蒸し暑い、夏の夜だった。
少女と言う代名詞を使うのがためらわれるほど、大人びた。
海に視線を投げているその後姿は、菜摘によく似ている。
「不良少女。何してる?」
声を掛けてやると、肩を跳ね上げて振り返った。
振り向いた素顔はまだ幼さが残っている。
「坂井さん。おどろかさないでよ」
拗ねたような口調。
「深夜徘徊か?」
「坂井さんも年ね。説経臭くなった」
幾らかの屈託を抱えた少女は、自分や知人達の前では少女を装う。
それに、自分達は癒されているのかもしれないと思う時がある。
確かに、年かもしれない。
「お袋さんが心配してるんじゃないか?」
「そうね」
言ったきり、安見はまた海を眺める。
夜の海は、どこまでも暗く不吉だ。
こうして、海岸線から眺める海は特に。
一定のリズムで奏でられる波音が、呼んでいるようで。
この音に呼ばれて逝った男達もいる。
自分も、この音に誘われて、誰かを置いて逝くのだろう。
いつか。
少女は、じっと闇色の海を見て、じっと波音に耳を澄ましている。
「安見、お前、泣いたか?」
「泣いたわよ。土崎さんが呆れるくらいに」
「足りないんだろう?」
かすかに、細い肩が震えだす。
「意地悪ね。坂井さん」
気丈な言葉が返ってくるが、それが余計に痛々しい。
「意地悪」になるのかもしれない。
自分の言葉は。
「泣きたいのは、坂井さんの方じゃない」
そうだよ。
泣きたいのは自分の方だ。
アイシテルと、壊れたレコーダーみたいに繰り返していたくせに。
自分の機嫌をとるために、いつも顔色を窺ってたくせに。
最悪の方法で自分を裏切った。
どいつもこいつも、勝手な野朗ばかりだ。
「そうかもな」
「そうよ」
煙草に火を点けた。
「美味しいの? 煙草って」
「吸ってみるか?」
「いいの?」
「お袋さんには内緒だぜ」
「わかってるわよ」
火。
静かに、夜の海岸に灯る。
ジッポの炎。
遺して欲しいわけじゃないのに、いつも自分には託される。
重いだけの、形見が。
おぼつかない手付きで、安見が口唇に挟んだ煙草の先を炎に近づける。
恐る恐る息を吸い込んだ。
口唇から、白い煙が吐き出され、安見が小首を傾げた。
「吸い込むんだよ」
もう一度、吸い込んで、体に入り込んできたわけのわからない気体を持て余すような表情になり、何か言おうとして激しく咳き込んだ。
体を折って、苦しそうに咳を繰り返す。
やがて、それが嗚咽に変わった。
投げ捨てられた煙草を踏みつけて、安見は肩を震わせながら波打ち際へと歩いて行く。
「濡れるぞ」
「いいのっ」
泣き声の混じる声で言って、スニーカーを脱ぎ捨てて素足を海に浸す。
夏の海だ。
濡れても風邪をひくようなことはないだろう。
闇の中に浮かび上がる、白いTシャツが水に潜った。
「溺れるなよ」
「溺れないわよ!」
泣きじゃくりながら、安見は言い返す。
言い返して、押し寄せた波に足を取られてバシャリと転ぶ。
「安見!」
慌てて駆け寄ると、小さな体でタックルをかまされた。
「うわっ!」
倒れこんで水浸しになって、やっと、少女は思い切り泣きはじめた。
ざぁ………と言う波音が体の中から聞えてくる。
泣き声が、ソレに混じる。
しっとりと濡れて、頬に張り付いている髪の毛を後ろに梳いてやると、のろのろと顔を上げた。
大きな目の縁が赤い。
「なんで、坂井さんは泣いてないのよっ」
咎めるように言われて、苦笑いが浮かんでしまう。
「泣かせたかったのか? 俺を」
「そうよっ」
「お前の方がよっぽど意地が悪いじゃねぇか」
「なんでよ」
ぽろぽろと涙を零して安見は食ってかかる。
「泣いた自分を、どうしていかわからなくなるんだ」
押し寄せる波が、二人の体を存分に濡らしていく。
「泣かないで、馬鹿みたいに意地張っている方がずっと楽なんだ。泣くと、なんで泣いてるのかとか考えて、余計に辛くなる」
涙腺が、痛まないわけじゃない。
いつだって、心は痛み続けているけれど。
何のための涙なのかとか、誰のためなのかとか、どうして置いて逝かれたのかとか、答えのでない考えばかりが頭を巡って、呼吸すら辛くなる。
泣けば楽になるのだと、ドクはぽそりと諭すように言ってくれた。
泣くと、なんとかと言う物質が放出されて楽になるのだと。
だから、別におかしくないぜ。
悪いことじゃないぜと、そっぽを向きながら教えてくれた。
それでも、泣くのはいやだった。
あいつらのために泣いてやるのが、癪なのかもしれない。
ただ、なんとなく、泣きたくないのだ。
死んでいった、男達のためには。
「馬鹿みたい………」
「馬鹿みたいだ」
安見の涙を誘ったのは、こうして自分の代わりに楽になって欲しかったからだろうか。
小さな肩に悲しみを背負いすぎているような気がして、見ていられなかったという建前。
代わりに、死んでいった連中のために泣いてもらおうと言う本音。
安見は再び泣き始める。
波の音。
今は、優しい子守唄に聞える。
せめて、この少女の気持ちを少しだけでいいから、一時凌ぎでいいから楽にしてやってほしい。
「泣き止んで、服着替えたら、飲みに行くか。土崎さんでも誘って」
ポンポンと背中を叩いて言うと、安見はこくりこくりと頷いた。
暫らく、涙は止まりそうにない。
煙草。
ずぶ濡れに決まっている。
こんな時にこそ、吸いたいもんだと思う。
ない物ねだりか。
思うと、不意に涙腺が痛んだ。
痛んだけれど、涙は出なかった。
「馬鹿みたいだ」
もう一度呟いた。
少女の耳には届かない。
月のない、夏のある夜のこと。
2001/08/03
わけがわからない(笑)突発的に書いた物です。安見と坂井のコンビは好きなんですよねー。坂井が坂井じゃないし………一人称もなんか違う………。反省。久々の更新なのに暗いし。