餓える両翼



 トシが酔っ払った。
 珍しいこともあるもんだと、常にないとろんとした目元を眺める。
 元々下戸に近いから、酔うまで飲むこともない。
 それが今日はどうしたことか。珍しい。
 そう言えば今日は一日デスクワークにかかりきりで、ろくに食事をとっていなかったはずだ。
 今も局長の承認印が必要な書類を持って局長室に顔を出したところを、一杯やろうやと強引に座らせた。
 つまりは空きっ腹だったのだ。
 少しだけ陽気になったトシ相手に今日一日の出来事を聞かせる。
 トシは笑ったり窘めたりしながら聞いてくれる。
 トシは酔っ払っても聞き上手で、いつもより和らいだ眼差しが優しい。
 きっとこれが素の顔なんだろうなぁって、いつも眉間に皺寄せて恐い顔してるのは無理して作ってんだろうなぁって思う。
 夕方、すまいるに行ってお妙さんと会って来たんだ。今日もすんごい美人だった。お妙さんの笑顔を見ながら飲むドンペリはただのドンペリじゃないぞ、スーパードンペリだ!そうそう、今日は急にお妙さんが俺の懐にこう手を伸ばしてきてさ、俺ドキドキしちゃった。財布の厚みを測ったんだって。さすがプロだよな。着物の上から触っただけで分かるんだって。ドンペリ一本が限界ねって、どんぴしゃなんだぜ。エスパーみたいで素敵だろ。
 相槌を挟む暇がないほど喋くった俺が喉の渇きを癒そうと湯割りの焼酎が入った湯のみを傾けていると、つと懐が軽く押さえられる感触。
 ひたりと懐に触れた白い手はいつもの彼らしくなく熱を帯びていて、それでも色は白いままなのかと不思議に思った。
「俺にもわかるぜ」
「え?」
「あんたの懐に何が入ってんのか」
 今は空っぽだよと伝えようとした口が固まったのは、トシがもう片方の手を伸ばしてわざわざ俺の湯のみを奪ったからだ。
 髪の毛がさわりと袂に触れ、酒とニコチンの混じった匂いが香った。
 あまりいい匂いの組み合わせではないはずなのに、トシの匂いは俺のオッサン臭とは違ってお洒落な男性用香水でもつけてるのかな?なんて思わせる。
 トシは猫のように舌先で湯のみの水面を拾う。
 舌は赤いのかとまた不思議に思った。
 トシは顔を上げて、ふふっと、柔らかいようでねっとりとした声で笑った。
 花で例えるなら牡丹のような。
 薄く柔らかそうなふわふわした花弁に、男の劣情を煽るような赤紫の。
 胸元に置かれた手の、人差し指がたんたんと肌を擽るようにノックした。
「志村妙が、入ってる」
 牡丹の声に別の人間の、しかも女性の名前が乗るのは不釣合いに思えた。
 何かもっとこう、色っぽい、際どいことを乗せる声なのに。
 俺も大概AVの見すぎだなぁと省みて、友の声からAV反省ってどうなんだってまた反省。
 俺も随分酔っているらしい。
 あぁ、でも。
 するりと猫のように体を寄せてきた親友ほどじゃない。
 野良猫のようなこの男は今でこそ自分の過剰なスキンシップを仕方ねぇなと体中でアピールしながら受け入れてくれるけど、自分から触れてくるなんてことは滅多にない。
 あったとすれば、大掛かりなカチコミに片がつき、隊に死傷者がないことを確認し計画の成功を実感した瞬間に打ち合わせる手の平とか、スナックで酔いつぶれたどうしようもない上司を介抱する時くらいなもの。
 こんな風に人肌恋しさに寄ってくることなんて今までなかったから、やっぱり酔っているんだろう。
 ひたと左の耳を俺の胸に当て、懐に添わせていた手をずいっと着物の内側に侵入させた。
 擦り寄ってくる黒い髪、黒い着物。
 こいつは動物だって、錯覚。
「それから、真選組のこと。江戸の平和」
 あたたかい心が埋まっているその証拠のようにいつも冷たい手の平が熱を持っている。
 セクハラだと茶化そうとするより早く、トシの手が更に奥へと入り込む。
 近藤の懐に顔から突っ込むような体勢にさすがに驚き、どう対処していいものかと困惑した手がわきわきと空を掴む。
「なぁ、近藤さん」
 ぽつりと零れた声は着物の中に篭って、直接心臓に吹き込まれたような振動と熱を伴った。
「俺のことも、入ってんのかな、こん中に」
 半ば夢の国に入り込んだ声音が、唐突に涙腺を叩く。
 これほど有能で、強くて、意固地で、自分独りでだって生きていけて、それどころかこの男所帯よりももっと機能的で完璧な組織を創り上げることも可能な力を持っていそうな男が、俺に何を求めるのか。
 俺なんかの心情に人生左右されやがって、好いた女に背を向けて、いつも過重労働ばかりで、そのくせ鬼なんて呼ばれることにも甘んじて。
 馬鹿野郎が。
 普段、呆れるほどふてぶてしいくせに、俺なんかの気持ち量って不安になって。
「馬鹿野郎が」
 何も知らない、人を斬ったこともないような無邪気な顔を晒して眠る鬼の眉間に皺はなく、腹筋を擽る黒髪を撫でれば満足そうに鼻から息を抜く。
「入ってるなんてもんじゃねぇよ、馬鹿」
 時折、真っ向から浴びせられるように伝えられる信頼とか憧憬が、自分の中から俗世の澱を拭い清めてまっさらな状態に返してくれるような気がする。
 お前なんて、俺の全身巡る血みたいなもんだ。
 失ってしまったら、冷たくなって動けなくなって死んでしまう。
 トシが自分に向ける感情が、男女の、性別なんか問わなくたっていいから恋情と呼ばれる、相手を抱きしめたいとか口付けたいとかそう言う欲を伴うものなら簡単だった。
 忠義と言う、尽くし尽くされる古来より武士が受け継いできた遺伝的な関係であればもっと楽だった。
 抱きしめて愛していると囁いて満たされるならそうするし、俺の指差す方向へとトシが船を進めることで悦べるのならばそうする。
 この世に存在する人と人との繋がりを表す言葉、どれをとったって自分達にぴったり当てはまるものはないだろうと思う。
 抱きしめたって喧嘩したって喜びを分かち合ったって信じあったって背中を預けあったって完全に満たされることはないから、どちらかが先に逝くまで隣に在り続けるしかない。
 この世を去る最期の瞬間、自分の名を呼ぶのがトシであれば満足できるのかもしれない。
 この世を去る最期の瞬間、自分がトシの名を呼べばトシは満足できるのかもしれない。
「俺の傍で生き辛い時もあるだろうけどよ、トシ?」
 目の前で困ってる奴を助けたいと俺は言って立ち上がったはいいけれど、未だ覚悟なんか決まっちゃいない。
 百人近い大所帯になったこの大家族の一人一人の命を背負い込む覚悟は日々ぐらぐらしてて、ましてや江戸の平和なんて考えてみても何がどうなりゃ平和なのか答えも持たない。
 毎日毎日、これでいいのか、これが正しいのかと、大将に据えられて尚ぐらぐらと。
 それを重荷だなんて言うつもりはないけど、同じ隊服纏った仲間が周り固めて俺の声に応じてくれて、そうしてようやく腹が据わるんだ。
 そんな情けのない大将じゃあるけどよ、トシ。
「俺は、お前の人生背負う覚悟だけは自信もってあるって答えてやれるんだぜ」
 懐に潜りこんだトシの頭を撫でる。
 薄い口唇が綻んだ。
 俺の覚悟がお前を生かし、お前の覚悟が真選組を動かす。
 そうして守れるものがあるのなら、それが俺の志だ。
 


2009/2/23
二人揃って完全無敵、連理の枝って二人もいいけれど、この世に二人だけの吸血鬼がお互いの首筋に歯をたてて血を啜りあうような、求めすぎて足りないのよってのも究極チックでいいじゃないと思った話。できてるんだかできてないんだかの二人。

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