落涙と快楽と



今だけでいい。

壊してくれ。


坂井はそう言った。
自ら下村に腕を伸ばして、小さな声で囁いた。


 噛み締めた唇は、声を殺すための行為ではなかった。
 ぷつりと表皮を切って盛り上がった血が、崩れ零れて肌を滑った。
「坂井」
 睫毛を濡らして、零れ落ちぱたりと音をたてるようにしてシーツに染み込む涙も、何時ものような生理的なものではない。
 坂井が泣いている。
「傷つきたいなら、俺がそうしてやるから」
 破れた唇から滲んで紅をひいたような唇を舐めて、舌を絡めた。
 慣らさないままに躰を繋げれば、悲鳴が喉の奥までせり上がってくる。
 苦しそうに引き攣る呼吸までもを絡めとり、わざと乱暴に突き上げた。
 眉間に深く皺が刻まれ、苦痛だけの表情が浮かぶ。
 服もろくに脱がないままだった。
 線香の匂いが染み付いた喪服が、二人の体の下で皺を作っていく。


 立野太一の葬儀は静かに執り行われた。
 坂井と下村は、立野の手伝いに参列した。
 小学生が何人かとその保護者、学校の教師。
 立野は悲しみの表情を見せずに、淡々と喪主を務めた。
 小さな棺だった。
 本当に小さな。
 覗き込んだその幼い顔は、本当に眠っているようだった。
 たまらないなと、思った。
 大声で叫び散らしたいようなどす黒い感情が、沸き起こってくる。
 坂井を見れば、坂井は暗い眼で空を仰いでいた。
 飛び立った小さな鳥を、眺めていた。
 嫌味なくらいに晴れ渡った青に、喪服の黒が浮き出て見える。
 追いかける鳥影が、太陽の強烈な光に遮られ、坂井が眼を細めた。
 泣くんじゃないかと、一瞬思った。
 坂井が泣いたのは、葬儀も終わり坂井の部屋に帰ってからだった。
 上着を脱ぎ捨てると、吐息を震わせた。
 壊してくれと、坂井が縋る。
 こっちにも余裕はない。
 だから。
 壊すぞと、忠告はした。
 なのに坂井は、しなやかな腕で首を抱き、いいよと笑った。
 零れ落ちるような悲しみを、二人して舐めあうようにして躰を繋げた。

何も見えなくなるくらいに。

何も聞えなくなるくらいに。

何も考えられなくなるくらいに。

ただ、お互いを感じあえるように。
苦痛を与え、与えられるだけだった行為がやがて快楽だけに彩られても、二人は貪りあうように情事を続けた。


 気絶するように眠りについていた。
 目覚めると、坂井は憔悴した顔でまだ眠っていた。
 唇に赤いかさぶたできている。
 藤木や叶と言う男達を見送らされてきた坂井の中で、少年の死はまるで不意打ちにように哀しいと言う感情を刺激したのだろう。
 満足そうに微笑みながら消えていく男達の記憶は、坂井の心のどこかにしまわれている。
 けれど、少年の記憶はどこにしまいこめばいいのかわからなかったのだろう。
 混乱して、どうしていいのかわからなくて、縋ってきた。
 起き上がって煙草を銜えた。
 体を起こす時に、背中が少しだけ痛んだ。
「……も、むら?」
 呼ばれて見下ろせば、赤い眼が見上げていた。
「わりぃ」
「何が?」
「いろいろ」
「あぁ」
「……あの子とさ、レナにいる時に」
 坂井の声は掠れていた。
 起き上がろうともしないのは、体が受けているダメージが大きなせいだろう。
「少し話したんだけど、なんか頼りない子でさ。何時泣き出すのかってハラハラしてた。でも、立野さんと帰って来たあの子は、なんか違ったな。これから、どんどん大きくなって、いい男になるんじゃないかなって思ったのにな」
 ぽつりぽつりと坂井は喋る。
 覚醒したてで掠れた声は拙く、心もとない。
 こっちこそ泣き出すんじゃないかとハラハラする。
「どうしていいのかわからなかった」
 手を伸ばして、頬に触れると擦り付けるようにしてくる。
「俺が今まで見送ってきた人達はいつも、なんか満足そうにして逝ったから。あの子はまだまだやることがあったのにって……」
 まだ喋り続けようとする坂井の口唇を塞いだ。
「もう、いい。坂井」
 目前に開かれた疲労の見える眼が、一度ゆっくり瞬いた。
「甘いな、お前」
「お前にだけだ」
「やめろよ。離れられなくなるから」
「やめない」
「サイテー」
「そうしたら、お前のこと壊せるかもしれないから」
 残酷な手口かもしれない。
 けれど、
「嫌だって言っても、もう遅いんだろうな」
 諦めたように坂井が呟いた。
「なぁ、下村」
 歯型のくっきり浮いた腕を、坂井が力なく伸ばした。
「俺もお前のこと壊せるか?」
 馬鹿だな。
 そんなの、
「壊すどころか、消しちまうよ。お前は」
 当たり前だ。
 とっくの昔に。
 壊されるなと予感した。
 坂井を無くしたら、きっと、ぼろぼろに壊される。
 それはそれで、愛しい者に心から壊されるのはさぞかし甘美な痛みであろうとは思ったが。
 きっと、耐えられないから。
 あまりの悦楽に耐えられないから。
「俺を、殺しちまうよ。お前は」
 天使の後を追うかもしれない。
 体を死神に差し出すのは得意だ。
「もう、いい」
 伸べられた手が唇に触れた。
「もう、いいから」
 ぱたりと手がシーツに落ちた。
 双眸が眠そうだ。
「眠いのか?」
「ん……眠い」
「寝ろよ」
「……ん……」
 瞼が落ちた。
 さっきよりはずっと安らかな寝息が聞え始めた。
 我知らず、溜息が漏れる。
 血の固まった唇に引き寄せられるようにして、口付けた。
「天使、俺を殺すなよ」
 そっと囁いた。
 囁いただけだった。
 なのに、穏やかに眠る坂井の寝顔のその頬に。
「……っ」
 水滴がはたりと落ちる。
 骨が軋むほど抱き締めたい。
 抱き殺してしまいたい衝動。
 堪えた。
 その衝動を、触れ合わせるだけのキスに換え、包むように腕を回した。

 この天使を、壊してしまうかもしれない。

 この天使に、壊されてしまうかもしれない。

 疼きだした不安を、和らげるように鼓動が伝わってきた。
 乱れた髪を梳きながら、眼を閉じてそのリズムを感じる。

 今だけでいい。

 悲しませて。

 涙を流させて。

 泣くことも一種の快楽であると、大昔のある人間が言ってたなとぼんやり思い出して、眼を閉じた。
 今日もブラディ・ドールは店を開ける。
 いつものように。
 それまでに、この一種の快楽を跡形もなく消し去るのだ。
 鼓動だけが、唯一の音となって眠りを誘う。
 閉じた睫毛から、滑り落ちた水滴があるかなきかの音を立て、坂井の髪に染みた。


2001/03/05
シリアスですね………珍しく。
BDキャラの中でも一際存在感が薄いのではないかと思われる山男(好きなんです)が登場した、「鳥影」直後です。坂井、レナで太一と一緒だったじゃないですか。母親が死んだことを言ったのも坂井だし。面倒見のいい坂井だから、やっぱかなりショックは大きいはずと。シモムがやったらと暗いですね。なんか、こう言う破滅願望的なものはシモムの方が強そうですし(実際も……くぅっ)なんか、救われない話になっちゃっいました。やっぱ、甘い話が良いわ(笑)

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