髪結いじゅうべぇ



 絹のような光沢を持つ艶やかな自分の髪の毛を、花月は鬱陶しそうに掬い上げ溜息を一つ。
「どうしたの、花月?」
 一休みとキーボードから手を離したマクベスが、チョコレートの包装を破りながら花月に溜息の理由を尋ねる。 
 無意識の溜息だったのか、花月は一瞬首を傾げてから手にしていた自分の髪の毛を離した。
「ごめんごめん。大したことじゃないんだよ。髪の毛、切りたいなぁって」
「そんな、勿体無い」
 朔羅が優しそうな眉を寄せた。
「うーん。そうも思うんだけど、さすがに暑くてさ」
 花月が視線を投げかけたのは、汚れた窓から差し込んでくる強すぎる陽射し。
 後ろで一つ、顔の横で左右それぞれ束ねてはいるが、黒々としてしっとりとした質量のある花月の髪の毛は熱も吸うし空気も逃さないらしい。
 無数のコンピューターが設置されている部屋は、コンピューターのオーバーヒートを避けるためにも空調がしっかりしていて、今も肌寒いくらいだ。
 その分、一歩外に出れば温度差に体が悲鳴を上げる。
「……そんなに暑いんだ?」
 無限城の少年王はなんと言ってもコンピューターが武器。
 この部屋から一歩も出ないことなんてしょっちゅうだ。
 むしろ、ここから出る方が珍しい。
 外の酷暑を知らなくても無理はない。
「暑いよ。そのチョコレートなんて、すぐにドロドロだ」
 しみじみとマクベスは手の中の板チョコを見る。
 冗談なのか本当なのか、判別しかねているようだ。
「君は不用意に表に出ない方がいいかもね。一瞬で夏バテになれるよ」
 クスクス笑いながら花月が茶化す。
 朔羅もそうねと同意した。

「あっつー!」
 バターンとドアが開き、笑師が汗を滴らせてやって来た。
 その後には十兵衛も続いている。
 見回りをしてきたのだろう。
「花月。早いな」
 花月が声を発するよりも早く、十兵衛が馴染んだ気配に気がついて声をかけてくれる。
「うん。ごくろうさま」
 普段、暑いだの寒いだのとは口にしない十兵衛も、朔羅が渡した冷たい飲物を喉を鳴らして一気に飲み干した。
「ホンマに今年の夏はあっついなぁ。あー、でもこの部屋入ったら、もう汗ひいてもうた」
 今度は寒い寒いと笑師が騒ぐ。
「あんまり暑いから、花月が髪切りたいなんて言ってるよ?」
「なんだ。またか」
 マクベスはさぞかし十兵衛が慌てるだろうと思って口にしたのだが、意外な反応が返ってきた。
「また?」
「子供の頃から夏になると愚図っていたからな。暑いから嫌だ、男なのに髪が長いなんて変だと」
「その度に貴方が、長い方が似合ってる、綺麗な髪なんだから勿体無いと言って説得していたのよね」
 からかいのネタにはならなかったようだ。
 朔羅も懐かしいとクスクス笑っている。
「だって、本当に暑いんだよ。乾かすのも面倒になるし」
 摘んだ自分の髪の毛を邪魔だと言わんばかりに放り出す。
 幼い頃の話を持ち出されたこともあってか、花月の機嫌は下降気味。
 マクベスがどうしようとでも言うように朔羅を見やれば、朔羅は何も心配はいらないと微笑を浮かべて十兵衛を見た。
 十兵衛は軽く肩を竦める仕草を見せて花月に近付くと、その髪を手の平に掬いながら背後に回った。
「櫛はあるのか?」
 突然の問いに、花月は戸惑うこともなくあるよと嬉しそうな声を上げて携帯用の小さな櫛を取り出して十兵衛に渡した。
「……この前、ワイが触ろうとしたらもん凄い笑顔で駄目って言ったくせに……」
 もん凄い笑顔、とやらに笑師はきっと凍りついたのだろう。
「涼しい思いができてよかったんじゃない?」
「……せやね……」
 マクベスの皮肉な突っ込みにも食いつけないほど強烈な記憶になっているらしい。

 十兵衛はそんなやり取りの間も、花月の髪の毛に遠慮なく、けれど丁寧に触れている。
 引っ張ったりしないように髪留めを全て外し、弦を隠し持つ鈴を花月の手に握らせる。
 サラサラと微かな音をたてて、花月の髪の毛が解かれて広がる。
 平安絵巻の姫君のような漆黒の艶を持つ髪の毛に、十兵衛は櫛を通す。
 花月は心地良さそうに目を閉じて背中を預けている。
 十兵衛は櫛を入れ、一筋の乱れもなくなった髪の毛を今度は編み始める。

「お姫様と従者って感じだね」
 ポツリ、とマクベスが零す。
「あんな特技もあったんや」
 十兵衛の手は骨張ってごつごつしているが、驚くほど繊細な動きをする。
 針という道具を手繰りなれた手は、飛針の十兵衛としての名を広めたサムライの手であるのと同時に、筧の名を誇る医師の手でもあるのだ。
 その手が、すらすらと花月の黒髪を編み上げていく。
 光を失っても、花月のことならその髪の毛一筋の動きも把握できると言うように。
「器用だね」
「長い髪が嫌だとごねたお姫様を宥めるために、必死で練習したのよ」
「姉者っ」
「だって本当のことだもの。結わえてしまえば暑さもましになるだろうからって、人の髪の毛をさんざん絡ませたのは誰だったかしら?」
 飛針の十兵衛も、この姉には敵わないらしい。
 とんだ暴露話は、花月をクスクス笑わせた。
「花月、動くな」
 照れ隠しのお小言も可笑しいだけ。
「はぁい」
 返事をしながら、もうすっかり手馴れた十兵衛の手付きに意識を集中させる。
 そっとそっと髪の毛を手繰られる。
 決して痛みなど感じないように、けれどしっかりと結い上げられる。
 時々項や耳元に触れる十兵衛の乾いた手の感触が気持ちいい。
 最初に編んでやろうかと問われた時は、そんなことができるのかと驚いた。
 できると自信満々で答えたその表情が一生懸命練習したことを物語っていて、十兵衛が自分のために髪結いを練習したのだと、幼い花月にはわかってしまった。
 初めて自分の髪の毛に触れた十兵衛の手は緊張していて、でもとても丁寧だった。
 十兵衛の手付きの優しさと、真剣な眼差しは今も変わらない。

「お姫様って言うより、猫って感じだけど」
 ゴロゴロという幻聴が聞えてきそうなほど、花月は気持ちよさそうな表情を浮かべているのだ。
「できたぞ」
 最後に左側の多めに残した後れ毛に、いつものように鈴をつけてやる。
 花月が伏せていた瞳を開ける。
「雰囲気、変わるもんやなぁ」
 笑師がほうっと感心した声を上げる。
 シンプルに束ねている時は上品さが滲み出ているが、項を露わにした花月はどこかやんちゃそうな雰囲気があった。
 綺麗な項が見えることでいつもよりも色気があるが、それ以上に涼しくなったとご満悦の無邪気さが強い。
「ありがとう、十兵衛」
 くるりと振り返ると、花月は十兵衛に向かって満面の笑みを向けた。
「似合ってるわよ、とても」
 朔羅の感想にも、ニコニコと応じている。
「十兵衛ハン、美容師でもやっていけるんとちゃうか? ワイもやってもらおうか」
 ワンレングスの髪をオールバックでひっつめていれば、暑さもそう感じないだろうに。
「断る。針だったら打ってやるがな」
 ヘアメイクとして遣われるのは、花月一人で充分だ。
 恋は盲目を地で行く男のきっぱりとした答えは、いつ聞いても笑師には絡みつらいボケでしかなかった。
「二人がいちゃつき出したから、部屋の温度上がってるんじゃないの? もう十兵衛はいいから、二人きりでいちゃつきなよ」
 マクベスはやってらんないと呆れ、しっしと手を振る。
 冗談の通じない十兵衛だけをからかうのなら暇潰しや気分転換になるのだけれど、聡い花月が一緒になると花月の切り替えしに逆にからかわれてしまうおそれがある。
 それに花月と一緒になると、十兵衛の辞書からはたちまちに羞恥心という言葉が消えうせる。
「だってさ。お言葉に甘えて行こうよ、十兵衛」
「あぁ。すまないな、マクベス」
 マクベスの嫌味も自分の有益なようにサラリと受け取って、花月は十兵衛の手を引いた。
 じゃあねと、鈴が鳴るような声で朔羅と笑師に挨拶して二人はマクベスの部屋を出て行った。

「…………」
 花月とのやり取りは嫌いじゃない。
 頭のいい人間とのゲームのような言葉の掛け合いは好きだ。
 ほんの少し臨戦体勢に入りかけていたマクベスは、やりあう相手を失って気持ちが手持ち無沙汰。
 チョコレートをパキンと歯で割ってから、空調を制御しているコンピューターに手を伸ばした。
「これ以上温度を下げると、この部屋の中で夏バテしてしまうわ」
 そうなったら笑われてしまうわよと、朔羅がやんわりと制する。
 本当は、そうなってもみんな心配してくれるだろうけれど。
 少年王も、この女性には敵わないのだ。
 マクベスの手にかわって、朔羅の手がシステムに伸びる。
 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。
 電子音と共に設定温度が上がっていくのを、マクベスは既に青ざめた顔で見つめていた。
 その暫らく後、溶けかけたチョコレートを手にする溶けかけの少年王の姿を、巡回から戻った俊樹が発見して仰天した。


「十兵衛って本当に手先は器用だよね」
 性格は不器用なのに、と心の中で付け足しながら、花月は街のウィンドウに映る自分の姿を見ていた。
 いつも背中に尻尾のように流れている髪の毛がないせいで、重心が普段と違う気がする。
 それに望み通り、項を撫でる風が涼しい。
「自分でもできるだろう」
「できるけど、十兵衛にやってもらった方が気持ちいいから」
 子供の頃は櫛を通してもらい、風雅の頃には風呂上りには髪をわざと乾かさず、十兵衛が気付いて乾かしてくれるのを待った。
 そういう甘えを、花月は十兵衛に対してだけ惜しげなく見せるのだ。
 不意に、花月の手が十兵衛の右手を握った。
「花月」
 人目が、と嗜めようとしたが、
「君は心眼で歩くのも不自由しないでいいかもしれないけど、やっぱり周りの人は目に包帯巻いた人がスタスタ杖もなしに歩いてるのを見れば驚くよ」
 逆に言いくるめられた。
 振りほどこうとしていた十兵衛の手から、力が抜けた。
 花月のほっそりとした指が、十兵衛の大きな手をしっかり握る。
「暑くはないのか」
「平気。だけど、早くクーラーの利いた部屋に戻ってのんびりしよう」
 足取りも軽やかな上機嫌で、花月は彼の塒へ向かう歩調を早める。
 そうして部屋に着けば、自分が結い上げた髪を自分で解くことになるのだ。


2003/07/02
初書き奪還屋、十花。最初に思いついたネタがこれ。花月の髪ネタは割とあるけど、十兵衛が結い上げるのはあんまり見ない気がしたので自分のために書きました(笑)基本的にラブラブな話を書いていきたいな。カヅちゃんは小悪魔で。十兵衛はサムライで。でも強かな十兵衛も書いてみたい。このカプはキャラ萌えもするけど、何よりも設定萌えが激しく……(墜落)

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