「坂井」
病院前の岸壁にいた坂井を、川中が呼びかけた。
川中がやってくる前に、フェラーリのエンジン音が下村と坂井の耳に届いていた。
下村のリハビリに付き合っていた坂井が、振り返る。
「お前に渡す物があったんだ」
陽射しを浴びて、キラリと光る何かを投げる。
銀色の弧を描いたソレは、チャラリと金属音を軽くたてて、坂井の手の中に収まった。
自分の手を開いた坂井の表情が、さっと翳る。
「コレ………」
「おしゃべりな殺し屋から色男へのプレゼントだ」
川中を真っ直ぐに見つめていた坂井が、再び自分の手中の鍵に視線を落す。
「可愛がってやれよ」
「預かりました」
坂井が答える。
もう、あの赤い跳ね馬を帰すべき相手がいないとしても。
坂井にとってイタリア嬢の鍵を受け取ると言うことは、「貰う」などと言う感覚とはほど遠いのかもしれない。
川中は、それでいいとでも言うように踵を返す。
「社長、どうやって帰る気ですか?」
「ドクの青い鳥に送らせるさ」
背中を向けたまま川中は笑って、去って行く。
坂井の複雑な心境を思っての配慮だろうか。
下村は、無言で立ち尽くす坂井の後姿を眺める。
潮風が、二人の髪を乱していく。
「フェラーリか」
暫らくして坂井が呟いた。
「憧れの車じゃないのか?」
煙草を銜えるだけ銜えて、下村が坂井の隣に立つ。
「叶さんには随分、見せ付けられた」
低く笑い、坂井が答える。
それから、自分の煙草を銜えて火を点ける。
下村も、そのジッポの火に煙草の先を近づけた。
紫煙が風に掻き消される。
「スカイラインは、藤木さんの車だった」
ジッポの表面をさらりと撫でてから坂井が言う。
黒い瞳に暗さが見える。
この街で下村が出会った男は、みんなこんな眼をしている。
拭うことの出来ない影だ。
「この街に来た頃は、いつか俺も車を買おうって思ってたんだけどな」
独白めいた言葉が、煙と共に吐き出されていく。
「人の車を転がしてばかりだ」
自嘲するような坂井の言葉。
漆黒のスカイラインにしろ、深紅のフェラーリにしろ、その車内に以前の持ち主の匂いを濃く残したまま。
「お気に召していただければいいけどな」
一筋縄ではいきそうもない、イタリア生まれのじゃじゃ馬に。
ぽーんと、坂井の手中から銀の鍵が放られる。
「なぁ、坂井」
病院に向かおうと足を運ぼうとする坂井を、下村が呼び止める。
「お前は遺すとしたら何を遺す?」
誰に、とは言わずに下村は気持ちがいいとは言えない問いを投げる。
振り返った坂井が、やはりどうしようもない暗さを湛えた深い双眸で下村を捕える。
「二台の車とジッポと、後は懐かしい酒の味ってヤツだな」
暫らく考えた後、坂井が笑みを薄い唇に刻んで言った。
「お前は何を遺す?」
銜えたままの煙草が喋る動きに合わせて揺れ、長くなった灰が落ちていく。
物騒な話だとは思う。
「俺は灰にならない左手、かな」
川中が人形師に発注している義手は、青銅製らしい。
「後は、お前の記憶に俺を刻み込めればそれでいい」
唇に挟んだ煙草を取ってから、坂井は俯いた。
「一番残酷な野郎だよ」
どうせ逝ってしまうのなら、記憶に残る前に逝ってもらった方が楽なのに。
そう言って苦笑う。
「もう遅いさ」
そうだなと、坂井は前を向く。
「さっさと体治して、店に出て来いよ。フロマネがいた方が仕事に集中できるんだ」
下村がブラディ・ドールのフロアマネージャーになることは、もう決まっていた。
後は体の回復を待つだけだ。
「フロアの隅は、藤木って人の場所じゃなかったのか?」
銜え煙草のせいで、下村の声は少しくぐもる。
「お前と藤木さんを重ねるようなマネができるか」
「ふうん」
「なんだよ」
「いや、ちょっと密かな決意」
「何を」
「店以外の場所でも、お前の中に俺を刻み付けてやろうと思ってさ」
坂井が、拳を固めて振り返る。
けれど、その瞬間に下村の腕のギブスやら包帯やらを目にして踏みとどまった。
下村がくっくと声を殺して笑い出す。
「まったく、お前みたいに気障で鼻持ちならないヤツは初めてだよ」
苦虫を噛み潰したような坂井の言葉に、嬉しげな下村の顔。
「そりゃ、光栄だね」
悪びれない下村に、坂井の肩ががっくりと落ちた。
今度こそ、病院に向かって早い足取りで歩き出す。
下村が笑いながらその背をゆっくりと追う。
不意に坂井の腕が動いた。
空高く放られた銀の鍵は、天空で鮮烈な光を放ち坂井の手の中へと落ちていった。
この光のように、使い込んだジッポや深紅のフェラーリのように鮮烈に、坂井の記憶に自分を刻めればいい。
下村の中に既に刻み込まれた、坂井の存在のように。
それでも暫らくは、おしゃべりな殺し屋の遺したイタリア娘に妬かなければならなくなりそうだ。
もう、一度、鍵が宙を舞った。
2001/11/02
そういや、坂井って自分で車買ってないよなぁと思いまして………
だーいぶ、前に書いた話です。しかも、少し暗め。たまにはいいかな。でも、シモムはやっぱり坂井に惚れまくり。っつーか、コレまりこさん死亡直後の話だから、考えてみればシモム、節操ねぇ!!(爆)