<Side: 坂井>
その日は本社の方でトラブルがあったとかで、下村がブラディ・ドールを途中で抜けた。
下村も俺も、これでも川中エンタープライズの幹部だ。
シェーカーを振ったり、酔った客を静かにさせるだけが仕事ではない。
ブラディ・ドール閉店間際に他の店の施錠やらの確認に回るのは下村の仕事だが、今日は仕方がないから俺が回った。
で、帰ってきてみてギョッとした。
片付けは、ボーイ達によく頼んでから店を出た。
なのに、何故かテーブル席に空の酒瓶とツマミの残骸。
それから、吸殻の積まれた灰皿が放置されているのだ。
「なんだよコレ………」
俺と下村とで、社員教育のようなものはしっかりしてきたつもりだった。
だから、ボーイ達が掃除をほったらかして帰ったとは考えられない。
イヤな予感に苛まれつつも問題のテーブルに近付く。
………視界に、見たくもないものが飛び込んできた。
いかにも仕立ての良さそうな、決して嫌味にはならないその品のいい革靴の持ち主は………
「下村?」
テーブルのソファーには、長々と寝そべっているうちのフロアマネージャーがいた。
「おいっ、下村!?」
流石に驚いて体を揺すると、下村は唸って気だるそうに瞼を持ち上げた。
酒臭い。
「………まさか………」
数ヶ月前、自分の身に降りかかってきた災厄を思い出す。
いつになっても遊び心を忘れない大人達の策略にまんまとはまり、酔いつぶれて失態を晒してしまったことは、忘れようにも忘れられない。
その時の状況に、非常に近いのではないだろうか。
はっとして、テーブルに遺された遺留品を見る。
社長とドクの煙草の吸殻。
葉巻は勿論遠山先生。
口紅のついた煙草は大崎女史か。
それに加えて今回は、秋山さんの煙草の残骸まで残っている………なんてこった。
更に、中身のない酒瓶の量にも青ざめさせられる。
ぼけーっと焦点の合わない視線を投げている下村は、無邪気さを装う大人達の歯牙にかかったのだろう。
限界量を優に超えて飲まされているに決まっている。
これから正体を無くしたこの野郎を、自分が面倒見なければならないのかと思うとぞっとする。
「下村、わかるか? オイ。目ぇ、醒ませ」
ペチペチとその頬を叩いてやると、ゆっくりと俺を見た。
しかし、酒臭い。
数ヶ月前の自分がこうなのかと思うと、自己嫌悪に陥りそうだ。
「………さかい?」
呂律が回っていない。
「そうだよ。ホラ、とにかく起きろよ」
手を貸そうと差し出してやる。
ふぅらりと持ち上げられた手を取ってやろうとすると、生身の手はすっと俺の手をかわし、二の腕の辺りを思いっきり掴む。
「……!? オイっ?」
尋常らしかぬ力に、思わず怯えてしまう。
その瞬間をついて下村は、酔っ払いとは思えない動作で革張りのソファーの上に俺を組み敷いた。
「なっ、ちょっと待て! お前、正気失ってんじゃねぇよ!!」
過去の自分のことを棚に上げて叫ぶが、勿論下村の耳に届くはずもない。
俺を見下ろす下村の顔はどこか無邪気で、それが不気味に映る。
嗜虐的。
最悪な形容を与えられる面で俺を見下ろす。
いや、もう今の下村の眼に映っている俺は、自ら罠にかかったマヌケな獲物といったところだろう。
シャレになってねぇ!!!
普段から十分なケモノっぷりを披露してくれる下村から、これ以上理性を奪ってなんになる!!??
「下村!! 頼むから正気づいてくれ!!」
なんとか下村の下から抜け出そうともがくが、理性の一切を手放した男は手加減も容赦も遠いお空に放ってしまったらしく、手首を拘束する力は並じゃない。
「おい、待て。目ぇ、醒ませー!!」
身の危険に悲鳴を上げた俺の首筋に、ひんやりとした感触。
いつの間にはずしたのか、そこに触れていたのは手袋をとった冷たく硬いブロンズの義手だった。
下村は、不気味な笑顔を向けながらトンっと軽く俺の首筋を叩いた。
「大人しくしてないと、怪我するぜ?」
………怖っ。
こいつの左手によって大人しくなる客たちの気持ちが、よぉくわかった。
わかりたくもなかったが………
酒臭い息を避けるために顔を背けると、空の酒瓶にバンドエイドで留められたメモが眼に入った。
紙の切れ端に、口紅で書かれたのであろう深紅の文字が映える。
『坂井くんへ。下村くん、泥酔したら凶暴になるらしいから気を付けてね。ご愁傷様』
………ちくしょう!! 俺がいったい何をしたって言うんだ!!
泣きたい気分の俺の顎を、下村のブロンズが支え、思うままに口内を蹂躙される。
いつもにまして激しい愛撫に、眩暈がするのと同時に背筋が凍る。
舌を吸い上げながら、下村の唇がいったん離れる。
酒臭いったらありゃしねぇ!!
睨み上げた下村の表情。
理性がとんじまってる。
何を言っても、どうしても無駄だろう。
ここは、覚悟を決めるしかない。
この男の性質は、よぉく思い知らされている。
俺は、きつく唇を噛み締めた。
<Side:下村>
「よう、起きたか?」
朝一番に聞いたのが、天使の声だった。
重い瞼を押し上げると、間近から見下ろす坂井の顔が見えた。
その向こうに見慣れた天井がある。
「………坂井?」
坂井は仰向けに転がっている俺の上から、圧し掛かるような態勢で見下ろしている。
「ここ、俺の部屋か?」
「あぁ」
なんだか………坂井の機嫌が………不自然にいい………
頭を起こそうとすると、芯がズキズキと痛んだ。
「二日酔い」
俺の上に乗ったまま坂井が言う。
二日酔い?
確かにこの痛みは二日酔いに似ているが………さっぱり覚えがない。
「やっぱり覚えてねぇか。薬、飲むか?」
返事をする前に、小さな錠剤が口の中に放り込まれた。
次に坂井の唇が触れてくる。
ひやりとした水が、口移しで与えられる。
………………この状況は………………
錠剤を嚥下しても、坂井の唇は離れなかった。
冷たい舌が入り込んでくる。
いやな予感はするが、このおいしい状況を逃す手もない。
体中は痛むが、自ら滑り込まされた坂井の舌を絡めとった。
積極的な坂井なんて、そう何度も拝めるものでも味わえるものでもない。
図にのって体を入れ替えようとした途端に、ズキリとどこかが痛んだ。
一瞬呻いた俺を、坂井が口付けたまま笑ったようだった。
「………坂井」
唇を離して、坂井を見据える。
「ん?」
上機嫌すぎる。
「俺………何をした?」
いつぞやの坂井のセリフを思い起こさせるセリフを、自分で吐く。
坂井が嬉しそうに笑う。
かわいい。
じゃ、なくて。
「俺、昨日、社長たちに飲まされたんだよな。で、何した?」
俺の酔い癖からして、何かヤバイことをしたのは明確。
坂井に何かしたんじゃないだろうか。
「別に」
けろりと坂井が言う。
あぁ、その笑顔が怖いよ、天使様。
「俺、社長に船のことで呼ばれてるから出るぞ。お前、今日は店休みにしてもらってるからゆっくり休んどけ」
「いいよ。昼過ぎれば調子も良くなるだろうし」
「そう言う問題じゃねぇよ。ま、起きたら鏡でも見てみるんだな。じゃあな」
本当に浮かれた様子で、坂井はスカイラインのキーを手にする。
それから、去り際に俺に行ってきますのキスなんて言うサービスをして、颯爽と出て行った。
………………………鏡ですと?
なんだか知らないが、体中が痛むのを我慢して洗面台まで這って行った。
「……………………坂井………………」
鏡を覗いて俺は、がっくりと項垂れた。
拍子に、裸の上半身の脇腹に内出血を見つける。
キスマークなら嬉しいのに、それは明らかに乱闘の後。
坂井は昨晩の俺を、容赦なく痛めつけたのだろう。
鏡の中には、くっきりと痣を作った男が情けのない顔で項垂れていた。
坂井も俺も、酒癖を直した方がいいのかもしれない………。
えぇ、ごめんなさい。シモム………今回のシモムは少し不幸体質(笑)坂井に惚れられてるからいっか(笑)