※ご注意ください
この小説はブラディ・ドールの学園モノパロディです。
BDのかこいい登場人物が高校生や高校教師をやっています。
そういうのが苦手な方はご退室くださいませ。



40000HIT&一周年御礼企画
春の晴天、春の雨




 刺々しいような冷たい空気が、少しずつ温んできたのを感じることができるようになった季節。
 2月後半の正午過ぎ。
 わらわらと群れて帰宅する高校生達は決してさぼり魔たちではない。
 卒業式を目前とした彼らは、下級生達よりも早くに学年末テストを終える。
 これから新生活の準備を始める者、まだまだ苦しい受験を続ける者と卒業式までの過ごし方は様々だ。


「あー! 解放されたー!」
 卒業式や予行演習の日程を告げるためのホームルームが終わった途端、坂井は体をしならせて背伸びをした。
 最後の席替えで運良く窓際になって、ポカポカと暖かい陽射しが差し込んできていてテスト中も睡魔と闘わなければならなかったのだ。
「どうだった?」
 そして坂井の前の席になった下村が、陽光の下で日本人離れした明るい色に変化する髪の毛をかきあげながら振り返った。
 尋ねたのは勿論、さきほどまで行われていたテストのできのことで。
「あー、まぁ絶望的じゃねぇな」
 頼りない答えが返ってきた。
「期待してましょう」
 留年を一度といわず覚悟していたこともある坂井だが、最高学年になってからはずっと授業に出ているし、提出物も中身はともかく提出されていた。
 赤点すれすれの成績ではあるが、なんとか無事に卒業できそうだった。
 卒業まで後何日と書かれている黒板。
 掲示物がどんどんと剥がされて、淋しくなった壁。
 今まで荷物が溢れかえっていたのに、急にすっきりしたロッカー。
 そんな教室に今度足を踏み入れるのは、卒業式の予行演習くらいだろうか。
 中には受験報告にくる生徒もいるのかもしれないが。
 がらんとしてしまった教室に残っている数人の女子と、調子のいい男子の集まりは文集の作成係りだろう。
 なにやらプロフィールやアンケートなんかを書かされた。
「なんか帰るのももったいない気がするんだよな」
 坂井が呟いた。
 同感だと下村も思う。
 卒業することでしんみりしてしまうような柄ではないが、この学園での3年間有意義で騒がしい日々を過ごせたのは事実。
 友好的な人付き合いに積極的でない下村でも、気の合う友人は多く得られた。
 これからも生涯、自分の支えになるかもしれない時間になった。
 そんな日々を離れ、それぞれが選んだ道を歩いていかなくてはならなくなる。
 残念だと思う気持ちはある。
「じゃあ、弁当でも買って、屋上で飯にする?」
 お前らしくないななんてからかわれるのかと思っていた坂井は、一瞬きょとんとしてそれからにっと口角を持ち上げた。
「いいね」
 天気のいい日はやたら機嫌がいいなんて、まるで猫みたいだ。
 文集係りに頑張れよと声をかけて、二人は購買に向かった。


 雲一つない晴天に、屋上のコンクリートは白く照らされて眩しい光を発している。
 テレビでは桜の開花予報がされている季節の陽射しはどこまでも優しい。
 このまま帰宅して部屋でゴロゴロしていても、この陽気に家にこもっていることへの妙な罪悪感を覚えてしまって落ち着かないはずだ。
 晴天は人を外へと誘い出す。
 そして卒業の季節は、卒業生たちが校舎から去る時間を遅らせようとする。
 校庭には体育の授業中のクラスがのんびりとキャッチボールをしている。
 時々聞える生徒の声とボールの音。
 学校裏の県道を車が通る音。
 近くの小学校のチャイムが、遠くから鈍った音になって届く。
 かわらない日常を、客観的に見ている自分達がいる。
 もうすぐこの学校の人間ではなくなって、高校生ではなくなって、大人になっていく。
 不安と希望が同居なんて表現が、あまりにも似合いすぎる頃。
 下村はこの春から県外の大学に進むことがつい先日決まった。
 坂井は大学への進学は希望せずに、就職しようと何社か面接に行ったらしいがこの不景気に失業率。
 未だに坂井の進路は決定せずに、暫らくはフリーターをするらしい。
 そんな未来を目前に、もう少しと立ち止まる今。
「あー、いい天気―」
 下級生が普通授業のおかげで、昼前の購買で昼ご飯を購入するのは驚くほど容易かった。
 まだ授業が続く教室から教師達の声が聞えていた。
 授業中の生徒達のざわめきは、まだまだ未来の具体的なビジョンを突きつけられるまでの徹底的モラトリアムを主張しているかのようで、羨ましいと思ったり自分達は大人になるんだと胸を張りたいような、そんな気持ちがぽかりと浮かぶ。
 弁当を空にしてしまうと、坂井はごろりとコンクリートに転がる。
 猫が日向ぼっこしているような風景だ。
 こうやってうたた寝している坂井を起こしに屋上への階段を登る。
 あの優越感だとか素直な歓びを得ることはなくなるのかと思うと、下村もさすがに胸に異物感のような鈍い痛みを感じる。
「卒業式まで暇だな」
「どこか行くか? 卒業旅行」
「いいな。海外とか」
「贅沢すぎ。バイクで行ける範囲だな」
 下村も坂井の隣に転がって、目が痛くなるような晴天を見上げた。
 固い床に背中が痛いが、少し待てばじわりと熱が伝わってくる。
 何かに解放された。
 けれども束縛していたものが意外にも心地良いものだったと離れてわかってしまったような、空虚な解放に脱力感が体と心を支配している。
 すぐに忘れてしまうかもしれない些細な感情。
 訪れた沈黙を満たす、うららかな春の光と切ない別れへの思い。
 二人はしばらく黙ったまま、雲一つ流れない空を見上げた。
 ここまで、ずっと一緒だった。
 数え切れない喧嘩と、こいつと親友でよかったという思いを抱いてきた。
 一歩踏み込んだのが、この学校でだった。
 体育祭直前に、下村が一方通行の想いを告げた。
 険悪な状態が続いて、拍子抜けするような潔さを坂井が見せて恥ずかしながら両思いとなった。
 それなりの喧嘩を繰り返し、以前よりもずっと密接に過ごしてきた高校生活だった。
 今まで坂井に対しての想いを隠してきた下村だが、高校生活は思い切り有意義に過ごせた時間だった。
 これから二人の進路は別れる。
 そろそろ本気の進路決定をと促されたところで一度だけ、二人はどうするのと尋ねあった。
 あれきり二人は未来の話はしなかった。
 坂井は下村の受験勉強のことを気にしてなのか、自分から遊びの誘いはかけようとしなかった。
 見事志望大学への合格を果たした。
 坂井は就職ができなかったことに大して落胆もしていなかった。
 もともと募集が少ないのだから仕方ない。
 もう少し自由に生きて、やりたいことを探すようだ。
 ゴロンと、下村が寝返りをうった。
 仰向いている坂井の肩に額を押し付けて、まるで甘えるように体を寄せた。
「……んだよ」
 邪険にするような威嚇の声を上げて、坂井は下村がいるのとは逆に寝返りをうつ。
 ずりっとコンクリートに布が擦れる音が追う。
 下村が腕を坂井の腰に回し、背中と胸をピタリと合わせた。
「……何やってんだよ」
 いつもよりも声に覇気がないのは、眠いからだろう。
「あのさ」
「ん」
 夢と現実を行き来している坂井の口調は幼くて可愛い。
「一緒に暮らさねぇ?」
 暫らく坂井は返事をしなかった。
 まるで眠りに引きずり込まれてしまったかのように。
 けれど下村は問いを繰り返さなかった。
 チャイムがなった。
 坂井がごそっと動く。
「いいかもな」
 返事が返ってきた。
「俺、別にどこでだってフリーターできるし、別にお袋も反対しないと思うし」
 あっさりとした返事に、下村は一拍遅れて坂井の腰に回した腕に力を込めた。
 ぎゅっと抱き締められて、坂井は何か言おうと息を吸い込んだらしいが、それはけっきょく溜息にかわった。
「飯とか交代でさ。二人で暮らそう」
 嬉しそうな下村の声がおかしかった。
「卒業旅行はさ、部屋探しにしようぜ? で、ダブルベッドが欲しいな」
「調子にのんなよ」
 うきうきと計画を立て始める下村の不埒な企みに肘鉄を食らわしながらも、坂井の表情は柔らかかった。




 そしてあっさりと親の了解を得た二人が部屋探し兼卒業旅行に出かけた日は、生憎雨だった。
 仕方なく二人は電車ででかけていった。
 春雨に包まれる隣県は白く煙っている。
 けれどもいつもの雨とは違い、空を覆う雨雲はずいぶんと色白だったために視界は明るい。
 下村の通うことになった大学は、賑やかな街中から少し離れたところにあった。
 緩やかな住宅地の坂道の奥に、高校とはまた様相の違う建物がある。
 市内の外れといっても駅は近いし商店街もある。
 ただ、都会の喧騒は少ない。
 学生が通い、学校付近で暮らすには申し分のない環境ではある。
 刺激の欲しい学生にとっては少々物足りないかもしれない、春雨が似合う町だ。
 働き手には移動も必要かもしれないが。
「どう?」
「いいトコなんじゃないか? もっと街中かと思ったけど。別に生活に不便はなさそうだし」
 この町を自分達が新たに生活する町として見ると、通り過ぎていく町とは違って興味がもてる。
 傘を差しながらの移動に面倒だと愚痴の一つでも零しそうなものを、坂井はきょろきょろとあたりを面白そうに見回しながら歩いている。
 大学が春休みのせいか人通りは少なかった。


「不動産ってのはどこだ?」
「確か、そこの通りを右に曲がってすぐのところにあるはずだけどな」
 あらかじめ話をしておいた不動産へ向かう。
 さらさらと降る雨は、アスファルトの轍に水溜りを作るには至らない。
 目当ての不動産には、学生向けとしたアパートの情報が並んでいる。
 中には既に契約済みのものもある。
 この季節は不動産にはかき入れ時だ。
 下村と坂井の相手になったのは、30後半と思しき女性だった。
「大学近辺ということでしたから、駅前の数件をピックアップしておきました」
 にこりと人好きのする頬笑みを浮かべて、物件の詳細を記した紙を差し出す。
 2DK中心の物件の中から、中に入ることができる物件に回ることにした。
 学生マンションとして建てられているアパートが多く、意外にも小奇麗な場所が多かった。
 候補にあがったのは、去年たてられたばかりのフローリングで綺麗な部屋だった。
 2DKだが台所が広く、女の子がルームシェアして暮らすのに夢見そうな部屋。
 もう一つの候補は、築数十年の古い物件で、家賃は安いがその値段に釣り合う古さと狭さだった。
 坂井は後者でいいじゃないかと言ったのだが、下村が前者がいいと言って上機嫌で契約してしまった。
 値段は二人で割り勘して払っていけない値段ではないが、あまりに小綺麗な建物すぎて坂井は気が引けたらしい。
 坂井にはあのお洒落とさえ言える部屋で暮らす自分よりも、窓を開ければガラガラと音がして隣人が帰宅したのもわかるくらい薄い壁に辟易しながらの生活の方がしっくりくるのかもしれない。
 それから二人でこれから暮らす町を巡った。
 決して静かな町ではないが、雨やノイズが似合う町だ。
 大手で庶民的価格をうたうスーパーやレンタルショップに本屋、ファーストフード店と一通りの遊び場は揃っている。
 選んだ部屋は駅に近い緩やかな坂の上にある。
 ダイニングキッチンのベランダからは駅前の風景が一望できた。
 雨に煙町の風景は悪くなかった。
 今まで見てきた風景は、お互いの部屋の窓だった。


「お前、なんであの部屋がいいと思ったんだ?」
 昼食に入ったのは駅から離れたところにあったファミリーレストランだ。
 平日の昼を少し回った時間で、店内には客がまばら。
 学生らしい若者や主婦がお喋りに興じている。
 ウェイター達も少し暇そうに、そんな店内を眺めている。
 窓際の席からは雨に濡れた道路が見える。
 雨音さえ見なければ、曇天の日よりも明るい。
 ハンバーグを頬張りながらの坂井の問いに、下村はフォークをとめた。
「いい部屋だったじゃないか。綺麗だし、便利もいいし」
「そりゃそうだけど、後から見た部屋だって立地条件はよかっただろ。それに安い」
「でも、隣の声が丸聞えだっただろ? つまりこっちの声も聞えるわけで」
 にやにや笑いを浮かべた下村が、フォークをのばして坂井の皿のニンジンのグラッセを刺した。
 坂井は思案顔でその仕草を目で追った。
 下村は楽しそうに笑い声を混ぜた声をひそめた。
「声、殺さなくてもいいだろ? アノ時に」
 下村のニヤニヤ笑いと意味深な物言いで、坂井は下村が何故あの部屋に決めたのかその理由に気がついた。
「……馬鹿野っ!?」
 野郎と続けたかった口にはニンジンが押し込まれ、言葉にならなかった。
「やりたい放題?」
 それはそれは幸せそうな笑顔を見せて下村が言った。
 坂井はゴクンとニ、三回咀嚼しただけのニンジンを飲み込んでしまった。
「やっぱり防音は大事だぜ?」
 飲み込んだニンジンが胸のあたりでつっかえているのか、坂井は水をがぶりと飲んでから生理的に潤んだ目元を拭った。
「お前っ、そんなことであの部屋にしたのかよ!」
「そうじゃないって。あの部屋は眺めもよかったし、台所が広かっただろ? ガスの二口だぜ? 絶対にあっちの方が便利だって。風呂も広くてのんびりできるし」
 確かにその通りだが、説得力がない。
「まだ料理とか自信ないけど、慣れればどうにかなるだろう」
「いい加減だな」
「そんなもんだろ。あー、楽しみだなぁ。坂井との同棲生活」
 ニコニコと子供のような笑みを浮かべている下村の足を、坂井はテーブルの下で蹴飛ばした。
 あてずっぽうではあったが弁慶の泣所を狙ってみたら命中したらしい。
 笑顔が情けのない顔になり、下村は机に伏した。
「ふざけたこと言ってんなよ。この後どうすんだよ。家電とか見に行くんだろ?」
 冷めてしまった口調を残念がりながらも下村は、この先の長い生活を思って今日はこれ以上坂井をからかうような発言は控えようと密かに思った。
 これから始まる生活を思えば、坂井だって少なからず胸を躍らせているはずだと確信がある。
 自分達の手だけで生活していくというのは、ちょっとした冒険だ。



 卒業式までの間の休日を、引越しの準備に追われたりして下村と坂井は慌しく過ごした。
 そうしているうちにあっという間に卒業式前日がやってくる。
 その日は予行演習。
 久々に卒業生が顔をそろえる。
 久々なのに、明日にはもう別々の道に向かい、中にはもう会えない奴もいるかもしれない。
 まさに人生の分岐点と化した教室はいつもよりも賑やかだ。
 教師達の雰囲気も、いつもと違う。
「お前らが卒業ねぇ……」
 カリカリと黒板に今日の日程――といっても予行演習とHRくらいなのだが――を描きながら叶が呟いた。
「淋しいですか?」
 賑やかな女子生徒たちがにやにやと笑いながら尋ねれば、
「あぁ、淋しいねぇ。いじめがいのある生徒ばっかりだったから」
 スーツの袖についたチョークの粉を、ふっと吹き飛ばす彼の仕草も明日の朝のショートHRで見るのが最後になるだろうか。
「世に送り出すには少々不安も残るがな、どうにかやっていくだろう」
 いつものペースの叶の口調。
 彼が気になるのは自分達の卒業よりも、今後の教師の異動のことかもしれない。
「まっ、辛気臭い話は明日だ。今日の予行演習はまじめに行うように」
 それは川中に言った方がいいんじゃないかと思うが。


 目当ての先輩がいるならともかく、付き合わされる形の後輩達は退屈そうに。
 卒業生はどこかうきうきしたような、それでいて切なさを胸にしたような心境で予行演習。
 在校生の最後列に座っているでかい体の高岸の目は、卒業生席にいる坂井と下村の姿を発見した。
 予行演習だからなのか、リラックスしたような退屈そうな表情で座っている。
 時々、隣の席からの茶々に笑みを零していたり。
 その横顔が、ほんの少しだけ大人びて見えるのは気のせいだろうか。
 何人か知った顔を卒業生の中から探してみたが、みんな自分よりも一歩前にいるようないつもと違う顔をしている。
 誇らしいような、淋しげでもあるような。
 面倒臭いという雰囲気の中に、センチメンタルや緊張や違和感なんかが混ざって、いつもの集会よりもざわめきの小さい体育館の空気をつくっている。
 明日になれば、しんと張り詰めた空気の満ちる空間になる。


 在校生が卒業式の準備に取り掛かって、慌しく掃除やら幕張りをしている間に卒業生は悠々と帰宅となる。
 教師達もラフなかっこうで、大掃除に専念する。
「あぁあ、あいつらもとうとう卒業ねぇ」
 来賓席に白い布を被せながら呟いた叶の独り言を、宇野は耳にとめていた。
「なんだ。珍しいな」
「そうかな? あぁ、珍しいかもしれないな。少し淋しい気がする」
 一旦首を傾げながらも、自分の内面を探るような思案顔をして、すぐに淋しいと思っている自分を認める。
「いいクラスで、いい学年だったしな。ガキだと思ってたのに、今日見たらもうちょっと違う顔をしてる」
「羨ましいか?」
 からかうような響きのある宇野の問いにも、叶は素直に頷いた。
「羨ましいのかもしれないな。あの頃は新しい生活のことを考えるので興奮してた。楽しかった時期だよ。まぁ、今は今で楽しみは見つけてるんだけどな」
 白い布の皺を伸ばしてから叶が背を起こす。
 にっと笑った口元が、淋しいと言ったのとは正反対の表情をつくる。
 不穏な表情に宇野は叶が何を言いたいのか察して、厳しい視線で牽制する。
「知ってるか? キドニー。青春の終わりは恋をしなくなった時って言うの」
 牽制も虚しく化学教師のよく滑る舌はそんな言葉を紡ぎだし、冗談の通じない学年主任に容赦のない鉄拳をくらってしまったのだった。


「別に、落ち込むことではないと思いますが?」
 学園長室でそんな静かな声を発したのは藤木だった。
 呆れ半分と、もう半分は微笑ましいような気持ちを込めて。
 お茶を注いだ湯飲みを机に置くと、机にべたりと伏していた顔をあげた。
 川中はここのところ少しだけ元気がない。
「そうなんだけどなぁ」
 飲みやすい温度のお茶を一口すすって、川中はふぅと憂鬱な溜息を一つつく。
「めでたいことじゃないですか。それに、何ももう二度と会えないわけではないんですから」
「そうなんだけどなぁ」
 頬杖をついて、川中は学園長室から正面に見える屋上に視線を向ける。
 立ち入り禁止のはずの屋上のドアを開けて、ひょこりと顔を出す坂井。
 ぐっと背伸びをして、時には煙草を銜えてぼうっと時を過ごす。
 さぼりがいつの間にか昼食時にだけ顔を見せるようになった。
 幼馴染だという下村も加わって、時に思いつめたような顔や苛立ちをうかがわせたり、幸福そうな笑顔を見せたり。
 真っ直ぐかと思えば偏屈で、大人びていると思ったら子供。
 多彩な表情を見せた印象深い生徒だ。
「高校ってなんで三年間しかないんだ……」
「無茶言わないでください。坂井のことだから、きっとマメに顔を見せに来ますよ」
 そんなフォローにそうだなと答える。
 ここ数日、何度も繰り返された会話だ。
「ここを訪ねてくる度に成長して、少し顔を見ないでいるのもいいなと思うようになりますよ」
 机の上に春風を受けてパラパラと乾いた音をたてる書類たちには、明日この学校を発つ生徒達の新たな道が記されている。
 校庭を見下ろせば、賑やかな声を上げて帰宅する卒業生達。
 いつもの無邪気で複雑な屈託を抱えた雰囲気に、切なさを混ぜている。
 後輩達にバイバイと手を振りながら、学園長室の上に位置している大時計を見上げて門を出ていく者もいる。
「また会う日まで、か」


 コツコツと、窓を叩く音がする。
 たった今点けた電気に反応したのかもしれない。
 からりと軽い音をたてて坂井は自分の部屋の窓を開けた。
「コンバンワ」
 下村がにこにこと笑顔を見せた。
「お、風呂上りか」
「おう」
 タオルを頭から引っ掛けたままの坂井は邪険にすることもなく、応じた。
「そっち行ってもいいか?」
 下村も風呂あがりなのか、パジャマ姿だ。
 髪は乾かしたのか蛍光灯の光でも茶色く光る。
 いいぜと体を引くことで答えて、下村が家の間の空間を飛び越えてくるのを待つ。
「よっ」
 窓からの侵入者は無事坂井の部屋に着地すると、いつものようにほっと溜息をつく。
「こっちで寝てもいい?」
 窓を閉めながら下村が尋ねる。
「寝るだけならな」
「今日はそのつもりだから安心しろよ」
「安心ってなんだよ!」
「まぁ、怒るなよ。髪、早く乾かさないと風邪ひくぞ」
 誰のせいだよと思いながら、坂井は黙って乱暴に髪を拭き始める。
 下村はベッドに勝手に転がって、いつの間にか持ち込んでいた雑誌を広げている。
 ドライヤーの音に、下村がページを捲る音が聞えなくなる。
 しばらくして坂井がドライヤーのスイッチを切る。
 パラリと紙が擦れる音。
「高校生活も終わりだな」
 ポツリと下村が呟く。
 感慨深そうな、茶化したような口調で。
「長いような短いようなってヤツだよな」
「どうしたんだよ。お前がそんなこと言うの珍しいな」
「明日は雨になるかもな」
 クツクツと笑いながら下村は手を伸ばして坂井の腕を取る。
「なんだよ?」
「こういう日くらいはちょっとでいいからセンチメンタルに浸ろうぜ?」
「はぁ?」
「明日になればわかるよ」
 クスクスと笑いながら下村は布団の中に坂井を引きずり込む。
 慌てながらも暖かい布団の中は心地良く、坂井は大人しくおさまった。
「窓伝いに添い寝しにくることももうなくなるんだよなぁ」
「お前、ガキの頃、一回落ちたよな」
「お袋に叱られるし、俺は足の骨折ってるしで大変だった」
「幼稚園の頃に糸電話作ってさ、二人で夜中まで喋ってたりしたの、覚えてるか?」
「そんなことあったかぁ?」
「あったよ。小さい頃は窓から飛び移るなんてできなかったから」
「だったっけ?」
「そうだよ。お前が最初に窓から飛んできたときは心臓が止まるかと思ってたもんな」
 思い出話は尽きず、電気を消したあとの部屋にはぼそぼそと二人の話し声が続いていた。
 



 そして卒業式の朝。
 坂井と下村はいつもと同じように、自転車に二人乗りして登校していった。
 正装した教師達の顔も誇らしげで、普段の顔とは違う面を見せている。
「ついについに卒業ね。いざ当日となるとセンセイ、淋しくて泣きそうになるな」
 堂々と同僚の教師を口説き、文化祭の出し物ではノリノリで女装まで披露した理解ある担任の口調に、笑いがおこる。
「卒業式で何人泣くか楽しみだな」
「とか言って先生が本当に泣いたら面白いのにねぇー」
「それは泣けってフリか?」
 卒業式当日も、このクラスは賑やかだ。
「それじゃあ、最後の仕事だ。真面目にやり遂げろよ」
 そうして卒業式ははじまった。


 短く明快で簡単な川中学園長の言葉に続き、来賓の長い祝辞がいくつか続く。
 在校生の送辞。
 卒業生代表者の答辞からすすり泣きが聞えてくる。
 さすがにいつも陽気な生徒も、しんみりとした気持ちにさせられる。
 蛍の光が合唱されて、卒業式は幕を閉じる。
 形式はどこでも似たようなものかもしれないけれど、思い出は様々だ。
 退場して教室に戻った卒業生は、クラスの文集や卒業アルバムを手にしたり、写真をとったりと賑やかに最後の時を過ごす。
 中には制服の第2ボタンを貰おうと女子がわいわいと騒いでいたりする。
「さっかいー、坂井! 見たかよ、うちのクラスの文集のランキング」
「ランキング?」
「文集のプロフィール書くときに一緒にアンケート書いただろう? 最初に結婚しそうな奴とか、将来大物になりそうな奴とか書くの」
 そう言えばそうだった気がする。
 クラスメイトは坂井の文集をパラパラとめくって、目当てのページを開いて坂井に示して見せた。
 『クラスで一番、カワイイ男子とカッコイイ女子』という題でのアンケートだ。
「堂々の第一位おめでとう!」
「なんだよ、コレ!」
 一位の欄には坂井直司の文字が輝いている。
「学祭がでかかったよな、コレは」
「卒業アルバムでもしっかり載ってるしな」
「うそ!!」
「マジマジ、見てみろよ」
 今度は卒業アルバムを開く。
 クラスごとのスナップ写真に続いて、行事ごとの写真がある。
 体育祭に自分の高飛びが写っていたのはチラリと見た。
 学祭は見ないようにしていたのだが。
 突きつけられたそのページの真ん中あたりに、女装をさせられて不機嫌丸出しの自分と、笑顔を作っている下村が並んで写っている。
「なんだよ! アルバム実行委員に釘さしといたのに!」
 事実、実行委員の連中は坂井の脅しに本気で怯えていたのだが。
「あきらめろよ。監修は桜内先生だ」
 下村がたしなめると、苦い顔でアルバムを乱暴に閉じた。
 何人かの女子のカメラの中におさまっていると、廊下に在校生が何人か姿をみせていた。
 どれも女の子で、二人から三人のグループ連れで恥ずかしそうに教室をのぞいている。
「下村―」
 その子達と話していた同級生の女子が下村を呼ぶ。
 もう三度目だろうか。
「ハイハイ」
 下村も気軽に応じて廊下に顔を出した。
 それを坂井の机の周りに集まっていた数人で眺めてみる。
「この子、私の部活の後輩なんだけどね」
 仲介人をした女生徒は数歩下がって成り行きを見守る。
 背の低い後輩は、耳まで真っ赤にしながら下村の前に立つ。
「あっ、あのっ、あの、下村先輩の、ボタン、ください!」
 つっかえつっかえで言い切って、意を決したように顔を上げる。
 その今にも泣きそうな目が捉えたのは、すでに4つ目までボタンのないガクランだった。
 ぱっちりとした目に、涙が盛り上がってくるのがわかった。
「ゴメンね。いっぱい売れちゃって。5番目でも、いいかな?」
 微笑んでそう尋ねる下村に、彼女はこくこくと何度も頷き、その拍子に涙が零れた。
 下村がちぎり取った最後のボタンを、彼女は震える手で受け取って、
「ありがとうございます」
 消え入りそうな声でそう言った。
 踵を返すとパタパタと駆けていきながら、付き添ってくれた友達と笑いながら去っていった。
「ありがとね、下村」
「泣かせたけどな」
 席に戻れば茶々が飛んでくる。
「ソールドアウトかよ。下村」
「今度はシャツのボタンくださいって言われるぜ?」
「一つも売れてない奴にからかわれても嬉しいだけだね」
「斉木なんて彼女にいい恰好するために2番目残して、あとは全部自分で取っちまったんだから笑えねぇよな」
 うるせぇと斉木が拳を振り回す。
 坂井のガクランのボタンは2個目を残してあとは完売している。
 後輩達に頼まれて、無意識に上から千切っていったボタンだが、2番目に呼び出してきた子からに『あっ、2番目はいいんです! もっと別の人にあげてください!』そう言われて続けて今に至る。
「でもよ、なぁんだかんだ言ってやっぱ淋しくねぇ?」
「同窓会なんかしても全員そろったりするの難しいだろうしなぁ」
「なぁんかしみじみしちゃいますね」
「うっしゃー! じゃあ、今夜はみんなで遊ぼうじゃぁないか!!」
 机に乗って拳を突き上げた学級委員に、クラスがのる。
 が、
「あんまり羽目を外すんじゃない」
 バシンと背後からツッコミが入る。
 叶だった。
「いいじゃないですかー。なんならセンセイも一緒に!」
 叶が困ったような笑みを見せた。
 そこから淋しいという感情を読み取るのは難しい。
 ただ、クラスからの花束と寄せ書きに、驚いた顔をさらしてみせた。
「どうせ、スポンサーだろうが。ホラ、席につけー。最後のホームルームだ」


「まぁ、そんなこんなでみんな卒業して、働いたり大学行ったりするわけだけれども、まぁ、それなりに頑張って、たまには学校にも顔を見せること。ただし、毎日来るんじゃねぇぞ。あと同窓会幹事は、なんだかんだ言ってみんなやらねぇだろうから、俺が何年かに一度呼び出すから必ず出席すること。以上!」
 お喋りな担任の流れるようなスピーチはやっと終わり、最後は一本締めとなった。
 隣のクラスからも小気味いい手拍子が響いている。
「校庭でセンセイや後輩が見送ってくれるからなー。さっさと帰るんじゃねぇーぞー」
 言葉の通り、校庭には見送りに保健室の山根や司書の土崎など学校中の教師が顔を見せていた。
 後輩達も先ほどに続いてボタンをもらいに走ったり、部活で集まっているところもある。
 運動部では顧問の胴上げで盛り上がっている。
 卒業生の手には、思い出の品と学校からのチューリップの花がある。
 保護者達は子供たちの別れの場面に野暮にならないように、姿をあまり見せないでいる。
「坂井」
 冗談で言っていたシャツのボタンまでもをねだられて、無下にするわけにもいかず千切っては差し出して、あられもない姿になりつつある坂井は救いの声に振り返った。
「川中先生っ」
「卒業、おめでとう。ボタン売りは大繁盛だな」
 坂井がこの学校に入学しようというきっかけになったのが、この学園長と背後に控えている藤木の存在だった。
「そろそろ閉店ですよ」
 下村もこれ幸いと学園長の側にやって来る。
「そう言えば、下村は引越し先は決めたのか?」
「決めましたよ。坂井も一緒に」
 川中と藤木が驚いた顔をして、それからすぐに納得だなと呟く。
「坂井はフリーターだったもんな。それならどこでもできるか」
「楽かなって思ったんですよ。家事とか分担したら」
 照れ隠しのような説明に、川中は笑いを噛み殺している。
「しかし、お前も成長したもんだ」
 ポンと頭を大きな手で撫でられる。
「三年前は暴れて手のつけようがなかったのにな。大人になった」
 うわ、やばい。
 坂井は焦る。
 今までそんな視点で自分を見てくれていた人の存在を知らなかったから。
 じわっと、何か熱いものが満ちてくる。
 目の奥に懐かしい痛みが蘇ってくる。
 この人の目の届く場所から、離れなければならない。
 卒業という出発の儀式に涙が溢れそうになるなんて。
「坂井?」
 藤木がそっと声をかけてくる。
 怪訝そうな声に自分が半泣き状態であることを悟られてしまう。
「おい? まさか、坂井、泣いてるか?」
「泣いてませんよ!」
 俯いていた顔を少しだけ上げる。
 それでも目を合わせられなくて、坂井の視線は川中の襟元に。
「坂井……、お前、やっぱりかわいいなぁ!」
 少し離れたところに見えていたはずの川中のシャツの襟が、突然ドアップになった。
 がばりと抱きつかれたのだと気がつくが、川中相手にどうしろというのだ。
 ついつい大人しくしてしまった坂井を引き剥がしたのは勿論下村だった。
「センセイ、セクハラですよ!」
「面白くないな。俺は」
「学園長……」
「面白くないぞ。娘をお前みたいないかにもサドっぽくて、歪んだ愛を相手の迷惑を考えずに注ぐような男にとられるのかと思うと!」
「生徒に対してその発言はちょっとどうかと思いますけど」
「もう卒業しただろう。立派な一人の男としてみてるんだ」
「ちょっと待ってください! 嫁ってのはなんスか!」
 ぎゃあぎゃあと始まった言い合いを、藤木が静かにたしなめている。
 泣きべそかと思われた坂井が元気になったのだから、結果オーライな発言だったのだが。
 わいわいと言い合いは続いて、坂井は後になって川中に自分達の中が知られてしまっていることに気が付いた。
 そして、後輩が第2ボタンを避けていたことにも思い当たり、これからは下村に人前でいちゃいちゃするのはよせと厳しく言おうと心に決めた。
 なんだか最後には笑ってしまって、しんみりとした気持ちは吹き飛んでの旅立ちとなった。
 本当は心の奥では思っているのだけれど。
 ここで得たたくさんの思い出が、きっとこれからの自分の支えになる。
 落ち込んだときに馬鹿騒ぎをした頃の自分達を思い出して笑顔を取り戻し、躓いたときには教師が真摯な顔で自分にかけてくれたうそのない言葉を思い出す。
 この学校に顔を見せにやってくるときは、誇らしげな顔をしていたいと思う。
 賑やかで個性的な教師達に、認めてもらえるような大人に少しずつでいいから近付きたいと。

 



 ―――数日後―――

「荷物、これで最後だったっけ?」
「最後だろう? 食器だから気を付けて運べよ」
 広々とした2DKを、少ないと思っていた荷物がごちゃごちゃとした風景に変えていく。
 家電も荷物を運び込んでいた時に届いて、更にごちゃごちゃとしてしまっている。
「けっこう荷物あるもんだな」
 最低限の荷物だけだと思っていたのだが、自分達の私物に加えて今まで縁のなかった生活雑貨が加わっている。
「片付けは明日からだな。とりあえず今日は台所だけ片付けて、飯食える状態にしよう」
 ビリーとガムテープを剥がして、二人分の食器を取り出していく。
 こうして実際に台所用品の数々を目にすると、本当に自分達だけで家事がやっていけるのかと不安になってくる。
「坂井、俺、一応隣に挨拶してくるから」
 親にもたされた菓子折りを持って、下村がダンボールやガムテープの破片のついたジャージを払う。
 部屋は角部屋で隣人にあたるのは一部屋だけだ。
 最近だから、表札はほとんどの部屋に出ていなかった。
 隣も同じくで、男か女かもわからない。
 さてさてどんな人物が隣人になるのかと、インターフォンを鳴らしてみた。
 しばらく反応がない。
 今日は土曜で、今は昼。
 不在でもおかしくないが、なんとなく人の気配はするのだ。
 もう一度押してみると、今度は暫らくして応答する気配がインターフォンにあった。
『知子か?』
 そして隣人の第一声に、下村は彼にしては珍しく仰天した。
 思わず、
「げっ」
 と蛙がひき殺される断末魔のような声を咽から押し出てしまった。
『あ?』
「……と、隣に引っ越して来た者なんですが、よろしくおねがいします」
 甲高い声を作ってみる。
 隣人の声にあまりにも心当たりがありすぎたからだ。
 このまま姿を見せないで帰ってしまおうと思った時、
「なー、下村―。台所用品って一箱だけだったっけ?」
 坂井が呼びかけた。
『下村!?』
 インターフォンとアパートの廊下の間で沈黙が落ちた。
「あら? 下村くん? 坂井くんも?」
 そして、階段を上がってきた女性が声をかけてくる。
 聞きなれた声で。
「「げぇっ、山根先生!?」」
『坂井だとっ?』
 数秒後、隣の部屋のドアが開き“隣人”が顔を見せた。
「「……………………桜内……センセイ…………」」
 この春高校教師を辞めて、隣県の病院勤務が決まっている桜内と、これまた隣県の高校の保健医となった山根だった。

 こうして新しい生活は始まろうとしている。
 果たして春雨のよく似合う街に、晴れやかな日々が訪れることがあるのかどうか。
 二人の生活の前途を知っているのは隣人だけである。


2002/03/19
遅くなってすみませんでした(>_<)
40000HITと確か一周年御礼の企画だったはず……(覚えとけ!)
卒業の季節から微妙にずれつつある季節での更新となりましたが……目新しいネタがどうしても浮かばなくて、卒業という季節を忠実にリアルに書こうと思って書きましたので、あまり下坂チックではありません。
私が感じた卒業っていうのはこんな感じです。高校よりは中学の方が楽しかったですね。実は答辞を読んだりしたりして(笑)実際こんなに盛り上がったり、しんみりしてないっていうのが現状だとは思うんですけど。ちょっとあの頃を思い出して、「あぁ、わかる」って思っていただければ嬉しいです。卒業まで書いたら、もう坂井でも下村でもない人たちの話になってる……(土下座)
これから学園モノは大学編に移行!時間があれば書いていこうと思います。ちなみに高校BDのキリリクをしたいと思ってくださった方がいらっしゃいましたら、今までよりも少し具体的にお願いしたいです。ネタをふってください(へタレ)小道具でも演出でも行事でもいいんで。

遅くなりましたが、「FILMS」に訪れてくださった方々に感謝をこめて

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