人身御供



 近藤の踵が革靴におさまったところで声がかかる。
「近藤さん」
 呆れと諦めと甘さを混ぜた音と共に、白い手が宙を泳ぐ魚のようにすいっと近藤の喉下に伸びていく。
 急所となるそこへ断り一ついれずに近づくことのできる特権が今日も変わらず与えられることに、仏頂面を作り上げている男は内心で喜び安堵しているんだろう。
「スカーフ、ちゃんと締めろよ。あんた、顔でかいんだから、襟元くらいスマートにしとかないとただのゴリラだぜ」
「ひどいっ。優しいのに酷いよ、トシ!」
「うるせー、じっとしてろ。あんた、なんで髭の手入れはちゃんとできるのに、スカーフ一つ結べねぇんだよ」
「なんでだろうなぁ?」

 登城要請のあった朝はいつもこうだ。
 屯所の玄関で、大将のスカーフをその右腕が整える。
 男二人、近すぎる距離で向かいあう、ある意味真選組らしい色気のない風景。
 そして声は甘味を増すのだ。
 沸き起こる苦味を近藤に伝えてしまわぬように。
「早く、この役を嫁さんと代わりたいね」
 それが相応しい在り方なのだと自分に言い聞かすように、毎度毎度繰り返される言葉。
 近藤はいつも、目下アタック中の女性が振り向くのも時間の問題だと根拠も可能性も見込みもない自信を見せたり、トシよりも俺のスカーフを上手に結んでくれる人はいないからいいんだと男を一喜一憂させる言葉を無意識に伝えて笑うのだ。
 そして土方は、仕方ねぇなと笑う。
 与えられる絶望も希望も、あんたが与えてくれるものならと飲み下す。
「じゃあ、総悟。留守を頼んだ!」
「さぼるんじゃねぇぞ」
「へーい」
 手を振って屯所を出る近藤の右、半歩後ろ。
 影のように付き従う細身の体。
 あれは、生れ損ないだ。
 アイマスクをずり下げて、風の通る玄関の板に寝そべりながら沖田は愉快とは言いがたい思考へ潜る。
 あの男は、近藤の右腕として生まれなくちゃいけなかった。
 いつか切り落とされる爪の先でも何でも、近藤に含まれて生まれなくてはいけなかった。
 それなのに別の意思と体を持って生まれやがった。
 きっと細胞の一つ一つが還りたいと願うんだろう。
 あの男は呼吸の一つすら、近藤のためになるように生きている。
 そんな生まれ損ないに、献身と言う意味では敵うわけがない。
 近藤を支えたいという自分の志も、死んでしまった姉が貫き通した恋慕も、敵うわけが無い。
 勝機のない挑戦……
 そんなのは癪だから、やっぱり土方が生まれ損ないなんて嘘だ。
 粘着質な男の情が悪い思想を蔓延させているんだ。
 毒されているんだ。
 例えばある日神様がとっておきの奇跡を全力でもって起こしてくれたとして、それが志村姉が近藤さんに惚れるとかそういうまぁありえないんだけど、そういうことが起きたとして。
 結婚とか、そういう流れになったとして。
 両思いになっちゃいました、なんて報告とか。
 プロポーズの言葉は何がいいかな、なんて相談とか。
 結婚しますという、宣告。
 そんなものを全て与えられて、逃れる術も持たないあの男はそれでも心からの祝福を送ることができるのだろう。
 そしてすりかえられる日常の風景。
 己の立ち位置を奪った女性の存在をも土方は、真選組の一部として愛するだろう。
 守るだろう。
 己の慕情が敵となるなら深海へとそれを沈め、真選組副長は私情を持たずに生きるのだ。
 誰にも知られることのない人身御供。
 そんな人生を満足だと、幸せだと心底思ってあの男は死ぬんだ。
 なんて愚かで、なんて一途な。
 綺麗事なんか大ぇ嫌ェだ。
 だから自分はあの男が気に食わない。
 憎々しく思う沖田の目の前で、揺るぐことなく貫き通される土方の想い。
 こみ上げる敗北感を拭う術を沖田は一つしか知らない。
「おーい、手が空いてる奴は道場に顔出しやがれ」
「どうしたんスか、沖田隊長自ら稽古しようだなんて」
「明日は槍が降るんじゃねぇか」
「今からお前ぇの頭の上に降らせてやるぜぃ」
 近藤が大将として堂々と立ち、その傍らで土方が進路方向に転がる障害を排除する。
 己の想いを切り刻みながら寄り添い続ける生涯を横目に、自分は真選組最強の呼び名に相応しいように修羅の如く。
 叩っ斬るだけだ。



2008/11/6
身御供と言う言葉は副長に似合う。悟りの境地に入った片思い。総悟はミツバのこともあり近藤←土方ベクトルを苦々しく思ってると同時に、自分の欲求を抑えて生きようとする土方さんの姿に苛立っていればいい。反発の二乗。

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