大人の条件



「変わったよな」
 宍戸にそう言ったのは、知り合ってからちっとも変わった記憶のない向日だった。
 新しいゲームを買ったから対戦しようぜと、強引に宍戸の部屋に上がりこんでいる。
 セカセカとコントローラーのキーを叩きながらのセリフを、宍戸は聞き流してしまった。
 画面の中では宍戸の操るキャラクターが受けたダメージから回復したところだ。
 ゲームも久しくしないと腕が鈍るらしい。
 実家を出て暮らし始めてから、ゲームをすることが少なくなった。
 高校までは夢中だったテレビゲームも、家事に追われるか、同居人との会話に費やす時間に変化していった。

「宍戸、変わったよな」
「あ?」
 もう一度、同じようなことを向日が口にした。
「そりゃ、変わるだろ。もう二十歳なんだから」
 お前は変わってねぇけどな。
 ジローも。
 多少、賢明さを身につけた宍戸はそう心の中で呟いた。
「誰もお前が大人になったとか言ってねぇし。そーじゃなくて、鳳に対して変わったなって」
 同居人は最後のコマまで講義がつまっているらしい。
 午前中で授業が終わり、バイトもない宍戸と向日は青々とした空に背を向けてゲームをしている。
 画面の中で、宍戸のキャラクターが仰向けに倒れた。
 向日のキャラクターがガッツポーズを決めている。
「くそっ」
 悪態をつく宍戸の横で、向日はつまんねーと言わんばかりにコントローラーを放り投げ、部屋を見渡す。
 もう何度も訪れたはずの部屋を眺めた。
 大学進学を機に家を出る。
 ちょっとした憧れだが、向日は実家から大学が近く叶わなかった。
 宍戸の実家も、氷帝の中等部、高等部が隣接する敷地から少し離れたとは言え、大学の校舎が遠いわけではない。
 長太郎は少し遠くなり、実家からだと高等部の頃よりも一時間ほど早く家を出なくてはいけないらしいが。
 長太郎はともかく、宍戸までもが家を出て暮らし始めたのは、宍戸の兄の功績が大きい。
 宍戸の兄も大学時代、一人暮らしをしていた。
 その兄が、一人暮らしを通じて母親の偉大さを思い知ったらしく、家に戻ってからは人が変わったように優しくなった。
 いたく感激した母は、宍戸にも一人暮らしを勧めたのだという。
 高校を卒業した長太郎は当然の如く、宍戸との同居を申し込み、宍戸は承諾した。
 それが渋々だったのか、快くだったのか、当時補講に追われていた向日は知らない。
 宍戸の母が、息子と仲がよく礼儀正しく温和でほんわかした後輩との同居を快諾したという話は、忍足から聞いている。
 あそこのおかんも大したもんやで、なんて言っていた。
 春がきて気が付けば、溜まり易い友人の部屋には大きな体の後輩が住んでいた。
 向日には意外でもあり、予想通りでもあった。
 意地っ張り選手権があればチャンピオンになれそうな宍戸が、長太郎との二人暮らしなんて許すわけがないと思っていた。
 同時に、長太郎には甘い面のある宍戸はきっと受け入れてしまうのだろうとも思っていた。

「俺が長太郎に対してどう変わったって?」
 ゲーム機の電源を切り、宍戸は狭い台所に立ってヤカンをコンロにかけた。
「んー、なんつーかさ、開き直った?」
「はぁ? なんだよ、それ、悪い意味か」
「や、違うな。いい意味で開き直った」
「相変わらずボキャブラリーねぇな」
「いいんだよ、俺理系なんだから。あー、なんつーのかなー。高校の時とかはさ、まだ逃げ場があったじゃん。顔合わせるにしても同じトコ通ってるんだからーとか、言い訳できるけど、二人暮らしって……なぁ?」
 なぁ、と続く言葉を向日は宍戸の想像に託した。

 逃げ場。
 逃げ場か、と宍戸はインスタントコーヒーの顆粒をカップに入れながら反芻する。
 『仕方ねぇな』
 という言葉が口癖だった頃がある。
 仕方なく付き合ってやっている。
 仕方なくキスをする。
 仕方なく、好きになる。
 長太郎と付き合い始めた頃、心の中で言い訳を繰り返した。
 自分が誰かを好きになっている。
 付き合っている。
 仕方ないと言い訳しないと、恥ずかしさに悶死してしまいそうだった中学時代。
 最近、ようやくだが長太郎のことが好きな自分を認めてやることができるようになった。
 むしろ、そんな自分を好きだと思う。

「最近の宍戸見てると、鳳のことが好きなんだなーって、思う。素直になったわけじゃねぇし、相変わらず乱暴だし、愛の鞭にしても限度があるだろって思うけど、大切にしてるんだなって、思う。
 ソファーの背凭れにかけられたブランケットは寒がりな宍戸のためのもので、インスタントコーヒーの隣にココアが並んで置かれているのは甘い物が好きな長太郎のためのものだ。
 冷蔵庫の扉に貼り付けてあるホワイトボードには、昨日のメッセージなのだろう、宍戸の字で、晩御飯が冷蔵庫の中にあるから温めて食えとの旨が書かれていて、美味かったですと鳳の字が添えてあった。
「年上の余裕が出て来たか?」
「余裕が出て来たってのは当りだけど、年上のってわけじゃねぇよ。ただ、わかってきたんじゃねぇの?」
 他人事のように言ってしまったのは、照れだ。
 向日相手にこんなことを言う日がくるなんてと、照れたからだ。
 何が?と、向日の大きな目が尋ねてくる。
「疑いようもなく、長太郎が俺に惚れてるってことが」
 うっわ、と向日の目が見開かれ、そこに複雑な表情を浮かばせた。
「びびって、気持ち悪くて、羨ましいな、おい!」
 表情通りの発言に、宍戸は噴出してしまう。
「自信だけもってても足下掬われるからな。俺も多少の努力は惜しまないことにしたんだ。長太郎に対してな」
 調子に乗ってそう続けたら、口元に自然な笑みが浮かんだ。
 はー、と何とも言えない嘆息を零した向日は、不意にムと口唇を歪めた。
「ユーシにも見習ってもらいたいもんだぜ」
 相変わらず付き合ってるんだか腐れ縁が続いているんだかわからないコンビは、進展もないままらしい。
 時々、この部屋に遊びにくる忍足は、「えぇなぁ」と連発して帰っていく。
 沸騰した湯をカップに注ぎながら、宍戸は向日の愚痴を聞いてやることにする。
 そう言えば中学高校の頃は、友情に厚いこの親友によく無意識の誘導尋問をされて背中を叩かれ、肝心な言葉の幾つかを長太郎に伝えることができていたような気がする。
 隣から苦情が来なければいいが、と興奮気味に忍足と過ごす変わりない日々を語る向日に相槌を打った。


「かえりました〜」
 すっかり日も暮れ、腹の虫が鳴き始めた頃、最終の講義を終えた長太郎が帰ってきた。
「う、酒臭い!」
「おかえり」
 玄関で呻く長太郎を出迎えると、アレ? と首を捻られる。
「お客さんですか?」
「向日」
 ダイニングには真っ赤な顔で潰れている知った顔。
「宍戸さんも飲んでた?」
 宍戸は多少アルコールの匂いはあるものの、酔った様子もない。
「付き合わなきゃ悪いだろ。愚痴りながら飲むと酒のまわりが早いのかもな」
「愚痴りながらって……、忍足先輩のことっスか」
 返事は必要ないらしい。
「俺、今日の最後のコマ、強制自主休講っスよ。忍足先輩に引っ張っていかれて、聞いてや〜って」
「さすがツーカーコンビだな。向日も今日はゲーム目的じゃなかったみたいだし」
「呼びましょうか?」
「だな」
 長太郎が電話している間に、宍戸は酔いつぶれた友人の背中にブランケットをかけてやる。
 おそらく明日は二日酔いで一日唸っていることだろう。
「すぐに迎えに来るそうですよ」
「まったく、世話が焼けるぜ」
「忍足先輩に、おまえらは幸せそうでえぇなーって言われちゃいました」
 嬉しそうに笑顔を見せる長太郎が可愛くて、
「俺も似たようなこと言われた」
 宍戸もつられて笑う。
 母が期待したように温和な性格や礼儀正しさは伝染しなかったけれど、幸せな笑顔はちょくちょく宍戸に伝染する。
「ね、宍戸さん。幸せの秘訣って何でしょうね」
「あー? そんなの人それぞれだろ。忍足と向日に必要なのは、譲歩だな」
「じゃあ、俺達は?」
「素直になること」
 トン、と宍戸の指先が宍戸自身の胸を突いた。
 そして、
「惚れられてるって、自信をもつことじゃねぇの?」
 長太郎の胸に触れる指先。
「もちますもちます。自信満々です、今」
 今は、な。
 すぐに自信なくして、勝手に落ち込みやがるんだからよ。

 変わったなと向日は言った。
 事実、そういう面もあるのだと思う。
 長太郎も、少しだが変わってきたのだと思う。
 向日も変わらないように見えて、変わってきているから自分相手に愚痴を零したのだろう。
 どうにかしたいと打開策を求めるようになった。
 跡部やジローも、樺地も日吉も滝も、それぞれを見ればやはりちょっとずつの変化を遂げていて、でもつるんでみればその関係は変わっていない。
 こうやって、自分達は過ごしていけるんだろう。

「宍戸さん、今、ものすっごいキスしたい」
 おずおずとしたお伺いは変わらない。
 口付けを待つのではなく、長太郎の項に手をかけ引き寄せる。

 その仕草を目撃しながらも寝たふりを続けた向日も、やはりちょっとずつは大人になっているらしい。


2004/09/28
こじつけBD小説としてアップです。宍戸さんとがっくん、おめでとーv
杉山は元がブラディの人なので、あんまり誕生日記念とか気にしたことが無いのでちょっと新鮮です(笑)拙宅の更新はともかく、素敵サイトさまの更新が楽しみでありますv

NOVEL TOP   BACK