シエスタ



 長期になる仕事を一つ無事に終え、数日はゆっくり休もうと思ってまず足を運んだのが無限城だった。
 以前ならば、そう易々と足を踏み入れることのできない場所だったが、マクベスの統治がうまくいっているのだろう。
 司令室でもあるマクベスの部屋までは、難なくたどり着くことができるようになっていた。
 久しぶりだと声をかけてくれたマクベスや笑師と近況を報告し合い、その会話が笑師のギャグに突入しようとしたところで、朔羅が花月に教えてくれた。
 ここにいない、けれど花月が一番会いたがっている人のことを。
「三日間、ほとんど眠ってないのよ」
「え?」
「いろいろとゴタゴタが重なったのよ。サウスブロックで、建物の傷みが激しい場所で崩壊が相次いだりして。もう、部屋に戻ってるはずよ」
 笑師の相手はもういいから、と朔羅が促す。
 本当は真っ先にでも会いたかったのだけど、それを口にするとまた自分も彼もからかわれてしまうからと黙っていたのだ。
 けれど朔羅の言葉にいてもたってもいられなくなる。
 自分のことよりも他人のことを優先してしまう彼のことだから、きっと無理をしたんだろう。
 朔羅はどこか悪戯っぽい笑みを浮かべて、花月の背中をとんと押す。
 子供の頃も、こうして何かと二人の仲を取り持ってくれた人だ。
 ありがとうと小さな声で告げて、花月は踵を返すと早足で迷路のような無限城を迷うことなく進んだ。


 部屋の前で、花月は呼吸を整えた。
 そして見慣れたドアのノブを握って、音を立てないように回す。
「花月?」
 その緊張感をぶち壊す声は、室内から聞えた。
「十兵衛っ」
 驚いてドアを押すと、ゴツンという鈍い音。
「……あ」
 まだ彼の姿は見えないけれど、何がどうなってゴツンという音がしたのか想像できて、花月はそぉっとドアを開いた。
 ドアの向こうには案の定、額を抑えて小さく呻く十兵衛の姿があった。

「本当にごめんね?」
「いや、大丈夫だ。気にするな」
 久々の逢瀬にとんだハプニングだ。
 ドアに思い切りぶつけた額は赤くなっていたが、それも今は引いていた。
「何か急用だったんじゃないのか?」
「そうじゃなくて、十兵衛が三日寝てないって聞いて心配だったんだよ。それで来てみたらまだ起きてるし」
 風呂上りだった彼に新しいシャツを渡して、花月は眠くないのかと尋ねてみた。
「これから眠る。さすがに三日続けての徹夜は堪えた」
「しかもずっと力仕事してたんでしょう? 早く寝なよ」
 ポンポンとベッドの枕元を叩く。
「貴様はどうするんだ?」
 せっかく来たのに。
「僕は君の寝顔を見ながら読書。たまにはこんなのもいいじゃない」
 この部屋に置きっぱなしにしてある本を一冊手にして、花月は十兵衛が横たわるベッドの端に腰かけた。
 すぐに本は開かず、横になった十兵衛の手を握る。
 新しい無数の傷がついていたが、どれももう癒えつつある。
 指先に口付けると、困ったような笑みを浮かべた。
「眠れなくなる」
「それは駄目」
 あっさりと手を離して、今度こそ背を向けて本を開いた。
 パラリとページを捲る音を聞きながら、十兵衛は指先を擽る花月の髪の毛を一房手にとり弄ぶ。
 暫らくして、その仕草も止んだ。
 十兵衛は激務から解放されてやっと眠りについたらしい。
 すぅ、と小さな寝息も聞えた。
 寝息をたてて眠るのなんて珍しい。
 知らず花月の口元に笑みが浮かんだ。
 子供の頃なら叱られることを覚悟で遊びまわって、疲れて眠ってしまうことはしょっちゅうだった。
 風鳥院の屋敷の縁側で、二人で寝こけているところを叩き起こされたこともあった。
 でも、ここに来てからは……
 こんな風に十兵衛が無防備に眠ることなどなかった。
 ILの事件以降は、こういうことも稀にあったけれど。
 包帯もゴーグルもしないでいるから、普段は見えない目元が晒されている。
 幼い頃よりは、凛々しく鋭くなった目。
 瞳は真っ黒ではなく、薄い茶色で笑うと凄く優しく見える。
 外見はずいぶんと違うけれど、瞳の色や優しい眼差しは朔羅と似ているかもしれない。
 優しくするのも叱るのも心配するのも十兵衛は真剣で、その瞳はいつも真摯だった。
 その瞳に見つめられるのが好きだった。
 そっと目蓋に触れる。
 十兵衛は身動きしなかった。
 光を失った瞳を、十兵衛は晒そうとしない。
 あぁ、でも。
「いつも見られてるなぁって思うのは、なんでだろうね」
 見守られてる。
 些細な表情の変化も、仕草も十兵衛には見えている。
 深い眠りの中にいる十兵衛の閉ざされた目蓋や眉間に口付ける。
 それでも十兵衛は寝息をたてたままだ。
 よほど疲れていたのだろう。
 普段の彼ならば、多少の反応は示すはずだから。
「いい夢を見てね」
 そして花月は愛しい人の頬に羽のような口付けを落とした。


 ふと人の気配をドアの向こうに感じて、花月は半分ほど読み進めたページに栞を挟んだ。
「俊樹だろ? 入っておいでよ」
 呼びかけると、遠慮がちにドアが細く開いて俊樹が顔を覗かせた。
「俺が入ると、起きるんじゃないか?」
「大丈夫だよ。よく眠ってる」
 花月が促すと、気配や物音に気をつけながら体を部屋の中へと滑り込ませた。
 やっと居場所を無限城に見つけた俊樹の表情は、柔らかくなった。
「お前が来ていると聞いてな」
「そう。ありがとう。俊樹も大変だったんじゃないの?」
「いや。俺はマクベスの用事で外に出ていたから」
 恐る恐るといった様子で俊樹はベッドに近付いた。
 そしてそこに横たわる十兵衛を見て、目を見張る。
「筧の寝顔など、初めて見たぞ」
「そう?」
 共に風雅というチームで寝食を共にしたことがあるのだが。
「こいつは目を閉じていても、寝ているのかどうかわからなかったからな」
 まじまじと十兵衛を覗き込む俊樹が可笑しい。
 確かに、いつも隙なく構えていたあの頃は睡眠も自然と浅いものになる。
 ほんの少しの物音で目を覚ましていた。

 そう言えば、風雅の頃。
 穏やかな一日になりそうだと言う日には、花月が二人を誘って無限城の中の陽だまりを見つけて昼寝をしようと誘った。
 僕が起きてるから、たまにはのんびりしなよと花月は微笑んでいた。
 今のように本を開く花月の両側で、十兵衛と俊樹は一時の平穏に身を浸したのだ。
 時折、花月の手が髪の毛を梳く心地良さを覚えている。
 熟睡していたわけではなかったが、花月が自分達に休息をとってもらいたがっているとわかったから、大人しく横になっていた。
 極々稀に訪れるその時間は、確かに二人の心を優しく解した。

「花月がいるからだろうな」
 こんなにもこの男が心身から力を抜いて熟睡しているのは。
「俊樹も休むかい?」
「どこでだ」
「十兵衛の隣」
「勘弁してくれ」
 降参のポーズをとる。
 そんな仕草で、花月は俊樹がマクベス達と上手くやっているのだと知る。
「今日と明日、ゆっくり休めとマクベスが言っていた。伝えてくれ」
「うん、わかった。俊樹も無理しちゃ駄目だよ」
「あぁ」
 こくりと頷き、最後に自分の気配に気付く様子もない十兵衛の寝顔を見てからまた音を立てないように退室した。


 俊樹の気配が遠ざかってから、花月は背後を振り返る。
 本当に目を覚まさない。
 俊樹は自分がここにいるからだと言っていたが、入ってきたのが俊樹だったのも彼の眠りを妨げることがなかった理由の一つだと花月は思う。
 くぅくぅと穏やかに眠り続ける顔は、これがあの飛針の十兵衛かと思うほどあどけない。
 半身をベッドに乗り上げるような不自然な状態で、花月は十兵衛の顔を覗き込んだ。
 前髪をかき上げて額を露わにしてみる。
 クスっと、思わず笑みが零れた。
「かわいいなぁ」
 自分の髪の毛よりも固い十兵衛の髪の毛を梳いていると、小さく呻いてごろりと寝返りを打とうとする。
 はっとして花月が身を引くよりも早く、十兵衛が傍らの温もりに気付き腕を伸ばした。
 目を開けることなく花月を捕えると、寝ているとは思えない力で体をベッドの上に引き上げられてしまった。
 そして胸の中に抱き込まれた。
「十兵衛?」
「……ん」
 いつもより強い力で抱き締められて、十兵衛は落ち着いた体勢になるまでモゾモゾと動いてからほうっと溜息をついた。
 そしてまた寝息をたてはじめる。
 ここは、十兵衛が日溜りと呼んだ生家とは遠くかけ離れているけれど、傍らにある温もりに感じる安心感は変わらない。
 昔から、護ってもらっていた。
 体も心も、誇りも。
 ありがとう、なんて言えば当然のことだからといつものセリフが返ってくるだろうから。

 今は僕に、君の眠りを護らせてね。


2003/07/13
怒涛の十花フィーバー。十兵衛のあどけない顔を見る俊樹サンが書きたかったから。恋愛もつれのトライアングル風雅もいいのですが、旦那十兵衛、奥様花月、息子俊樹って言う雰囲気も好き。

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