悪魔になる



 ふと、ある監視カメラが映し出す映像が目に入った。
 誰も使っていないはずの部屋のカメラは、忘れられがちなその部屋で起こる暴力を阻止するために設置したのだけれど、それがいい牽制になっているのか、いつも静かな無人の部屋を映し出していた。
 ガラスは割れて入っていない、大きな出窓からはたっぷりと光が注ぎ込まれている。
 その光の中に、大きな影が落ちた。
 白いシャツの逞しい背中が、カメラに映し出された。
 いつもは立て襟に包帯かゴーグルで表情を隠した隙のない無口なサムライにしては、ランニングにジーパンだけの軽装と言うのは珍しい。
 筋肉の隆起が見て取れる逞しく長い腕には、武器である飛針をしまっているグローブが。
 ゆっくりと部屋を歩いて、彼は窓辺に立った。
 光を浴びた髪の毛は、彼の姉の髪の色とそっくりに見えた。
 僅かな風が、その髪の毛をそよがせる。
 そして彼は、暗闇に閉ざされている瞳を開いた。


「何してるの?」
「昼寝だが」
 見てわからないのかと言わんばかりの声には、突然かけられた声に対する驚きの色はない。
「起きてるじゃないか」
「何を怒っているんだ?」
 何か悪いことをしただろうかと本気で省みているのは、自分よりも随分年上の男のはずだ。
「昼寝なんて言ってさ、飛針の十兵衛にしては随分と軽装なんじゃないの?」
 普段の彼らしくない行動に、不意に心配になって駆けて来た。
 ひょっとしたら彼には、僅かに乱れた呼吸の音も聞えているのかもしれない。
「マクベス」
 ちょいちょいと手招かれて、釈然としないまま彼に近付く。
 窓からは、居住エリアの一部が真下に見える。
「空に雲はあるか?」
「え?」
 そして、そこからは空も見えた。
 ビルの群れに切り取られた、不恰好な四角い空が。
「ないけど? あっ、飛行機雲だ」
 青い空に一筋の雲の流れ。
「そうか」
 知らず嬉々とした声が出てしまったのを、十兵衛が少しだけ笑った。
「いい天気だ」
「……そうだね」

 彼の目のかわりをしてみて、改めて気が付いた。
 彼の目は、見えないのだと。

「ねぇ、十兵衛」
「なんだ」
「空の色、覚えてる?」
 風が舞い込んできた。
 十兵衛が、目を開いた。
 焦点の定まらない、薄茶色の瞳。
 こんなにも、穏やかな双眸だったっけとマクベスは思った。
 自分が筧十兵衛という人間をよく知るようになった頃の彼は、決して微笑むようなことのない人間だった。
「覚えているさ」
 今、目の前で十兵衛は微笑んだ。
 彼が持つ優しさが滲み出ているような、微笑みだった。
「その目、さ」
 彼の微笑みを見ていられなくて、今まで口にする機会がなかった心の内が溢れた。
「その目、花月が自分のせいだって、気にしてるんでしょう?」
「? あぁ。気にするなと言ってはいるんだがな。絶対に守ると言いながら、花月を傷付けた。当然の報いだ」
「花月を殺せと言ったのは、僕だ」
 十兵衛の眉間に皺が寄った。
「花月のせいでも、君のせいでもないよ。僕のせいだ」
 声が震えた。
「マクベス」
 ごめんなさいと、言いたいのに声にならなかった。
「マクベス」
 困ったような声で呼んで、一瞬手が宙を彷徨い頬に触れた。
 しーと、静かにするように音をたてる。
「目を閉じてみろ」
「え?」
「いいから、目を閉じてみろ」
 わかりやすいようで時々わかりにくい男だ。
 言われるままに目を閉じた。
「聞えるか? 居住区の音だ」
 視覚を閉ざして聴覚に意識を集中させる。
 普段、コンピューターのたてるファンの音や、キーを打つ音ばかりを聞いているマクベスの聴覚に、眼下に広がる居住区の音が聞えてきた。
 ざわざわと、人の気配がする。
「一つ一つに集中してみろ。鳥の鳴き声が聞えるか?」
「うん。そこの……、電線に停まってる?」
「そうだ。人の声は?」
「聞える。子供の声……。誰か怒ってる」
「孤児の面倒を見ている女がいる。彼女の声だ。怒鳴り声がよく通る」
「ほんとだ。……勉強しなさいって」
「子供を集めて勉強を教えているんだ」
 勉強嫌いらしい子供達が、机につかずに遊びに出ようとしているらしい。
「商売人の声も聞えるだろう。怪しげな店が減って、子供が多く暮らす区域は安全に売買が行われるようになった。飯時だから、いい匂いもするな」
「うん」
 目を開けてみた。
 十兵衛の顔は、道をじゃれ合いながら駆けて行く子供達の方を向いていた。
 穏やかな横顔だった。
「以前はこんな音はしなかった。子供は暴力の対象になり傷付いた。自分の命以外のものを守り育もうとする者もいなかった。店は強奪の対象になった。聞えてくるのは破壊の音と悲鳴で、血の匂いが充満していた。だが、今は違う」
 また風が吹き込んできて、十兵衛の髪を揺らした。
「無限城は安全ではないが、地獄でもない。そう思えるようになったよ。人が生活し、支え合う姿が存在するのだから」
 ハタハタと、洗濯物が風にはためく。
「そして、俺にそう思わせたのは、マクベス、お前だ」
「……十兵衛」
 それに、と彼は振り向いた。
「視力を失ったことを不幸だとは思っていない。一生このままではいさせてくれないようだが、少なくとも今はこのままで、心眼を極めてみたい。強くなりたいと思うよ。頼むから、自分のせいだなどと思ってくれるな」
 目測のはずなのに、十兵衛の手は迷いなく少年の頭にぽんと置かれる。
「お人好しは花月の方だと思ってたけど、実は十兵衛の方だったんだね。僕は君を騙そうとしていたのに」
「お人好し、か」
「そうじゃないか」
 くしゃりとマクベスの髪の毛を掻き乱して、十兵衛は笑った。
 初めてみる、嘲笑だった。
「お前に忠誠をと言いながら、花月を手にかければあとを追うつもりだった。その花月との約束も、自己満足のために破るだろう。そんな男が、お人好しか?」
 本当に、心の底から生真面目な男だとマクベスは思った。
 そして不器用な男だと思った。
「そういうこと、口に出して言っちゃう人は充分お人好しだよ」
 今度は声を上げて笑った。
 まぁ、いいさと彼は言う。
 そして眼下の通りに向かって声をかけた。
 花月、と。
「十兵衛!」
 ひょこりと横から覗き込めば、確かにそこには花月がいて手を振っていた。
「マクベスもいるんだ。一緒にお昼にしないかな?」
 手にした紙袋を掲げて、すぐに行くねと駆け出す。
「なんだ。約束してたんだ?」
「あぁ」
「僕、お邪魔虫にはなりたくないんだけど」
「姉者も来る」
「……じゃあ、いる」
 マクベスが朔羅に抱く思慕の気持ちを、十兵衛はどこまで気付いているのかわからない。
 子供が姉を慕うようなものだとでも思っているのかもしれない。
「花月との絆を、取り戻してくれたのはお前だ」
 花月が来る前にと、十兵衛が呟いた。
「僕にも奪還屋ができるかもね」
 マクベスはわざと茶化してみせた。
 いつもの調子を取り戻して。
 やがて息を切らした花月が顔を出し、お茶の用意をした朔羅もやって来た。
 光の差し込む廃墟のお茶会。
 外の世界に比べればまだまだ平和とは言いがたい無限城での憩いの一時を、守ろうと。
 傷付けてしまった人たちが、それでも笑顔を向けてくれる人たちが、幸せでいてくれるように。
 僕は、悪魔の少年になる。


2003/09/06
まっくんと十兵衛はいずれ兄弟になるはずなので(笑)、義兄弟の会話を。IL後の十兵衛とマクベスってけっこうぎくしゃくしたんちゃうかなと思います。十兵衛さんは慈悲の人ってイメージ。花月オンリーとか言いつつも、すっごいキャパが広そう。

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