※注意!!
死んだはずの人がでてきて、ありえない会話が成立していますが、あらかじめご了承ください。



N市におけるバレンタインデー



「熱でもあるんじゃないの?」
 辛辣な言葉が男に投げかけられているのは、「ブラディ・ドール」のカウンターの端だった。
「喜べよ。少しでいいから」
「下心より作意を感じるわ」
 女は、山根知子。
 男は、桜内だった。
 今日は2月14日。
 バレンタインデー。
 いつになく、カップルでの来店が多かったように思う。
 山根が手にしているのはどうやらネックレスのようで、トップに透明な石が輝いている。
 坂井は宝石のことなどまったくわからないから、それがダイヤなのかそうでないのかはわからない。
 ただ、閉店間際の店に訪れた桜内が、口元に笑みを刻んで手渡したプレゼントが好評でなかったのは確かだ。
 山根は肩を盛大に竦めてみせる。
「だいたい、今日はバレンタインでしょう? 普通、女が男にプレゼントする日だわ」
「お前、絶対にしないだろう?」
「そうね」
「だから先手を打った。逆でもいいだろう? 好きな奴にプレゼントする日なんだから。順序がちょっと狂っただけだ」
「プレゼントする日じゃないのよ。愛を告白する日」
「告白なんかしてほしくないだろう?」
「そうね」
 そんな会話に、坂井がうっすらと笑う。
 それから、カクテルグラスを二人の前に差し出した。
「ビトウィーン・ザ・シーツ? 坂井さん、それ野暮よ?」
 薄い黄色の中身を見て、山根がカクテルを言い当てた。
「いろんな意味を含められるカクテルでございまして」
「痴話喧嘩なら帰ってやれってことだな」
 背後から飛び込んできた声に、坂井はご名答と答えた。
 背後に立っていたのは宇野だった。
 いつもより顔色がいいのは、病院に行ってきたのだろう。
 坂井がジャック・ダニエルを差し出す。
「ところで、坂井。今日、何か変わったことはなかったか?」
「は? 別に普通でしたよ。トラブルもなかったですし」
 店内に顔見知りの面々しかいなくなったせいか、坂井の口調がいくらか砕け始める。
「なにかあったんですか?」
「いや。ないならいいんだ。だが、今日は平穏には終わらないだろうな」
 意味深な宇野の言葉が終わらないうちに、クローズの札をかけた入り口から入ってくる人物がいる。
「あ、かの………うさん」
 坂井が、思わずその人物への呼びかけを躊躇う。
 悠然とした足取りでやってきた叶は、一抱えもある真っ赤な薔薇の花束を手にしていたのだ。
 ニヒルな目元に酷薄そうな口唇。
 それに優しげな紳士的な笑みを湛える殺し屋は、どんな気障な言動も許されているかのように、坂井にこう切り出した。
「いい夜だな。坂井」
 黒いスーツの下に着込んでいるハイネックのセーターも黒。
 それに深紅の薔薇が良く映える。
 艶やかに微笑んで叶は、カウンターに薔薇の花束を置いた。
 磨き上げたカウンターに赤い影が落ちる。
「………どなたかからの贈り物ですか?」
 坂井が遠慮がちに尋ねると、叶は口唇に笑みを刻む。
 一歩間違えればいやらしくなるその表情を形成するのには、よほど慣れているらしい。
「お前にだよ。坂井」
 ジン・トニックを差し出そうとしていた坂井の動きが静止した。
 それから、
「今日はエイプリルフールじゃありませんよ」
 努めて冷静に、そうたしなめる。
 何が悲しくて、バレンタインに野朗から花束、しかも薔薇の花束をいただかねければならないのだ。
「バレンタインデーだろう?」
 脱力する坂井に叶が強引に花束を押し付けようとする。
 が、
「叶さん!! 抜け駆けですよ!!」
 そんな声が叶の動作を邪魔した。
 今晩はやたらと熱い眼をしている高岸少年が控え室から顔を出していた。
「高岸、今、なんて言った?」
 坂井の不安気な質問には答えず、高岸は叶の隣に立つと背後に隠していた物を花束の隣に置いた。
 紅いリボンの掛かった箱。
「これはなんだ。高岸」
「バカラのグラスです。今日、バレンタインでしょう?」
 にこやかにまだ幼い顔を綻ばして、高岸が胸を張った。
 坂井にしてみれば、可愛がっている後輩にまで裏切られた気分だ。
「坊やの癖に」
「坊やじゃありません。坂井さん。受け取ってください!」
「何の冗談だ?」
「冗談じゃありませんって」
 本気な眼差しの高岸と叶の前で、坂井が思いっきり眉を顰める。
 宇野が低く笑い出した。
 そこへ、救いの神が颯爽と現われる。
「よう。坂井。ご苦労さん」
「社長!」
 坂井がいつもよりも嬉しげな声を上げる。
 入って来たのは川中だった。
 叶と高岸が思いっきり嫌な顔をする。
「今日は繁盛してるな」
 カウンターに並んだ妙な物を見ても驚かずに苦笑している。
「助けてくださいよ。この二人、なんかおかいしんですよ」
 と、縋ると。
「バレンタインだもんな。ところで、坂井」
 高岸の隣に座った川中が、やはり背後に隠していた物を取り出し、カウンターに置いた。
「………社長」
 嫌な予感が坂井の胸内に渦巻く。
 川中が持参したのは酒瓶だった。
 一級酒を手に入れたから、みんなで飲もうという雰囲気ではない。
 綺麗に包装されている。
「ハッピーバレンタインってとこかな?」
 子供のように笑わないで欲しい。
 その笑みに何人の男が落とされたことか。
「なんなんですか。これ………」
 困惑した顔で、坂井が目の前に集まった酔狂な面々に問い掛ける。
「ん? 下村はどうした? あいつと叶が一番はりきってそうなのにな」
 そう言えば、フランス返りの気障なあの男がいない。
 あいつなら、こんな日を見逃すわけがない。
 露骨なアタックを繰り返すフロアマネージャー。
 あいつがここにいないのが坂井にとっての唯一の救いだ。
「下村さんなら、さっき藤木さんと他の店に回りに行きましたよ。今がチャンスです。坂井さん。受け取ってください!!」
 鬼のいない間にと高岸は踏んだらしい。
「高岸。お前一番年下なんだから、後だ後。坂井、俺の気持ちを受け取れ」
「歳の順なら俺が先だ。叶」
 妙な言い争いが繰り広げられるのを坂井は呆然と、宇野・桜内・山根は可笑しくてたまらないといったふうに眺めている。
 そこへ、
「坂井!!」
 嬉々とした声が飛び込んできた。
「げ、下村さん」
「くそ、もう帰ってきたか」
 坂井はカウンターに突っ伏したい衝動に駆られる。
 タキシード姿の下村の腕には、叶といい勝負の白いカサブランカの花束が。
「あぁ!! 高岸! 叶さん! 社長!! ずるいですよ!!」
 ズラリ並んだプレゼントに下村が抗議する。
 違う。
 そうじゃないだろう、下村。
「坂井。俺の気持ち、今夜こそ受け取ってもらう!!」
 下村、本気になるところがちょっと違う。
 だいぶ違う。
 並んだのは、薔薇の花束・バカラのグラス・高級酒・カサブランカの花束。
 そして、視線。
「………どうしろって言うんですか………」
 困惑しきった坂井に、これ以上ないくらい真剣な面を並べた面々。
 何が悲しくて、男にプレゼントされなければならないのか。
 しかも、バレンタインデーに。
 これを一つでも受け取った時に、自分の身に降りかかる不幸を考えて坂井は青ざめる。
「受け取れよ。全部じゃないぞ。どれか一つだ」
 そのつもりはないのだろうが、川中の真面目な顔と言うのは随分な武器だ。
「全部、受け取れませんよ」
「そういうわけにはいかない」
「そうですよ」
「いいから受け取れよ。天使」
「下村、生意気だぞ。なにが、おれの天使だ。天使説には同意するが、さり気無く所有格なんかつけやがって」
「叶さんに言われたくないですね」
「どう言う意味だ?」
「坂井が車に弱いの知ってて、よくフェラーリに乗り込ませてるらしいじゃないですか」
「ズルイっすよ。叶さん!」
「そうだ! 叶、ずるいぞ」
「お前さんだって、ポルシェやクルーザーで坂井を拉致してるじゃないか」
「俺は社員を可愛がっているだけだ」
「それもずるいですよ。社長!」
「高岸、ガキは黙ってろ」
「ガキじゃないですよ!」
 男たちの醜い争いが続く中、坂井は脱力して助けを求めるように藤木を見上げた。
 あの藤木もさすがに呆れた顔をしていたが、坂井の視線に気付くと静かに口を開いた。
「貰っておけ。坂井」
 その言葉に坂井は眉を寄せる。
 バレンタインデーと対になって存在する行事がある。
 今日、この贈り物の数々を手にしたが最後、来月にはどんなことをお返しとして要求されるかわかったものではない。
 貞操の危機、なのだ。
 藤木さん!!
「みろ、藤木も、あぁ言ってる」
「ただし」
 嬉々として花束を押し付けた叶を押し止めるようにして、藤木が言葉を足した。
「店への贈り物として受け取ればいい」
 一斉にプレゼンテーターが振り返る。
「叶さんと下村の花は店に生ければいいし、高岸のグラスは店で使えばいい。社長の酒は…ここで、開けてしまうのもいいし棚に並べておけば誰かの眼には止まるだろう」
 何気に辛辣な言葉をツラツラと並べているが、藤木の顔は涼しいまま。
「あ、いいですね。そうしましょう」
 そして坂井は笑顔になる。
 どうせなら、もっと違う形でその笑顔は拝みたかったものだと男たちは思う。
 いそいそと店内に飾られ、ブラッディ・ドールの物と化していく天使への贈り物をそれぞれ見送りながら、四人はカウンターに突っ伏したのだった。




 翌月・ホワイトデー。

 当然のように閉店間際のブラディ・ドールのカウンターに、四人の男が雁首揃えた。
 カウンターの中でいつものようにグラスを磨き続けていたバーテンダーは、ジリジリと向けられる四人分の視線………ギャラリーも加えれば他数人分の好奇の眼差しに耐え兼ねて、麻布を置いた。
 宇野・桜内・山根をちらりと睨んでから、覚悟を決めたように坂井はお預けをくらっている面々に視線を投げた。
 それから、腹を括って嘆息一つ。
「先月は、皆様から贈り物をいただきまして、ありがとうございました。本日はそのお返しと言うことで、当店を代表いたしまして、私が一杯のカクテルでお返しします!」
 半ば怒鳴るように、坂井は言い切った。
 しかも、セリフは棒読み。
 更には、
「カクテル!?」
「酒か!?」
「しかも、全員に!?」
「坂井、それはないだろう!?」
 抗議の声が上がるが、坂井はそれらを一瞥の下に封じ込んで、黙々を手を動かす。
 グラスにクレームドカカオを注ぎ、生クリームをそっと浮かべる。
 チェリーを飾って、すっと差し出す。
 四人それぞれの前に褐色色の液体の満ちたグラスを出すと、坂井は慇懃無礼もいいとこで、
「エンジェルズ・キッスでございます」
 メニューを説明する。
 それから、唖然とした連中ににやりと笑ってやる。
 その笑みに一瞬見惚れた面々は、黙ってグラスを傾けて口当たりの軽すぎるほど軽いが美味い極上のカクテルを、しっかりと味わい飲み干したのだった。
 密かにリベンジを誓いながら………


 もうすぐ、N市にも温かい春がやってくる………ハズ。

 


2002/02/14
去年のバレンタイン用に書いておいてすっかり存在を忘れていた物です(苦笑)
一年前に書いたものなので、少し手直しをしましたが大して変わってない……。
バレンタインということで甘い話を期待した方々、申し訳ありません。坂井総受け的な話なうえにギャグだなんて、裏切るにもほどがあるような……(石投げないで)
一番優遇されているのは藤木さんですね。
さらにホワイトデーをオチで使ったので、ホワイトデーネタはもうありません(笑)

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