見るからに育ちの良さそうな小太りの青年の半歩後ろから、眉間に皺を刻んだ野性味を感じる青年がギロリとこちらに睨みを利かせる。
なるほど、あれが番犬か。
「トシに似てるな」
同行の原田に耳打ちすれば、原田もそちらにさっと目をやり頷いた。
「狛犬の京次郎ですね。確かに、武州にいた頃の土方さんに似てる」
何食わぬ顔ですれ違う一瞬、殺気にも似た警戒心がピリピリと肌を刺した。
姿勢がいいなと、振り返らないままに思った。
首を突き出し周囲を威嚇するように視線を左右に振るチンピラも多いが、あれは格を低く見せる。
背を伸ばし、静かに前を見る。堂々と歩くということはつまりは自然に歩くということ。それでいて、鍛錬を積み死線を越えた人間の肌を刺す気配を持つ男。
「なかなか、やるな」
つい口角が上がる。
武州で道場を開いていた頃も、腕の立つ者、姿勢のいい者を見かけると胸が弾んだ。
「うちにスカウトできねぇかな?」
「うちの副長が観廻組からスカウト受けたらどう応えると思います?」
原田の質問返しは的確だった。
なるほど、そりゃあ話をもっていくだけ無駄な話だ。
ちらりと振り返った背中は凛と美しい。
トシの背中もあんな感じかな。
いつも横か一歩後ろを付いてくるから、ずっと一緒にいるつもりでも実は働いているトシの背中を見る機会をあまり持っていないことに気付く。
「狛犬も安息の地を見つけたか」
あの深い深い眉間の皺。あれも安息の地で憩う時は薄れるのだろうか。
その想像は少しだけ、願いに似ていた。
屯所と言う建物の呼吸が聞こえる。
江戸が穏やかに一日を終える時は屯所も静かに、健やかな呼吸を繰り返す。不穏を宿す時の震えは、街に巣食う恐怖を伝えるものか、それとも武者震いか。闇を疾走する監察方を真似るようにかすかに息をつめ潜める時は、優秀な副官が悪巧みをしている時だ。
「何企んでる?」
「あぁ?」
「なんか、忙しそうね」
「俺はいつも忙しい」
あまりご機嫌が麗しくないようだ。
「働き者の副長に差し入れですよ」
差し出した桜餅からは春の匂いがする。
甘いものは好きではないが、こういう季節を体言したかのような食べ物は案外好きなことを知っている。何にでもマヨをぶっかける男だが、こうしたものは大人しく素のまま口に運んでくれる。
季節の移ろいを肌で感じることが好きで、花見にしてもそうだが紅葉狩りや屯所の庭木の菰巻きまでを大事にしたいのだ。けれど真選組副長の立場は時にそれを許さないほどに多忙で、こいつが捕物の段取りを組む間に一つ季節を逃がしてしまうのが悲しくて、せめてもの旬をと時々和菓子を差し入れる。
今日も薄紅の生地に包まれた江戸風の桜餅を見て不機嫌だった口唇を綻ばせ、多忙な副長も筆を休めて一服する姿勢に入ってくれた。
暫くは桜餅から漂う香りを楽しみ、舌で味わう。丁寧にいれた緑茶を飲んで、開け放った障子の向こうに広がる中庭に視線を投げる。一時でも肩の力を抜いてくれりゃありがたいが、机の上に置かれた報告書も気になるところ。
「空振りの偵察だが、聞きたいか?」
ちらりと盗み見たのに気付いたトシから話を振ってくれた。
真選組には膨大な情報が集まるが、局長室へもたらされるものは既に状況証拠が揃えられた状態だ。情報の真偽、確証は副長室で揃えられる。中には空振りのものもあるのだろう。
普段は目にしない段階の情報だが、トシが監察を動員させてまで探ったものが空振りとは珍しいと興味をひかれた。
素直に頷けば、物好きなとでも言いたげな溜息を前置きに報告される。
「魔死呂威組の敷地に開かずの蔵がある」
一度だけ往来で目にした狛犬の姿が脳裏に浮かぶ。
「2〜3年前までは普通に使われてたらしいが、ある日を境に開かなくなった。攘夷だなんだと吠えるような家風でもねぇが、如何にも怪しげだろう? 指名手配犯を囲うには絶好の場所でもある。念のために山崎に潜らせてみた」
「それでそれで?」
開かずの蔵なんてミステリアスじゃないか。
しかも空振りに終わったと言うなら何が出てきたのか。
思わず身を乗り出すが、語り部は焦らすように煙草に手を伸ばしやけにゆったりした仕草で一本銜える。
「その前に、魔死呂威組の跡取り息子。あのとてもじゃないけどヤクザ屋さんなんてできそうもない、坊っちゃん然とした息子、あんた見たことあるか?」
「あぁ。そう言えば、組の後を継ぐ継がないで親父さんと揉めてたらしいな。真っ当に働きたいって、真面目な青年だって聞いたことがあるぞ」
「下っ端の話じゃ、その息子が親父に反発して蔵に引篭ってるって話だったんだ」
あぁいう業界も親子関係は難しいらしい。
「蔵の中にいたのは桂じゃなくて、その息子だったってわけだ」
とんだ親子喧嘩に振り回された……正確には振り回されかけた、わけだ。
そりゃトシもテンション下がるわなぁと思っていると、ところが、ときた。
聞き手のリアクションが大きいせいか、話し手も興が乗ってきたらしい。
「中にいたのは息子じゃなく、女だった」
「えぇー?」
「時間を持て余してそうな若者が交代で蔵に篭るんだ。浪士じゃねぇし、薬中でもねぇらしい。水商売してる連中が昼間蔵にこもって眠りこけてることもあるし、入ってから出てくるまでずっとゲームをしてる奴もいる。中に息子の姿はない」
「ごめん、トシ、それ恐い話じゃないよね?」
手の平を向けてちょっとたんまの合図。
「これ、ちゃんと笑えるオチがつく?」
トシだって怪談話は苦手なはずだけど、にやりと笑った。
「一度、変装した山崎を蔵に入らせた。多少の金が渡されて、言いつけられた指示は一つ。約束の時間がくるまでは、蔵から出るな。扉を開けてもならない」
「指示……」
「蔵に入る連中を雇っているのは、魔死呂威組若頭、狛犬の京次郎」
トシの宣告を聞いた瞬間、怪談話にも似たテンションで正直言えば楽しんで耳を傾けていた報告から、怒りが生まれた。
裏切られたと思った。
狛犬の京次郎と何を約束したわけでもない。会話すら交わしていない、ただ往来で姿を見てすれ違って、忠義者との噂を聞いていただけだ。
トシは話を続ける。
山崎は密かに蔵の地面を掘り返したらしい。
魔死呂威鬱蔵は蔵の下の冷たい地面の中で静かに朽ちようとしていた。
自分で築き上げてきた財産を息子に与えようと、不器用な愛情を注いでいた組長の願いは二度と叶わない。
遺体を隠す意味があるとすれば、一つしかないのではないか。
安息の地を見つけたのではなかったのか。狛犬は守護する神体にも牙を剥くのか。
なんで。
どうして。
なんてことを。
信じていたのに。
凛とした背中を、自分が最も信頼する者のそれと重ねた。
あぁ、申し訳が無い。
トシの目を見ていられない。
「魔死呂威鬱蔵の死因は、自殺だ」
え?
「え?」
「首に痕が残ってたし、蔵の梁にも跡があった。中村京次郎は、自ら命を絶った鬱蔵がさも生きているように見せかけようと細工してたのさ」
「……どういうことだ?」
「さぁね。狛犬にでも聞いてみな」
とんだお家騒動だと、トシの綺麗な手が報告書を破り捨てる。
仮にも死人が出ているのなら、奉行所にでも届けるべきではないのかと問えば、不法侵入で山崎しょっぴかれてもかまわないかときた。他殺じゃないからいいんじゃねぇのと、既に興味を失っている様子。
狛犬を見かけた往来の風景を思い出す。
とろとろとした足取りで歩く跡取り息子。
あんたは、一歩後ろをついて歩く義兄弟だか友人だかを振り返ったことがあるのかい。
何に絶望して、狛犬に何を与えたのか。
あぁ、切ねぇなぁ。
「なに、守ってんのかな」
「あ?」
「狛犬の京次郎。何守ろうとしてんのかなって」
トシは答えなかった。
静かに紫煙を吐き出して、春の光が降り注ぐ庭を見つめた。
そんな会話から三ヵ月後、雨夜の翌日。
新聞の片隅に小さな訃報が載った。
魔死呂威組の若頭の死だ。
前日の襲名披露が抗争へと変わりなかなか盛大だったようだ。
奉行所から対テロ組織へのお呼びこそなかったが、その日までに必要だった書類が松平のとっつぁんから返ってこないのには参ったとトシが苦虫をぶっちぶっちと噛み殺していた。不良警察庁長官が面倒を見るのは真選組だけではないのだ。
「魔死呂威組の件があろうとなかろうと、今夜決行予定の捕物の許可書がギリギリまで戻ってこねぇってどういうことだよ。職務怠慢にもほどがある!」
登庁して直に長官の机から取ってくると、トシが緩めていたスカーフを締め直す。ついでに気合を入れるようにベルトに愛刀を突っ込むものだから、切っちゃ駄目だからねとつい念を押してしまう。
「昼までには戻る。予定通り準備を進めてくれ。現場張ってる連中から報告が入ると思うけど、なんかあったら連絡してくれ」
不機嫌ではあるが、着々と仕事をこなそうとするトシは平生と変わりない。
この組で生きる同志の誰よりも優秀な頭脳を持つ男が進める段取りに滞りはなく、日々の飯も刀の手入れも武器弾薬も住処も余暇も、天から降ってくる恵みのように勘違いして甘受しているけれど、実は昔喧嘩師で鳴らしたこの親友の努力あってこそここでの生活も仕事も成り立っている。
だが土方十四郎の本懐は、別のところにあるはずだ。
俺はお前に、報いることができているだろうか。
「今日の突入班、どこだっけ?」
「あ? 永倉んとこだけど?」
「作戦本部は?」
「俺と武田。なんか問題あるか?」
不機嫌面を一変させ、緊張を滲ませる。
ばか、お前の組む計画に問題なんかねぇよ。あるとすれば、真選組に大義を与えるためにお前がお前の本懐を犠牲にしてるってことだ。
「本部は武田と井上さんに任せてさ、たまにゃお前が突っ込んでみねぇ?」
きゅうっと、猫が驚きに固まるように目が開く。
「いや、最近、新入隊士増えただろ? お前が切り込んでいくのが一番様になるし、若い連中にとっちゃいい刺激になるかなぁって」
「……、いいのか?」
「おうよ。今回はそんなに込み入った作戦でもねぇし。はじまっちまえば、本部に確認とることもないだろ」
「そりゃ……、それくらいの配置変更は問題ねぇだろうけど」
長いことお預けを食らっていた極上の餌をたんとお食べと差し出され、飛びつきたいが嘘じゃなかろうかと警戒し、その薄い口唇がもごもごと言葉を探す。
回転の速い頭脳は配置変えの結果を何度も何パターンもシュミレーションしていることだろう。
「たまにゃ、暴れてこいよ。俺もお前の剣筋が見てぇ」
トシはじわじわ溢れ出すアドレナリンで目を爛々と輝かせ始めた。この男にしては珍しく、感情の変化を目に見える形で垂れ流している。
ちゃっちゃと許可書奪い取ってくるぜと車に乗り込むその手が既に刀の鯉口に掛かっている。
ちょっと告げるの早かったか。
とっつぁんにこれから斬り込み隊長が臨戦態勢で訪ねると思いますがどうか御無事でとメールを送り、今夜の計画に悪い影響を与えないであろう澄み渡った空を見上げる。
中村京次郎の遺体は、亡き組長の、狛犬が親父と呼んだ男の墓前で発見されたらしい。
秘密と親愛を表現せぬまま抱え込み、一人雨に打たれて死んだと言う。
トシに死地へ飛び込めと俺は言う。
危険に身を晒せと。
帰ってくると信じているから。
お前は強いと信じている。
お前が望むものを知ろうと思う。
刃の雨降る戦場こそが、安息の地であると謳う鬼の望みを。
俺がお前に背負わせたものの重さを、魂に叩き込む。
2010/3/6
銀魂の短編で一番好きなのが狛犬のお話です。