トントントントントントン…………
と、規則正しいリズムが台所から聞えていた。
下村はソファーに座って新聞を広げていた。
時刻は正午前。
今日の食事番は坂井だった。
曇天だが、穏やかな時間がすぎている。
トン……トントン……トンッ
規則正しかった包丁の音が乱れた。
何気なく下村は台所を振り返る。
後姿の坂井の腕が目元のあたりに当てられている。
泣いているような仕草に、一瞬ぎょっとしてしまう。
「坂井?」
呼ぶと振り返る。
その眼が……
「なに、泣いてるんだよ」
濡れていた。
「タマネギ」
だろうとは思ったが。
包丁片手にぐずぐずと泣いている姿はかなり可愛いぞ、坂井。
まるで新妻のようでと、口走ったら刺殺されそうなのでやめておく。
「なんか、やたら染みて」
包丁を置いて、双眸をぱちぱちと開閉しながらリビングまでやってきて、ティッシュペーパーを数枚とると眼に押し当てる。
「くぅー、いてぇ」
顔を上げて、またぱちぱちと眼をしばたくが、またじんわりと涙が溢れてくる。
「うー、いってぇー」
もう一度ティッシュで拭おうとするのを止めて、下村は坂井を引き寄せた。
「んだよっ」
抗議は無視して、ちゅっと坂井の頬に唇を押し当てた。
僅かに覗かせた舌先で、零れた涙を掬い取る。
「しもむら」
困惑したような声で坂井が呼ぶ。
「んー?」
惚けた声で応えて、睫毛を舌でなぞった。
温かな舌の感触に思わず硬直した坂井も、すぐに緊張を解いて大人しくしている。
反対の目元にも同じことを施す。
ゆっくりと顔を離すと、呼応するように坂井も眼を開けた。
「まだ染みるか?」
僅かに赤くなった顔がふるふると横に振られる。
台所向かう下村に、なんだったんだと問えば、
「お前の泣き顔みてると興奮するんだ」
と言う答えがかえってきた。
それに罵声をかえして、坂井は下村の転がっていたソファーを占領した。
トン…トントント…ントントン…………
義手のせいで、多少ぎこちなくなるリズムを聞きながら、坂井はふと思う。
そう言えば、下村が泣いているのを見たことがない。
そりゃ、二人ともいい大人なのだからそうそう泣くことなどない。
しかし……坂井の泣き顔と言うのを下村はしょっちゅう拝んでいる。
決して情緒的なものから流れる涙でなくて、生理的なものなのだが。
過ぎる快楽に涙腺が緩んでしまうのを、下村は知っている。
…………泣かねぇかな……
などと期待しながら台所の背中を見る。
シャツを羽織っただけの背中が、少し揺れている。
「いてぇなぁ」
小さな悪態が耳をついた。
腕があがって、目元を拭うのを見ると坂井はにぃっと笑った。
猫のように歩くと言ったのは下村だった。
そっと足音を忍ばせて、台所に向かう。
下村はまだ気が付かない。
ひょいっと顔を覗かせてみた。
トン………………と下ろした包丁の音が途切れる。
鋭い双眸が見開かれて、坂井を見下ろしていた。
こんな驚いた顔はあんまり見ない。
それに…………、
「泣き顔って…………そそるもんだな」
こいつの涙を見るのは初めて。
からかうつもりで言ったら、下村が涙を浮かべたままで苦笑した。
虹彩の淡い、まるでガラス玉のような作り物めいた双眸は濡れていっそうその透明さを増していて。
もしも、そこに悔しさとか悲しみとかの情緒的な何かが加わればさぞかし人間味をますだろうに。
何せ仕掛けがタマネギだから。
いつもの通りに笑うその表情の穏やかさが、余計に壮絶。
魅せられるように、坂井はその雫を口に含んだ。
下村が笑っている気配。
まだ、染みるのか片腕で坂井の腰をやんわりと抱いたまま回れ右をして眼を瞬く。
「染みるな」
呟く下村が先刻坂井にしたように、睫毛の縁にまで舌を這わす。
擽ったそうに下村が身を捩るのを追いかけて、肩を抱いた。
「なんだ、俺の涙に欲情したのか?」
片目を閉じたままの状態で、下村が余裕のセリフを吐く。
「したかもしれない」
素直に出てくる坂井の言葉の方が今日は上手で、下村は一瞬意表をつかれてから自分を取り戻す。
「飯と俺、どっちにする?」
「飯」
ちらりと見上げてくる瞳は笑っていて、下村は甘い甘い苦笑を零す。
「じゃあ、大人しく待ってなさい」
意地悪く言ってみると、坂井はむっとした表情を見せながらも名残惜しげな仕草で体を離す。
食い気も色気も旺盛らしい。
「店が終わったら」
リビングに戻ろうとする坂井の耳元でそう予告をすれば、首筋にまで朱がのぼる。
逃げるようにリビングに消えた坂井を見送って、下村はまな板を振り返る。
美味しい思いをさせてくれたタマネギを美味しく料理するために。
2001/03/28
「下村が泣く話し」というリクエストをいただいたのですが、こんなにも甘くなってしまいました(笑)
お約束とも言えるタマネギネタでごめんなさい(>_<)
うちの坂井は誘い受け以上のものがあります……(爆)新婚ネタになってますね。考えてみれば……
題名は辞書によると「からかう・いじめる・(性的に)思わせぶりな態度をとる人・挑発する人」だそうです。TEAR(涙)で引いたらその近くにあって、「おおっ」って感じだったので(笑)