可愛


 深夜、障子越しにひそりと声がかけられた。
 入れと告げれば音もなく襖が開く。
「まだ起きてたんですか? ってか、煙てぇ部屋」
 するり猫のような身のこなしで入室した途端に叩かれる無駄口を、帰営の安堵からくるものと飲み下してやるほど土方の器は広くない。
 手近にあった分厚い名鑑を投げつけると見事額にヒットする。
 山崎は悶絶しながらも一通の報告書を差し出してきた。
 目を通し一つ二つの質問を投げかけると的確な答えが返る。
 監視継続を告げ、ところでと話題を変える。
「明日、隊の新編成を発表する」
 相槌なく山崎は耳を傾ける。
 自分の異動などは欠片も信じていない顔をするのに内心満足する。
「監察方は増員だ」
 日頃はこき使われることや人手不足を上司の前で嘆いて見せるくせに、山崎は喜色も見せずに続く言葉を待っている。
「伊東が連れてきた連中を何人か組み込む」
「……伊東参謀ですか」
 山崎は土方にとっては便利な男だが、隊士が集う場所でその存在を意識することは少ない。
 群衆に紛れる徹底した地味さこそが山崎の武器で、それを発揮しようとすれば隊内のどのグループに顔を突っ込んでも邪険にされない適度な八方美人さが必要とされる。
 冷静で乾いた眼差しは良く言えば平等で、土方はその点を信頼している。
 それがどうしたことか、伊東に対しては端から嫌悪を滲ませていた。
 土方自身、伊東に対して憎悪すら抱いているのは自覚するところ。
 直属の上司に同調してのことかと思ったが、そういうおべっかを使う人柄でもない。
「伊東は、苦手か?」
 問えば、躊躇いを見せた。
 私情を見せれば監察の信頼は損なわれる。
「好きになれません」
 だが結局、私情を突き出してみせる。
 そういうところが甘いのだ。
「あの人は……、近藤局長がいなくても生きていける人ですから」
 伊東本人は勿論、それに与する者に悟られることはないが、山崎にしては珍しいほど明確に伊東の存在を拒絶する。
 肉体に入り込んだ異物に顔を顰めるように。
 真選組は無機質な組織であれば、伊東の正論は根付き隊を大きく強くする。
 だが、真選組には血肉がある。
 その真ん中に魂がある。
 論だけでは血は騒がない。
 一振りの剣筋、真っ直ぐに敵陣に突っ込んでいく背中、裂帛の声が幾万の語彙を駆使した演説よりもよほど雄弁に体の内側に沁みてくる。
 共鳴りができぬ器は、異分子でしかない。
「監察方への指示はこれまで通りお前を通す。内での振り分けも一任する。ただし、あからさまに干すんじゃねぇぞ」
「わかってますよ」
 余談を本題へと戻した途端、無駄口が飛び出す。
 手近にあった文鎮を投げつけると、さすがにそれを食らってはたまらないと思ったのか見事にキャッチして見せた。
「それじゃ、休ませていただきます。けど、副長も早く寝てくださいよ。あと煙草も控えた方がいいっすよ」
「お前は俺の母ちゃんか」
 さっさと休めと追い払う仕草を見せれば、来た時と同じように物音一つたてずに山崎は退室した。
 山崎の忠言が響いていない証拠に、土方の手は無意識に煙草に伸びる。
 吸い込む毒煙こそ異分子に違いない。
 伊東。
 あれがもし、自らの派閥を率いて別の組織として起ったのであれば、土方は伊東の存在を認めたかもしれない。
 策士として認め、賛辞すら送ったかもしれない。
 身の内に入り込んだがために許せなくなっている。
 真選組の魂は伊東の頭脳を欲している。
 あの人にかかれば道端で遊ぶ洟垂れ小僧すら人生の師と成りうる。
 ましてやそれが、江戸を護る真選組にとって有意であろう政治能力に長けた人物であるのならなおさらのこと。
 伊東の言葉は正しく、伊東を歓待する近藤の意思も正しい。
 真選組のためだ。
 江戸を護るためだ。
 己の士道を貫くためだ。
 正しいとわかっている。
 わかっていても、受け入れられないこともある。
 真選組は土方の血肉だ。
 この拒否反応はどうしようもない。
 早く、尻尾を出してみな。
 参謀就任早々に隊を離れ政治工作に動き出した新入りの上品な顔を思い出す。
 早く、食いついて来い。
 排除してみせる。
 魂には傷一つつけることを許さず。
 正論を排除して残される邪道を進む覚悟は当の昔にできている。
 立ち上がると座り続けた関節がバキバキと音をたてた。
 障子を開けると丑三つ時の闇夜が広がっている。
 その中に隣の局長室から轟々と賑やかな鼾が聞こえ、大部屋からは確かな人の気配がする。
 白い煙を闇に躍らせながら、土方の口唇は弧を描く。
 一匹狼気取りで自尊心の高い自分でさえ、孤独を恐れる己がいることを受け入れる。
 孤独であることは無力だと教えてくれたのは、近藤だった。
 群れることの利点をゆっくりと噛み砕き、飲み込ませてくれたのは近藤だった。
 一人で剣を振るうだけでは決して手に入ることのできない強さを与えてくれたのは近藤だ。
 伊東は、弱い。
 無償で差し出される餌を、喉の奥まで晒して無心で食いつくことができない男。
 そのままじゃ、強くはなれないぜ坊や。
「可哀想に」
 それができないお前は可哀想な男だと嘆く、心の底からの言葉を聞く者はいない。


2009/01/19
史実でもいけるネタかと思ったんだけど、史実の伊東さんは孤独ではないよね、と思ってパロに。十四郎さんは伊東さんの孤独とか愛されたいって気持ちを誰より理解できた人なんじゃないかなーと思う。だけどあぁ言う性格なのでそれを指摘してやれないまま捩れに捩れたライバル関係。誰よりも伊東さんのことを可哀想に思ってるのが十四郎さんかなと思った話。

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