坂井直司という男は、下村敬が言うほど可愛くはない。
喧嘩も売られれば買うし、しかも強いし。
店を一歩出れば口は悪い。
睨みをきかせる目は鋭く、見る者が見ればぞっとするような凄みを潜めている。
極たまに昔の話も聞いたりするが、まぁまともに会社員をしていた下村とは違いそれなりにアウトローな過去がある。
だいたいこの街に流れてきたその理由だってそうだ。
今でこそ下村も川中の片腕として見られているが、少し前までの自分なら鉄砲玉だったような男と知り合いになるだなんて想像もできなかっただろう。
住む世界が違うと言うが、まさにそうだった。
今は違うけれど。
「有給もらっても暇なだけなんだけどな」
下村の部屋の掃除を手伝って、お礼にと下村が夕飯の買い物に行ってしまった。
坂井は暇を持て余して少し眠ってしまおうとベッドに転がったところだった。
川中は時々気紛れに坂井と下村に休暇を与える。
労働基準法違反だからとかなんとか言っているが、そんなこと川中の口から出ていい言葉じゃない。
本当は他の従業員が二人の働きすぎを心配して、川中に進言したらしいが。
その大体が坂井が面倒を見て、出来のいい奴として会社にいれた若い連中なのだが。
そして彼らが休ませてやってくれと言った対象は坂井一人なのだが。
川中の頭の中では坂井と下村はセット扱いなので仕方ない。
時刻は夕暮れ時。
下村の部屋は少し高い階にある。
寝室の窓からは街のビルや建物の屋上が目線上にある。
薄っすらオレンジ色に染まり始めた光がたっぷりと入ってくる。
下村の部屋のこの寝室は、いつも明るい。
寝具はアイボリーで揃えてある。
ベッドは窓際につけてあるからベッドは徐々にオレンジ色に染まろうとしている。
普段は見る機会のない風景だ。
昼間干しておいた布団からは太陽の光のいい匂いがしている。
それに交じって下村の使うシャンプーやコロンの甘い匂いがしている。
うつ伏せになった大の字で、少しずつ濃くなっているオレンジ色の空を見ていると、
(あー、和む)
という迂闊ことを考えてしまった。
打ち消すように目を閉じて、坂井は眠ってしまおうとさっさと意識を手放した。
もぞもぞと体を何かが這いまわっている。
眠りを妨げようとするソレを追い払おうと、坂井は体を捩って寝返りを打とうとした。
「うがっ!?」
妙な音と声と、肘に手応えを感じ、坂井は嫌々目を開けた。
自分の上に跨って頬を抑えてうめいている下村がいた
「何やってんだよ」
「……寝込みを襲おうとした」
モガモガと口を動かして情けのない声を出す。
「奥歯、浮いてないか見て?」
あーんと口を開けて見せる。
子どものような仕草に坂井は苦笑して、作り物だらけになってしまっている下村の歯を見てやる。
「あー、大丈夫だろ。本気じゃねぇし」
「本気だったら欠けてるもんな」
ケラケラと笑って、下村をどかせると坂井は窓の外を見やった。
夕焼けは今がピークなのか、思わず坂井が声をあげるほど鮮やかなオレンジ色が街を染めていた。
「なんだ、俺全然寝てねぇじゃん」
「綺麗な夕焼けだな。日が暮れるのも遅くなったし」
「なんか夕焼けとか久しぶりに見た気がしねぇ?」
「あぁ、そうかもな」
下村も窓の外を見て言った。
窓の方を魅入られたように見つめている坂井を、下村は後ろからゆるく抱き締める。
「なんだよ」
「いや、可愛いなぁと思って」
「……お前ね」
言いたいことはあるが、もう数え切れないほど繰り返してきた反論だから口にする気も失せて、坂井は肩を落すだけ。
ぎゅうっと後ろから、まるで子どもがぬいぐるみを抱くようにして抱き締められる。
自分を抱き締める腕の主を子どものようだと思うとき、大抵坂井は落ちてしまう。
「腹減った」
「後で食わせてやるから」
耳朶を甘く噛んで囁かれて、坂井は溜息一つで承諾した。
いつもよりも坂井が煽情的に見えるのは、シーツをオレンジ色に染めている夕陽のせいだろうか。
シーツを握り締めている腕やふいごのように上下する胸も、薄っすら汗ばんだ額も夕陽の色に染まっている。
いつもは電気を消した寝室のサイドランプの灯り一つしか許されないのに、今日は大盤振る舞いだなと下村は胸中でにんまり笑う。
「……辛い?」
坂井の体を押し広げて繋がるのに生じる負担は坂井の方が大きい。
痛みを訴えそうになる口唇を噛み締めて、咽を反らす坂井の表情は下村の理性を吹き飛ばすほど色っぽい。
下村は坂井の生き方や姿勢も好きだが、このギャップも気に入っている。
普段あれだけ男らしい男の姿しか見せないような坂井が、自分の側でこんな姿を見せる。
それがたまらないと思う。
余裕なく首をふって潤んだ瞳で見上げてくる。
たまらない。
「お前っ……その面、どうにかしろよ」
いつもよりも激しくはないが執拗な行為に、坂井は辟易しながら下村を見上げた。
「男前は生まれつきなんでな」
「……誰も、そんなこと言ってねぇっ」
「じゃあ、どんな面してる?」
乱れた髪の下に光る双眸は獰猛で、いつも掴みきれない僅かな感情しかのぼらせないのに今は。
飢えていて、欲しいと訴え、子どものように縋ってくるような。
「……なんか……、ほんとに」
「ん?」
「野郎に抱かれてるんだっていう気になるっ」
切れ切れの言葉の最後を一気にまくし立て、坂井は深く息をついた。
下村を受け入れてこんなに色っぽい顔を晒しておいて、それをもう数え切れないほど繰り返しておいて、今更何を。
「馬鹿っ、笑うなっ」
クツクツと笑った振動が坂井に微妙な刺激を与えるのか、坂井は手を伸ばして下村の口を封じる。
けれども零れる笑いはどうしようもなく、声にならない分振動が大きくなる。
「んっ、し、もむらっ」
大きく開かせている足が下村の背中を蹴ろうとジタバタ動くが、力は入っていないし坂井にとって逆効果になる。
波が引くのを待ってやって、額に張り付いた髪の毛を払ってやる。
ほうっと一息つくかのような呼吸をして、坂井が潤んだ目で下村を見上げる。
確かに征服欲は満たされるかもしれない。
女を抱くよりは、坂井のような自分と対等若しくは上をいくような人間を組み敷くことにどこかで優越を感じているのかもしれない。
それが雄の本能でもあるだろう。
それが坂井に墜ちているという証拠でもあるのかもしれない。
坂井が墜ちることはなくても。
「もう……、疲れた」
坂井は早くしろと訴える。
「色気がないねぇ。感じすぎて疲れたか?」
汗ばんでいる頬を撫で、わざといやらしく感じるような口付けを繰り返す。
「お前、一回やられてみるか?」
「それは勘弁。じゃあ、セックス途中に腹減ったと喚く色気のないお姫様のために、励みますか」
「励まんでいい」
「でもこのままじゃ辛いだろ?」
体を引いて、坂井に自分の存在を意識させる。
息を呑んで声を殺した。
ゆっくりとじらすような緩慢な動きに坂井が根をあげるのはすぐだった。
発火直前まで上昇していた熱に、火を灯すのは簡単だった。
上下に動く自分の体の下で、坂井も同じリズムで体を揺らす。
揺らされている。
さっきまでつっけんどんな物言いをしていた口唇から零れるのは喘ぎ声と自分の名前だけ。
ずるいよなと思う。
坂井はずるい。
昔、赤ん坊は両親に面倒を見てもらい護ってもらうために可愛い姿で生まれるのだと聞いたことがある。
坂井もこんな色っぽい姿を見せて、自分を繋ぎとめているんじゃないかと自意識過剰な考えが浮かぶ。
こんな風に自分の腕の中で乱れられたら、感じられたら。
「しもむらっ、もうっ……、んっ」
縋られたら。
どんなに普段素っ気無い態度をとられても。
あぁ、敵わないなぁと思うような強さを見せ付けられても。
夢中になるしかないじゃないか。
「……坂井っ」
「あー、なんか……」
二人して達した後、坂井が頭を反らして呟いた。
その声にはいつもの疲労も不機嫌さも、そして情事の名残も感じられない。
快感の燻る体を坂井で坂井の上に転がる下村が、坂井を見上げる。
坂井の視界には逆さまに映っているだろう空は、オレンジ色から薄い紫に染めかえられていた。
「ん?」
ヨイショと手をついて上半身を持ち上げ、坂井の視界に割り込むと邪険にするでもなく下村の目を見た。
それから口唇の片端を持ち上げた。
綺麗なだけじゃない笑みだった。
「わるくねぇなと思っただけ」
「何が?」
「よくわかんねぇけど。なんかこの時間とか、空の色とか、せっかくの有給にすることと言ったらセックスだけとか、そういうのが」
ペチンと下村の頬を叩いて、坂井が笑みを濃くする。
「いいなって、なんか思っただけ」
囁くような声。
自分の言葉なんかよりもずっとずっと真実味のある声。
あぁ、こいつの側にいれて良かったと、そう思うときがある。
今、この瞬間のように。
「で、さ。腹減ったんだけど」
決して可愛いだけの男じゃないから惚れたんだし。
「まったく、色気のねぇ天使様だな」
「天使に色気を求めるなよな」
ゲシゲシと乱暴な足が下村をベッドから蹴り出す。
腹減ったと繰り返し始めた坂井に先ほどの色香はなく、子どものようにシーツに包まり下村に早くと目で訴える。
「……まったく、かなわねぇなぁ」
「いーから、飯!」
青く染まろうとしているシーツの海から天使の声。
幸せかもしれないなと下村はこっそり笑って台所へ向かった。
寝室のドアは開けておいた。
まだかよと文句を言う坂井の声があんまりにも子どもじみていて可愛いからだ。
そんな声、聞き逃したら人生損する。
下村はそう信じて疑っていない。
2002/04/27
なんか、ファイルがうまく保存されなくて大変でした。
なんかいも保存しなおしたブツです。
リハビリちっくになったSSです。