世界で一番愛しいノイズ



 ペタペタと素足の足音をたてて、坂井はバスルームに向かっていた。
 チャプンという水音のする浴室のドアの前で声をかけ、
「下村、入るぞー」
 がこっと扉を開ける。
 ちょっと意外そうな顔の下村がいた。
 が、それもすぐにニヤリとした不敵な笑みに変わる。
「なんだ、お背中流しましょうって?」
「馬鹿。シャンプーがもう空だったから持ってきてやったんだよ」
 べしっと詰め替えシャンプーで顔面を叩く。
 ちぇっと子供のように拗ねる下村を無視して、ボトルを回して詰め替え用のシャンプーの封を切った。
 案の定、ざっと水をかいて、下村がバスタブの縁から手を伸ばしてくる。
「邪魔」
 邪険に払っても、かまってほしい子供のように坂井の服を掴む。
「坂井、一緒に入らねえ?」
「俺はさっき入った」
 素っ気ない言い方にもめげない。
 まったく、普段冷めているこの男が何故自分相手にこうも粘り強いのかわからない。
 しっかり最後の一滴まで搾り出して、ボトルをしめる。
 定位置に戻して、立ち上がろうとした坂井の頭の上から突然温かな雨が降り注いだ。
「……っ!!」
 シャワーとは反対の方向を向いていたし、下村の方には視線をやらないようにしていたからまったく気が付かなかった。
 絶句した坂井がロボットのような動きで下村を振り返れば、ニコニコと満面の笑み。
 未だ降り注ぐシャワーのお湯が、しとどに坂井の髪やパジャマを濡らしていく。
「……し、もむら」
 常々性質が悪いと思っていたが、ここまで悪いとは思っていなかった。
「な、一緒に入ろ」
 何が、な、だ。
 そんな嬉しそうな面で笑うな。
 文句は山のように出てきたが、結局何も言えないまま、我儘な腕にしっかりと捕まえられて、後はもう……


 濡れて肌に張り付くパジャマを剥ぎ取られる。
 このままじゃ、絶対にのぼせる。
 立ち込める湯気にそんなことを思いながらも、体はもう下村の手中におちていた。
 意識も、全て。
 あんまりにも満足そうな下村の表情に、抵抗する意志も溶かされる。
 絶対に、ほだされてる。
 騙されてる。
 っつーか、こいつの馬鹿さ加減におかしくされてる。
「熱っ……」
 そう呟いたのは下村だった。
 ポタポタとおちてくるのは、下村の汗なのか水なのか。
「……坂井、辛い?」
 過ぎた悪戯に胸を痛めるように、坂井の表情を探ってくる。
「いたい……」
 硬い床が骨にごつごつとあたって痛い。
 横たわる坂井の体を起こしてやって、下村は壁に背中を凭れさせてやる。
 キスだけでぐったりとして頬を紅潮させている坂井の下肢を割った。
 さすがに閉じようとするが、滑り込んだ下村の体がそれをさせない。
「しもむら……んっ」
 キスだけで煽られた坂井のものに下村の手が触れ、直接的な快感に坂井の背中が跳ねた。
「や、だ……しもむらっ、ここじゃ嫌だ」
「こんなにしといて、そんなこと言えるのか?」
 言葉と扱き上げる手で揶揄されて、坂井は俯く。
「かわいいな」
 揶揄の響きを消した声で言って、すっと顎を掬われキスされる。
 さっきまでの舌を絡めあうような激しいキスとは違う。
 上唇と下唇をゆっくりと甘く何度も噛まれ、舐められる。
「んっ、は、あ」
 喘ぐように吐息を吐き出して、下村の肩に縋りつく。
 響いてしまう声をどうにかしたくて必死で声を噛み殺すが、下村に慣らされた体と心は坂井の意志を裏切る。
 ぴちゃっと水音が響く。
「やっ、だ」
 悲鳴が上がる。
 開かされた脚の間に下村が顔を埋めている。
 柔らかな栗色の髪の毛が下腹部を擽る感触に肌が戦慄いた。
 昂ぶりを見せる坂井の雄に、下村の舌がねっとりと絡む。
 さっきまで口内を蹂躙していた下村の熱い舌の感触をまざまざと感じてしまう。
「ぅ……ぅん、い、や……だっ」
 抵抗したらしい脚はタイルを滑っただけだった。
 掴み縋るシャツもシーツもなく、求めた下村の肌は濡れていて滑る。
 自分の太股を擽る髪の毛に手を差し入れれても、その柔らかな感触がなんだか居た堪れない。
 犬が主人の肌を舐めるような仕草に、手をどこにやったらいいのか視線をどこにやればいいのかわからない。
 浴室の温度と体を駆け回る快楽に赤く染まった坂井の肌を下村の手が辿る。
 爪先から脹脛の筋肉を辿るようにし、太股の裏側を爪の先だけで触れた。
 ぴくりと反応する筋肉の動きに、下村が坂井のものを咥えたまま笑った。
 形のいい爪の先。
 少し伸びているが、坂井の肌に傷をつけるほどでもない。
 その先だけで、肌を辿られる。
 足りない感触に焦れた坂井が緩慢に首を振る。
 その間も下村は坂井に舌や歯で巧みに快楽を与えている。
 先走りを吸い上げる音と、下村の喉がなる音が聞えてどうしようもなく体が震える。
 タイルを滑る脚が水を弾く音。
 シャワーヘッドから滴る雫が、バスタブに張ったお湯に王冠をつくって吸い込まれる音。
「坂井」
 くぐもった下村の声。
「……う……ん?」
「お前の体液って全部甘いのな」
 至極マジメにそんなことを言われて、坂井は一瞬眼を見開いた。
「……なっ……んだって?」
 聞き返してもまともに聞いていられないセリフをいただくだけなのはわかっていたが、他に言う言葉が見つからなかった。
「だから、唾液とかコレとか」
 と、舌先で先端を抉るようにされ軽く溢れたものを吸う。
「粘膜が甘いのかもしれない」
「……っ、このっ、馬鹿野郎!」
 羞恥で掠れた声になった。
 平然としてとんでもない感想を吐いた下村はへへっと子供のように笑って、再び坂井のものに舌を伸ばした。
 さっきとは違って、深く口内に導かれるのとは違う。
 下村の器用な舌先で、追い詰められる。
 曲がる指を持たない左手の代わりに自在に動く下村の舌に。
 浴室中に満ちる水音の全てを、自分が紡いでいるような錯覚。
 ……絶対に、のぼせる。
 はぁ、と重い吐息を吐き出すと、自分の行為に呆れられているとでも思ったらしい下村が軽く歯をたててくる。
「んっ、も、しもむら。もう……いい……」
 ギブアップを告げる声に満足したのか、下村は仕上げとばかりに付根の部分から先端へかけて抉るように舌を滑らせて離れる。
「うっ……あぁ」
 喉を仰け反らせた坂井の体が震え、耐えられない衝撃に意識が飛びそうになる。
「まだ、ダメ」
 限界に震える坂井の根元をきゅっと堰き止めて、下村が戦慄く唇にキスをする。
 訴えかけるように見つめてくる潤んだ双眸は、つい意地悪をやめてやりたくなるほど愛らしいのだが、執拗なほどの優しい愛撫や焦らしに坂井がもっといい顔をしてくれるのを知っているから下村は坂井の欲情を無理に押さえつける。
「ふ……ぅん……、下村、やめっ……いたい」
 悲鳴に近い嬌声で訴える坂井を宥めるように、ブロンズの手で濡れた髪を梳いてやる。
 ふいごのような胸の動きが徐々に落ち着き、すすり泣くような声も治まり出す。
 せき止めていたものをゆっくりと離してやって、下村は更にその奥へと指先を滑らせた。
 左右に大きく開かれ、閉じることのできない状態の坂井の脚が先にくる行為を予感してかぴくりと反応した。
 水のさらさらした感触とは違う、とろりとした感触を指先が拾う。
「ここまで流れてきてる」
「っ……、そんなことっ、いちいち言うな!」
「だって坂井、俺の声とか言う事にまで感じてくれるから、こっちはたまんないんだよ」
 首筋から胸の飾りへ。
 濡れた音をたてて、下村の舌が愛撫を施す。
 文句を言ってやろうとした坂井の唇は薄っすらとだけ開かれて、細い悲鳴の混じる吐息を漏らす。
「こんな声、俺以外聞いたことないんだろうなって思うだけでイけそう」
「も、黙れって」
「いや」
 指に絡む坂井の先走りの助けを借りて、探るように坂井の中に指を入れる。
 熱く絡みつく内壁のどこをどう触れば坂井が感じるのか熟知しているのに、下村は焦らすようにわざとそこを避ける。
 視界が煙るのは、浴室内の蒸気のせいなのか自分が泣いているからなのかさえも坂井にはわからない。
 縋りたくて坂井は下村の首に腕を絡める。
 ゆっくりと抜き差しをすれば、細い坂井の腰が震えてもっと濃い快楽を求める。
 下村の肩口に吐き出される吐息が震えている。
 下村の肌も火照っているのに、その吐息を熱いと感じる。
「坂井、欲しい?」
 自分からは決して求めてこない坂井に優しい問い。
 頷くだけのリアクション。
「欲しいって言えよ」
 耳元で耳朶を噛みながら囁けば、逃れるように顔を背ける。
 お仕置きとばかりに坂井の中をかき回す指を増やした。
「は……あ。もう、やだ。下村、こんな……」
 下村の背中を引っ掻く坂井の手が滑る。
「言えよ。じゃないと、指だけでイかせるぞ」
 坂井がいやだと首を横に振った。
 口だとか指だとかで達かされるのを、坂井があまり好きでないことは知っている。
 自分だけ乱されてしまうと言う羞恥と下村の対しての後ろめたさがあるのだろう。
 態度だけでそれを伝える仕草は可愛すぎる。
「俺が欲しいんだろう?」
「……ん」
「じゃあ、言えよ」
 キスで誘導するように顔を正面に向ける。
 睫毛が震えて坂井の黒い双眸が下村をとらえる。
 色付いた唇が息継ぎをするように開かれて、本当に小さな声が零れる。
「……ほし……ぃ」
 語尾は間近にいる下村の聴覚でさえも聞き取れないほど小さくなった。
 それでも充分満足した下村は、軽い音をたてて坂井の鼻梁にキスをする。
 ゆっくりと指を引き抜いて、びくりとしなる背中を抱いた。
 体勢を入れ替えて、坂井を自分の膝に乗せる。
 されるがままで抗いもしない坂井の腕は、しなやかに下村の背を抱いている。
 十分解れてはいるが、無理な情事にかかる負担を気遣って下村の動きは慎重になる。
 それが散々焦らされた坂井にとっては緩慢なだけの意地悪な行為になってしまうのか、 自ら腰を擦り付けるような仕草を見せる。
 下村がふわりと笑って優しいキスを音をたてて繰り返すと、坂井の喉から甘い喘ぎが惜しげなく発せられバスルームに響きだす。
 ゆっくりとした同じペースで、支えた坂井の腰を行き来させ高見を目指す。
 繋がった箇所がたてる粘着質な音も坂井の耳には届いていないのかもしれない。
 ただ、いつもよりも呼吸がずっと苦しそうだ。
「坂井、苦しいか?」
 よくよく考えてみれば坂井にとっては二度目の入浴――お湯につかっているわけではないが――になる。
 のぼせて当たり前だ。
「……あつい」
 もつれそうな舌が紡いだ言葉に反省しながら、下村は坂井を攻める律動をやめずに右手で別の作業を始める。
 シャワーから蛇口に切り替えて、温度設定を一番低くした水を洗面器に注いだ。
 坂井の意識は半分以上なくて、下村の行動には気が付いていないようだ。
 腰を支える手を右手に変えて、左のブロンズは洗面器の中に浸した。
 片手だけの支えを頼りに、坂井は自ら腰を揺すっている。
 ぎゅっと眼を閉じて行為に夢中になる様子はかなり可愛いし綺麗だ。
 パシャンと水を滴らせる左手を、そっと坂井の頬に押し付ける。
「んっ」
 冷たすぎたのか、坂井が驚いたように眼を見開いた。
 が、すぐに気持ちよさそうに頬を摺り寄せてくる。
 同じように再び冷水に冷やした手を今度は脇腹に当ててみる。
「ふ、あぁっ」
 びくりと反応した坂井の体が、反射的に中にいる下村を締め付ける。
 思わぬ締め付けに、下村も呻いた。
「すげぇ、イイ。坂井」
 返ってきたのは、いやだと言うような切れ切れの喘ぎだった。
 何度かその悪戯を繰り返し、ぎりぎりまで追い詰めあうと下村はただ坂井の体の熱を味わうのに没頭した。
 バスルームに響く坂井の泣き声に似た官能的な喘ぎと体が紡ぐ水音。
 それに自分の荒くなった吐息を混ぜて、いっそう深く激しく坂井に己を打ちつけた。


「……苦しい……」
 蚊が鳴くような声だが、確かに坂井の声だ。
 ベッドの上に四肢を投げ出すようにして体を沈め、焦点のない眼を天井に向けている。
 裸体のままシーツに横たえた坂井にはブランケットをかけてやっているが、熱いのか剥がそうとするせいでしなやかな脚が覗いている。
 それを掛け直し、下村は枕元に腰を降ろした。
 濡れたタオルを額に乗せると、ほうっと安堵の息を吐く。
「なんて心臓に悪いセックスだっ」
 怒ってはいるもののあまり迫力のない声に、坂井の疲労の度合いが滲んでいる。
「ごめんって」
 事を終えてからずっと下村はあやまりっぱなしだった。
 もとはと言えば、坂井はシャンプーの中身を詰め替えにバスルームに入っただけだった。
 それがなんでこんな……
「あつい」
 不満と不機嫌さを丸出しにした坂井の言葉に苦笑して、下村はブロンズの手を坂井の紅潮した頬にあててやる。
「もう、お前なんかに親切心なんか出してやらねぇ」
 自分の無防備だった行動を反省してか下村の本能のままの行動を責めてか、見上げてくる坂井が睨んでいる。
「ホント、ごめんって。坂井―。機嫌なおして」
「やだね」
 用があるのはその無機質な手の温度だけだと、坂井は下村の左手を自分のもののように掴んだままそっぽを向いた。
 しかたないと一度肩を落とした下村の気配を背中で感じながら、坂井は冷たい青銅の手を頬に押し付けた。
 すっかりのぼせてしまったし、何だか恥ずかしいことも言わされたし、あまりの疲労のせいで後始末も下村にされてしまった。
 おもしろくない。
 いじけたように体を丸めて背中を向ける坂井に、ふっと下村の影がおちる。
 顎をやんわりと掴んで軽く仰向かせると口付けを落とす。
「……ん」
 柔らかくひんやりとした唇の感触が心地良くて、思わず素直に受け止める。
 チロチロと下村に舌で誘うように唇をつつかれ、坂井もおずおずと舌を差し出す。
 舌先が軽く触れ合った途端に、下村は体を起こしてしまう。
「……あまい」
 不思議そうに首を傾げて坂井がぽつりと呟くと、それを言ってほしかったのかふわりと下村が微笑んだ。
 種明かしをするように下村が後ろ手に持っていたものを坂井の目の前に突き出す。
「あっ、ハーゲンダッツ!」
「の中でも、坂井くんが一番好きなストロベリーです」
 たちまちに双眸をキラキラと輝かせる坂井は、餌を目の前にした子犬のようでかなり可愛い。
「欲しい?」
「欲しい!」
 即答に自分とハーゲンダッツの天秤を想像しかけた下村だが、不毛なので打ち消した。
 冷たいアイスをスプーンで掬い取ると、それを坂井の口唇の寸前に持っていく。
 あーんと素直に開いた口。
 唇に冷たいスプーンの感触。
 だが、
「あぁっ!」
 唇に冷たい温度だけ残して、アイスを乗せたスプーンは下村の口の中に入った。
「何すんだよっ」
 食事中に手を出された犬のように噛み付く坂井の肩を押さえると、下村はまた唇を寄せてきた。
 下村の計算よりもちょっとだけ早くに唇が触れ合ったのは、焦れた坂井が自ら頭をもたげたせい。
 ぺろりと温かい舌が唇を舐めて、早く出せとばかりに歯列を擽る。
 下村の喉が笑いで震える。
 入り込んできた坂井の舌が、下村の舌で溶けかけたアイスを掬う。
 普段これだけ積極的になってくれればいいのにと思わずにはいられない熱烈なキス。
「もっと欲しい?」
「食わせろよ。ちゃんと」
「欲しいかって聞いてんだよ」
「てめぇ、本当に反省してねぇな」
 そのお言葉にはすみませんと謝罪して、素直に食わせてやることにした。
 苺色のアイスクリームをスプーンに乗せて差し出せば、僅かに警戒の様子も見せながら口を開いた。
 これ以上機嫌を損ねるわけにはいかないので、下村も悪戯せずにスプーンをもう少し伸ばして坂井の口内に入れる。
 と、赤い舌が伸びてきてアイスに触れて、思わず下村がその様子を凝視しているとそれを咎めるかのようなタイミングで唇が閉じられた。
「美味い?」
「ん、美味い」
 満足そうな笑みが浮かんだ。
 子供のように綻んだ表情を浮かべて、パクパクと下村の差し出すアイスクリームを食べていく。
 時々、下村がお相伴にあずかれば早く早くとばかりの視線をむけてくる。
 あぁ、まったく。
「坂井さぁ」
「ん?」
「お前……確信犯?」
「は?」
 大分熱も引いたのか、アイスのお陰か坂井はいくらか楽になったような表情をしている。
「騙されてるっつーか、なんか振り回されてるっつーか、どんどん夢中にさせられるし。おかしいくらいに惚れてくんですけど」
 下村のほとほと困ったと言うようなセリフに、かぁっと坂井が赤面する。
 せっかくひいた熱がまた再燃して心をじわじわと焦がしていく。
 下村の方がよほどの確信犯だ。
「あぁ! もうっ、黙れよ。お前の言ってること聞いてるだけで、のぼせちまう」
 完璧にそっぽを向いて、枕に顔を埋めてしまう。
 なんだ。
 お互い様じゃないかと、赤く染まった項を見ながら下村は笑みを浮かべた。
 体だけはなくて、お互いの些細な仕草や言葉に溺れてる。
 普段素っ気無くて、愛だとか恋だとか言い合わないで遠慮もしない仲だからこんな風に垣間見せる気持ちが余計に嬉しい。
「坂井」
「んだよ」
 唇を、赤くなった耳の付根に押し付けた。
 びくりと坂井の体が反応した。
 ブランケットの下は裸で、柔らかな生地に坂井の体のラインが浮かび上がっている。
 無防備な姿。
 坂井は坂井で、耳に直接吹き込まれる吐息とか声とかに翻弄されている。
 どんな卑猥な言葉を囁かれるのよりも、どんなに濃厚な愛撫を施されるのよりも、たぶんこれが一番強烈。
 耳元で、吐息混じりに囁かれるその一言。
「好きだ」
 何かを耐えるようにぎゅっと眼を閉じて、坂井は小さく詰めていた息を吐く。
 何が坂井を煽るかって、下村のその吐息。
 少し熱を持ったそれ。
 安心して、その微かな熱に溶かされるような錯覚。
「ばぁか」
 言うとクスクスと笑う。
 耳元で。
「ソレ、やめろ」
「やだね。坂井、耳元で囁かれるのが一番弱いんだよなぁ」
「確信犯はどっちだよ」
「さてね」
 言いながら、下村はブランケット越しに坂井の体を抱きしめて唇はしっかりと耳元につけている。
 逃れることのできない、逃れたくない腕の中。
 呪文のように下村が言う。
 耳朶を擽る低く心地良い声に、肌を滑る吐息をのせて。

「おやすみ、天使」

それは、世界で一番愛しいノイズ。


2001/05/28
バスルーム話しでございます。いかがでしたでしょうか。作者は少々お気に入り気味(笑)いつもよりも甘めに仕上がったのではないでしょうか。
エロは……どうだろう。言葉攻めと言うか、坂井さん、聴覚から意地悪されてる図、なんですが(爆)しかも、後半は後半で「西洋骨董洋菓子店」の影響か、食い意地のやたらはる坂井。でも、まぁ、新婚さんではありますよね、ねっ。下村はやたらと声がいいというイメージがあります(笑)特に囁き声が……(妄想)けっこう前に書いておいて、焦らしてすみませんでした(>_<)

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