど。
それでもまるで溺れるように、坂井の見せる意外な面一つ一つにのめりこんでいた。
坂井を想っていない自分が想像できないほど。
こうして離れていると自分の想いの深さに流石に自分でもちょっと呆れる。
この物足りなさや帰りをまって疼く気持ちが、それでもくすぐったいようで嬉しい。
「お前が出張していない時も、坂井、ここに来てぼーっとして帰るけど、うだうだ鬱陶しく喋り倒さないのが坂井とお前の違いだな」
肩から頬へ流れる髪を邪魔そうにかきあげて桜内が視線も上げずに言い放つ。
「坂井が素直だったらつまんないでしょう?」
カシャンとウィンドウが鳴る。
同時に下村の携帯電話も小さく鳴った。
「病院内じゃ切っとけよな」
「すみません」
嫌味を言う桜内の方など見向きもせずに携帯を手にすると、ごちそうさまと言って慌しく出て行った。
その後姿にブンブンと勢いよく振られる尻尾の幻想を見た気がした。
やれやれと思いながら長くなった煙草の灰を叩き落す。
そこに山根がまた通りかかる。
今度は通りかかっただけではないらしい。
午後の診察を始めますと言いにきたのだろう。
「下村さん、さっき擦れ違ったけど?」
「天使をお出迎えに行った」
「そ」
溜息をつきながらも二人分のカレー皿を片付ける様子はまるで、子どもの世話をする母親のそれ。
「なぁ」
「はい?」
「今晩、暇か?」
別にあてられたわけじゃないが。
どこかさっきの下村の表情に似た桜内の顔の上に、手にしていたカルテをパコリと落として山根は笑みを含んだ声で返事をした。
「いいわよ」
オトナの恋は複雑だけれども率直だ。
「坂井!? 今どこら辺?」
『わりぃんだけどさ』
「……なんだよ」
『車、駐禁で持っていかれたから夕方には帰れなくなった』
「はあ!? なんだよ、それ!」
『飯食ってたら持っていかれた』
「帰ってくりゃ、俺がいくらでも何でも作ってやるのに!」
『わるかったって。これから取りに行ってから帰るから、もうちょっと遅くなる。その後本社行くし』
「なんだよ、それ――!!」
『ガキじゃねえんだから、少しくらい待て』
「俺の健康な性生活が………」
『ざけんな、馬鹿野朗』
坂井はその日、無断外泊したらしい。
コドモの恋は簡潔だけれども素直じゃない。
2001/07/14
桜坂とかやっといて、何言ってるんでしょうね、ドク(笑)自作キリ番申告までしていただいたのに、ラビさん申し訳ないです(>_<)下村が坂井の惚れたときの話だったのですが、下村が惚れた時!あれ?って、深く考えようとしてもいつなのかちょっとうまいタイミングが見つからなくて。最初から惚れたたみたいな男ですし。