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リード!



 その日、坂井直司の機嫌は非常によろしくなかった。
「さっかいー。何してんの?」
 妙にテンションの高い下村が後ろから抱き付いてくる。
 坂井の眉間に皺が一本、ざっくり刻まれた。
 普段だったら心地いいはずの背中に感じる体温が、忌々しくて仕方がない。
 何故なら昨日下村は、嫌がる坂井を押し倒して行為に及んだから。
 さらに言うなら、暴れる坂井を縛ってまさにレイプに近い状態で抱いたから。
 別に下村の機嫌がその時悪かったわけでもない。
 車は急には止まれない。
 男もまた然り。
 それに下村は坂井が嫌がることをしたがる、実にサディスティックな性癖を持っている。
 普段は形を潜めているはずのその本性が、たまに箍を外して表に出てくることがある。
 だって男は急には止まれないから。
 そんなこんなで昨夜のベッドの上はまさに狂気の沙汰。
 本気で嫌がる坂井に、下村は微笑を浮かべて素直じゃないと口にした。
……時々、こいつは実は俺を本気で怒らせることに挑戦しているのではないかと思う。
 こめかみに青筋が浮かぶ。
 昨日、抱きついてきた下村の体から、嗅いだことのない香水の匂いがしたから。
 下村がつける仄かに香るコロンの匂いでも、菜摘や山根や大崎の香水の匂いでもない。
 店の控え室に染み込んでしまいそうな数多くの種類の香水の匂いとも違う。
 嫌味なほど香ってきた匂いは坂井が初めて嗅ぐもので、強烈なほど匂った。
「さっかいー」
 下村は普段は驚くほど坂井に関しては敏感なのに、時々脳みそを落としてきたのではないかと思うほど鈍感だ。
 そう、昨晩のように。
 または、今のように。
 カチャ……
 返事の代わりに金属音を鳴らした。
 そこで、やっと下村は正気に返ったらしい。
 顎につきつけられた拳銃を認めて、ゆっくりとホールドアップした。
「下村、俺は今、めっちゃくっちゃに機嫌が悪い」
「……はい。……で、あの、これ、どうなさったんでしょうか……」
 何か厄介事でもあったのかと、多少居住まいを正して下村が問う。
「俺が面倒見てるヤツが持ってた。没収して、これから処分しに行く。お前も処分してやろうか?」
 本気で問う坂井に、下村は本気で首を横に振った。
 坂井の目がマジだ。
 これは相当きている。
 発端が昨日のセックスなのか、この拳銃なのかはわからないが、とにかく坂井の本気に火を点けてしまったのは確からしい。
「俺、今日はマジで切れた。これ処分したらお前の処分だ。いいか、大人しく待ってろよ。逃げんじゃねぇぞ。逃げたらこの体で社長んトコ行って、昨日お前が俺にしたこと洗い浚い話してやる。ついでにカズんトコにも行って、あいつらの目の前で泣いてやる」
 淡々と坂井らしくない言葉を並べる声はあくまで静かで、手は拳銃に重りとビニールを巻きつける作業を続けている。
 下村は背中を伝う嫌な汗を感じた。
 抱きついたままの坂井の体。
 項にはくっきりとキスマークが浮かんでいる。
「覚悟してろよ」
 最後に小さなビニールバックに、ガムテープでぐるぐるになった拳銃をつめこみチャックを閉め、坂井は立ち上がった。
 そして、壮絶なまでに綺麗な笑顔でそう言った。
 見惚れているうちに坂井はパタンと軽やかな音でドアを閉めて去って行った。
 残された下村は坂井が帰ってくるまでの間、得体の知れない恐怖を味わうことになる。



 坂井は拳銃を海流が複雑になっている場所に投げ捨てた。
 そこには叶の所持していた拳銃も沈んでいるはずだ。
 洗濯機のようにビニールのバックを飲みこんだ渦を暫らく眺めて、坂井は踵を返した。
 体は重い。
 半端でなく体調は悪い。
 腰が痛い。
 けれども復讐に燃える坂井は眼つきが違う。
 スカイラインを自分のアパートに向けた。

 その頃下村はと言うと。
「……やべぇよな……」
 後悔していた。
 昨日のセックスは確かに酷かったと思う。
 自分の理性を完全に失っていたし、かなり乱暴だったと思う。
 今朝の坂井の憔悴ぶりは激しかった。
 そりゃ機嫌も悪くなる。
 いやしかし、坂井が可愛すぎるのもよくない。
 日頃あれだけ強い人間が、快楽に犯されてしどけなく乱れる様というのはかなりクる。
 しゃくりあげるようにポロポロと涙を零しながら、何度も下村の名前を呼んだ。
 懇願するような響きに煽られた。
 焦らすうちに坂井が抵抗する力も失ったその姿にかなりそそられた。
 自分のサディスティックな部分を自覚する暇もないほど、濃厚な情事に溺れていた。
 泣いている坂井の心配をすることもなくよけいに泣かせてしまうなんて、最悪だ。
 いやしかし、坂井が色っぽいのだ。
 下村は反省していなかった。
 後悔だけしていた。
 そこに、ガチャガチャと玄関で物音がする。
 そうしてやっと坂井が出かける前に浮かべた笑みを思い出す。
 下村と違って、坂井はそんなに根性が悪くない。
 だから、あんな何か企んでますと書いてある笑みは浮かべない。
 綺麗な分、怖かった。
 その坂井が帰ってきた。
「ただいま」
 そんな帰宅の挨拶をしてにこりと笑う。
 ぞっとするほど美しい。
「お、おかえり」
「逃げなかったんだな」
 スカイラインの鍵をテーブルの上に放って、坂井は下村が身構えて座るソファーの横に腰を降ろす。
「……さ、かい。その、昨日は悪かったな」
 とりあえず謝るに限る。
 実は下村の下手な態度に弱かったりする坂井だから、ひょっとしたらこれで危機回避になるかもしれない。
「何が悪かった?」
 甘かった。
「いや、その……乱暴したし、無理させたし……」
「わかってんだな」
 下村が抱いていたバリケードかわりのクッションを、坂井がムンズと掴み投げ飛ばした。
 じりっと坂井が詰め寄ってくる。
 やはり坂井も過去にム所生活を経験するような荒っぽいことをしてきた男である。
 迫力がある。
 普段の生活でも坂井の荒っぽさはしっかりと見ることができる。
 坂井は綺麗だが、決して女顔だったりするわけではない。
 顔は凛々しいし、体だって自分といい勝負のガタイをしている。
 腕力なんかは本当に互角だ。
 そんなことはわかっている。
 ぼんやりとだけれど。
 今はしっかりと理解している。
 したくもなかったが。
 こうなったら、半殺し状態も覚悟しよう。
 幸いなのか不幸なのか、桜内と言う顔なじみもいることだ。
「本当に、悪かったと思ってる。好きにしてくれていいから」
 固めた拳は膝の上。
 ぎゅっと目を閉じた。
 いらんチンピラにボコにされるのと、愛しい相手にそうされるのとではダメージは違うだろうが。
「好きにしてもいい?」
 あ、この言い方とか声は可愛い。
 チガウ。
「いいですっ」
「じゃあ、好きにする」
 ギシリ、とソファーの軋む音。
 もしもこれで坂井が加減をうっかりでも故意にでも忘れてしまって死んでしまっても、それはそれで幸せかもそれないという下村はマゾの傾向もあるのかもしれない。
 サドだったりマゾだったり忙しい男だ。
 いろんな覚悟を決めている下村の唇にふっと体温が感じられる。
 鼻腔を掠めた煙草の匂いに目を開けた。
 いきなりの坂井のアップに驚きながらも、避ける理由もなく喜んで近付いてきた唇を歓迎した。
 触れて離れる。
 また触れてきた唇を舐めて離れる。
 飴と鞭の作戦だろうか。
 薄く目を開けると、じっと真っ直ぐに自分を見つめる坂井の目があった。
 ちょっと切れ長で、黒々とした眼球が綺麗だ。
 あんまりに綺麗で見惚れる。

「今日は、俺にヤラセロ」

 見惚れたまま下村は硬直した。




 下村が最初に坂井を抱いた時、坂井は何故自分が抱かれなくてはいけないのかと問うた。
 下村は成り行きだと応え、その場の状況に応じてポジションチェンジをしようと宥めた。
 が、結局のところポジションチェンジが行われることもなく、今日まで関係は続いている。
 確かに下村は好きにしていいとは言った。
 言ったが、そこは不可侵だろう。
 と、下村は勝手に思っていた。
 たぶん、坂井はやろうと思えば下村を押し倒すことだってできただろう。
 何をどうしたらいいの? なんて奴じゃないから順序だってわかってる。
 下村が今まで貞操を守ってこれたのは、坂井が下村と違ってあけすけでなかったり性欲に関して淡白だからだろう。
 つまりは坂井は、自分からモーションをかけたり誘ったりできずに、きっかけが作れなかっただけのこと。
 これまで数え切れないほど体を重ねているが、坂井から「しよ?」なんて言ってくれたことは一度もない。
 なのに、このお言葉はあんまり。
 せっかくのお誘いの言葉なのに、ヤラセロだなんて。
「……っ、坂井っ?」
 押し倒した下村の首筋に顔を埋めて、耳朶を噛む坂井の吐息が熱い。
 坂井はヤる気満々らしい。
 悲しいかな、この状況が反対であれば下村だって応えて燃えたのに。
「坂井、ちょぉ待てよっ。ま、マジ?」
「俺はお前と違ってマジじゃないのにセックスなんてできない」
 ひっかかる物言いだが、坂井の手が下村のシャツの下に滑り込んできたので、考え事は中断中断。
 まずは自分のバックヴァージンの危機を守らなければ。
 ともかくこの体勢を入れ替えてしまえばどうにかなるだろう。
 と、下村は体を起こそうとする。
 が、坂井が下村の腹の上にしっかりと乗りあがっているためままならない。
 過去に何度か坂井に騎上位もとらせたことがある。
 けれど状況が違う。
 下村敬、左手を失った時のようにバックヴァージン失ってもどこ吹く風な顔ができるか!?
「坂井―、勘弁してー!」
「うるせぇ。黙れ」
 乱暴な手付きでシャツを剥がれる。
 坂井も下村に馬乗りになったままでシャツを脱ぎ捨てた。
 往生際悪くもがく下村の髪をがっちり掴むと、坂井はその目の据わった顔をぐいっと近づけた。
「好きにしろっつっただろう? あぁ?」
 囁く声は低いのに、甘く聞えるのは何故だろう。
 その唇が薄く開いて下村の唇を覆った。
 貪るような口付け。
 舌を積極的に絡めてくるのは坂井で、下村は口腔を犯されるような錯覚に逃げる。
「……っ」
 どうにか形勢逆転を図ろうとする下村だが、坂井の手がそうはさせない。
 乱暴ともいえるキスに下村の息の方が先に上がってしまう。
 容赦がないから、唇が離れた時には下村は酸欠状態になっていた。
 殺されるかもしれない。
「……死ぬ」
「死ねば」
 冴え冴えとした目だったのが、今は少し熱を孕んでいる。
 それでも言葉は素っ気無く、そのまま胸に顔を埋め乱暴な言葉しか吐けない唇が下村の胸の突起を食む。
 下村よりも少しだけ高い温度を持つ坂井の口内に含まれて、下村は眉を顰めた。
 並びのいい綺麗な歯に噛まれる。
 大きな肉食獣にじわじわと食べられるような錯覚に、下村は背筋を何かが這い上がる感触を味わう。
「……ばぁか」
 鎖骨にキスマークをつけながら、坂井がそのまま小さく呟いた。
 それから、また小さく鼻を鳴らす。
 前言撤回。
 食われる、というよりは大きな手加減を知らない大型の肉食獣に、容赦なく甘えられている図だ。
 どうしよう。
 坂井にやられるのは嫌、というか勘弁だけど、この坂井が可愛い。
 やられちゃってもいいかな、なんて考える。
 たぶん、坂井が鼻を鳴らしたのは昨日、店で女の子にぶつかってぶっかけられた香水の匂いのせいだろう。
「坂井」
 狼狽しきっていた下村の呼びかけに余裕が滲んだのを感じ取って、坂井は下村の乳首を甘く噛むのをやめて、一度強く噛む。
「っ痛」
「いつもお前がやってることやってるだけだけど?」
「俺はもっと優しいだろう」
「ムカツクな」
「うん、ごめんな」
 坂井の頭を撫でながら、下村が言うと坂井が頬を下村の胸に摺り寄せる。
「わかってんじゃねぇか」
 憮然とした声。
「でも、誤解」
「何が」
「お前、浮気したと思ってるだろ?」
 触れ合っている上半身は坂井が剥いだから素肌同士。
 直に伝わる体温が少しずつ冷静にさせる。
 坂井の鼓動の方が下村よりも少し早くなっている。
「昨日、店の子にぶっかけられたんだよ。こんな可愛い天使がいるのに浮気なんかするかよ」
 首筋にかかる坂井の吐息が安堵に熱くなる。
「……でもそれ、昨日のセックスには直結しねぇだろ」
 むしろ、昨日は俺にヤル権利があったはずだ。
 そう続ける坂井に下村は苦笑する。
「うん。ホント、ごめんなさい」
 浮気したと思ったのなら、そんな男捨ててしまえるのに。
 殴ってでもどうにでもして、全部なかったことにしてしまえばいいのに。
 問いただして、迷って制裁して、縋ってくる。
 愛されてる?
 そんな実感にじわりと愛しさが広がる。
「だから、好きにしていいよ。もう。俺は俺の貞操を諦めた。坂井にならあげられるし」
 自棄になったのではなく、坂井だから、いっか。
 そんな風に開き直った下村が、どこからでもどうぞ食べてくださいと言わんばかりに腕を広げる。
 むしろ喜んでいるように見えるのは気のせいか。
「どーぞ」
 余裕綽々。
 自ら手を広げて坂井を待ち構える。
 最初は本当にやってやろうと思っていた坂井もたじろぐ。

 こんな男、抱くの、嫌。

 そう思われた下村は幸運なのか不運なのか。
 坂井は自分の体の下で、『さぁ、食べて』と微笑む男をじっと見下ろす。
 むかつくむかつくむかつく。
 たまには慌てて取り乱して顔色変えてみればいい。
「後悔すんなよ」
「しないしない」
「……イタダキマス」
 本当に、どうしようもない奴に惚れてしまったものだ。
 ぎこちない手付きで坂井が下村のズボンのジッパーを下ろす。
 笑っているのか腹部の筋肉が振動している。
 下着まで剥ぎ取った。
 それでも楽しそうな下村の意表をつきたくて、坂井は躊躇せずに下村の剥き出しになった下肢に顔を埋める。
 以前も何度か下村に請われてやったことがある行為。
 自分から進んでしたことは一度もない。
「うわ、坂井?」
 坂井の指先に触れられてピクリと反応を見せるそれに、坂井の舌がねっとりと絡んだ。
 食べて、とは言ってみたものの、こんな積極的な坂井に煽られるよりも先に腰が引ける。
 ペロリと柔らかい舌に先端を舐められる。
 心の準備はまだでも、体は的確な刺激を受けて反応する。
 頭を持ち上げ始めたそれに、坂井がちらりと下村を見上げる。
「感じる?」
 上目遣いでそんなことを言う。
 犯罪です。
 坂井さん。
「……う、ん」
 しどろもどろで返事をする下村が、坂井には可愛くて仕方がない。
 こんなひねくれた男が可愛いなんて、自分もちょっとイカレてる。
 赤くなった下村なんて、見たくても見れるもんじゃないし。
 ちょっとこの状況は楽しいかも。
 コレはお言葉に甘えて食べてしまおうか。
 ゆっくりと深く、下村の昂ぶりかけたものを口内に咥えこんだ。
 熱い。
 下村が、小さく呻くのが聞えてきた。
 根元を指先で弄び、口内に含んだ分は下村がいつも自分にするのを真似た。
 時々歯をたて、口をすぼませて圧迫するようにしてみたり。
 舌でなぞれば、浮き出た血管の感触までがリアルに感じられて背筋がゾクリとした。
 口の中に広がる苦味に、下村が感じていることがわかる。
 唇を離して改めて下村の濡れて猛ったものを見下ろすと、先端からトロリと蜜が溢れるのがわかった。
 自然と笑みが零れる。
 その笑みに下村は多少むっとした。
「坂井、いつの間にそんなに上手くなった?」
「誰かさんに無理矢理されてるからな」
 ふふんと不敵な笑みを浮かべるのは坂井で、なんとも言えない複雑な表情をするのが下村。
「イけば? もう、こんなになってんじゃん」
 ペロっと舌を出して滴り始めた下村の先走りを舐めとる。
「――っ、さかい、んなことすると、マジで……」
 それは視覚的に非常にまずい。
 限界が見えてきて、下村は焦る。
 今まで坂井よりも先にイったことはない。
 慌てて坂井の頭を引き剥がそうとするが、坂井の手に邪険に払われてしまう。
 コクンと僅かな空気の逃れる音と、濡れた音を混ぜて坂井がまたしっかりと下村を咥えこんだ。
「……んっ」
 坂井の後頭部に添えた下村の手がたまらないと言った様子で、坂井の髪を掴む。
 理性の欠いた力で引っ張られて、坂井は顔を顰めたが咥えた下村のものは限界が近い。
 指と唇を使って一心に口淫を施す。
 質量を増した下村のものが震え、下村の吐息も熱く激しくなる。
「さかいっ、もうっ……」
「……ん」
 下村の切羽詰った声に応じて、坂井も唇で性器を擦るようにして顔を離し、先端だけを口に含んだ状態で、下村が耐え切れず坂井の口内に吐き出す精液を受け止める。
 いつもなら上手く飲み込めずに噎せてしまうのだが、今日は冷静だった分もあって上手く舌で受け止めてから飲み込めた。
 苦い。
 不味い。
 それでもなんとか飲み干して、喉を鳴らした。
「……坂井、絵的に滅茶苦茶エロい」
 離れた坂井の口唇に残る自分の白濁をぬぐってやって、下村がやっとそれだけ言った。
 いつもは余裕綽々で自分を見下ろしている目が少しだけ潤んでいる。
 なんとなく優越感を感じて、坂井の口元に笑みが浮かぶ。
「良かった?」
 艶然と笑って問う坂井に、下村が憮然とした拗ねた子供のような顔をしている。
 それでも渋々、コクリと頷いた。
 完全な形勢逆転。
 たまにはこう言うのも楽しいかもしれないと坂井は思う。
 無防備で、ちょっとだけ顔の赤い下村に、伸び上がってキスをした。
 可愛いな。
 そんな風に思って。
 リードは完全に自分がとったのだと思っていた。

が。

 ちゅっと可愛らしい音をたてて重なった唇は下村に奪われた。
「ん――!!」
 濃厚な口付けをしたまま体を引き摺り上げられ、腰をきつく抱きしめられる。
 さっきまでのしおらしい態度はどこへやら。
 こう言うのを豹変というのだろう。
「しもむらっ、てめぇ、今日は大人しく俺にヤられろ!」
 口付けからなんとか逃れて坂井が吠えると、下村は苦笑を浮かべた。
「ゴメン。でも、もう無理。早く坂井ん中挿れたい。もう限界」
 それは謝罪になっていない。
 唖然となっている坂井の体を下村は信じられない力で押し倒す。
 坂井の視界に広がる天井。
「マジ、ゴメン。坂井。やっぱ、俺はヤられるよりはヤりたいです」
「信じらんねぇ! 鬼! 好きにしろって言ったじゃねぇか! 男に二言はねぇだろう!?」
「俺に限ってはあるんだ。ほんと、ゴメン。さっきの坂井に煽られた。男の悲しい性だ」
「ふざけんな!!!!」
 余裕がない男を押し倒すのと、余裕のない男の押し倒されるのでは感じが違う。
 ちょっと……怖い。
 すでに息の荒い下村が性急に坂井のズボンと下着を剥ぐ。
 さっき坂井がした行為のリプレイのように。
「ちょっ、下村、お前昨日のこと反省したんだろうが!」
 ばたばたと暴れていると、二人揃ってもつれ合いながらソファーから転落してしまった。
 硬いフローリングに押し付けられれば、これでいつもの二人の状態のできあがり。
 下村の固い決意と覚悟も、天使の嬌態の前では無意味であることが証明された。
 どうしようもない。
「最低男! ほら吹き! ……んっ」
 罵声を吐き続ける坂井の肌に舌を這わせて、下村は早速坂井を溺れさせてしまおうと試みる。
 ディープキスの一歩手前。
 もどかしさを感じるようなキスをする。
 歯列を丹念に辿って唇を甘く食むと、たちまちに坂井の息はあがってしまう。
 さっきまでの坂井の余裕は一瞬で消えうせた。
 相手をどれだけ気持ちよくさせれるか、なんて下村の方が坂井相手ではキャリアはずっと上なのは決まっている。
 腕の中に閉じ込めるように坂井の耳の横に肘をついて、下村が坂井の表情を覗き込む。
 絡んだ視線も呼吸も熱い。
 この熱に、いつも夢中になる。
「最低」
 潤んだ双眸で下村を見上げれば、本当に困惑したような珍しく素の余裕のなさを晒している下村が、またゴメンと小さく囁いた。
「……もういい。お前最低なのはよぉくわかったから」
 深い溜息をついてポソリと吐き出すと、下村が破顔した。
 下村の瞼が先に降り、それから坂井の睫毛が震えて同じように目が閉じられた。
 キスなんて、ただ体の一部が触れるだけの行為だと思っていた。
 多少の快感は伴えど、気持ちが通じ合う行為だなんて思っていなかった。
 下村とキスするまでは。
 しっとりと唇を重ねて、今までのゴタゴタを一先ずリセット。
 煽りあって生まれた熱に溺れるために、坂井は下村の背中に手を回した。


「坂井? 大丈夫か?」
 硬いフローリングの床で下村の体重も受け止めて体を揺すり上げられる。
 時々坂井が噛み殺す悲鳴に下村が気遣いの声をかけると、きつく閉じていた眼を開く。
 涙の膜が張っている瞳が、下村をとらえる。
 頷く代わりに坂井の手が、下村の首を引き寄せて体をより密着させた。
 同時に坂井が意識的に足の付け根に力を入れて、中にある下村を締め付ける。
「っ、さ、かいっ」
 下村が焦って呻くが、坂井も中にある下村の形をまざまざと感じてしまい、喉を反らせて声にならない吐息を漏らした。
 それでも落ち着くとほうっと安堵の吐息を吐き出し、下村の頬に汗ばんだ手の平を添えて、目を合わせた。
 それから濡れた唇にゆるやかなカーブを描いてみせる。
「イイ、だろう?」
 普段の坂井からしてみれば考えられないセリフに、下村は瞠目した。
 自分の耳と目を疑うと同時に、下半身はより素直に反応を示してしまう。
「……ふ、あ」
 その熱と質量に坂井が喘ぐ。
「……さかい……」
「……んっ」
「すげぇ、イイ」
 負けを認めるように下村が呟く。
 それに坂井が笑った。
 その振動がまた下村に刺激を与える。
「う、あっ」
 切羽詰った下村の声がしたと思ったら、坂井の内部に熱い体液を注ぎ込まれる。
 ただでさえ溶けそうに熱い下肢の、それよりまだ熱い液体の感触を体の内側に感じて、坂井はまた声にならない悲鳴をあげる。
 先に達してしまった下村が、どこかバツが悪そうに蠢くと繋がった箇所から体液が溢れて坂井の双丘を伝った。
「ふ、ぅ……、やっ」
 些細な接触一つ一つが快楽になるが、坂井は懸命に達してしまうのを耐える。
 過ぎる快感に体が小刻みに震え、涙も溢れた。
 それでも昨日のセックスの復讐として、下村を先にイかせてみせると決めたから、男の意地にかけてそれを実行してみせる。
 曇る視界で下村の眉を顰めた悔しそうな表情をとらえる。
「――、この、淫乱」
「誰のせいだよ。馬鹿野郎っ」
 毒づく坂井の体を下村は乱暴に揺すり上げた。
 さっき大丈夫かと尋ねたのは演技かと思わせるような仕草に、坂井は抵抗もできずに与えられる快楽全てを受け入れさせられることになる。
 先に下村が坂井の内部に放ったもので、下村の動きにはいつものような負担もなくスムーズだが、坂井が感じる快楽は濃い。
「イけよ。坂井」
 耳元で下村が掠れた声で囁く。
 一回イったくせに下村はもう回復している。
「俺が淫乱ならっ、お前は、絶倫じゃねぇか」
「喜べよ」
「何をっ、だよ」
 ぐっといっそう強く突き上げられて坂井の目尻から涙が零れた。
「突然の思わぬお誘いにも、こうやって応えてやれる」
 引き抜き、また穿つ。
 悪態ついてやろうとした坂井の唇からは、最早喘ぎしか発することができずに、喉を反らせた。
 その喉に噛み付きながら下村はより深く坂井を抱きこむ。
 一番深いところを擦り上げられて坂井も限界をみる。
 もうだめだと訴えようとした坂井よりも先に、下村の方が達して坂井に熱を打ち付ける。
 促されるようにして、坂井も二人の下肢の間に白濁した体液を散らした。



「背中、赤くなってる」
 フローリングに転がったまま、下村が背後でポツリと言った。
 誰のせいだと思ったが、もう文句を言って喧嘩する気にもなれない。
 けれども何か言い返さなければ腹が立つだけだ。
「……ソーロー」
 少し考えてから坂井が言ったのはこんな一言。
 背後の空気が凍った気配。
「………………」
 返答がこないのは下村が弱っている証拠だろう。
 たまにはこんなのも面白い。
「二回も先にイっちまいやがんの。下村、結構敏感?」
 ごろりと寝返ると、肩甲骨が硬い床にゴツリとあたって痛んだ。
 けれど間近にあった下村の顔が、らしくもなく赤くて子供のように拗ねた表情をしていたから、まぁよし。
 気だるい体には二人とも何も身に付けておらず、ソファーの背凭れにかけてあるブランケットだけが二人の腰から下を申し訳程度に覆っているだけだ。
「うるせぇな。坂井にあんなリードとられたら、そりゃ我慢もできなくなるさ」
「以外と可愛かったな」
 くっくと笑いを噛み殺して言う坂井の可愛いとのお言葉に、下村は盛大に眉を顰めた。
 いつもは坂井に向かって可愛い可愛いと言っているが、言われる立場になってこの誉め言葉の複雑さに気付いたらしい。
 ザマァミロ、だ。
「うるさいうるさい。可愛い、は坂井の専売特許だろっ。可愛くない、お前」
「なんだソレ」
 いつもは坂井を言いくるめる下村なのに、今日は言ってることがぐちゃぐちゃで坂井は笑った。
「くそぉ、なんかむかつく」
「もとはといえばお前が悪いんじゃねぇのかよ」
「うん、ゴメンな」
「いーよ、もう。なんか気ぃすんだし」
 ぐいっと下村の鼻を摘んで晴れやかな顔さえしてみせる。
 けれどもその後に、ホントはヤってやりたかったけどと続けた。
 こんな下村が見れるのなら、たまには積極的になるのもいいかもしれない。
 下村が聞けば飛び上がって喜びそうなことを心中で思いながら、坂井は下村の頭をイイ子イイ子と撫でてやる。
 本当はちっともイイ子なんかじゃないけれども。
 むっとしたままの下村が、むずがるように抱きついてきた。
「そんなに可愛がってくれるんなら、もう一ラウンド……」
「調子にのんな。風呂だ。風呂」
 がつんと一発殴りつけて、坂井が言う。
 これがいつもの二人の関係だよな、と変なところで納得する。
 ふざけて甘えるふりをして腰に纏わりつく下村は全く可愛くなくて、坂井はやはり凶悪な眼差しで下村を見下ろし、下村がその視線の意味に気付いた所でさらに一発殴ってやった。

されるだけが愛じゃないでしょ?
甘えるだけが愛じゃないでしょ?
愛するだけが愛じゃないでしょ?


2001/09/10
坂下風味下坂であります。下村サイテー(苦笑)
切れた坂井が書きたいなぁと思ってまして、今回そんな風になっちゃいました。
リクは「珍しくその気がない下村に、さかった坂井がこれまた珍しく誘いを仕掛ける甘甘エロエロ」
「らぶらぶエロエロしている癖に心の何処かでは坂井の気持ちを信じ切れてない下村(下村は勿論坂井にめろめろ)」の二つをいただいたのですが、前者のリクをほんのりと……という感じになってしまいました(情けない)こんなんでも満足していただけたでしょうか。きょうさま。

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