「明日、お前のとこのバーテンさんを借りたいんだがな」
ジン・トニックを呷った叶が、隣でドライ・マティニィのグラスを弄ぶ川中にそんなことを言い出した。
「何をさせようって言うんだ?」
悪戯っぽい眼を向けて川中が問えば、
「悪さをさせようって言うんじゃない。晩餐に招待しようって言うんだ」
こちらも意地の悪い表情でさらりと応えた。
話題のバーテンは無表情をちらりと崩して、叶と川中を交互に見た。
「晩餐だって?」
「最近、暇を持て余しているせいかいろいろと遊び事に手を出しててね。今は料理に凝っている」
私立探偵に殺し屋。
とかく、事件の起こりやすいN市での需要は高く暇など持て余している時間はないように思えるが、この街にだって平穏と言う文字は存在する。
最近がそうだった。
「ほう。で、招待するのは坂井だけなのか?」
そんな面白そうなことに、自分を呼ばないのかと川中。
「生憎、俺の料理は土崎さんからの伝授でね。俺はあの人のオックステイルのシチューを美味いと思う味覚を持っている。お前なんか呼んだら五月蝿く言われそうだからな」
「そりゃ、辞退させていただこう。坂井には休みをやるよ」
さらりとおりた休暇に、坂井は複雑な表情を見せる。
たかが、それだけのことで貸されてしまうのも素直に喜べないのだろう。
「たまにゃいいさ。お前は働きすぎる」
「好きなんですよ。この仕事してるのが」
返されたグラスを受け取って、坂井は苦笑した。
「それに、なんだか俺に味覚がないみたいな言い方じゃないですか」
「拘らないだろう? イタ飯は好きじゃないみたいだが」
「そうですけど」
閉店前で顔見知りばかりが雁首揃えているからか、坂井の表情は柔軟な変化を見せる。
「土崎さんなんか喜んでるじゃないか。お前の食いっぷりを見てるだけで、俺や秋山の文句は忘れられるって」
「確かにな」
川中の言葉に叶も笑いながら同意する。
この細い体によく収まるものだと思う食欲と食べ方は、見てる方も感化されるし、気持ちがいい。
「不満ならいいんだぜ?」
叶がそう言えば、坂井は首を横に振る。
「お邪魔しますよ。叶さんのオックステイルってのも食べてみたいし」
叶の口角が満足そうに上がる。
それを見た川中が、
「ドライ・マティニィをもう一杯。明日の分だ」
勤勉なバーテンダーにそう告げれば、瞬く間に一杯のカクテルが差し出された。
叶の部屋には何度か連れてこられたことがある。
自慢する金魚にいつも眼を奪われる。
大きな水槽をゆったりと泳ぐ金魚達は、たかが金魚だと笑えない美しさを誇るように尾ひれを揺らせる。
台所では叶が作業をしている。
シチューは昨日から煮込んであるのか、もういい匂いが漂い始めている。
「もうすぐできるから、うちの美人さん達をとって食うなよ」
いつの間にか、叶がカウンターから坂井を見ていた。
「お前が水槽に張り付いてると、猫に見えて仕方ないんだ」
くすくすと楽しそうに笑う。
坂井はむっとする。
「美人さんね」
「なんだ、妬いたのか?」
「妬いてませんよ」
「そう聞えるんだ」
「都合のいい耳ですね」
今度は声を上げて笑い出した。
カウンターについていた肘を外して、コンロに向かう。
匂いに誘われるように、坂井はふらふらと台所に入っていった。
「なんだ、待ちきれないのか?」
「そうじゃなくて」
どいつもこいつも、自分を食欲の塊だと思っているんじゃないか。
コンロの向かいになっているシンクに凭れて、坂井はエプロンを締めた殺し屋の背中を眺めた。
クツクツと、鍋の中では食欲をそそる音がしている。
器用な男なんだと、坂井は叶の作業をぼんやりと眺める。
トントンとサラダ用の野菜を切る音がする。
所帯地味た空気に、くすぐったい思いがして坂井は笑った。
気紛れに、背中に指で触れた。
薄いシャツ越しに、かたい背中の感触が伝わってくる。
「なんだか、子持ちになった気分がするからやめろよ坂井」
「まだガキ扱いですか」
「子供みたいじゃねぇか。もうすぐだって」
振り返った叶は可笑しそうに笑っていて、憮然とした坂井の額に背を屈めてキスを一つおくった。
「お前は食後のデザートなんだから、大人しくしとけよ」
「なっ……!!」
気障でどうしようもないセリフに坂井が言葉を失って、叶を睨みつけてから台所を出て行く。
「だからって金魚、食うなよ」
追いかけて来たからかいに、そんなことしませんよと怒声が応えた。
もう少しからかってやろうかとも思ったが、これ以上待たせると本当に可愛い金魚の命がないなと、叶は作業のペースを速めた。
出来上がった土崎仕込みのオックステイルのシチューはなかなかの味で、船の上で土崎が作るものより味は上品な気がした。
あくまで気がするだけで、揺れる船の上とは環境が違うせいかと坂井は納得する。
美味いと言うと、当たり前だと返って来る会話を何度か繰り返すと、叶が楽しそうに坂井を見つめていた。
「なんですか」
「よく食うなと思ってな」
「今更じゃないですか」
「確かにな」
御代わりをして、腹八分目まで満たしたところでご馳走様と手を合わせる。
叶は実に満足そうで、お粗末様でしたと殊勝な言葉で応えた。
「片付けくらいはしますよ。俺」
と、食器を台所に運ぶと頼むと言われ、坂井はスポンジを手にした。
残ったワインを口にしている叶は穏やかな顔をしていて、この少し気取った晩餐を楽しんだのだろうと坂井に推測させた。
殺し屋の暇潰しに、坂井も何故か嬉しくなって泡をたてながら、音の出ない口笛を吹く。
カシャカシャと音をたてる食器の音のせいか、叶の稼業のせいか、背中を指がつっと降りていった感触で坂井ははじめて叶の気配を背後に感じた。
「うあっ」
思わず妙な声を発するが、食器は落さずに済んだ。
「叶さんっ」
「暇なんだよ」
さっきのお返しとばかりの行為に坂井は、あんたの方こそよほどガキじゃないかと胸中で言い返す。
「早く終わらせろよ」
言いながらも叶の手は、坂井の腰を抱え込んでいる。
「じゃあ、邪魔しないでくださいよ」
「手の邪魔はしてないだろう。気にしないで続けろよ」
尊大な言い方。
坂井は仕方なく再び手を動かす。
べったりと自分の背中に張り付いているいい大人は、勿論大人しくしているはずがなく、わざと耳元に息を吹きかけてくる。
悪戯をされる度に止まる坂井の手を揶揄しては、また止める。
「叶……さんっ」
「んー?」
素知らぬふりで、叶は坂井の耳朶を口に挟む。
「っ……何が、小僧だよ。あんたの方が、よっぽど堪え性がない」
「言うな。じゃあ、堪えて見せろよ」
「俺は、小僧なんでしょう。だからっ」
「言いやがる」
クスクスと笑いで坂井の耳朶を擽りながら、叶は坂井の手を取って泡とぬめりを落とさせた。
濡れたままの手を引いて、寝室に向かう。
「ガキっ」
「その若さをこれから見せてやるから覚悟しろよ」
「っ、ヒトデナシ」
「それも覚悟しろ。喋れば喋るだけお前は不利になるんだよ」
「こんなの、大人気なさ過ぎるっ」
坂井のもっともな言い草に、叶は始終上手い言い返しをして坂井を呆れさせた。
楽しき晩餐の後のデザートを味わったのは結局叶だけで、坂井は翌朝散々毒づいて帰っていった。
「やっぱり、これがないと物足りないな」
川中が空になったグラスを坂井に返す。
「で、どうだったんだ? 叶との夕食は」
「……もう二度と行きません」
「なんだよ。そんなに不味かったのか?」
川中の問いに答えたバーテンの顔には、珍しいほど不機嫌な色があった。
「だって、叶さんデザート一人で食っちまうんですもん」
川中が爆笑したことは言うまでもない。
2001/02/13
親子っぽい叶坂であくまでラブラブで。叶坂だとどうしても、暗くなりがちっぽいので頑張ってみました(笑)でも、どうしようもなくお兄ちゃんな叶さんです。でもガキっぽすぎたかなぁと、反省。坂井も叶さんに懐きすぎ!