6000hit
Call



 ジッポがなくなっていた。
 寝る前にベッドサイドに置いておいたはずだ。
 いつもそうする。
 目覚ましに一服しようと思って、手を伸ばした所にそれはなかった。
 不審に思って顔を上げて辺りを見回す。
 昨日、一緒に飲んだ相手もいなくなっていた。
「……しもむら?」
 呼んでみる。
 返事はない。
 部屋のどこにも下村の気配はなかった。
 リビングのテーブルの上は、昨日飲み散らかしたまま。
 ジッポが落ちていないか探したが、どこにもない。
 昨日のことを思い返してみる。
 昨日は、珍しく飲みすぎて酔ったのだ。
 吐くほどに。
 下村がもうよせと言うのも聞かずに飲んで、気持悪くなって吐いた自分を、下村は介抱してくれた。
 なんで、飲みすぎたかな…………?
 頭も少し痛む。
 そんなになるまで飲んだ理由が自分でも思いつかない。
 喉の渇きを潤すため、ミネラルウォーターを開けた。
 冷たい水が喉に流れ込んでくる。
 体に染みるようだ。
 顔を洗って、玄関の近くに置くことにしている鍵入れを見た。
 残っていたのは、この部屋の鍵と下村の部屋の合鍵。
 それにバイクの鍵だった。
 スカイラインは不在の下村が乗っていったとして、フラーリの鍵がない。
 下村は絶対に乗らないし、どう言うことだろう。
 ジッポとフェラーリのキーの喪失。
 ちくりと胸が痛む。
 胸騒ぎ。
「……しもむら?」
 返事はない。


 昼間に下村を探したが、その姿はどこにもなかった。
 例によって夫婦喧嘩かとか聞かれたのだけど、違いますよと否定をすればそうかとそれ以上はからかってこなかった。
 そして、誰も下村の居場所については知らないと首を振る。
 スカイラインの車影も見ない。
 何か怒らせるようなことをしただろうかと、昨夜のことをもう一度考え直した。
 昨日。
 情緒不安定ともいえる状態だった自分を、下村は介抱してくれた。
 嘔吐に苦しむ時に背中をさすってくれていた手の温もりも覚えている。
 そのまま気を失ったかしたのだけど、眠っている間も下村は側にいてくれていたような気がする。
 何故?
 店には……出てくるか。
 ほうっと溜息をつく。
 一人なのに空気が重い。
 何故。
 考えるのが億劫になる。
 とにかく店だ。


 藤木さんのジッポ。
 叶さんのフェラーリ。
 男達の遺したものを、俺は自分の思いを忘れたくないからと持っている。
 そう言うのを、下村が少し嫌っているのを知っていた。
 ヤキモチだとあいつは皮肉に言う。
 皮肉に笑う。
 色素の薄い瞳は、時々なにを考えているのかわからなくさせた。
 その眼が、俺を見ている。
「…………っ、も、むら?」
 意識が朦朧としている。
 わけのわからないままに名前を呼んだ。
 下村が返事の替わりに髪の毛を梳くような感触。
 体に力が入らない。
 気だるさが体中を支配している。
 なんでこんなことになっているのか考えた。
 昨日から、記憶が古いビデオテープのように擦り切れている。
 はっきりしない自分の記憶に腹が立つ。
 店……に、行った。
 下村も来ていた。
 タキシードを着込んで、何時ものように仕事をこなした。
 交わす合図もいつものように滞りなく、店は閉まった。
 片付け、戸締りも終えて、やっとプライベートな会話ができる時間が訪れた。
『下村、ジッポとフェラーリのキー、知らねぇ?』
 尋ねて振り返った下村が、奇妙に優しい、それでいて泣きそうな笑みを浮かべて手を伸ばしてきた。
 問いには答えてもらえずに、口移しで何かを嚥下させられたのだ。
 異物感と、下村に覚える恐怖に体が竦んで、そこで意識が途切れる。
 下村が飲ませたのは睡眠薬か何かだろうか。
 下村が、オカシイ。
 俺はどうなってしまうんだろうと、ぼんやりと考えた。
「何……する気……だ?」
 自由にならないのは体も同じだった。
 全身がだるいのに加えて、どうやら手首を括り上げられているらしい。
 背中にはシーツの感触。
 服は……着ていない。
 目的がいやでも理解できる。
 ひょっとしたら、ここはラブホテルか何かだろうか。
 ホテルらしい室内ではあるが、独特のけばけばしさはない。
 ビジネスホテルのような質素な室内が、見渡せる範囲で広がっている。
 一面の壁はカーテンで覆われていた。
 朝なのか夜なのかもわからない。
 ここがN市かどうかもだ。
「今、何時?」
 目的は問わなくてもわかる。
 その真意はわからないけど。
 質問を変えた。
 下村は、さっきからずっと俺の髪を梳いている。
 意志の読み取れない瞳で、じっと俺を見下ろしながら。
 眼を合わせても、焦点をはっきりと感じられない。
「しもむら」
 やはり返事はない。
 かわりにチャラリと音がして、目前に金属の光がちらついた。
 フェラーリのキーと、指先にはジッポ。
「何がしたいんだ?」
 声はなんとなく掠れていて、喉が痛い。
 睡眠薬まで用意して、俺を拘束しているのは同僚で同居人で……
 恋人だとか甘ったるい言葉を使いたくはないが、好きだとかなんだとか囁いて体を繋げている男。
 俺を抱きたいと思った時は、抱かせてとかなんとか気障な言葉を並べて誘うか、俺をその気にさせるかするような男だ。
 思い余ってなんて言わせるものか。
 じっと下村を見つめる。
 わけがわからない。
「喉、渇いただろう?」
 第一声がこれだった。
 穏やか過ぎる声には素直に頷いた。

 下村敬。
 多少精神バランスの悪い男。
 破滅願望有り。
 サディズムの傾向も多少。

 グラスに注いだ冷えた水を、やはり口移しで飲まされた。
 乾きが癒えて、ほうっと無意識に安堵の吐息が漏れる。
「下村」
 返事がない。
 そのことに冷静でいようと言い聞かせていた平常心が、少しずつ焦れる。
 返事をしない下村が、だんだんと見知らない男に見えてくる。
 下村が奪っていったジッポとキー。
 多分、俺は、酔って藤木さんか叶さんのことを呼んだのだろう。
 それが、下村の何かを切った。
「しもむら」
 俺をじっと見下ろしていた下村が動いた。
 手の平で両目を覆って、額にキス。
 もう一度視界がクリアになった時には、いきなり下村が下肢に濡れた舌を這わしてきた。
 いつもはしない突然の行為に体が慄いた。
 押さえようとしていた、わけのわからない下村への怒りが溢れてくる。
 蹴り上げようとした足を難なく捕まえられて、左右に大きく開かれる。
 屈辱的な恰好。
 下村の熱い舌が、絡みつく。
 曲げられ、ベッドマットに縫い付けられている足首と足の付根の部分――下村が、触れている箇所――が、燃えるように熱い。
 こんな状態で、わけもわからないまま嬲られて感じたくない。
 まるで……まるでこれじゃ強姦だ。
 なのに、何度も下村に抱かれて馴染んだ躰は快楽だけを感じ取る。
 ねっとりと絡みつき舐め上げられる。
 仕込まれたと言う言葉は使いたくないが、他に言い様を知らない。
 俺の体の隅の隅まで知っている下村に、今までの復習であるかのように弱い箇所を責められる。
「……し、もむらっ。どう……し、て?」
 返事を、してくれない。
 それが俺に恐怖心を植え付けていく。
 ピチャリと濡れた音が耳についた。
「あっ……」
 人より器用に動くようになった舌が、じわじわと下肢を濡らしていく。
 舌で抉るように上から下に辿られる。
「しもむら……っ! 答えろよ!」
 嬌声が漏れてしまいそうになるのをどうにかしたくて、怒鳴った。
 俺の言葉に答える下村の声を、聞きたいのに。
 追い詰められる。
 ぞくりと知っている感触が背中を這い上がる。
 舌が奥に滑っていって、受け入れ口を濡らす。
 濡らすのは下村の唾液だけじゃない。
 ゆっくりと、口内の熱を移すような動きに背中が反る。
 何度もこんな風に翻弄された。
 こんな風に滅茶苦茶にされたけど、違う。
「下村!」
 無理矢理に熱を煽られる。
 抵抗のしようもなく、体温が上昇していく。
「っん……あ」
 舌が離れて、濡れた箇所がひんやりとする。
「綺麗だな」
 順序を逆に辿るように、下村が胸に首筋に唇を滑らせてくる。
 息が乱れる。
 悔しい。
「こんなに綺麗なんだから、坂井」
 覗き込んでくる下村の双眸に、初めて凶悪な憎悪のような激情が見て取れた。
「繋げておけば良かったんだ」
 ガラス球のような瞳から眼が離せないままでいると、いきなり指が入り込んできた。
 ねじ込むようにされ、背中が反る。
 それでも、眼が離せない。
 下村に、何かされたのかもしれない。
 自分もおかしくなっている。
「この、体で」
 体の内側を掻き乱される感触。
 頭の中身も掻き乱されていく。
「坂井、もっと濡らして。痛い思いをするのは、お前なんだから」
 口調は優しい。
 けれど、観察するように自分を見つめるその眼は凶悪。
 これは……ひょっとしたら、拷問なのかもしれないなと、思った。
 下村に尋問された人間は、人格を変えられることがある。
 人格を砕かれたような、そんな状態にする。
 それなのかなと、思わさせる、下村の眼。
 変えられるのかと、推測する。
 内壁を抉るような指の動きに快楽は引き出される。
 それを追う自分と、下村の視線を受けて冷静でいる自分とがいる。
「し……もむ……らぁっ」
「そんなに悲しかったんなら、そんなに、好きだったんなら、お前の全部を使って繋ぎ止めればよかったんだ」
 穏やかに振ってくる言葉に、冷静な自分の思考が停止する。
「好きだったんだろう? 死なせたくなかったんだろう? こうしておけば良かったんだ。体を開いて、溺れさせればよかったんだ。こんなに綺麗で、悦い思いできるんならな」
「……ふ、ざけるな。ふざけるなよ、下村!」
 下村が笑う。
 ぞっとするような冷笑。
 藤木さんと叶さん。
 どちらも俺にとっては遠いところにいる人で、憧れで、羨望の対象だった。
 体で繋げておくなんて、なんて馬鹿馬鹿しい。
 俺の我儘で、意志を曲げるなんてしない人だった。
 俺の気持を欲しがるなんて馬鹿は、一人だけだ。
「あの人達がお前の側にいれば、俺は最初からお前になんか手を出さなかったのに」
 指を引き抜き、下村自身が押し入ってきた。
 幾夜も体を重ねた。
 だから、体は拒む術ももたずに下村を受け入れる。
「しもむらっ、下村!!」
 悲鳴は口をつくのに、体が拒めない。
 答えてくれない。
 返事をくれない。
 それだけのことに、酷く動揺して不安になっている自分が、イヤ。
「坂井、俺を、繋げておけよ。悲しくて悲しくて、他の男の前で俺の名前を呼ぶようなマネできないように、俺を側においておけよ」
 突き上げられて息が引き攣る。
 下村の、嫉妬と言うには度を越した感情を感じ取ってしまう。
 この男……馬鹿じゃないのか。
 俺みたいなのに本気になって、おかしくなっている。
 ムカツクのに、悲しいくらいにイトシイ。
「……なぁ……おれが、繋ぎ止めれるのは……お前だけ、なんだぜ? しもむら」

こんなにも、溺れてくれるのは。
お前だけだ。
馬鹿野朗。

 体は変わらないリズムで揺さぶられる。
「しもむら……、聞けよ……なぁっ。お前っ、だけだ」
 首筋を貪るように舐めていた下村が、返事のかわりのようなタイミングで鎖骨を噛む。
 痛みよりも、言葉に反応を示してくれたことが嬉しい。
 馬鹿野朗。
「お前、だけだ。しもむら……しもむら……!」
 この存在で、繋ぎとめておけるのは。
 それも、きっと、肝心な時には役に立たない鎖だろうけど。

みろよ。
もう、おかしくさせられてる。
変えられてる。
変わりたくなんてないのに。
見送る時には、駄々を捏ねずに見送りたいのに。
消えていくなら消えていくで、止めはしない。
そう、覚悟しているはずなのに。
その決心を鈍らせる。
今から別れを予感させて、未練がましく繋ぎとめようとさせる。
この体を使ってだ。
浅ましさに反吐がでる。
でも、どうしようもない。
変えられた。
下村に、変えられたんだから。
仕方がないんだ。

「坂井、甘いぜ? お前の体」
 こいつと、こんなに気持の離れたセックスをするのは初めてかもしれない。
 いつだって優しかったから。
 拘束されたままの手首が、揺すられるたびに痛んだ。
 一方的な挿入のリズムなのに、感じてしまう。
 あぁ、クソッ。
 ムカツクのに……ムカツクのに、イトシイ。
「しもむら」
「……ん?」
「しもむら」
「なに?」
「しもむらっ」
「ごめんな」
「……しもむら……」
「好きだよ。好きなんだ。こんな、おかしくなるくらいに、好きで、好きでたまらないんだ。お前の中から、藤木さんや叶さんの記憶引きずり出して空っぽにして、俺のことだけで一杯にしてやりたい」
「……ばかやろう」
「わかってる。でも……好きだ。アイシテル」
 ぽつりぽつりと交わされた言葉の合間に、下村が達する。
 渦巻いて、おかしくなった思考の混乱を吸い取るように下村がキスをしてきて、俺も意識を手放した。


 次に眼を醒まして、苦笑してしまった。
 両腕をベッドヘッドに括りつけていた紐は、今は下村の手首にある。
 その下村が、俺の腕の中に小さくなって眠っている。
 すうすうと、驚くほど穏やかな寝息をたてている。
 繋がりあった腕は、俺の腰を抱きこんでいる。
 柔らかな髪が首筋をくすぐる。
 括りつけられているのは俺の左手と、下村の右手。
 なんだか、心中みたいだなと思ってまた苦笑した。
 俺の手も下村の頭をしっかりと抱き込んでいる。
 このまま、抱き殺されたり、飼い殺しにされるのも悪くないかもしれない…………
「……ばぁか」
 そんな風に思わせる。
 ぎゅっと下村の頭を抱き寄せてみた。
「……ん……」
 煩そうにうめいて、更に体を寄せてくる。
 肌に擦り寄るようにした拍子に下村の寝顔が見えた。
 子供みたいだなと思う。
 いつもはもっと整って、精悍な印象を受けるのに、今日はどこか幼いと思う。
 もしも、ここで俺が二人を繋ぐ紐と解いて姿を消したら、迷子のように泣きながら俺を呼ぶのかもしれない。
 卑怯なんだよ。
 普段はあんなにしれっとした顔をして、優しくして、余裕を見せておいて。
 本当に稀に淋しさとか甘えとか。
 こんな風にアンバランスな面を見せ付けて、庇護欲を煽ろうなんて。
 思うツボ。
 もうこんなに嵌まってる。
 こんなに本気にさせられている。
 強姦紛いのことをされて、今そいつの寝顔を見て可愛いなと思ってしまうあたり重症。
 こんなにされて、こんなに本気にさせられて、当の本人は破滅願望を抱えていて。
 どうする気なんだ。
 責任をとる気はあるのだろうか。
 この馬鹿野朗は。
 惚れる分、傷付いていくのは必至。
 無意識のうちの自制を、下村は無理矢理に崩壊させた。
 狂おしいほど幸せな痛み。
 昏々と眠る下村の寝顔は、欲しいモノを手に入れた子供の満足そうな表情。

いいよ。
お前にやるから。
なんだか、ずっと側にはいてくれない気がする甲斐性なしのお前に、俺の気持はくれてやるから。
俺の方が年上だし、少しくらい胸が痛んで不安に潰れそうなのは、我慢してやるから。
だから。
だから、俺を。
拘束してろ。
愛してろ。
お前が消えたその時からは、酔いつぶれたらお前の名前を呼んでやる。
狂おしいほどの思いをこめて。
消えたお前が行き着く先で、この手を離したことを後悔するくらいに。

「……しもむら」
「……ん、さかい……」

 返事をしてくれないだろうお前の名前を。
 だから、その時までは。
 答えて。


2001/03/21
6000HITの瑠佳さまのリクエストで、「無理矢理下村と、それを受け入れて自ら傷付く坂井」と言う、ちょっとヤバメな感じのお話しでした。
すごいことになってしまいました……リクエストを半分以上無視している気が……そして、原作も無視!?坂井が坂井じゃないです…………監禁モノかなぁと思って書き始めたら、シモムがなんか駄々を捏ねる子供もみたいになって、坂井がそれを、「仕方ねぇなぁ」って妥協している図ですね(^^;)いや、もう申し訳ないです(>_<)
しっかし、私が坂井の一人称を書くと、やたらとシモムに甘い坂井になってしまう……なんか、そこはかとなく暗さ有り、でもちょっと思ったよりは明るめの話しになってしまいました。

NOVEL TOP   BACK