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 白いシャツのボタン
 小さなボタンを落としてしまった

「下村」
「んー?」
 ロッカールームで、着替え途中の坂井が声をかける。
「お前、シャツのボタン取れてないか?」
 パーカーを被りながら坂井が問う。
 聞かれて下村が着替えかけの私服のボタンを右手の指先で探る。
「アレ?」
 ない。
 白い糸がひょろりと伸びているだけだ。
 第二ボタンがなくなっている。
 暖かくなったこの季節。
 シャツ一枚で来たから、ボタンがないままのシャツを羽織ると、鎖骨のあたりまでがのぞく。
 女じゃないから全然構わないのだが、ボタンがないままではどうにも格好悪い。
「コレじゃないのか?」
 坂井の繊細な指先の挟まれている半透明なボタンは、確かに下村のシャツのものと同じ。
「落ちてたぜ?」
「あぁ、さんきゅ」
 礼を言って受け取ろうと差し出した手。
 その上にボタンを落そうと坂井も手を出しかけて、止める。
「坂井?」
 ちょっと自分の手中のボタンに目をやった坂井が、何故か赤くなりながらそっぽを向いてボタンを自分のジーンズに突っ込んだ。
「なんだよ」
 いぶかしむ訝しげな下村の追求に、坂井が視線で抗議した。
 わかれ、馬鹿。
 そんな感じに。
「お前じゃこれ、付けらんねぇだろうっ」
 素っ気無く言おうとしたのだろうが、語尾は照れ隠しで荒くなる。
 確かに片手が義手の下村では針を扱うのは無理だろう。
 それを本人よりも早くに気が付いて気を回してくれる。
 見なくても、今の下村の表情が容易に想像できて坂井はさっさと背中を向けた。
「先、車乗っとくから」
 それだけ言って、パタパタと出て行く坂井の後姿を見送って、下村はロッカーにコツンと頭をぶつけた。
「……かわいすぎる……」
 そんな独白が緩みきった唇から零れた。


 坂井の部屋にも下村の部屋にも、裁縫道具なんてモノが存在するわけはない。
 はずなのだが坂井の部屋には、あったりするのだ。
 下村がこの街にくる前のバレンタインか何かの時に、安見からプレゼントされた。
『どうせ持ってないでしょうけど、必要な時もあるでしょう?』
 なんて言いながら。
 それが活躍する時は滅多にないが、あって困るものではなかった。
 小さな小さな針に器用に糸を通すと、くるりと玉止めをする。
「へぇ。坂井、できるんだな」
「ボタン止めくらいはできるさ」
 ジーンズに突っ込んでいたボタンを取り出す。
「脱ごうか?」
「ん、いい」
 ソファーに座った下村の横に腰かけた坂井が、ぐっと近付く。
……あ、ヤバイ……かな?
 この距離は。
 この、微妙な接触は。
 素肌に時々触れる手とか、ちょうど鼻の下あたりにきて同じシャンプーの匂いを醸す艶やかな髪の毛とか。
 シャツの裏側に回った針の所在を確かめようとして、迫った坂井のアップ。
 触れてしまった呼吸。
 真剣な眼差し。
…………かなり……ヤバイ……。
 自分の不埒な思考が、純粋な親切心を抱いて至近距離にいる坂井に申し訳ない気がしたら、罪悪感がおそってきて、下村はちょっと体をひいた。
「動くなよ」
 その行動に、坂井がクレームをつける。
「いや、だってなぁ……」
「刺したりしねぇって。大人しくしてろ」
 子どもを叱るような坂井が、余計に可愛くてたまらない。
…………押し倒してぇ……
 そんなことを下村が考えていることなど思ってもないのだろう。
 坂井は時々鈍い。
 自分の理性と必死で戦っている下村の気持ちも知らないで、身じろぐ下村に腹をたてる。
「いいかげんにしろよ」
 低くそう言うと、よいせと姿勢を変える。
 それがなんと、
……うあ、ヤバイ。坂井、それはかなりヤバイ!
 下村の膝の上。
「ガキじゃねぇんだから、うごうごすんな」
「……はい」
「よし」
 より近くなった坂井の匂い、体温。
 非常にまずい。
 坂井の長い指は、器用に針を表に裏に通していく。
 クルクルと針に糸を巻きつけてしっかりと留めると、突然坂井が下村の胸に顔を埋めてきた。
 そう思ったのは下村の邪な心のせいで、実際には坂井はシャツの裏側で留めた糸を噛み切ろうとして近寄っただけのこと。
 時に下村にも噛み付く鋭い歯で、プツリと糸を噛み切る。
 柔らかな坂井の髪の毛が下村の肌を擽る。
 もう、限界。
「ん、できた」
 と坂井が顔を上げたトコロを狙って、下村の唇が坂井の唇に降りた。
 狙いを一切外さない。
 存外に柔らかな坂井の唇に見事的中。
 この狙いだけは外したことがないと自負できる。
 自慢したくてもできないことだが。
 そっと名残惜しいながらも、ご機嫌を伺わなくてはと離れる。
 遅れて坂井も瞼を上げる。
 不機嫌な色を急いで探す下村に、坂井が呆れた顔をした。
「好きだな、お前も」
「……若いんです」
 苦笑を浮かべた下村をできの悪いガキでも見るような目で見ながら、坂井が立ち上がる。
 テーブルの上のソーイングセットに針をしまって、ちらりと下村を振り返った。
 軽くたしなめるような、仕方ないなと言うような。
「シャワー浴びてくる」
 背中を向けながらのお言葉。
「一緒に入ってもいい?」
「駄目にきまってんだろう。ばぁか」
 そこまでは甘くないらしい。
 そんなビターなトコロが好きなのだ。
 下村は。
 甘さだけを味わいたいのなら、そのへんで女でのひっかければいい。
 坂井の持ち合わせる、意外で想像もできない甘さと見かけの通りの苦いトコロが下村を夢中にさせる。
 だから、そこはそこできちんと譲歩して大人しくソファーの上から、バスルームに消える背中を見送った。



 入れ替わりにシャワーを浴びて、下村がリビングに戻ると坂井は狭いベランダで煙草を吹かしていた。
 はき古しているジーンズだけの姿。
 坂井の体のラインは猫科の獣を連想させるしなやかさを持つ。
 華奢ではないのに、長身痩躯のせいかほっそりとした印象を受ける。
 それなりの道を歩いてきた者である証拠のように刻まれた傷もある。
 傷一つないすべらかな柔肌よりも、このどこか荒削りで傷を負った躰の方がずっと魅力的だった。
 シャンプーの甘い匂い。
 煙草の苦い匂い。
 惹かれるように下村が背後から坂井を抱きしめた。
 抱きしめているつもりが、好きな人を独り占めするための実力行使のような図に思えてしまうのは、今日の坂井がやたらと自分に甘いせいか。
 背後から伸ばした手で、坂井の唇に挟んである煙草を取り上げる。
 それを自分の口に銜えると、坂井が顔を反らして見上げてきた。
「俺のだろう」
 甘い苦笑。
 坂井は下村を甘やかしすぎる。
 無意識に。
 伸びてきた指が、煙草を奪い返す。
「春先って言ってもまだ寒いぜ? 中入れよ」
 ひんやりとした肌に頬を摺り寄せて、囁くと煙草一本分も待てないのかと呆れられる。
「お前の事に関しちゃ、我慢があんまり効かないんだ」
「あんまり、ね」
 肩を抱く手をとんとんと叩いて、離せと促す。
 大人しく離して、ベランダを出る坂井を追った。
 最後にすっと煙を吸い込んで、灰皿に押し付ける。
 紫煙にまみれるその体が、下村をどうしようもなく煽る。
「坂井―、キスして」
 しつこく近寄って再び背後から抱きしめると、笑ったのか肩が震えた。
「本当に」
 しなやかな腕が弧を描いて下村の後頭部を引き寄せた。
 暫らくの沈黙。
 そして、
「どーしようもねぇ野郎」
 坂井は笑って寝室のドアを開ける。
 そして、二人して裸になってシーツの間に滑り込んだ。


 酷く明るい月明かりが、寝室を照らしている。
 薄闇に染まったシーツに、坂井の髪の毛が濡れ羽根のように広がる。
 額の生え際から指を滑らせかき上げるように梳いていく。
 自分の指に坂井の髪が絡む様、坂井の表情を見逃すまいとする下村の至近距離からの視線に耐えられなくなった坂井の切れ長の双眸が、きょろりきょろりと逃げ場を探すようにぎこちなく動く。
 さっきまでの余裕の態度が嘘のようだ。
 そういうギャップが坂井の魅力。
 振り回されっぱなしだが、それが決して不快じゃない。
「坂井、俺を見ろよ」
 そう言えば、むっとしたように意地になって見上げてくる。
「そう、そうやってずっと見てて」
 顔を少し斜めにして、鼻がぶつからないように角度をはかりながらのキス。
「キスの時は閉じろよ」
 じっとムキになったように見つめてくる黒曜石のような瞳に、笑った下村の姿が映る。
「我儘な奴だな」
「俺がこんな風に我儘言うの、お前だけだぜ?」
 何か反論しようとした坂井に、またぐっと近付いた。
 慌てたたように閉じられる目。
 しかし、下村はほんの数センチほどの隙間を残したままで触れてこない。
 焦らすように吐息だけが坂井の唇を擽った。
「……っ、しもむら……」
 本当に小さく、呼吸に混ぜた呼びかけ。
 密やかな呼び方。
 ゾクゾクする。
 そっと持ち上がった瞼。
 睫毛の間から覗いた双眸の深い色にさえ興奮する。
 啄ばむようにキスをした。
 何度もそれを繰り返しながら、坂井からのキスにも応えながらゆっくりとブロンズの手を滑らせていく。
 温もりを持たない義手の冷たさに、坂井の肌がびくりと反応する。
 やがて、下村の左の手に坂井の体温が染み込む。
 そうなる頃には、坂井はただひたすらに優しいだけの愛撫と一向に深くならない口付けに焦れてか、切なげな吐息を漏らす。
 それでも下村は残酷な丁寧さで、坂井の体のラインを辿る。
 くっきりと浮き出る鎖骨、ドクの縫合のあとののこる腕。
 魅惑的なカーブを描く脇から腰。
 ほどよく筋肉のついた腹部に、肝心な部分は避けてしなやかな脚。
 ちらりと坂井の表情をうかがえば、今日はそうきたかとでも言いそうな忌々しそうな眼をして下村を見返した。
 強い意志を秘めた瞳が、欲望に潤む。
 強さと、快楽の前に屈してしまいそうな危うさ。
 そんな絶妙なバランス。
「どうしてほしい?」
「……好きすりゃあいいだろう」
 そうきたか。
「じゃあ、好きにするぜ?」
 にやりと笑って舌先で胸の突起に触れた。
 坂井の反応を見ながら、舌と歯で愛撫をしていく。
 もう片方は右の手で。
 たちまちに硬くなって反応を見せる坂井の体。
 それが自分でもわかるのか、坂井が身を捩ろうとする。
 しかし、下村に容赦なく圧し掛かられている状態でウェイト差もそんなになければ逃れようがない。
 腕で突っぱねようとしても無駄な足掻き。
 最近、なんだかこういった坂井の抵抗が見られる。
 最初の時なんかは、自分から受け入れてくれたのに。
「溺れろよ、坂井」
 そんな坂井の心情を察した下村の意地の悪い言葉に、抵抗は強くなる。
「意地っ張りだな」
 笑いながら、歯に力を入れた。
 肩を押し戻そうとしていた手がびくりと止まる。
 その隙に右手を内股に滑らせた。
「あ……」
 熱を持った吐息が下村の髪をゆらす。
 もどかしさを訴える腕が下村の背中を抱いて、ゆるい愛撫を与えられる片脚が曲げられた。
「下村………焦らすなよ」
「好きにしてーって言ったのは誰かな」
「……っ」
 ぐっと黙った坂井をあやすように舌を絡めるようなキスをしてやる。
 素直にそれを受ける坂井が、下村を抱く腕に力をこめる。
 坂井は優しいセックスに弱い。
 キスもまた同じ。
 優しくすればしてやるほど、それは坂井にとって苦痛になるのだ。
 それがただの苦痛じゃないから始末が悪い。
 過ぎる快感からくる苦痛。
 下村はまだ決定的な刺激を与えてこない。
 ひどくあやふやで掻き消えそうな刺激ばかりで坂井を攻める。
 下村に縋る手をとって、指の一本一本にまで舌を這わす。
 指の間から、坂井の表情をうかがいながら。
 薄く開かれた唇から、喘ぎの混じる吐息が吐き出されている。
 いじめすぎると後が怖い。
 ぴくりと反応を返す手を解放してやって、さっきから坂井が触って欲しくてたまらない下肢へと右手を伸ばした。
 先走りに濡れたそれを丁寧に扱いてやる。
「あっ、あぁっ……んっ」
 指の動きに翻弄されるように坂井の唇から、下村しか聞いたことがないだろう甘い喘ぎが惜しげなく零れ始める。
 坂井の弱い箇所から微妙にずらした愛撫に、坂井はしどけなく首をふる。
「もう、やだ、下村っ。やめろっ……」
 下村の手を必死でどけようとしてはいるが、体に濃く滲む快楽に力も入らない。
「やっ、駄目だ。それ以上……するな、ああぁっ!」
 喉を反らして、坂井が体を緊張させた。
「……んっ………は、あ」
 甘い声を上げながらぐったりとシーツに沈む。
 相変わらずに色っぽいなと思いながら、額に張り付いた髪の毛を払ってやる。
 荒い息を吐く坂井が重そうに眼を開く。
 潤んだ双眸から、不意にぽろりと涙が零れて睫毛を濡らした。
 強すぎる快感を少しでも逃すように、坂井はベッドの中ではよく泣く。
 それがより下村を煽るのに、気付いてはいるのだろうがどうしようもない。
 生理現象だ。
 熱い蜜の絡む指で入り口を探れば、無意識なのか脚を立てる。
 それでも下村は入り口を解すようにして撫でるだけを繰り返す。
「しもむら……」
 震える声で呼びながら、熱い手の平で下村の頬を包む。
 キスを強請る仕草。
 壮絶な色気があるのに、その表情はどこか幼い。
 応えて、唇を合わせると背中を抱く坂井の腕の力が強くなる。
 下村の言いたいことはわかっているはずなのに、はぐらかそうとするための口付け。
 わざと下村が唾液の絡まるようにキスをして音を出し、下肢を弄る手も音が出るように動かす。
「ぅん……やだっ、下村、お前、わざと……」
 キスを拒んで、抗議する声は舌ったらず。
「好きにしていいんだろう?」
「いやだ……」
「じゃあ、どうしてほしいんだ?」
 くっと唇を噛み締めると下村をより引き寄せて、耳に吹き込むように望みを囁く。
 顔を横に背けた坂井の濡れたこめかみにキスを落として同時に、物欲しげなそこから坂井の中へと指を沈める。
「……うっ、あ」
 顰められる表情。
 横を向いたままの坂井の顎のラインや赤く染まった耳にキスを降らせる。
 絡みつく襞をかき回すようにすれば、細い腰が淫猥に揺れ動く。
 すぐに蕩けたように柔らかくなる箇所を執拗にいじめる。
「んんっ……は、あぁっ!」
 悩ましげで甘い悲鳴。
 過ぎる快楽に溺れるように、坂井は喘ぎ頭上に弛むシーツを握る。
 さっき達した坂井も、再び熱と硬度を取り戻す。
 ポロポロと零れる涙がシーツを濡らし、頬擦りした下村の頬をも濡らす。
「坂井、イイ?」
 こくんと頷く坂井に、素直になったご褒美とばかりのキス。
 潤んだ双眸が意外にもしっかりと下村を見上げてきて、ちらりと舌を覗かせてきた。
 甘い苦笑を漏らして応じる。
 坂井はよくキスをねだる。
 セックスの時にだけの話だが。
 キスをしながら指をゆっくりと引き抜いて、片脚を持ち上げてぐっと体を折り曲げる。
 柔らかい体ではあるが、負担は大きいようだ。
 大丈夫かなと様子を窺えば、
「はやくっ」
 求められる。
 知らず浮かぶ笑み。
 屹立したもので坂井の入り口を撫でれば、背中に爪がたてられる。
「焦らすな、もうっ……おかしくなるっ」
 余裕のない声、瞳。
 応えるように頬を撫で、髪をかき上げ、キスをする。
 ゆっくりと先端を沈めて、坂井の様子をうかがう。
 熱く絡みつく内部は痛みを訴えることもないらしく、我を忘れたような表情で眼を閉じている。
 大丈夫だとわかると、下村は一気に坂井を貫いた。
「ふぅっ……ああぁっ」
 反り返る喉に食らいつくようなキスを一つ。
 衝撃でビクビクと震える体が落ち着くのを待っている間に、滲む涙を舌先で掬い取る。
 吐き出される吐息が熱い。
 折り曲げられ緊張した脚を弛緩させてやるために、裏側から擽るように辿る。
「つらくないか?」
「だい……じょうぶ、だから」
 いつもよりも執拗な焦らしに、坂井は翻弄され続けているが、下村もまた余裕がなくなりつつある。
「動くぞ?」
「……ん」
 絡みつき下村に刺激を与える内壁を削ぐように抽出を始めると、坂井の声に艶が濃く滲む。
 ギリギリまで引き抜いては、より深く穿つ動きに合わせて絡み蠢く坂井の内部と下村の屹立とが擦れ合う粘着質な音が生まれ、それに坂井が顔を顰める。
「坂井、中も濡れてる」
「んなこと……言うなっ、馬鹿っ!」
 掠れた声で抗議するが、下村の突き上げで怒声は嬌声に変わる。
「……ん、あつい……しもむら」
 自分の体も下村の体も。
 繋がり合ったところがどろどろに溶けて、どこからが自分なのかもわからない。
 そんな感覚が充実感となって体を駆け回る。
 おかしなくらいに気持ちが悦くて、不思議な感じだった。
 同じ男に言いくるめられて、こんな風に抱かれて乱されても、それが屈辱という言葉に直結しない。
 拒絶どころか、もっと貧欲になって欲しがってしまう。
 何故?
 考えようとしたけれど、浅い抽出を繰り返されて頭の中が真っ白になってしまう。
「あっ……ん、ぁあ……」
 至近距離で坂井の表情をうかがう下村の、虹彩の薄い双眸にまで犯されているような錯覚。
 すっと左手が伸ばされる。
 冷たい温度を予感していたそれは熱く、坂井の頬を包んだ。
 思わずほうっと吐き出した吐息に、下村が淡く笑った。
 恥ずかしくなるような、幸せそうなその笑みに体の中がいっそう熱くなる。
 溶けてしまう。
「しもむら……もっと」
「……ん?」
「……キス……」
 また、下村が笑う。
 柔らかい微笑。
 どうしてこいつは俺の前でこんな風に笑うんだろうと、また考えようとして、掻き消される。
 深くも浅くもない、歯列を辿るキスに反応して腰が引き絞られる。
 下村の熱い吐息が吹き込まれる。
「坂井……俺、もう限界かも……」
 苦笑いなんかを混ぜながら下村が耳元で囁くように言う。
「……俺、も……」
 舌が上手くまわらない。
 視界が涙でぼやけて、下村の姿が白く滲む。
 名前を何度も呼んだ。
 応えるように下村はキスをして、さっきまでの残酷なまでの優しさをかなぐり捨てて激しく坂井を貪り出した。
 本能に任せるようにキスを交わし、駆け抜ける快楽を追いかける。
「ん――っ」
「……っ、さかいっ」
 口を塞がれ喉の奥でくぐもった悲鳴を上げ、深く下村を受け入れた細腰が何度も痙攣する。
 ただでさえ熱い体内で、もっと高い熱をもった下村の迸りを受けて坂井が一瞬意識を手放す。
 体内で感じた熱と同等の温度を持つ自らの迸りを、腹部に受けて全身の力を抜いた。
「ふ……う……、はぁ……」
 達して心身が弛緩するのに合わせるように、頬に水滴が流れるのがわかった。
 唇が戦慄いて、嗚咽がもれる。
 しゃくりあげるような呼吸に、坂井の顔の横に伏していた下村がのろのろと顔を上げた。
「……さかい?」
 セックスの途中に生理現象による涙とは、どうも違う意味を持つらしいソレに下村が戸惑う。
「ごめ……ん……、なんか、変」
 重い腕を持ち上げて、ごしごしと目元をこする坂井の手を下村はどけさせる。
「溶けた?」
 からかうように下村に言われて、あぁそうかと納得する。
 体だけじゃなくて、心も溶かされた。
 だからか。
「うん、溶けた……」
 思ったままに言ってしまうと、下村が驚いたような顔になる。
「可愛すぎ、お前」
 いつもならかっとくる言葉も素直に受け入れてしまう。
 溶かされた体と心が、まだ呆然としてしまっている。
 何も考えられなくて、すぐ側に存在する下村の体温に手を伸ばす。
 子供のような様子で、拙い印象を受ける動作をする坂井に下村も応じる。
 手を握って、頭を撫でて。
 優しい優しいキスをする。
 今までこんな風に、こんなにも優しく誰かを扱ったことがあるだろうか。
 性欲だとかを差し置いて、こんな風に情事の後を過ごしたことがあっただろうか。
 自分の施す愛撫に、こんなに気持ちよさそうな顔を晒す者がいただろうか。
「坂井」
「ん」
 眼を閉じていた坂井がふっと眼を開ける。
 潤んでぼんやりとした瞳に、別人かと思うほどの笑みを浮かべた自分を見る。
「好きだ」
「……ん」
 しゃくりあげるようだった呼吸もだんだんと穏やかになっていく。
 力の入らないらしい体はぐったりとしていて、下村が残滓を拭う間も身動きをしない。
 いつもは恥ずかしいからと嫌がるのだが、今日は体力の消耗が激しいらしい。
「……坂井、好きだよ」
 返事はなかった。
 穏やかな寝息をたてている。
 明日になれば、下村の甘い睦言にも馬鹿じゃねぇのと突っぱねるのだろう。
 そのギャップの激しさがたまらないのだけど。
 しなやかな体をシーツにしっかりとくるんでやって、抱き寄せた。
 素直にことんと下村の胸に頭を預ける。
 ひどく体温の高かった体から、ゆっくりと熱がひいていく。
 消えていくのではなく、溶け出すような。
「さーかいー」
 ぎゅっと抱きしめながら呼んでみる。
 応えるように坂井が擦り寄ってくる。
……やっべぇ。幸せすぎる。
 なんだか今日は妙な具合に坂井にリードを取られたなと、そんな風に下村が思ったことは誰も知らないままである。
ぷつりと糸を切って零れ墜ちたはずのボタンも君といればなくさずにすむんだ


2001/04/26
私としては、けっこー頑張ってお気に入りなのですが、どうでしょう!?
むらむらしていただいたでしょうか(爆)
当初受けながらもかっこいい坂井を書こうと思ってたのに……けっきょくは……
で、ギャップのある坂井をテーマに(笑)
ボタンは、学園モノの時に使えると思ったのですね。爪きりとか下村じゃどうしてもできない、難しいコトの一つかなぁと。

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