好きな君と嫌いな君



ざわっと空気が蠢いた。
 昼下がり、午後の授業を受けようと教室に入ってきただけの生徒の出現で。
「……誰だ………あれ」
「え……、あ、もしかして……」
「シゲさん!!??」
「他に誰がおるっちゅーねん」
 将が驚きながらその人物の名前を呼ぶと、ざわめきは更に広がった。
「佐藤か?」
「佐藤だったのか……」
「シゲちゃん、どうしたのかしら」
 等々の呟きに方眉を跳ね上げて、シゲは彼らしくもない乱暴な足取りで椅子を引いて腰を下ろす。
「……シゲさん……、その、聞いてもいいですか?」
「何をや」
 声もトーンダウンしていて、素っ気もないし何より視線が将の方を向かないのだ。
「その、朝は……、普通でしたよね?」
「あー、鬱陶しいな! 言いたいことあるんやったら早言えばえぇやないか。頭やろ、頭!」
 開き直ったように自分の頭を指差して、大きな声をあげる。
 教室にいる生徒全員がこっくりと頷いた。


 佐藤成樹のトレードマークは肩先まである見事な金髪だったはずだ。
 それが、本日の午後になってから真っ黒に染め上げられている。
 驚かない奴がいたら顔を見てみたい。
 そういえば、昼休みにシゲが生活指導の教師と香取先生に連れ去られていくのを目撃した生徒が数人いた。
 普段黙認されつつあるのに、何故今日は強硬手段の末に打ちのめされているのだろう。
「あ、今日って研究授業ってやつじゃねぇの? ホラ、他の学校とかのお偉いさんが来て教室の後ろにがーって並んでるうっとーしーやつ!」
 原因はまさにそれである。
 午前中は屋上ですごしていたのだが、昼休みに昼食を仕入れようと校内に戻ってすぐに教師達に拉致された。
 指導室の椅子に座らされて、授業への参加と髪の毛を黒に染めなおせとの『依頼』を受けさせられたのだ。
 出席率も見られる研究会。
 運悪く、シゲのクラスは今日は病欠が多い。
 なんて不運だ。
 教師もこの際なりふりかまってられない。
 思いっきり低姿勢の下手にでてきて、シゲの逃げ道をふさいだ。
 しかも、スプレー式のものでも用意しておけばあとでシャンプーででも流せるのに、教師達が用意していたのは白髪染め。
 ちょっとマジで殺意を覚えた。
 自分からは手を出したくなくてぶすっとしたまま、不機嫌面でいると勝手に頭は染め上げられていた。
 黒い頭の自分を見て、帰ってもいいですかと第一声。
 香取に泣いて縋られ今に至る。

「ごっつい腹立つ」
 女の泣き顔に拒否しきれない自分も、上っ面を装うために被害を受けなければいけないことにも。
 まだ少し濡れた感触の髪の毛を雑に束ねて、更にもう一つ強制させられたことに気が付く。
 ピアスだ。
 この一時間でいいからと、外させられたままなのだ。
「あ、でも、シゲさん――」
「似合うとか言うたら殴るぞ。ポチ」
 苦笑いながらフォローを口にしようとする将を脅すと、しゅんとして俯かれてしまう。
 しまった、これでは八つ当たりだ。
 よけいに恰好悪い。
「冗談や。まぁ、今日一日我慢したるわ」
 ちょうど午後の授業の開始を告げるチャイムが鳴った。

 4時間目に半ばにさしかかったところで、スーツ姿の中年男やオバサンが続々と教室に入ってきた。
 教壇の香取先生は若干の緊張を見せながらも、なるべく視界に入れないようにと授業をすすめる。
 黒く染めたが長髪とピアスホールだけはいかんともしがたく、シゲはチラチラと注がれるいろいろな意味を含めた視線に気が付きながら、窓の外に目をやっていた。
 やがて引いていく人の気配。
 たった十分そこいらのために、自分はこんな被害に遭ったのかと思うと泣けてくる。
 香取の緊張が緩んだのを合図に、シゲは机に突っ伏した。


 次にシゲが凍りつかせたのは部室だった。
 授業が終わって香取先生に感謝の気持ち+今の髪の色だって似合ってるからこれからもそれでこない? 等々のゆるーい説経を受けていて遅くなった。
 部室の前で溜息一つ。 
 結わえていたゴムを取るとぼさぼさと掻き乱して、また一つ深呼吸。
 なんと言われたっていいんだけれど。
 似合うとか、似合わない、とかはいいんだけど。
 あの脱色しまくった髪の毛が好きだと言ってくれた人の反応が……少々気になるだけ。
(考えててもしゃあない! タツボン、時々予測不可能なことしでかすからなぁ。うっしゃ!)
 心の中で気合を入れて、
「ちわーっす!!」
 いつも以上に陽気な声で部室に突入してみた。
 ほら、凍り付いちゃった。
 人間慣れないこと(恰好)するべきじゃないのよ。
「……あー、入部希望者かしら?」
「入部届ならとうの昔に出したわ」
 ツッコミも今日は心なしか勢いがない。
「……シゲか?」
「おうよ。桜上水の天才FWのシゲちゃんよ」
「ついに更生したのか?」
「更生ってなんやねん。人を不良みたいに言うなや」
「お前、不良じゃなかったのか」
 どうも今日は会話のテンポも狂ってしまう。
「似合う、んじゃにのか?」
「いやいや、嬉しないし」
 こんな漫才はいいから、気になるあの子の反応を見せてよ。
 シゲはかなりやさぐれてしまっている。
 すごく、らしくないと思う。
「シゲ?」
 探した声は意外にも背後からかけられた。
 振り向くと、珍しく唖然とした顔の竜也がいた。
「びっくりした」
 素直な感想です。
「今日は研究授業だったな。それでか」
 不破先生、そのとおり。
「……なんか、新鮮だよな」
「でもすっげぇ違和感があるんだけど」
「笑いもとれへんっちゅーに」
 がっくしと肩を落としながら着替えを始める。
 ロッカーの鏡に映る頭は不自然なほど黒々としていて、また溜息が漏れた。
 こんなものさっさとかくしてしまうに限る。
 いつものように商店街で配っていたタオルを頭にまいた。
 これでいくらかすっきり。
「うっしゃー、今日はウサ晴らしついでにばしばしいくからなー」
 そんなヤケクソな一声に、えーと言う辟易した声があがった。


 試合結果についの書類を報道委員が提出してくれと言うから、その書類を書いていた竜也を残して部員はほとんどグランドに出払った。
「水野、何惚けてるのよ」
 不意にかかった気の強い声に顔をあげれば、ちょっと皮肉に笑った小島がいた。
 誰かさっそく怪我をしたらしい。
 救急箱を持っている。
「惚けてるって……」
「でも似合ってないわよね。あの頭」
「誰もシゲのことなんか考えてない」
「誰もシゲのことなんか言ってないわよ。高井が髪切ったらしいから、そのことなんだけどなぁ」
 小島のこの聡さとからかいはシゲに少し共通する。
 ほんの少し大人というか。
 よく周りを見ているというか。
「さっさとそれ提出して、出てらっしゃい」
 そう言い捨てると、小島はさっさと部室を出て行った。

 似合ってない。
 そうじゃない。
 見慣れてないだけ。
 生まれたままの、両親から与えられたままの姿が嫌で、自分で自分を作り直そうとして脱色した髪。
 そんなシゲの姿しか知らないから、少し驚いた。
 髪の色一つであんなにも人は表情が変わって見えるんだ。
 桜上水にはシゲの他にも目立つ頭をしている奴はいて、竜也は何がそんなにいいんだろうと思っていた。
 髪の毛は傷むし、日本人はやっぱり黒だろうとか。
 けれど、今日のシゲを見て、少しわかった。
 変わるんだ。
 あんなにも。
 いつもよりも、冷めているように見えた。
 いつもよりも、空気が鋭く感じた。
 言動はちょっと不機嫌だったくらいで、ぜんぜん変わらないのに。
 鬱蒼とした感じの黒くて長い前髪がかかる、二重の双眸が掴みきれない感情を湛えているように見えた。
 時々のぞかせる、シゲの鎧を取り払った本当に顔。
 そんなものをちらつかせる、あの黒い髪。
 笑っているけれど。
 ボールを追いかけながら、いつもみたいに笑ってるけど。
 あのアタマの色、嫌い。
 太陽の色がいい。
 夕方時になると、オレンジ色の光の中で動き回るシゲの髪の毛が本当に綺麗に輝くから。
 晴天のどこまでも澄んだ青をバックに、ヒマワリみたいに見えるから。

 だから、今のお前、嫌い。



 シゲは練習が終わっても、タオルを頭に巻いたまま。
 そうしていると、耳のピアスが際立つ。
 いつものように竜也が部誌を書き終わるまで待っていて、施錠をしてから帰途につく。
 交わされるのはくだらない会話ばっかり。
「なぁ」
「んー?」
「今日、泊まってもいい?」
 へ? とマヌケ面で振り返るシゲ。
「泊まってもイイ?」
 先を歩くシゲとの距離を詰めるのに、もう一歩踏み出した。
 いつもこう。
 竜也から誘いをかけると、いつものしつこい態度も余裕も自信も吹き飛んで、とたんに弱気になる。
「え、……えぇけど。どないしたん? ……って、コレ?」
 それでもやっぱり立ち直りは早く、すぐに気が付いて自分の頭を指差した。
 こくりと頷く竜也に、困ったようにシゲが笑う。
 その表情が遠い。
「俺の前でちゃんと元のシゲに戻れよ」
「……シゲちゃん、いつもと違いました?」
 なんておどけてくる。
「俺、今のお前、嫌い」
 いじけるような言い方になってしまったが、シゲには効果的だったらしい。
「嫌い?」
「嫌い」
「……あー、じゃあブリーチ剤買うて帰るか」
「ん」
 視界の先には薬局がある。
 それから竜也の家に寄って、外泊許可を難なくもらって着替えをもって草晴寺へ向かった。
 真里子はシゲの頭を見たときに驚いて、事情を聞いてから笑ってこう言った。
『校則違反なのは知ってるけど、シゲちゃんはあの太陽みたいな頭が一番似合うわね。戻すんでしょう?』
 それって、中学生の母親の言うこと?
 なんて思ったけれど、なんだか嬉しかった。



 シゲが風呂場で手馴れた作業をしてる間に、竜也はシゲの部屋で大人しく待つ。
 物のない部屋なのに雑然としている。
 器用なくせに片付けはしないなんて、結びつけてはいけないのかもしれない。
 家具は以前ここに住んでいた人のものだそう。
 シゲの生活はその外見からするといたって質素。
 机の上にはピアスが置かれている。
「うー、また傷んでまうー。くそ教師―」
 襖の向こうから悪態。
 がらりと襖があいて、シゲが姿を見せた。
 上半身は濡れたのか裸で、頭はタオルをかぶせている。
 けれど、肩口にある髪の毛の色は、
「ど? 元のタツボンの好きなシゲに戻りました?」
 へらりと笑って竜也の前にあぐらをかいて座り込んだ。
 覗き込んできたシゲの頭からタオルを奪った。
 半乾きの髪の毛は、いつもの色。
「満足?」
「満足」
「今の俺、好き?」
「……嫌いじゃない」
「うっわ、素直やないなぁ」
 こつんと額を突き合わせて、シゲが笑う。
 本当のところの思いはわかってくれているから。
「やっぱ、こっちの方がいい」
 言って、横髪を一房掴んだ。
 ぱさぱさした細い髪の毛。
 教師達の上っ面を飾るためにまた少し傷んだ。
 至近距離にあるシゲの、不敵さと自信を湛える目。
 いつものシゲ。
「授業さぼったりしたら怒るくせにな」
「それとこれとは違うんだよ」
「わっがままー」
 くしゃくしゃと竜也の柔らかい髪を乱して笑う。
「今日、部活の間も帰り道も、にこりともせんかったくせに」
「だから、あの時のお前は嫌いだったんだって」
「だーかーらー、今の俺はどうなん? って聞いてんやないの」
「言わせたいんなら、そう言えばいいじゃねぇか」
「言うたかて、タツボン、素直に言うてくれへんし? さっきやってそうやん?」
 拗ねたように語尾をあげて、大して可愛くも見えない上目遣い。
 仕方ないからわざと大きく肩を落として見せる。
 それがポーズなのもわかってるから、シゲはニコニコしたまま。
「好きだよ」
 さすがにシゲの瞳は直視できなくて、そっぽを向いてさらりと言う。
 この言葉をねだるシゲに答えてやりたくて、でも恥ずかしくて困ってて。
 最近わかったのが、この言葉を言うときに変に意識しないこと。
 さらりと、まるで呼吸するように言ってしまえば案外恥ずかしくない。
 それができるのは十回に一回程度なんだけど。
「おおきに」
 にっと口角をあげて、眩しそうに瞳を細めるシゲ。
 鬱々としたものの影もない。
 まだたったの十五歳なのに、自分の脚で立ってる強い佐藤成樹の姿。
 それにはこの金色の光が良く似合う。
「なんか、優しそうに見えるよな。その色だと」
「そんなもんなん?」
「俺がこっちの色の方しか慣れてないからかもしんないけど、なんとなく雰囲気が」
「……なんか……」
 そこでシゲが不意に黙る。
 なんとなく顔が赤いのは気のせいじゃないはずだ。
「なんだよ?」
「いや、言うたらタツボン、絶対に怒るし否定されるから言わへん」
 口元を押さえて、シゲの方からそっぽを向くのは珍しい。
 こう言う時は絶対にやましいことを考えているのだ。
「言ったら、キス一回」
「……タツボン、俺の外っ側にも惚れてくれとんやなぁって」
 けっこうあっさり白状したが、その内容はやっぱりシゲの言う通りに、竜也が否定したくなるものだった。
「なんだよっ、その外っ側もの、もってのは!?」
「中身も好き、ちゃうの?」
 いつもの声なのに微かな不安の見て取れる目。
 卑怯モン。
「……全部」
「聞えませーん」
「そう言う性格は嫌い」
「うそ」
「うそ」
「じゃ、何?」
「全部、好き」
「俺もタツボンの全部、好き」
「恥ずかしいヤツ」
「その恥ずかしい奴の恋人してんのは誰や」
「………イヤな奴」
「なら、タツボンの趣味が悪いんやな」
 飄々と返して、シゲが立ち上がる。
 まだポタポタと雫を滴らせながら、台所の方へ消えた。
 たぶん、コーラの缶と竜也が気に入っているミルクティーの缶を持ってくるのだろう。
 予想の通り。
「で、タツボン、キスは?」
 忘れてたのかと思ったら、それは甘かったらしい。
 どこか尊大な言い方。
 むかついたけど、楽しい。
「目、閉じてろ」
「はいはい」
 嬉々として瞼を降ろす。
 シニカルな表情の似合う顔。
 何を言っても軽く聞えてしまうのが欠点なその口調。
 でも、うんと優しい言葉も、厳しい言葉も、悲しい言葉も紡げる唇。
 滴る雫で濡れた頬に片手だけそえて、唇を重ねた。
「嫌いなトコロも好きになって」
 目を閉じたまま、シゲが呟いた。
 疑いようのない愛情が欲しいからと。
「我儘―」
「しらんかった?」
「薄々勘付いてはいた」
「遅いで、タツボン」
「どーせ、俺は鈍いですよ」
「拗ねんなや」
「拗ねてません」
「ならえぇんやけど」
「お前のそう言う、俺のこと全部お見通しってところが嫌い」
「そこも、好きになって?」
 ついっと首を伸ばしてきて、すかさずさらっていくキスが上手いなと思う。
 そういうところは好き。
「でもさ」
「ん?」
「何もかも好きになったらきっとつまんねぇよ」
 刺激もないし、喧嘩もきっとできなくなる。
 恋愛初心者のとてつもなく素直な意見に、15歳にしてちょっとだけ人よりもたくさんの酸いと甘いを味わってきた少年は面食らう。
「ちがうかな?」
 そう思うのは、自分だけ? 
 不安そうに首を傾げる恋人が愛しい。
 堪え性のないシゲはがばりと竜也に抱きついて、幸せそうに笑った。
「タツボン、それ正解。俺らのレンアイ論にはドンピシャリやな」

 全部全部大好きだけど、癪にさわったりむかついたり、冷たかったり。
 喧嘩をするのは本当は嫌いじゃない。
 気持ちはむかむかするし、気分も悪くなる。
 胸が引き裂かれるほど悲しいけれど、仲直りした時にはもっともっと君を好きになるから。
 君の想いを確かめられるから。
 寄り道しながら恋をしよう。


2003/07/22
うちの高校はガラが悪くて、何かイベントがあるごとに教師が頭の色の違う生徒を追っかけまわしておりました。そういうのを思い出して書いてみた。やっぱりシゲちゃんには金髪っしょ。

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