紅染め



  止めろと言ったのにきかない。
 雪の中を走り回る犬ころは二匹増え、五匹になった。
 少年達の鈴の音のような笑い声に、無邪気ではあるが低い温もりをもった笑い声が混じっている。
「あぁ、よかった」
 傍らにそんな言葉が降ってきた。
「なにがだ?」
 自分の傍にいて頭上から声を降らせる者など数知れている。
 島田の巨躯が傍によると風が遮られるのかそれとも彼の人柄が滲むのか、土方の周りの温度が仄かにあがる。
「相馬ですよ。生真面目な男だ。いらぬ心配をしました」
 市村、玉置、田村の投げる雪玉を、野村と一緒になって大げさによけて笑っている。
 真っ直ぐな心根を持つが故に、神とも慕ってきた男の末期をその目で見届けた青年が堕ちていくのではと島田は案じていた。
「修羅など、今更」
「修羅と言え、光がなければ戦はできません」
 相馬の脳裏に朧気に霞んだ光は、半歩前に立つ鬼神の姿をすぐに成しただろう。
 復讐と言う闇に憑かれていたならば、相馬はここにはいない。
 江戸に溢れていた官軍に突っ込んで死んでいた。
 土方は何も言わず、五人の雪合戦に視線を投じている。
 やがて野村が固く結んだ雪玉を、相馬の背中に向けて投げた。
 少年達の握ったそれとは違い、パシーンと碓氷が割れるような音が聞こえる。
 そうなれば構ってやっていたはずの少年達そっちのけで、本気の雪合戦が始まってしまう。
「相馬には、野村がいる」
「……」
「市村達には相馬と野村がいる」
「……」
「俺には近藤さんと、総司がいた」
 若い彼らの姿に何を刺激されたのか、島田には手に取るようにわかってしまった。
 過去形に結んだ語尾は毅然としていた。
「我々には、副長がおられます」
「そうだ。俺にはおめぇらがいる」
 半身ひいて、土方が見上げてきた。
 合戦の頭数を数えて満足する悪童のように口角を引き上げてみせる。
 五人のじゃれあいを見て、美しい過去を思い出して横顔を曇らせることはない。
 時は失ったが、記憶は失っていないのだ。
 愛し切なさに痛む場所には先に逝ってしまった彼らが確かにいる。
 そうだろうと土方は目で問い、島田も一度の瞬きで同意する。
 体のどこかに、過去を振り返る度に疼く場所がある。
 故郷の景色が、友の顔がそこにはある。

 また土方は視線を前へとやる。
 かまってもらっていた手を急に放された少年達はポカンと口を開けて、激しい雪遊びを見ている。
 やがて玉置がコツコツと咳をした。
「玉、銀、鉄、もうしまいだ。こっちに来い」
 未だじゃれあいを止めぬ年上の二人を置いて、少年達はまっしぐらに駆けて来た。
 土方の好む呼び方からしても、どうにも仔犬に見えて仕方ない。
 どの頬も寒さと雪遊びのせいで紅潮している。
 自分の襟巻きを玉置の首にぐるぐると巻きつけてやり、島田が差し出した手拭で順に滴を拭ってやる。
「いけません、先生が風邪をひいてしまいます」
 襟巻きを返そうとする玉置のいじらしい手を許さず、
「俺には風避けがある」
 と島田を見もせず突き出した親指を向けた。
「霜焼になるぞ」
 一人一人の手をとり、はぁっと息を吹きかけ摩ってやる。
 その仕草にますます少年達の頬は赤くなり、寒さとは別の理由で洟をすりあげる。
「飯を食え。しっかりな。それから風呂だ」
 かっかと火照る頬に土方の眉が寄る。
 まさか風邪を引いたのではと土方の手が再度伸びかけた時、野村の大笑いが聞こえてきた。
 相馬が苦い顔で顔を何度も拭っている。
 雪玉を顔面に食らったのだろう。
「相馬、野村! おめぇらもいい加減にしろ」
 呼びつけると二人は飛んできて並び、神妙な顔をする。
 その二人に対して土方は微笑しながら、先ほど少年達にしたのと同じ仕草を繰り返す。
「ふ、副長!」
 顔を拭われ相馬は激しく狼狽するが、後ずさるのも失礼かと踏みとどまり、行き場のない手を開いたり握ったりしながら佇んでいる。
 野村などは目を見開いて直立不動で硬直し、されるがままだ。
 彼らの記憶の土方という男は鬼としか言いようがないはずだ。
「よく戻ってきてくれた。これからこき使ってやるから覚悟しな」
 二人は一旦視線を交わし、やがて威勢のいい返事を寄越した。
 自分達の知らないうちに、鬼は慈母へと変化してしまった。
 それは彼らの胸に失望ではなく感激を呼んだのだろう。
 ぱっと紅でもはいたように耳まで染め目を潤ませて、離れていく土方の指先を見つめた。
「まずはあの坊や達を風呂に押し込んでやってくれ。特に鉄のヤツは烏の行水だ。湯船に押し付けてでもあっためろ」
「はい!」
 あの勢いでは市村を水死させかねないと心配になるほどいい返事だ。


「副長には、お子はいないはずだがね」
「あぁ、いねぇはずだ」
「それにしてはずいぶんと、お上手なことで」
「総司への二番煎じさ」
「拗ねてやしないかね、沖田くんは」
「馬鹿野郎、拗ねるのは俺の方だ」
 どいつもこいつも俺をおいていくと、存外に軽やかな声で軽口を叩き灰色の空を見上げた。
「地獄でせいぜい妬くことだ。そうだ、島田くん、背中を流してやろう」
「遠慮します。この世で撃ち殺されて、あの世で切り殺されるんじゃあんまりだ」
「つれないことだ」
 ふふ、と甘い笑みを浮かべて踵を返す。
 ちらり、と雪が舞った。
 黒い外套に身を包んだ土方の肩に触れたそれが、薄紅をはいたように見えた。


2008/1/1
秋山香乃さんの往きてまたの鷲の木浜上陸で。おかんな副長大好きだ!

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