ココア



 今日も“雑用”を終えて事務所に戻ると、あまり積極的に見たいとは思わない顔がソファーに座っていた。 
 生白い肌、色素の薄い髪、感情のこもらない双眸、退廃的な空気。
 傍にあって、あまり気持ちよいものでもない。
 この事務所の助手も同じことが言えるが、あれはもういっそ清々しいとすら感じる気持ちの悪さなので置いておく。
 全体的に白っぽいその男は、下手に手に負える厄介さだから面倒くさいのだ。
 望月の会社の一件以降姿を消していた早坂兄弟が、裏の業界専門の情報屋を始めたと聞いたのは半年ほど前だったか。
 野心家で策略家で頭脳派な兄と、その手足となれる弟。
 いいコンビなのか、早坂兄弟の情報屋は裏世界なりの信頼を得て、それなりにやっているらしいと聞いた。
 それが、何故。

「あ、おかえりなさい、吾代さん」
 真っ先に吾代を迎えたのは現役女子高校生だった。
 まさか自分のような人間が、女子高校生という人種に『おおかえりなさい』と言われる日がくるとは夢にも思わなかったなと、朗らかな声を聞く度に吾代は思う。
 だが今はそれどころではなく。
「なんでてめぇがココにいる」
 番犬よろしく唸れば、その白い男は感情の読み取れない視線を寄越して、
「仕事だ」
 と、簡潔に答えを放り投げた。
 それは子どもの癇癪をサラリとかわす大人の口ぶりで、コメカミの血管がピクリと動いたのを吾代は自覚した。
「ユキさんのところの事務所が軌道に乗り始めたから、挨拶にきてくれたの」
 説明したのは所長だった。
 ゲリラの手法で日本の闇を暗躍するような男を前に、臆した様子もない。
 まぁ、あの助手を相手にしているのでは、日本の犯罪者など実に可愛いものか。
 ホラヨと吾代の足元に向かって放たれたのは名刺らしいが、裏返ったそれを屈みこんで拾うのも癪に障るので踏みつけてソファーに近付いた。
「コチラさんには世話になったから、格安で売買するぜ。兄貴からもよろしくってさ」
 どっかりと向かいのソファーに腰を下ろすと、所長がコーヒーをいれてきた。
 誰が所長だかわかりゃしない。
 コーヒーの匂いで気付いた。
 香ばしいその匂い以外の、何か甘ったるい匂いがする。
 物をよく食う所長のおかげで、この事務所では何かしらの食べ物の匂いがしている。
 給湯室から戻ってきた所長は、手にしていたカップの一つを、営業に来たという男に差し出した。
「……なんだ、そりゃ」
 甘ったるい匂いを放つカップに思い切り眉を寄せれば所長はご満悦の表情で、
「やっぱり冬はココアよねー。あ、吾代さんもコーヒーよりココアの方がよかった?」
 などと言うものだから、いらねぇと断っておく。
 そのココアとやらで満たされた甘ったるいカップに、白い男は無表情に口を寄せる。
 室内はほどよく暖められているのに、相変わらずこの男はファー付きの、いかにもあったかそうな、むしろ暑そうなコートを羽織っている。
 それでココアときた。
 ガラス製の釣り針を用いる獲物を隠すためだけの厚着ではなかったようだ。
 根っからの寒がりらしい。

「あ、美味い」
「でしょう! このメーカーの気に入ってるんだ。もらったのがあるから、ユキさん持ってかえります?」
 うちの所長は、あの助手の影響もあるのだろうが、だんだんと一般的な感覚を喪失しつつあると吾代はこめかみを押さえた。
 元々物怖じしない性質ではあるようだが、最近はそれに拍車がかかっているように思う。
 暴力で生きる男にココアを勧める女子高校生。
 シュールだ。
 その構図に自分も片足突っ込んでいるというのも、シュールだと吾代は思う。
「甘党かよ」
 表情こそさほど変わったようには見えないが、いくらか機嫌が上昇しているのが感じられる。
 ここでくつろぐなよ。
 借りにもそう遠くはない過去にやり合った相手のいる空間だぞ。
 アウェイだぞ。
 そんな複雑な感情を持て余して馬鹿にしたように吐き捨てると、白い男はニヤリと笑った。
「熱くて甘いもんは好きだよ」
 目を細め、薄い口唇をゆがめて笑う。
 冷気を含んだようなその笑みだが、以前と少しだけ違うように見えた。
 見えない相手に従っていた頃の焦点の曖昧な眼差しではなく、兄と言う上司の背中を捕らえた双眸だからだろうか。
「だから」
 白い手がテーブルにつき、男が前のめりになる。
 何だと警戒するにはあまりにゆったりとした動きだったから、とっさに反応ができなかった。
 近い、と思った時にはもう遅い。
 冷たく甘く、そして柔らかいモノが自分の口に触れ、そしてピアスを舐め上げ離れていった。

「あんたのことも好きだぜ?」
 くくっと喉を震わせて笑い、自分の口唇を舐める。
 キスをされたのだと。
 厚着野郎にキスをされたのだと。
 そう気付くまでにたっぷり十秒。
 傍らでは所長が大きな目をさらに見開き、固まっていた。
「探偵さん、ごちそうさんでした。土産はいいや。またココに飲みに来るよ。あったまりにね」
「あっ、あぁ、は、はいっ」
 我に返った所長に見送られ、厚着野郎は事務所を出て行った。
 何しやがるんだと怒鳴ってやろうにも、キスの一つや二つで騒ぎ立てればまたそれをネタにせせら笑うだろうことは目に見えていたから、ぐっと黙っていてやったのだと自分に言い聞かす。
「吾、吾代さん……?」
 心配そうに声を掛けてくる実は聡い所長に感情を読まれたくなかった。
「現役女子高校生様は宿題とやらがあるんだろ。あの厄介な助手が帰ってくるまでに片付けちまえ」
 しっしと追いやる仕草をすると、なんとなく吾代の心情を察したのだろう、わかったと言って所長デスクに教科書を広げ始める。
 その姿を確認してから、吾代は息を吐き出し顔を覆った。

 勘弁してくれ。
 厄介なのは所長と助手で十分だ。
 一瞬、厚いコートに包まれた体を引き摺り倒して甘く冷たい口唇を貪ってやろうかと、そんな自分自身でも理解できない衝動に駆られた。
 そんな自分が一番わけがわからないと、吾代は地の底を這うような溜め息を吐き出す。
 所長デスクでペンを滑らせる音が一瞬止んだが、ややあってまたカリカリと音が聞こえてきた。
 そして吾代はこっそりと、自分の口唇を舐めた。
 熱くて甘い、ココアの味がした。


2006/01/09
とうとうやっちゃった!05年後半はユキちゃんに魂もっていかれてました。かーわーいーいー。今後の登場が不明なので、捏造してみました。吾代にちょっかい出しつつも、ユキちゃんはお兄ちゃんが一番です。

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