私情の王



 自分の心情を気取らせないことが指揮官の条件の一つであると、ある男は態度で示す。
 それができない男もいる。
 自分の上司がそれだ。
 真面目に書類を眺めていたかと思うと、文机に両肘をついて特大の溜め息をついた。
 あまりに派手な溜め息なので、居合わせた者は事情を問わざるを得ない。
 あの軍神には、これが無意識なところがやりきれないのだろう。
 本多自身も溜め息をつきたいところだが、そこを堪えて和やかに問いかける。
 その一連の我慢と世話にも慣れてきた。
「大鳥先生、どうされました?」
 大鳥は我に返ったように本多の方へと首を巡らせ、いやぁとのんびり見える仕草で頭を掻いた。
「脱退志願者がいるんだがね」
「脱退志願とは、律儀な奴がいるんですね」
 奥州が落ちれば、自分達の居場所は最果ての地しか残されていない。
 そういう状況で、兵は日々増えたり減ったりを繰り返す。
 出て行く時は皆勝手に、と言うか忍んで出て行くものだが。
「脱退志願で、新選組への入隊志願者なんだよ」
 ひょいと持ち上げられた書類には、名前が連なっている。
「……何人ですか」
「五十人くらいかなぁ」
 本多はせっかく堪えた溜め息をゆるゆると吐き出した。
「一人でも味方が欲しい時だ。逃げるんじゃなくて鞍替えでおさまってくれるのなら、良しとしようと思うんだが」
「……。……。……。……はぁ」
 時々、どうしてこの人はこんな所にいるんだろうと思ってしまう。
 播州の下町で医者をしていればよかったんだ。
 この男なら子どもにも好かれるだろう。
 ちょっと頼りないけど、腕はいい。
 そんな評判を持った町医者になって、ささやかな下町の風景の中にいればよかったのに。
 そう思わせてしまう自分の上司が、京を震え上がらせ鬼と呼ばれた男に敵うわけもない。
 もう少し、遅れて生まれてくれば良かったんだ。
 世の中がもう少し平らな時分であれば、彼の知識や探究心は十分に発揮されただろう。
 こんな、同じ国同士の人間が殺し合い追い詰めて潰しつくさなければならないような世ではなく。
 逆に土方は、最良の時に生を受けた。
 もう少し早ければ百姓の末弟が刀を佩く時代は遠く、もう少し遅ければ刀も槍も役目を終えて全てが火器に取って代わられていた。
 徳川三百年の終わりにこそ生まれるべき男だ。
「土方くんには敵わない」
「兵の中には徳川のためではなく、土方歳三のために死にたいと思う者もいます」
 だろうねぇ。
 憧憬を抱くような眼差しで、連なる名前の字面を撫でる。
「戦場で倒れた己の屍を乗り越えて、土方さんは戦い続けてくれると確信できると言っていた兵がいます。彼の下で戦う限り、無駄死にはないと。悲しみながら、戦ってくれるとも」
 それに勝ちますからねぇ、土方さんは。
 そう付け加えたのにはやや皮肉も混じっていたのだが、大鳥は、
「だよねぇ」
 と力なく笑った。
 そういう顔を見せるから土方に「あんたの顔は士気を下げる」と冷たく言い放たれ、事実兵も去る。
 自分が倒れた後遺された指揮官は悲しみにくれ、足を止めてしまうのではないかと思わせる。
「土方さんの器をうらやむのもいいですがね、大鳥先生」
「ん?」
「土方さんのような大将をもてれば幸せだろうと思いながらも、伝習隊でいる男もいるんですから、それをお忘れなきよう」
 細々と日々の衣食住のことに気を配りながら進軍する大鳥に、あぁ自分達は生きているんだなぁとしみじみ思い知らされながら。
 敵も味方も死ぬ気で対峙するその時にも、出来うる限りの殺生は避けたいと願う姿勢に萎えながら。
 今日は負けたが、明日はわからんよ。
 そんな根拠のない勢いに飲まれながら。
 この手のかかる将の下から去れない男達も、多くいるのだ。
 大鳥圭介を支えるために、明日も生きていようと戦場に出る兵もいる。
 土方歳三が時勢を切り裂く、その刃の煌きの一つになって死にたいと銃弾の雨の中に躍り出る兵もいる。
「本多くん……」
「さぁ、軍議の時間ですよ。我々をどこへ連れて行ってくださるんですか? おっと、その前に噂の土方さんとの舌戦ですね」
「……本多くん……」
 戦うために戦うのではなく、この人が作る未来を見るために戦う男達がいる。
 自分がもしも、大鳥に声を届けることができる場所で死ぬことになったら言おうと秘めた遺言が本多の胸の中にはある。
 生きなさい。
 悔いることなく、進みなさい。
 あなたの指揮下で散ることは、ささやかな我が人生を幸福で彩ることでしょう。
 この国の肥やしとなる亡骸に、種を。
 貴方の手で、私の亡骸に花を咲かせてください。


仙台滞在あたり。大鳥さんに夢見すぎ(笑)北走新選組と往きてまたの坊ちゃんイメージが根強い大鳥さんです。
本多さんは獄中のトリさんに差し入れしたという一点で、苦労性なナンバー2となりました。

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