300hit
Hands




 カウンターの向こう側で、坂井の手が翻るように動いた。
 まるで手品のように、坂井の手の中のグラスの縁が白く彩られる。
 ソルティ・ドッグがボーイに手渡され、ピアノの沢村の元に運ばれた。
 受け取った沢村が振り返り、カウンターの弁護士と坂井にグラスを掲げて見せた。
 それから沢村は、奥の控え室に帰っていった。
 宇野も、坂井に一言声をかけて席を立つ。
 坂井は麻の布を手にして、グラスを磨きだす。
 ブラディ・ドールでよく見る風景。
 フロアの片隅でそんな店内を見渡した下村の投げ掛ける視線に気付き、ちらりと坂井が顔を上げて頷いた。
 そろそろ閉店だ。
 下村の指示で、ボーイがクローズの札を掛けに行く。
 それから数分後に、最後の客が席を立った。
 後は片付けと戸締りをすれば、坂井と下村の一日は終わる。

「坂井。ちょっと、コンビニ寄って」
 帰りの車中で下村がそんなことを言い出したので、坂井は前方に見えたコンビニの駐車場にスカイラインを滑り込ませた。
「ちょい、待ってて」
「ついでに、なんか食うモン」
 あれだけ赤提灯で食べておいて、まだ足りないのかと思うが毎度のこと。
 下村は、笑いながら車を降りた。
 肌を刺すような冷気が下村を襲う。
 一度身震いしてから、下村はさっさと店に入っていった。
 その姿を見送ってから、坂井はまだ芯の冷えている自分の手に息を吹きかけた。
 かじかんだ手はエアコンに暖められて、だんだんと温もりを取り戻しつつある。
 手の平を擦り合わせながらコンビニの入り口を覗き込むと、ビニール袋を義手に引っ掛けた下村が出て来た。
「ツマミとビール買ってきた」
「お、さんきゅ」
 開いたドアから吹き込んでくる冷気に、思わず身震いする。
「冷えるな」
「もう、年末だしな。雪なんかちらつくんじゃないのか?」
「滅多に降りゃしないけどな」
 車を発進させながら、坂井が答える。寒がりの坂井には、雪など嬉しくもないのかもしれない。
 寒そうな坂井の様子を見ていると、腕の中に抱き込んでしまいたくなる。
 そんな不埒な思いを持て余しながら、下村はシフトレバーに置かれた坂井の指を見つめた。


「そういやぁ、お前何買ったんだ?」
 下村に続いて、風呂で体を温めた坂井が、頭をがしがし拭きながらソファーに座る。
 こうして、仕事が終わった後にどちらかの家に立ち寄るよるのも日常茶飯。
 今日も、当然のように坂井はスカイラインを自分のアパートに着けた。
「お前へのプレゼント」
 にやりと笑いながら言って、下村が坂井の手をとった。
 愛しむようにその手を右手で一撫でし、今度はその爪の先に唇を這わす。
「おい」
 嫌がり、手を引こうとする坂井の手を大人しく離すと、やっぱりと下村は肩を竦める。
「なんだよ」
 そのリアクションが気に食わない坂井は、むっとした顔を惜し気もなく晒してくれる。
「手、荒れてる」
 何故か下村の口調は、子供を叱る親のソレ。
 言われた坂井は、自分の両手を目の前にかざして見る。
 確かに普段からの水仕事で、荒れてはいる。カサカサした手は、確かに冬の乾いた冷気に当てると少々痛む。
「で、コレ。買ってきた」
 ツマミの入った袋の底から下村が取り出したのは、小さめの容器に入ったハンドクリームだった。
「んなもん買ってたのか」
 呆れたような坂井の顔を気にしないで、下村は坂井の手を取って自分の義手の上に乗せた。
「せっかくの綺麗な手なのにもったいない」
 お小言を吐き出しながら、下村はハンドクリームの蓋を空けてとろりとしたクリームを一掬いし、坂井の手の甲に乗せる。
「何がもったいないだよ」
 言いながらも、坂井は特にと言った抵抗も見せない。呆れていると言えばそうなのかもしれないが。
 下村の右手は、丁寧に坂井の幾分骨張った手に保湿クリームを塗りこんでいく。
「指、長いな。爪の形も綺麗だし。指先美人」
 爪先までマッサージするように撫で、下村がちらりと坂井の表情を見上げた。
 されるがままの坂井の視線は、自分の手に触れている下村の指先に注がれていた。
 不意に合った視線を先に外したのは、坂井の方だった。
 下村の意外で細やかな気遣いが、なんとなく照れ臭い。
「坂井」
 笑いを含んだ声で呼ばれ、
「何だよ」
 素っ気のない返事を返す。
「反対の手」
 喉の奥で笑いながら、下村は言う。
 坂井の照れを見抜いて。
 坂井は投げ出すように反対の手を、下村の義手に乗せてやる。
 下村の右手にさすられて血行のよくなった手は、芯からほんのりと温かく、カサカサに乾いていた肌もしっとりとしている。
 ひりひりするような痛みはない。
 クリームのひんやりした感触。
 それから、下村の右手の温もり。
「よく気が付くな。俺の手なんて」
「そりゃ、ずっと見てるしな」
 下村の忍び笑いは止まらない。
 右手は慈しむように坂井の手の上を滑り、左手は乗せられた坂井の手の体温をほんのりと移して温まっている。
 こんな瞬間に、下村の真っ直ぐな気持ちを見せ付けられる。
 普段は酷く懐疑的で皮肉なくせに、こんな時だけ偽らない想いを見せつける。
 坂井がそんな風に言われることに慣れていないのを、知っていながら。
「坂井はこーゆーのは無頓着だよなぁ」
 丹念にマッサージした手を離す前に、手の甲に口付ける。
 綺麗な指先。 
 毎晩、下村の視線の先で鮮やかなカクテルを作り上げる手。
 時に拳を形作り、容赦のない鉄拳をかましてくれる手。
 シフトレバーに置かれる手。
 強すぎる快楽から逃れたくて、縋ってくる手。
 例え、それが他人の血で汚れていようとも、下村はその血の滑りさえもを愛しく思える。
「俺、お前の手、好きだな」
 極自然な仕草で下村は、坂井の首筋に顔を埋めて体重を預けてくる。
 右手で、坂井の左手を愛撫しながら。
 坂井は嘆息しながらも、放り出されるようにソファーの縁に掛かっている白い左手を握る。 
 硬い、青銅の左手。
 対称的で温かな右手は、意外にも女性的な柔らかさを持っている。
 ちぐはぐの、下村の手。
「俺も、お前の手、嫌いじゃねぇよ」
「両方とも?」
「全部」
 言ってから、坂井が下村を覗き込む。
 細い顎が軽く上向き、噛み付くような口付けが交わされる。
 そこにあるのは、呆れるほど素直な愛情と諦め混じりの奇妙な感情。
 それでも握り合った互いの手を、愛しいと想う気持ちだけは明確な真実。


2000/12/17
初のリクエスト小説でした。300ゲッターみるく様からのリクエストは、「甘い下坂」。いかがでしたでしょうか。
私の甘皮が、ベロリと剥けてしまったことから出来た話でございます。突発的で申し訳ない(反省)甘い………ですよね。私の爪は痛いけども(^^;)

NOVEL TOP   BACK