ポタポタと雫が前髪から滴っている。
いつも黒々としている髪の毛がカラスの濡れた羽のようだ。
ちょっと色っぽい。
「バイクだったのか?」
「そう」
「で?」
ひょいっと眉があがった。
「この前俺んトコの連中の面倒見てもらった分の支払いをさっさと払えって、今日店で言ったのは誰ですっけ?」
むっとした口調を作って言いながら髪の毛をかきあげる。
腕からポタポタと雨の雫がおちる。
外は豪雨とも言える大雨。
こんな中をバイクで飛ばしてきたのか。
「そりゃ、悪かったな」
タオルを探し出して放ってやる。
それからすぐに机に戻って視線を手元に落とす。
「ちょっと待ってろ。書類整理だけ終わらせたら送ってやるから」
「珍しいですね。ドクがデスクワークなんて」
自分はよほど悪徳医師のイメージがあるらしい。
切るか縫うかしかしないとでも思っているのか。
「治療代にルーズになりすぎてたんだ。赤字でな」
ふうんと興味のない声。
がしがしと頭を拭きながら見慣れた診療所の中を見回している。
「おい、坂井。服、脱げよ。そのままじゃ風邪ひいて、俺に余計な迷惑がかかるから」
「じゃ、着替え」
「あるか、そんなもん」
「じゃ、脱がない」
「なんでだよ」
「ドク、変態だから」
ほーう。
「じゃあ、これでも着てろ」
今まで着ていた白衣を差し出してやる。
これは素直に受け取った。
学習能力のない奴め。
すでに諦めた整理しなければならない書類には視線だけ落として、背後の気配を窺う。
ばさばさといとも簡単に着ていた服を脱ぎ捨てていく気配。
水分を吸った衣類は重くなっているのか鈍い音をたてて床におちる。
やはりこいつはネコだ。
慣れた人物には簡単に寄ってくる。
ちらりと振り返れば、背中を向けた坂井が白衣のボタンを留めているところだった。
やはり俺の白衣では丈が足りないのか、膝が見えるか見えないかのつんつるてんの状態だ。
カラカラと椅子のキャスターを転がして、坂井の背後に忍び腰を抱いた。
「わっ。ドクっ、何してるんですか!?」
「桜内先生は変態だそうですから、それなりのことをしようかと思いまして」
「ふざけないでくださいよっ」
「俺はいつだってマジメだがな」
言いながらいきなり坂井の下肢を白衣越しに弄った。
「なんだ、下着も脱げよ。色気がないな」
裾から手を入れて抗う間も与えずに下着を剥ぎ取り、直に坂井自身に触れてやる。
ふっと熱く湿った吐息が坂井の唇から零れる。
もう引き戻せない合図。
感じやすい体に熱を持たせるのは簡単で、だからと言って素直に溺れてしまわない往生際の悪さは逆にそそる。
今もどうにかして俺の手から逃れようと身を捩る。
快感に力を奪われているからといって、坂井ほどの力があれば俺の手など振り切ることなど簡単だろうに、そうはいかないのは僅かな遠慮と欲しがっている証拠。
「……ドクっ、やめて……」
潤んだ眼できつく見下ろされるが、それも逆効果だ、坂井。
思うが侭に煽ることのできる体。
「んんっ」
声を殺して、いやいやと首を振る坂井の膝が崩れた。
抱きとめて抱えて診察台に横たえてやった。
坂井とのセックスはいつもこの味気ない診察台の上でだった。
それが俺達の情事にはよく似合う。
白衣だけを纏った姿はかなり煽情的だった。
綺麗に浮き出る鎖骨から胸元と、膝頭からすらりとした長い脚が露わになっている。
白いシーツにぱらぱらと広がる髪の毛は黒々とし、見上げてくる双眸は黒い宝石のように輝いている。
きゅっと結ばれた唇が悔しさを物語っていて笑いを誘った。
顔の両脇で腕は固定した。
きっともう坂井は墜ちるだけ。
すっと顔を近づければ、見開いていた目をぎゅっと閉じる。
同じようにより閉ざされる唇をゆっくりと舐め、表皮に歯をたてていくと、
「んーっ」
子供が嫌がるような呻き声をあげて、首を捩る。
「坂井、口開けろ」
尊大な言い方には坂井らしくむっとした眼を向けてきた。
眉間に皺。
より硬く結ばれる唇を開かせるのは簡単。
よほど俺の顔が不敵だったのか、坂井が警戒するように体を硬くした。
馬鹿め。
お前に腕力だとかで勝とうとは思ってないさ。
きゅっと鼻をつまんでやる。
面食らったように眼を見開いた坂井だが、意地になったように口は開けない。
ばたばたと暴れる手足の力がなくなるのも時間の問題だ。
ぎゅっと目を閉じていた坂井の顔が赤くなる。
「ふ、はっ」
堪らずに息継ぎのために開いた口が深く酸素を求めるのに乗じて、舌を滑り込ませた。
解放されない息苦しさに、本能的に竦んだ体で逃げを打つ。
仕方ないから離してやると、胸を激しく上下させて足りない酸素を必死で吸い込む。
乱れた呼吸を整えようとしながら、坂井の双眸が薄っすらと開いた。
苛めすぎたか。
瞬きをした拍子に目尻から生理的涙が零れた。
「こゆこと……するから、医者って見てもらえない、んでしょう?」
荒い息をつきながら、言うことは言ってくれる。
そう言うところが可愛いんだが。
と、この考えはちょっとマゾ的か?
「そうかもな」
へらっと笑う自分の顔が坂井の黒い瞳に映る。
確かに医者っぽくはない。
そんなことを言えば、川中はちっとも会社の社長っぽくはない(酒場の親父ならわかるが)し、秋山もちょっとでも本性を晒せばホテルのオーナーにはとてもじゃないが見えない。
投げ出した四肢には力がはいらないらしい。
幸いだ。
坂井とセックスした次の日にはどこかしらに痣やら打ち身ができている。
あやすように頬を撫でて髪を梳く。
喉を反らす坂井の表情はどこか恍惚としている。
男のくせに綺麗なヤツ。
いや、綺麗だから抱く気にもなるんだろうけど。
たいがい俺もアレだよな。
あんな意地悪して言いくるめて反応を楽しんで。
ちょっと溺れ気味だよな。
「……ドク、しないんなら退けてくださいよ」
不満そうに見上げてくる瞳はすっかり煽られてるくせに。
「して欲しいんだろう?」
「誰もそんなこと言ってません」
「俺はしたい。だから嫌だってほどしてやる」
「ガキみたいなこと言わないで下さいよ。ますます敬えなくなる」
「お前も言うようになったじゃねえか」
ボタンを一つ外した。
白衣の少ないボタンで留まっているのは一つだけ。
「いい恰好だな」
肝心な部分は全て晒されている肌に纏わりつく白衣は想像以上にそそるものがある。
変態と抗議される前に煩い口は塞いだ。
苦しい思いをさせないように、触れては離れるキスをする。
坂井の吐く熱い吐息が絡まって染みていく。
頬にかかってしまう俺の髪の毛がくすぐったかったのか、ふらりと伸びてきた手が頬を包んで髪の毛を梳いていく。
歯列をなぞり、舌を絡めて唇を噛んだ。
ふるふると首を振って嫌がられた。
坂井はキスにも弱い。
本当はもっと熱くて甘い坂井の口内を味わっていたい気分ではあったのだが、最初に苛めすぎた分優しくしてやらなければ後でまた言われてしまう。
鋭角なラインの顎を舐めて、喉へ首筋へゆるゆると舌を滑らせた。
ほどよくついた筋肉の感触を楽しむように指先で体のラインを辿る。
もどかしさに身を捩るたびに白衣が肌蹴てしまう。
眼に毒。
すぐにそれも解消してしまうからいいんだが。
女ほどではないが、無駄のない筋肉のせいでくびれた腰を手の平でゆっくりと撫でる。
閉じられた大腿部がぴくりと反応する。
白衣と背中の間に手を滑り込ませ、背骨を辿る。
肩までもが露わになって、長いリーチの腕が袖に隠れた。
幼さと、ぞくっとするような色香に惑わされている。
捕らわれているのは自分の方か。
自分に対して漏らした嘆息を、坂井が勘違いして不安そうに見上げてきた。
「……そんな顔するなよ」
わからないとでも言うように坂井が眉を寄せた。
与えられる快感もあってか、切なげに見える。
だから、そういう顔だ。
わかってねぇなぁ。
撫でるように全身に手の平を這わせると、それだけでも感じて喘ぎも零す。
店のカウンターの中にいる姿からは想像もできないほど艶のある声。
飼い主も知らないのかと思えば、ちょっとした優越感さえ感じる。
川中は自分のネコにえげつない医者が手を出したということは知っているようではある。
無茶はさせるなと牽制らしきものをかけてくることはある。
止めないのは坂井が自らの意思で俺のもとにやって来るからか。
もしも無理強いでもしようものなら(できるものなら、だが)、川中が俺を生かしておくわけもなく。
「……ド、ク……んっ」
いろいろと考えている間に手が止まってしまった。
それが不満だったらしい坂井が焦れたように呼びかけて、おずおずと手を伸ばしてくる。
指を絡めた。
一瞬だけ過ぎる微笑がある。
最初にそれを見つけた時は何故か衝撃を受けたのだ。
坂井ほどの人間が、こんな些細な、手を繋ぐなんてガキみたいな行為に安堵して思わず笑みを零すなんてと。
二の腕あたりまで落ちた白衣の襟元が、坂井の動きを遮る。
もどかしさに身を捩り、訴えるような視線を寄越すがさらりと流した。
求めなくても、与えてやる。
縋りたさそうにする両の手にはしっかりと指を絡めて、声を誘うように口付けた。
優しさという愛撫で声もなく身悶えた濡鼠のネコは、寝付く前に繋いでやった自分の手と俺の手を見て、もう一度ふわりと笑ってその目を閉じた。
2001/10/06
だーいぶ前に書いたんですが………甘いよ……ドク、下村よりも絶対に報われている( ̄□ ̄;)!!タイトルから甘いし。やっぱ、年上だしな。ドクは。