秋山律。
職業、ホテルキーラーゴオーナー。
紳士に見えて実はとっても恐ろしい、愛妻娘家である。
最近律ちゃんはやさぐれていた。
何故なら、可愛い娘の安見ちゃんが最近愛しい妻の菜摘とばかり仲良くしているから。
何故なら、愛しい妻の菜摘が可愛い娘の安見とばかり仲良くしているから。
パパに内緒の話が多いから。
淋しいのだ。
いつもなら土崎さんに悩み相談に向かうのだが、今日は生憎と留守だった。
川中の所に行ってもいいが、あの男はあの少年のような笑顔で幸せな悩みじゃないかと笑うか、安見と共謀してますますからかってくるかだ。
口が達者な外科医は問題外だ。
気難しい弁護士先生の所に行っても皮肉とともに追い出されるのがおち。
一番ましかもしれないお喋りな殺し屋は少し前に逝ってしまった。
遠山先生や沢村先生にもちかけるには、恥ずかしい問題でもある。
勤務中に溜息をつくと注意してくるオーナーのつく溜息に、従業員はどうしたものかとオーナーから少しずつ離れていく。
「秋山さん」
そんな秋山に声をかけたのは坂井だった。
「一人か? 珍しいな?」
「下村なら後から来ますよ。飯食う約束してるんで」
別に下村とも言ってないんだがな。
「お、スーツなんか着て、どうした?」
坂井の服はいつものラフなものではなく、珍しいスーツ姿だった。
ネクタイをしていないから下手すればヤクザに見えなくもない。
「このあと出張なんですよ。書類を本社に忘れちまって、下村が持ってきてくれるんです」
「なるほどな。相変わらず仲がいいな」
素直な感想に坂井の表情がむっとしたものになる。
「仕事ですよ」
「そうか」
認めてやれば腑に落ちない顔になる。
面白い。
「まぁ、座ってろよ」
促したのは窓際の席。
ふっと眼下に視線を落せば、スカイラインが滑り込んできたところだった。
「そういえば、ここまでどうやってきたんだ?」
「大崎先生に拾ってもらいました」
「ふぅん」
「あ、そうだ。秋山さん、お願いがあるんですけど」
坂井のお願いとは珍しい。
なんだと尋ねれば、坂井はジャケットのポケットからネクタイを取り出した。
「なんか上手く結べなくて困ってたんですよ。滅多にスーツなんか着ないし。すみませんけど、結んでくれませんか?」
なるほど、坂井のスーツは似合っていないわけではないが、妙に新鮮さを感じる。
喪服以外で見たことなどないかもしれない。
「あぁ、かまわないさ」
タイミング的にもちょうどいい、と秋山はにっこりと微笑み坂井の差し出すネクタイを受け取った。
正面からネクタイを首に回し、結んでやる。
スーツは秋山の戦闘服。
勿論、ネクタイの結び方なんてのはばっちりだ。
だが、背後からチクチクと刺さる視線の主をもう少しからかいたくもある。
「人のを結ぶと上手くいかないな。坂井、向こう向け。その方がやりやすいんだ」
ニコニコと温和な笑顔の秋山に何かひっかかるものを感じないこともないが、坂井は素直に秋山に背中を向ける。
そうすることで、秋山は坂井を後ろから抱き込むような体勢になる。
背中は視線に刺されて多少痛むが、鬱憤をぶちまけるにはちょうどいい。
ネクタイのバランスを見るふりをして、坂井の肩に顎をのせるようにして距離を詰める。
女性だったら明らかにセクハラだと言われている接触に耐え切れなくなったのか、ツカツカと近付いてくる足音。
「秋山さん」
呼びかける声にはじわりと不機嫌さが滲んでいる。
その声に坂井も秋山の肩の向こうから振り返る。
「書類は?」
あぁ、わかってないんだなと思わせる第一声に下村の表情は変わらない。
慣れのせいだろうか。
「持って来たよ。ホラ」
大判の茶封筒を差し出しながらも下村の視線は坂井ではなく秋山の方に注がれている。
さすがにこれ以上機嫌を損ねれば坂井の身が危険かと踏んで、秋山はくるくるとネクタイを結んで長さを整えてから体を離した。
「すみません」
他意なく坂井が秋山を振り返ろうとする。
礼を言おうとしたのだろうその口が不意に閉じられたのは、おそらくこの至近距離に気が付いたからだろう。
だが時既に遅く、
「どういたしまして」
にっこりと満開の笑みすぎて不穏な秋山の顔が近付き、耳元近くにちゅっと音をたてて口唇が触れた。
「秋山さん――!!??」
下村の絶叫にレストラン内が凍りつく。
「ごちそうさん」
秋山律の怖いところは、一目で機嫌の良し悪しを判断できにくいところだ。
血相を変えた下村が何か言う前に、秋山はニコニコと何故か上機嫌で席を立つ。
「さぁて、仕事仕事―」
鼻歌さえ混じりそうな口調でそう言うと、足取り軽く去って行ってしまった。
「……なんなんだ、あの人は……」
「時々、あーゆーことしたがる人なんだ」
呆気にとられてしまった下村に、坂井が事も無げに言うから、
「……お前、平気なわけ?」
ついつい尋ねてしまった。
さらりと流せば問題もないはずなのに。
そう、秋山はフロリダ帰りの男なのだと自分を納得させて。
「平気っていうか、慣れだろ、慣れ」
「……なんか、釈然としない」
「はぁ? お前なんて毎日してるじゃねぇか」
「いや、それとこれとは違う問題なんですけど」
「わけわかんねぇ」
眉を寄せる坂井を前に、下村は秋山相手には復讐心もわいてこないことを知る。
だって、あの人、怖ぇもん。
おそらく自分は何らかの理由で機嫌の悪かった秋山のストレス発散に上手く利用されたのだろう。
それに気がつくと、なんだかどっと力が抜けてきた。
脱力した下村を不思議そうに見ている坂井はこの後出張。
あとでネクタイを解いて自分が結んでやって、それから行ってらっしゃいのキスをして送り出そう。
たぶん殴られるだろうけれど、まぁそれはそれで自分の特権かと思うことにしうよう。
後日、下村がこの一連の出来事を安見と菜摘に密告し、秋山が更なる苦境に立たされたのだが、厨房の影から弱った下村の姿をしめしめと盗み見ている今の秋山パパには知る由もなかった。
2002/02/06
秋山さんのリップサービス(笑)
前の作品に叶vs下村話で秋山さんが坂井さんにちゅ―をしていく話があって、それを覚えていてくださったかおりさまからのリクでした。
律ちゃんが律ちゃんでないのは作者もわかってるんで、流してください……。書き易いようで書きにくい………。素敵に笑えない話になってしまいました、ごめんなさい(>_<)