会津へ!

2008年10月下旬。
この年、京都、萩、京都に続き、とうとう東北会津にまで出かけてしまいました。目覚めすぎです。
東北は初めて。しかも一人旅。ドキドキしながらも、会津戦争の痕を確かめるため、局長のお墓参りのため行ってきました。
雨女の私にしては珍しく、会津滞在中は素晴らしい秋晴れ!紅葉にはちょっと早かったけど、日差しはあたたかく、風は冷たい気候でした。

1日目 晴れの国→(新幹線)→東京→(高速バス)→会津若松→東山温泉
2日目 東山温泉→松平家墓所→会津武家屋敷→天寧寺(近藤勇墓)→飯盛山→七日町通り→鶴ヶ城
3日目 東山温泉→旧滝沢本陣→若松駅→七日町通り→鶴ヶ城→山鹿素行生誕地→日新館天文台跡→西軍墓地→若松駅→帰途


First Day

●朝5時半に家を出て出発。新幹線で東京まで行き、そこから高速バス。約8時間の移動。バスでお隣になったおばちゃんは会津出身東京在住の方で、色々と地元情報を教えてもらいました。
東北自動車道で白河を抜け、郡山、磐梯山と猪苗代湖をちらっと見てから会津若松駅に到着です。
東山温泉!その日は宿のある東山温泉へ直行。夕食は近くの食堂でソースカツ丼。すごいボリュームでした。
利用した宿は上質お宿の別館で、ワンルームのような部屋。150mほど離れた本館のお風呂とかが無料で利用できるのです。そのお風呂が!すんげぇ贅沢でした。
東山温泉と言えば、宇都宮の戦いの際に、足に銃弾を受けて会津に搬送された土方副長が療養のために訪れ浸かったと言われる温泉です。その謂れの残るお湯はもうちょっと上流に残っているのですが、私が利用したお風呂にも使用したんじゃないかと言う説が残っているとのこと!
意気揚々と乗り込んだお風呂はガラス張りで目の前に川と滝、そして向かいはライトアップされた竹林。なんか贅沢!リッチ!テンション急上昇。露天風呂も気持ちよかった!滝の轟音を聞きながら、近藤さんを失って自分は負傷を抱え、土方さんは何を思ったんだろう。
湯上りはいつまでもポカポカと。翌日の早朝始動を目指して早めの就寝。

Second Day

●出発前にトイレに、と思ったのが運のつき。その日は薄いチュニックワンピで体型カバーに努めてまして、終わってジーパンのチャックを上げようとしたら、上がらない!!!何で!!??と思ったら、その薄いワンピの裾が巻き込まれてました( ̄□ ̄!!)トイレの中で思わず「助けて!」と呟いてしまった。結局は薄手のワンピの裾を破くことに。薄くて良かったの、か?ちょっとだからわかんないよねーと開き直って出発。

松平家墓所●朝7時半に宿を出て徒歩で一番近くにある松平家墓所へ。道すがらに歩き出して、看板を見つけたのでそれに従って山へ向かうと……とんでもねぇ山道が。え、みんなこれを歩いて上がるの?と思いながら、早朝の人気が全く無い苔むした山道を息切らしながら上がります。コ☆バースのスニーカーが滑るような道で、ハイキングじゃない、トレッキング。ちょっと怖い。
堂々としたお墓が山に抱かれて建つ中、九代目容保公のお墓に辿り着きます。まだ新しい。
ここは本当に山の中で、野生のリスがちょろちょろしてました。観光のために存在しない、松平家の人のために在るお墓でした。容保公の墓前には菊の花が咲いていました。思えば京都黒谷の会津藩士の墓地には鶴ヶ城と容保公の写真が供えてあったなと、合掌。
またすんげぇ山道を降りると、丁度伐採作業に来ていた林業のおじちゃんに驚かれました。「この道を上がったの?!」と。聞けば東山温泉の方から緩やかな道があったらしいです。おじちゃんもびびっただろうね。朝早くに山から女一人下ってくれば。

●そこから徒歩で、会津武家屋敷に。ここは鶴ヶ城前にあった家老の西郷頼母の屋敷を再現した施設です。丁度菊祭りを開催していて、お屋敷中に菊が咲いてました。やっぱりご家老のお屋敷ともなると広い!
西郷一族21人自刃は悲話として語り継がれ、頼母自身は明治の世を74歳まで生きた。その人生の見方は色々あると思いますが、時代が入れ替わる瞬間であり現場であったんだと思います。
武家屋敷一角には佐々木只三郎のお墓もあります。龍馬を斬った男として眠る佐々木さんにも合掌。
見応え十分。ちなみにこちらはお土産物が充実。買うならここかも。

●またまた徒歩にて天寧寺に移動。こちらには近藤勇のお墓があります。
天寧寺の本堂までは緩やかな坂道を上り、局長のお墓はそこからまた山道に入ります。山の中をグネグネと曲がっていくと、局長のお墓がありました。会津で局長斬首の報を聞いた土方さんが建てたお墓で、傍らには土方さんの慰霊碑があります。東山で療養しつつ、ここに墓石が建つまでを見守る姿を想像すると切ない。会津藩御預かりとして京都で働いた近藤さんは会津の景色を見ることなく他界してしまったわけで、ここに局長のお墓をと思った土方さんの気持ちが少しわかる気がします。松平家墓所よりは市街の空気が伝わってくる場所でした。色々と思いが溢れすぎて無心になるような墓前。

●バスで飯盛山へ。
飯盛山まで来ると観光客がどっと増えました。修学旅行から年金の会?まで。修学旅行に白虎隊はちょっと早いんじゃないのかな〜?といらん心配をしてみたり。
噂に聞いてはいたが、確かに階段は激しい!動く坂道スロープコンベアで移動。
翌日に滝沢本陣を見ましたが、あそこで殿から出撃命令を受けて戸之口原へ向かい、激しい戦闘に傷付き戸之口堰洞穴を通って飯盛山へ抜け、鶴ヶ城が見える場所まで移動してそこで市街の炎を見たのかと、残された一連の動きを見るとリアリティありすぎる(観光順路は逆から見るようになりますが)
飯盛山から見る鶴ヶ城飯盛山から見る鶴ヶ城は遠く、盆地だからか霞がかったように見えるので、確かにこれは城が燃えているように見えるかもしれない。
唯一人蘇生した飯沼貞吉のお墓が十九人のお墓とは少し離れたところにあります。これは遺言で飯盛山に建てられたそうですが、この少し離れた距離があまりにも悲しい。
後に史料館や鶴ヶ城で自刃隊士の肖像やプロフィール的なものが添えられているのを見ましたが、それぞれにエピソードが残っていて、それと言うのは飯沼ら生き残りの隊士がいるから一人一人に人格や短いながらの人生が残されたのだと思うのです。みんな15〜17歳と、青春時代ですよ。今の若者とは違うかもしれないけど、感情の振動が激しい年頃です。自分が生まれ育ち誇りとしてきた藩や主が逆賊とされることに感じた憤りや、立派に戦ってみせたいという勢い、会津が負けたと認識した時の絶望を思えば、自刃してしまうのかもしれない。美談ではなく悲話でないとならない史実。
近くにはさざえ堂と言う、白虎隊には関係ない江戸後期の螺旋構造の建物があります。チケット売りのおばちゃんがエンドレステープの如く説明するのがおかしかった。確かに不思議な構造の建物でした。
白虎隊史料館、伝承館を食い入るように見学。ここは歴史好きにはたまんない。会津娘子隊は全国的にはあまり聞きませんが、会津ではやはりたくさんの史料が遺されてます。神保雪子さんとか、夫の修理さんは鳥羽伏見の際に殿が慶喜公と江戸に帰っちゃった責任をとって切腹しているわけですが、それでも戦おうとしたその気持ちは封建社会だからこそなのかな。
白虎隊関連史跡は観光客が多い賑やかな場所になっていました。

●バスで七日町通りに。レトロな町並みの通りです。
宇都宮で負傷した土方さんが運び込まれたのが清水屋旅館跡。今は碑があるのみ。
ぶらぶら歩いて七日町駅前の阿弥陀寺へ到着。ここは斉藤一のお墓があります。謎の多い斉藤さんは会津に眠ることを遺言としたそうです。そして会津戦争の戦死者を埋葬したお寺でもあります。小高くなっている塚であることが、被害の大きさを生々しく伝えています。
ちょっと歩き疲れたので七日町駅カフェで休憩。ここで食べたブラウニーがスパイスの味して美味しかった。

●バスで鶴ヶ城へ!!鶴ヶ城手前で降りて、西郷頼母邸跡やかつての山川家があった辺りをぐるっと回ってから城へ。城の目の前にラブホがあるのはどうなの。
ついに鶴ヶ城へ到着!!
鶴ヶ城から見た飯盛山ここもお客さんたくさん。ちょうど戊辰戦争140年の記念展「会津松平家と戊辰戦争」をしていました。これも食い入るように見ながら天守の最上層に。会津若松、盆地であることがよくわかります。飯盛山が見えるよー。ここが会津戦争時には敵軍に囲まれ、砲弾に晒されたのかと思うとなぁ。殿はどんな気持ちで城下を眺めただろう。
鶴ヶ城は昭和40年に再建された鉄筋コンクリートの史料館ですが、訪れた人に聞くと「鶴ヶ城はえぇよ〜」と言います。岡山城も鉄筋コンクリートなので、再建の城にそんな貫禄ないだろうと思っていましたが、綺麗でした。一ヶ月の篭城に耐えた城の再建、と言う背景を思って仰ぎ見るからかもしれませんが。
だんだんと日が暮れてくる鶴ヶ城。ここに副長も登城したわけだ!と思うと興奮します。

●最終一本前の周遊バスで宿に帰還。宿で自転車借りて、ライトアップされた城を見がてら夕食をと思っていたのに、宿で貸し出し可能な自転車はライト無し!真っ暗な道をだいぶ下ってから危険だと思ったので引き返して諦めました。本館のえぇお宿の食事処を当てにしてたのにいつまで経っても開かないので、もういいやーって、初日に買い込んだお菓子を夕食にしました。ひもじかったよう。
でもお風呂はやっぱり最高だ!この日は誰もいない時間帯に入浴できたので、の〜んびりゆったり浸かりました。お風呂から出たら向かいの竹林にある舞台で東山芸子さんの舞が披露されていたのでをちらっと見てから就寝。旅に出るとコマンド“歩く”が発動されて、ついつい無茶な歩きをしてしまうのです。

Last Day

いい男!●うぅ、帰りたくないと思いつつの最終日。始発のバスが出るまでの間、副長の浸かったとされるお湯の向かいにある足湯で時間つぶしを。宿の壁に副長の絵が描いてあるのです。いい男だよなぁ〜としみっじみ思いながら一時間くらい足湯。空気はひんやりでしたが、気持ちよかった。

●バスに乗って飯盛山へ。そこから少し歩くと旧滝沢本陣です。会津戦争の際、会津若松市の北東から攻め込んできた新政府軍との戦闘に向け本営となった場所。郷頭の家で、殿が入る場所は一段高く作られています。白虎隊に出撃を命じた場所でもあり、新選組が殿を護衛した場所。戦闘で会津劣勢となり殿が本営から鶴ヶ城に入った後、新政府軍が攻め込んできて鉄砲を打ち込んだり柱を切りつけたりした痕が残っています。当時は滝沢垰のあたりから砲弾の音が聞こえてきたであろうと思います。殿が座るであろう場所にちょっと腰をおろしながら、耳を澄ませてみました。少年兵にまで出撃を命じなければならなかった殿の心境や如何に。
会津は盆地だからか、音が木霊するような気がしました。山にいてもお城にいても。会津の人たちの耳には日々近付いてくる砲弾の音が聞こえていたはずです。
せっかくなのでともう一度、白虎隊記念館を覗いておきました。ここの全収蔵品の写真&解説集が欲しいよ。

●バスで若松駅へ。お土産物を必要分購入して、一旦荷物をコインロッカーに。
出発時間まで周遊バスの時間を気にするよりは自由に散策できるようにと、駅でレンタサイクルを借りました。七日町通りを走っていたところ、ずっこけました。
ほんのちょっとの段差を上がろうとしたら、ずるって。観光地で車も人も多い交差点で、一人旅の女が転倒って居た堪れないネ。手と足を擦り剥きました。前を走っていた地元のおじちゃんが「大丈夫?」って声をかけてくれた。ありがとう〜!恥ずかしさに身悶えながら安全運転で再出発。

●七日町通り走ってからお城に行こうと進路変更。会津もね、そんな複雑な地形じゃないですよ。ずばーっと通りが何本かある、わかりやすい道ですよ。でもね、迷うの得意なんス。迷った迷った。百メートル進んでは地図を開き開き、最後には天守閣を目で確認して向かったわ。地図の意味なし。
もう一度お城に入って別れを惜しみ、昼食〜vやっぱ蕎麦でしょ!食べたかったんだけど、タイミングを逃がして食べられなかったの。ガイドブックで見て一番美味しそうだと思ってたお蕎麦屋さんで鴨蕎麦を食べれました。美味しかった……!!蕎麦好きなんですが、会津蕎麦美味かったよ〜。ちょっと細くて、でも舌触りがざらっとした感じの蕎麦。ちょっと感動した。

●満足して再び自転車の気ままな散策。小回りが聞くので山鹿素行生誕地へ。長州の吉田松陰が務めたのが山鹿流兵学師範。その祖・山鹿素行が生まれたのが会津です。ここも碑が残るのみです。
続いて日新館天文台跡。藩校でも天文学を教えていた所は少なかったとか。石段が残るのみですが、白虎隊の若者達もここで空を眺めたのかなと思いながら。
そろそろ駅に引き返そうと走りながら、途中にある西軍墓地へ寄りました。会津に侵攻してきた西軍にも当然なから戦死者はいるわけで、長州や岡山の戦死者が眠っています。

●自転車を返却して高速バスに乗って東京へ。サヨウナラ、会津〜。
高速の渋滞にやきもきしたり東京の人並みに恐怖しつつも、無事に晴れの国へ帰ることが出来ました。京都あたりから雨がザーザー降りで、まるで雨女の帰郷に合わせたようでした。

鶴ヶ城また行きたい●敗戦の歴史残る会津はこじんまりとした、美しい盆地でした。山やお城から見渡した時、遠くが霞むのも綺麗でした。
古いけど大事に使われているであろう民家が多く、道にゴミはみあたらない。小さな横断歩道の信号もみんなちゃんと守って立ち止まる。旅人の思い込み印象かもしれないけど、「ならぬことはならぬのです」が生きているのかなと思いました。
近藤さんのお墓に参れたこと、土方さん療養の地に行けたことは新選組ファンとして嬉しかったです。
会津の歴史も知れば知るほど悲しいけど、歴史好きとしてはもっと知りたい。史料館の史料はほんと興奮した。
まだまだ行き足りない場所があるので、今度はレンタカー借りて古戦場に行きたいです。あと如来堂とかも行けてないんだ。仙台にも行きたいね!
課題を残しつつの東北一人旅、のんびり楽しかったけど、やっぱり連れが要る(笑)


更新日 2008/10/25

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