Ambitious



 開陽の長い廊下の先を行く背の高い後姿に視線を奪われ、つい榎本の足は約束を交わしていた松平の部屋からは逆方向へとむけられた。
 江戸を闊歩する連中からしてみれば不穏を煮詰めたようなこの船で、後姿から絵になる彼ほど厄介で恐ろしい存在はいないだろう。

 新選組副長、土方歳三。

 どんな男だろうと興味津々で顔を合わせてみれば、隊の外からも内からも鬼と呼ばれた男は意外にも目元の涼しい華奢な男だった。
 すらりと背が高い分、頼りないほどの細身が際立った。
 洋装がよく似合う。
 日本刀を連想させる鋭利な空気を纏っている彼の背後に、ひょこひょこと何やら続いているのが気になった。

 甲板に出てしまった一行を追いかけて、雲一つない晴天の下に出る。
 船端に土方の長身があり、その傍らに小さな影が三つ寄り添っている。
「わぁっ、魚が跳ねた!」
「今の、このくらい大きかったよ!」
「もっとでかかったよ。銀なんて、一飲みだ」
「魚は人を食べないよ! ……、食べないですよね? 副長」
 子ども特有の甲高く澄んだ声が賑やかに絡まりあっている。
「鱶(フカ)なら食べるんじゃないか? お前らなら三人まとめて丸呑みかもしれねぇなぁ」
 榎本は我が耳を疑う。
 土方の声にしてはあまりに柔らかすぎる。
「それが嫌ならあまり身を乗り出すなよ」
 脅しに凍りつく子ども達の首根っこを捕まえながら笑う顔には、気安さと慈しみが滲み出ている。
 はて、と榎本は離れたところで記憶を探る。
「榎本さん」
「あぁ、タロさん」
「あぁ、じゃなくて。今後の話し合いをしましょうと仰ったのは貴方だったと記憶しているんですがねぇ。緩んでいるのは時計の螺子ですか? それとも貴方の頭?」
 いつもの微笑を刷いた表情だが、気配が怖い。
 約束をすっぽかしたことを素直に詫びておく。
「ところで、あの子達は土方くんの子どもかな?」
「は?」
 視線で促せば、松平は張り付けた笑みを自然と綻ばせた。
「土方さんのお子さんでもおかしくはないのでしょうが、彼らは新選組の隊士ですよ。土方さん付きの小姓として開陽に乗船しています」
「そうなのか。なんだか親子のように見えたから」
「新選組副長と言えば鬼のような男だと聞いていましたからね。なんだか、見ているこっちがくすぐったくなるような顔をされますね」

 飽きることなく海面を見てはしゃぐ少年たちの傍らに佇んでいた土方が、くるりと体の向きを変えて船端に背中を預けようとし、こちらに気付く。
 何か、と目で問いかけてくる顔から甘さは薄れ、春から冬へと季節が逆戻りするようだ。
「榎本さんが、彼らを土方さんのご子息だと勘違いされたようですよ」
 ただでさえ言葉を選びたい相手に、松平は相変わらずの笑顔で躊躇いなく暴露する。
 伏目がちの双眸が更に細められたような気がする。
 笑う時と怒る時は顔を上げて相手の目を見るが、不愉快な出来事は目を伏せてやり過ごす癖があるようだと既に幾度かの軍議でやりあったらしい大鳥からの報告を受けている。
「ご挨拶を」
 ぽつりと落とされた促しに、三人が揃って土方を守るように立ち、背筋を伸ばす。
 大きな艶々した三対の瞳は、僅かな緊張と妙な警戒心を持って見上げてくる。
「新選組見習い隊士、市村鉄之助と申します」
「玉置良蔵です」
「田村銀之助です」
 よく出来ました、と言いたいような幼さに頬が緩む。
 その緩んだ頬を咎めるような視線が三つ。
 子どもではありませんよ、と切に訴えかけているようだ。
「市村くんは、幾つになるのかね?」
 年長であろう少年が、
「十九です」
 溌剌と答えたと同時、土方の白い手が後ろ頭を小突いた。
「十五です。玉置が十四、田村は十三。生意気盛りですが、身の回りのお世話くらいはこなせます。何でも言いつけてやってください。三人揃って傍にいると強気になるのか、小言が喧しいものですから」
 田村の頬が一瞬ぷくりと膨らむが、榎本と目が合うとすまし顔に戻る。
 土方歳三が小姓に小言を言われている場面など、想像し難い。
「開陽の動力部を見せてやっていただけませんか? 何故こんなに大きな船が浮かぶのか、不思議で仕方ないらしいんです。私では上手く説明してやれませんので」
「あぁ、かまいませんよ。荒井くんにお願いしよう」
「しかし、荒井さんもお忙しいでしょう」
「なに、将来海軍の一翼を担うことになるかもしれない子達ですよ。それにこのくらいの年齢から見聞を広めることはとても大切です」
 言うなり榎本は近くの水夫を呼び寄せ、開陽艦長に話を通すよう申し付けてしまった。
 不安そうに土方を見上げた三人も、しっかり学んで来いとの促しには元気の良い返事をして、案内に従った。

「可愛いものですな」
 成長しきらない背中は屈強な武士を満載した戦艦にあって、あまりに心もとないけれど心の慰めにはなる。
「京を離れる際に国へ帰れと言い聞かせたのですが、最後まで戦うと泣かれました。生まれながらの武士とはこういうことかと、教えられた気がしますよ」
「そうですか」
「榎本さん」
 太陽が陰り、大気の温度が下がる。
 肌を刺すような風に弄られた髪を手でおさえながら、土方の目が榎本を捕らえた。
 この男の視線は強い。
 細い糸を何重にも体に巻きつけたような触感を覚える視線だ。
「蝦夷地が、彼らの青春の地になります」
 深みのある瞳からは、彼の希望も絶望も読み取りにくい。
 けれど微かな笑みを乗せた口唇は柔らかな弧を描いている。
 ゆっくりとした瞬きを一つ。
 合わせるように、榎本の胸に土方の事実を述べただけの言葉が落ちる。
 榎本の双眸が、たちまちに少年たちと似た煌きを宿す。
「そうだとも」
 短いが抑揚たっぷりの相槌。
 ご自慢のカイゼル髭を一撫ですると、くるりと踵を返し艦長室へと向かい始める。
「あまり煽らないでくださいよ」
 白い息を吐き出す松平の視線は恨めしげな風を装っているが、堪えきれない笑いも滲む。
 土方は目を細めた。
「松平さんが口説くより、ずっと可愛げがあるでしょう?」
 先刻の母親の如き慈悲深い眼差しとは打って変わったどこか妖艶な笑みを見て、これは子どもには見せられないなと顔を四つ脳裏に思い浮かべた。


2008/1/1
お母さん副長に魅せられる総裁と、色気モードに惹かれるタロさん。小姓ズは小さいけども副長の貞操を守る気満々です。

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