散々迷って無骨な手が選び取った簪は、紅色のトンボ玉が鮮やかな玉簪。
珊瑚でできたそれに伸びかけた手は値札のゼロの数に驚いてぴたりと止まり、そのまま方向転換して見た目の似たガラス製を取り上げた。
艶々した赤色は、彼女に似合うだろうと思った。
総悟を通わせはじめた寺子屋の先生は武家の女で、結婚五年目で旦那を攘夷戦争で亡くしてから,
子どもに読み書きを教えながらひっそりと暮らしている。
自分達からしてみれば幾分年上の女ではあったが、寂しげな白い項をもつ美しい女だった。
幸薄そうな伏し目がちの瞳で子ども達を見守って、何かを諦めたような微笑をむける。
儚い人だ。
近藤は、儚さに弱い。
あぁ、支えてあげなくちゃ。
そんなお節介が本能に組み込まれているのだろう。
だから近藤は、その年上の女に惚れた。
そしてまぁ、見事にふられた。
土方が知る限り、これで三人目。
一人目は近藤の告白に溢れすぎた熱意にドン引きし、二人目は顔が好みじゃないとドストレートを打ち込んだ。
三人目は、戦死したと聞いていた夫が生きていると言う奇跡のような可能性を女が耳にしたせいだ。
寂しげな面差しがぱぁっと紅潮し、瞳を潤ませ声を弾ませ、彼女は身支度もそこそこに小鳥のように飛び出していった。
「愛だなぁ」
総悟を迎えに来ていた近藤の呟きが、その懐に暖めた玉簪を渡す時に心の支えが欲しいと無理に連れてこられた土方の耳には届いた。
近藤の思慕がなければハッピーエンドだと言い切れた。
近藤は頭を掻きながら笑ってみせて、すぐにガクリと首を折った。
傷心の彼を慰めるのは土方の役割だったから、その夜も飲み屋でグダグダになるまで飲んで、肌寒さを感じられるようになった深夜の道をフラフラと歩いた。
「俺ぁよー、トシー、嬉しいんだよー。佳代先生はさー、死んだと思ってた旦那さんのことずぅっと好きでいてさー。そんでさー、その旦那は生きてたって言うんだからさー、こんなにいい話はねぇよなぁ。だからよぉ、嬉しいんだよ。嬉しいんだけど、悲しいんだよぉおー」
「あぁ、そうだな。いい話だ。アンタは告白前にふられたんだから、悲しいけどな」
「おぉお、わかってくれるか! さすがトシだ! 親友だ!」
「そうだな、親友だな。近藤さん、千鳥足なのは諦めるけど、せめて前に歩こうとしてくれ」
「前になんか歩けねぇよ! 前に向かって歩いたら俺のこと好きになってくれる女性が現れるって言うんなら歩くけどよ、誰もいねーだろぉお! こんなゴリラを好いてくれる人なんかいやしねーんだよ! いっそ後退するか! 後ろ下がってったら運命の人に出会えるかも!」
「退化して相手してくれるのは雌ゴリラだけだ」
「きっと俺の相手してくれるのなんてゴリラだけなんだ。トシ! 動物園に行くぞ!」
「はいはい。とりあえず家帰るぞ」
あの先生に訪れた幸福を嬉しいというのも本音で、実らなかった自分の恋を悲しむのも本音。
近藤らしい失恋の痛手を宥めながら、土方は遠慮なく預けられる体重を引き摺りながら夜道を行く。
どんどんと寂れていく道すがら、小さな橋にさしかかる。
ぽかり浮かんだ丸みを帯びた月の光を浴びて、川面がキラキラと輝いている。
さほど機能していなかった近藤の足が引き摺られるのを拒み、フラつきながらも立ち止まった。
「どうした? 吐くか?」
さっきまでのやけっぱちな態度も失せ、真面目な顔で懐を探ったかと思えばそこに温め続けた件の簪を取り出した。
月夜に浮かび上がる赤いトンボ玉の艶が物悲しくも見える。
近藤は暫くそれを見つめた後、徐に腕を振りかぶった。
喜んでくれるだろうか、受け取ってくれるだろうかと期待と不安を織り交ぜながら、純情な恋心を込めながら選んだ簪。
渡したかった人はもうこの町には戻ってこないかもしれないし、戻ってきたとしても渡せるわけがない。
綺麗な装身具は今や未練の塊。
振りかぶった近藤の指先がそれを手放してしう寸前。
伸びた土方の指が蔦のように簪に絡み、奪ってしまう。
きょとりと間抜けに瞬く近藤の前で、土方は長い髪を簪に巻きつけて纏め上げてしまった。
結い上げられた黒髪から、紅色のとんぼ玉がのぞいている。
「捨てるんだったら、くれよ」
後れ毛を掬って耳にかけながら土方が見せた笑みは、先刻まで未亡人だった女性がよく見せていたそれと似ていた。
何かを諦めて飲み込んで、沈めてしまったような笑みだ。
何か、気付かなくてはいけない。
佳代先生が浮かべる寂しげな微笑を、幸福な色で飾りたくて一生懸命に簪を選んだのだ。
親友と認めるこの男の笑みも、どうにかしてやらなくちゃいけない。
何をしてやればいい。
近藤が内心オロオロとうろたえているのを素知らぬふりで、土方は意地悪く口角を吊り上げた。
「高い珊瑚を無駄にしなくて良かったな」
「ちょっ、その言い方じゃ俺がまるで佳代先生への気持ちケチったみたいだろっ」
「そんなこと言ってねぇよ? 貧乏は悲しいなぁと」
「その言い方もなんか嫌」
クツクツと肩を震わせながら田舎道を進みだした土方に並べば、掴みかけた変化の兆しがするりと指先から逃げていく。
二人、肩を並べてくだらない冗談を言い合う月夜。
緩やかに笑むくせに悲しげに細められた瞳の意味に気付けば、この時間が失われてしまう。
淡い恐怖が腹の底で蠢いている。
それでも、逃がしてなるものか。
「……なに?」
捕まえようと伸ばした手が触れたのは、露わになった白い項だった。
夜気を浴びて寒そうに見えるそこを暖めるように手の平で覆う。
近藤の破れた恋心を拾い上げてくれたために彼の項が冷えてしまうなんて、いけないと思った。
瞳に隠しきれない動揺が見て取れた。
ちらちらと、魚影のように、微かに。
初めて見た時、細い肢体が持つ強さに惹かれた。
泥と血で汚れてもなお、折れない芯の強さに憧れた。
しなやかで、強かで、美しく、まっすぐな人間だという感触。
儚さを覚えさせるような人間ではないと思っていた。
だけど捉えた項も揺れる瞳も、拠所を求めてぎっしり生やした棘も、近藤がちょっと力を込めて握ってしまえば砕け散ってしまいそうなほど頼りない。
晩夏に俯いた向日葵みたいだ。
太く逞しい茎はあるけど、しょんぼりと下を向いている。
この男の顔を誇らしげに輝かせるにはどうしたらいいだろう。
闘争本能が訴えるままに剣を振る男に相応しい場所はどこか。
喧嘩っ早いだけじゃない、知恵も情も持っている男は、何を求めて生きるべきか。
貧乏道場を出て行く後姿を想像する。
見知らぬ人間の傍らで世を渡る生き方を想像する。
自分の知らぬ場所で。
あー、それは、勘弁だなぁ。
「この前の、話だけど」
「あ? 武装警察募集の件のことか?」
近藤の体温をうつした項から、誤魔化すように腕は肩へと回った。
土方の動揺は既に引っ込められていて、手馴れた仕草で煙管を銜える。
煙をのむ行為に慣れたふりして、本当は心の底に何か大事なもんを隠してるんだろ?
だけど今の俺には、それを聞き出すだけの器が備わってないんだ。
自分達を取り囲む敵を前に背中合わせで立ち向かった、あの時に得た充足も昂揚も、ただのガキ同士の喧嘩じゃくだらねぇもったいねぇ。
「あんたのことだからデマを真に受けてんじゃねぇかと心配して、ちょいと調べてきた」
ターミナルによって真っ二つに空を裂かれた江戸は騒がしい。
江戸の治安維持を名目に、過激な行動に走る攘夷浪士の取り締まりを行う活きのいい命知らずを乞うとの話があるらしい。
天人の傍若無人な振る舞いに不満を持つ人々の矢面に立たされることにもなりうる役を募るのだ。
攘夷浪士だけに留まらず、一般市民にも天人の排除を願う者は多い。
傀儡幕府の抱える武装警察になることで得られる大義は食べ応えがありそうだが、例え確かな筋の話であろうと何も考えずに食いつくには癖がありすぎる餌だ。
「出所は真っ当らしい。警察庁長官の松平片栗粉っておっさんの発案だそうだ。そのおっさんも相当無茶な人物らしいから、もうちょっと突っ込んで調べといた方がいいな」
滔々と成果を口にする土方へは、三日ほど前に数ある話題の一つとして話ただけだ。
夕食の話、佳代先生の話、食客の一人の酒の失敗談。
土方はいつものように、言葉少なに相槌を打って聞いてくれていた。
徒然とした他愛のない話の中から、土方は近藤が最も気にした話を拾い上げてくれた。
あまりに漠然とした夢の話だったはずなのに、土方の声によって輪郭を持ち始める。
酔いとは別に、体が火照る気がした。
「俺なんかに、できるかな」
僅かに目線を下げたところで、土方の銜えた煙管の火種がぽうっと光る。
「アンタにしか、できねーんじゃねぇの?」
「俺?」
「こんな面倒で危ない話に食いつこうってのは、日本中探したってアンタくらいなもんだ」
「……そっか。そんな俺について来てくれんのも、お前くらいなもんか」
「そうだよ。まぁ、アンタについていくのは俺だけじゃねぇけど。総悟も、タダ飯食いの連中も同じ馬鹿さ」
煙をもくもくと吐き出す口唇が機嫌良さそうなカーブを描いている。
あぁ、いい気分になってきた。
「アンタは俺の、大将だ」
さっきは道場に集うムサイ連中のことも主張したくせに、今度は“俺の”なんて心地よい所有宣言。
「アンタが行く場所、どこへだってついていく」
少しだけ照れを混ぜた声音とともに、背中をぽんっと軽快に叩かれる。
太陽になりたいな、と思う。
整ったこの顔に堂々と前を向かせ、鋭い双眸を自信に輝かせたい。
この男に相応しい男になりたい。
失恋記念のガラス玉の簪なんかじゃなくてさ。
もっと、ギラギラ輝くものを与えてやりたい。
「トシがついてきてくれんなら、俺はどこへだって行ける。どこへだって行けるぞー!」
「あんた、失恋したばっかなのに元気だな」
「俺は恋は失いやすい男だが、友情だけは失うことはなーい! 一生保証!」
肩を組んだままのスキップに土方が苦情の声を上げた。
その項で月光を浴び、簪が光る。
「似合うじゃねぇの」
艶やかな赤は土方の胸の内にある情熱のようで。
「簪ってのは女の髪飾りってだけじゃないんだとよ。清国じゃ冠を留めるために使われてたって」
「へぇ」
さすが物知りと感心すると同時、近藤の中にストンと言葉が落ちてきた。
「アンタの冠、俺が留めるよ」
赤いガラス玉のように艶めいた土方の双眸が幸福そうに見上げてきた。
失恋の夜に、こんな満たされた気持ちになってもいいものかと近藤は戸惑う。
「なぁ、もうちょっと飲んで帰ろうぜ」
「いいねぇ」
戸惑うほど、心地よかった。
あ。
副長室にターゲットを求めて無断侵入した総悟は、ピアノ線のトラップを張り巡らせていた手を止めた。
土方の文机の上にあるペン立てにキラリと光る簪が差し込まれている。
それは、もうずっと前からこの部屋のその場所にあるはずで、部屋の主がいようがいまいが関係なしに出入りする総悟も目にしているはずの物。
それが今までちっとも気にならなかったのはどういうことか。
手を伸ばし抜き取ると、簪は小まめに磨かれているのか総悟の指先で輝いた。
見覚えのある、赤い玉簪。
ずっと昔、まだ多摩にいた頃だ。
近藤の失恋記念にと飲みに出掛けた土方が、女物のソレに髪を巻きつけ帰ってきた。
失恋記念の飲み会にしては上機嫌の近藤を玄関に放り投げ、土方も珍しく穏やかな表情をしていた。
厠へ行こうと夜中に目が覚めて二人のご帰還に出くわした総悟は師匠には水を、気に食わない弟弟子には砂糖水を出してやったのだが、土方は喉を鳴らしてそれを飲み甘露と笑った。
「あんた、女装の趣味でもあったんですかィ」
尻尾のようにたなびく黒髪は総悟がつい引っ張ってしまいたくなる長さだったのに、今は小奇麗に纏め上げられてしまっている。
赤いガラス球が黒髪によく映えて、黒と紅のコントラストが総悟には落ち着かない。
まだ覗いてはいけない色彩のような気がした。
土方はニヤリ笑って、腰を捻って妙なしなを作る。
「似合うだろう?」
酔漢の眼差しは奥に正気を留めている。
今宵、野良猫だった男は覚悟を決めたのだと総悟は知った。
「酔った酔った。おーい、近藤さん。布団までもうちょっとだ。起きてくれよ」
ケラケラと何が可笑しいのか笑いながら、ふらつく足取りで立ち上がると傍らで眠りに落ちかけている近藤の腕を取る。
「あぁ、いい夜だなぁ。大将」
蕩けるような声で呟き、土方は近藤の重みを支えながらボロ道場の廊下を軋ませた。
土方のあんな笑みを初めて見た。
気持ち悪いとでも言って貶してやりたいのに、言葉が全て抜け落ちてしまった。
あれはたぶん、安心だった。
近藤が江戸で一旗あげると宣言したのはその翌日。
簪の夜があったからこそ、近藤は決意を固めたのだろう。
あの夜に、どんなやり取りがあったのか総悟は知らない。
知らないのは、あの頃の自分が幼かったせいだ。
だけど近藤は選ばせてくれた。
俺たちは江戸へ行く。
お前は、どうする?
離れたくない思いと、姉に対する心配、危険に巻き込むかもしれないことへの憂い。
正直な気持ちをたくさん伝えてくれたうえで、選ばせてくれた。
男として一つ認められた気がした。
夜明け前の道場で総悟は導き出した答えを近藤に伝えた。
近藤は一つ頷いて、にかっと笑ってくれた。
その朝の空は紅く焼け、土方の髪を飾った玉簪の色と同じだと思った。
時を経て、総悟の手中で艶めく簪は飾るべき黒髪を失ってしまった。
本来の役目を果たせなくなったそれは、武装警察真選組副長の執務を見守る場所に置かれている。
総悟の知らない夜を、この玉簪は記憶している。
総悟が朝焼け色を記憶するように。
くるり指先で回したそれは、元通りの場所に戻しておいた。
遠く、おかえりなさいと威勢のいい声が飛び交った。
暫くすると、二つの足音が近付いてくる。
「入管に申請はあげてあるが、何せ前任の長谷川さんと違って現任はまったくの無能だ。話になんねぇ」
「とっつぁんからも話してもらうように頼んでみよう。俺も直接掛け合ってみるよ。今週の予定、どっか空くっけ?」
「空くわけねぇだろ。今週は天人の護衛が四件で、どれも重要人物だ。内、二件に対する攘夷浪士の動きが怪しい。あんたはお偉方との会議が二件」
「……その会議って出ないといけない会議?」
難しい話。
忙しい二人。
警戒心なく障子が開き、一歩。
「「ぅわぁっ!」」
二人仲良くピアノ線に引っ掛かりつんのめった。
おいおい、ちょっと油断しすぎじゃねぇんですかィ?
お互いを庇うように手を伸ばしたせいで、余計体勢を整えることができず崩れ落ちる。
総悟は二人の男を迎え入れるように両手を広げた。
十代もあと少し。
背も随分と伸びたし、筋肉もついた。
けれどどうしたって、自分一人が両手を広げたくらいじゃ真選組のトップ二人は受け止め切れない。
結局、三人揃って畳みの上に倒れこむ。
「そぉおおおごぉおおお!!」
顔面から倒れこんだ土方の地響きのような唸り声は、
「たまにゃ俺にもかまってくだせェ」
先手を打った総悟の小さな声に一蹴された。
顎から落ちて悶絶していた近藤の蠢きもぴたりと止んだ。
暫しの沈黙の後、右に近藤、左に土方を乗せたまま仰向けに転がる総悟の体は突如ふわりと浮き上がる。
「んじゃ、道場行くかぁー」
大きな手の平が頭をくしゃくしゃと撫で回す。
「最初から素直にそう言やぁいいんだよ」
「あんたにだけは言われたくねェや」
「あぁ? やんのか、コラ」
「やりやすかィ? 首とらせてくれるんですかィ?」
「ほらー、そんなとこで張り合わないで、せっかく道場行くんだから剣術で勝負しようじゃないの」
襟元をつかみ合う土方と総悟の後ろ襟を掴んで、三人並んで歩くには狭い廊下を窮屈だと喚きながら道場へ向かう。
「おー、綺麗な夕焼けだなー」
「明日は晴れるな」
「マジですかィ? 昼寝日和になるといいんですが」
「お前は非番じゃねぇだろが」
空が見事に茜色に染まっていく。
同じ空を見上げて三者三様の感想を口にして、思い出すのは同じこと。
副長室に残った簪が秘める、真選組胎動の記憶。
2008/12/2
8周年記念企画のリク募集から「近土←沖」……、近土?
十四郎さんは近藤さんに対して、「この人のためならなんでもできる。この人になら何されてもいい。この人の全部が知りたい欲しい」くらいの忠誠心を持ってて、転じて「これって恋?」みたいな思春期乙女も真っ青な論法で近藤さんに対する想いに戸惑ってればいい。近藤さんは十四郎さんと出会ったのは運命だったかもって、十四郎=特別な人って認識がどんどん激しくなって、「これって恋かも」と悶々としてればいい。深すぎる友情が恋慕にスライドする間際な二人。
そして総悟は近藤さんと十四郎さんの微妙な関係にあてられて、恋愛を学べばいい。成長するにつれて十四郎さんへのからかいが性的ニュアンスを含んで卑猥さを増してくることに近藤さんは密かに危機感を募らせればいいじゃない。
と言う、トリオ妄想と簪で髪をまとめる十四郎さんが書きたくてできました。