生来、丈夫な体ではなかった。
一つ季節が終わる度、時期の花が枯れ落ちるに倣うように己の体から生気が抜け出ていくのを感じていた。
新選組に入隊してからは、いかに局長副長付の小姓と言え武術の鍛錬は必須のもので、以前に比べれば丈夫になった方だと自負していたのだが。
頭の奥に熱源を感じて、玉置は額に手をやった。
自分の手の平が酷く冷たく感じた。
隣の部屋では副長の土方が黙々と執務についている。
時折、乾いた紙が捲られる音と筆を硯に休ませる音が聞こえてくる。
いったい、いつ眠っているのだろう。
決まった時間に寝所に床の用意をし、茶を入れる。
それが日々の最後の仕事で、その後は眠りなさいと言い渡される。
上司がまだ眠らないのだからと渋れば、それではいつまで経っても眠れないと諭された。
副長への取次ぎは玉置たち小姓を通すのが通例だが、一部の観察方は直に副長室へ足を運ぶことを許されている。
隊士のほとんどが寝静まった時間より遅くに副長室に赴かなくてはならないのは、大概が監察方なのだ。
体を、壊されなければ良いのだけど。
自分のための床を敷き終え、未だ蝋燭の光が漏れてくる隣室を見る。
鬼の副長が怖くないわけではない。
お茶を淹れたり着替えを手伝ったり床を整えたり、土方の傍に近付くたびに玉置は指先まで意識が渡りゆく。
失敗してはいけないと、神経をすり減らす思いで近付くのだ。
叱られたことこそないが、土方に近付くと空気が薄れ呼吸が苦しくなる気がする。
局長の近藤は少年たちの緊張を解そうとしてくれるのか、お茶を持っていっても名前を呼んでくれ、ありがとうと礼まで述べてくれるのだ。
池田屋に斬り込んだあの近藤局長が自分のような若輩にすら心配りをしてくれるのかと思うと、胸が震える。
新選組の一員として、早く局長を支えることのできる存在になりたいと願う。
そうかと言って、無言のままの土方が苦手と言う訳でもない。
新選組のために寝る間も惜しみ、隙のない計画を描いていく。
そんな土方の働きが自分の粗相で鈍ることなどないように、土方へ接する玉置は緊張する。
長刀と背丈が変わらないのではと余るほど得た兄貴分たちにからかわれる自分にできる、新選組のためになるたった一つのこと。
それが局長副長の身の回りの世話ならば完璧にこなしたい。
自分の居場所は、ここしかないのだから。
寝込んでなんかいられない。
今夜は同じ小姓の市村は休息所へ泊まる局長についていき、田村は同郷の親戚が近くまで来ているからと許可を得て二人の兄と出かけていった。
帰営は夜が明けてからだ。
実は寒がりらしい副長のために、早目に起きて部屋を暖めておくのは自分の仕事。
熱などに負けていられない。
隣室の灯りが消えて数刻。
奇妙な音に聴覚を撫でられて、土方は繋ぎとめていた集中力を手放した。
猫の威嚇の声に似た音は隣室から聞こえてくる。
今夜は玉置が控えているはずだが、悪い夢でも見ているのかと襖の向こうの気配を探る。
魘されているのかと、土方は腰を上げた。
途端にパキパキと間接が鳴り、思わず顔を顰める。
固まった筋肉を解すように背伸びを一つして、そっと隣室への襖を開けた。
土方の執務室の灯りが流れ込んだ室内で、玉置は体を丸めて眠っていた。
時折、苦しげな唸りを上げる。
少年の瑞々しい口唇からはっはと短く乱れた呼吸が発せられている。
年少の玉置が儚く見えるのは当然のことなのかもしれないが、市中の同年代の少年と比べても体格が細く小さい。
必死に取り組む武術も筋が悪いとも言えないが、如何せん体が追いつかない。
脆弱な肉体を意識してはいるだろうが、卑屈になることもなく懸命に竹刀を振るう姿を土方も目にしている。
不得手を補うように、身の回りの世話をさせるとそつがない。
気付かぬうちに茶が運ばれていることが多々ある。
無論、入室前には声をかけるだろうし土方も最低限の返事はするのだが、執務中の集中を途切れさせることなく事を済ませて退室している。
これが市村なら入室の諾を求める声に滲む緊張感に苦笑してしまうところだし、最年少の田村は見守っていないと危なっかしいところがある。
局長副長の身の回りの世話を細心の心配りで行うことは、玉置にとって戦場で刀を振るうに等しい行為なのかもしれない。
そんな気負いも執務の邪魔になるのならと腹の底に潜めさせて部屋を出入りする様はいじらしくもあるし、何より有り難い。
だからこそあまり無理をさせたくないのだが、大人しそうな顔をして意地を通すところが幼い頃の総司に似ていると少年からは当に脱皮してしまった弟分の昔を思った。
覗き込んだ幼顔には汗が滲んでいる。
額に触れると随分な熱がある。
ふむ、と顎を一撫ですると再び土方は立ち上がる。
また微かに聞こえた関節が鳴る小気味いい音は聞かぬふりをした。
夜明け前、玉置は重たい目蓋を持ち上げた。
まだ眠りたいと体中が訴えている。
「……んっ」
起き上がろうと頭を擡げたところで鈍い痛みに襲われた。
熱のせいかと気付いた途端、今度は眼球の奥がツキリと痛む。
思うままにならない体への恨めしさに、涙が滲んだのだ。
「いま少し」
不意に聞こえてきた声は、優しい温度を持った指先の接触を伴った。
「休みなさい。今日は非番だよ」
目尻に溜まった涙を拭って離れた指。
優しく告げた声も、聞き覚えがあった。
昨夜、夢うつつに呼んだ時、応えてくれた声だ。
この温もりが好きだ。
この声の色が好きだ。
ずっと在って欲しい、失いたくない、守りたい。
恋しいと言う想いは、肉体の自由を奪う熱とは違った熱さを持って玉置の内を巡った。
次に目覚めたのは、ひんやりとした手に触れられたからだ。
「あぁ、起こしてしもたか。すまんな」
「……山崎、せんせい」
片手で数えられるほどしか顔を合わせたことのない監察方の男は、馴染みやすい風貌に笑みを浮かべて玉置の首筋に当てていた手を引っ込めた。
「具合、どないや?」
問われて意識すると、指先すら重かったのが嘘のようだった。
頭にかかっていた濃い霧もすっかり晴れている。
「へいき、です」
「早めに飲ませた薬が効いたかな。白湯あるけど、飲むか?」
頷くと、丁寧な手つきで体を支えて湯のみを差し出してくる。
喉を鳴らして飲み干すと、それが体中を潤うしていくようだった。
普段接することのない幹部の優しさがくすぐったく、嬉しい。
「もうすぐ粥がくるはずや」
と山崎が廊下へ視線をやると同時、かちゃかちゃと陶器の触れ合う音と小競り合いのような甲高いやり取りが近付いてきて、失礼しますと一声かけた後に市村と田村が顔を出した。
「あ、起きてた」
「鉄ちゃん、零れるよっ」
市村が手にした盆には小さな土鍋が載っている。
田村の盆には握り飯が二人分。
平気か、どこか痛くないか、食欲はあるかと矢継ぎ早の質問にはにかみながら答えると、
「こら、あんまりはしゃいだらあかん。市村と田村は飯食ったら尾形さんに読み書き教えてもらうんやで。玉置はこの薬を飲んで、一日寝ているように」
市中で始終耳にしているこの土地の抑揚で諭された。
退室しようとする山崎につっかえつっかえの礼を言い、
「土方副長は……」
隣室を気にしつつ問うと、
「心配いらんよって。たまには体を動かさなあかん言うて、道場で暴れとるわ」
可笑しそうに笑って出て行った。
仲間ばかりになってしまうと、市村と田村も一緒に食べようと握り飯を頬張り始めた。
「さっき道場のぞいてきたんだけど、副長すごいんだ。三人同時に相手したんだけど、ちっとも打たれずに倒しちゃった」
「そうそう。気合の声聞くと、体がびりびりってなるの!」
「不思議なのはさ、副長は一対一の時よりも何人かに囲まれた時の方がたくさん一本とれるんだ」
「副長は小さい頃から喧嘩ばっかりしてたから、道場剣術よりも野外戦の方が力を出せるんだって近藤局長が仰ってたよ」
見てみたいと訴えると、早くよくなりなよと励ましてくれる彼らになら、昨夜の出来事を伝えようかと玉置は微笑んだ。
頭が煮えるような熱にうなされた玉置が求めたのは、今は亡き母親だった。
あまり多くの思い出はないけれど、こうして玉置が熱を出した時はずっと傍で看病してくれた記憶がある。
家族は戦に飲み込まれ、一人で食べていかなければならない現実を見据えて新選組に入隊した。
母恋しい気持ちなど、抱くだけ無駄なのだとわかっていたはずだった。
拠り所は消えてしまったのだから、自分の力で生きていかなければならないと何度も己に言い聞かせてきたはずだった。
熱が魂と体を繋ぐ糸を焼き切ってしまわぬように、大丈夫だよと一言甘い声を聞かせてくれればこの苦しさから解放されるはずだと、叶いもしない願いは実際に声になった。
母上と呼び求める自分の声を、他人の声のように玉置はしっかりと耳にしていた。
応えのないはずの呼びかけに、声は応えてくれた。
良蔵。
良蔵、早くよくなれ。
頑張れ。
応えてくれたのは新選組の鬼副長だ。
甘い蜜のような声は、玉置の心をとろりと包んだ。
土方の情が注がれるような気がした。
あの声が、独りとなった自分を拾ってくれたのだ。
あの人が、自分の母であり父だ。
あの人が血肉を削ってつくりあげる新選組が、自分の家族だ。
晴れ晴れとしたような、どっしりと地に根を張るような気持ち。
時代がいかに揺れようとも、自分は新選組であり続ける。
命尽きる最後の一瞬まで。
どの地の土に返ろうとも、自分の骸からは緋色の花を咲かせたい。
誠の旗色を、どんな不毛の地であろうと咲かせてみせる。
2008/1/18
不動堂か伏見奉行所時代、と思ってたんだけど、玉ちゃんは鳥羽・伏見以降の募集か……?北走以前にも副長の母性は存在していたのよという妄想。こうして少年たちの心を奪っていってればいいな。