京都行っちゃいました。

2008年1月。
行ってきちまいました、京都。
小学校の修学旅行以来のじっくり入洛にそなえ、しおりを作成してみたりしたのですが、交通手段に関しては都会ならば現地に行けばどうにかなる主義の田舎育ち故、予習をほとんどすることなく。いっぱいバス走ってるっぽいから大丈夫と主要バス停の位置すら知らない私を完璧にサポートしてくれた、同行のSちゃんに深く感謝。
私が史跡めぐりをするにあたって、たくさんのサイトさんの旅レポを参考にさせていただきました。
私のレポが役に立つとは思えないのですが、自分の記録としても書き残してみたいと思います。大した情報は載せていないのですが、ひょっこりどこかで誰かのお役にたつことがあれば幸いです。

出発前に 「史跡・墓参マナーサイト」でお勉強。
史跡巡りをする前に是非一読。お供え物についてなど、大変参考になりました。大好きな歴史・人物の足跡をこれからもずっと遺して行くためにも、マナーを守って旅しましょう。
1日目 壬生寺、八木邸、光縁寺などなど壬生界隈、平安神宮前通過で金戒光明寺
2日目 八坂神社、円山公園、月真院前、高大寺、清水寺、新京極、寺町通り
二条城、京都御所(蛤御門)
3日目 不動堂屯所跡、油小路の変、天満屋事変跡、西本願寺
御香宮、伏見奉行所跡、伏見稲荷、幕末維新ミュージアム、京都霊山護国神社


First Day (平日)

壬生屯所●岡山から高速バスに乗って京都へ直行。京都駅付近のお宿に荷物を預け、新選組最初の土地・壬生へ!
壬生寺で局長の銅像や芹沢さんや河合さんのお墓にお参り。
続いてとうとう八木邸。震えるね!
平日の午後だったんですが、私たちの他にも4〜5人のお客さんが一緒でした。
芹沢さんが寝ていた部屋、討手が潜み踏み込んできた庭や縁側、刀傷……と、ガイドのおじ様が丁寧に説明してくださいました。想像してたよりも狭いかなーと思ったんだけど、公開されてるのはお屋敷の一部と言うことだったし、お庭ももっと広かったとのこと。
綺麗な庭を芹沢さんはきっとごろんと寝転がってお酒飲みながら眺めてたんだろうなー。屯所餅も美味しくいただきました。!のポスター、源さんが可愛いの。
近くの新徳寺や前川邸も舐めるように眺めてしまいました。近い!

●ちょっと歩いて光縁寺。入りにくい雰囲気にドギマギしながらのぞいていたら、本堂の前に座っていた住職さん(?)が会釈してくださったので、思い切って中へ。「びくびくしながら入ってきたなー」と気さくを通り越して伝法な口調のおじ様が説明してくれました。私たちの前にもその日は四人くらいの新選組ファンが訪れていたようです。うーん、大変なんだなー。そして光縁寺に眠る隊士の前で手を合わせました。
戦争の動乱の中で墓石に名を刻むことすらできずに眠ることになった隊士もいるそうです。故郷の土が恋しくはなかったか。彼らの命が動かした時代の先に私たちは生きているのだと思うのでした。

黒谷の夕日●壬生から東へ飛んで、京都守護職本陣がおかれていた金戒光明寺へ。
バスを平安神宮の前で降りて、テクテク歩き。すると石段の向こうにででーんっとでっかい門が見えます。
更に門をくぐってのぼっていくと、どかーんともっとでっかくて威圧感のある本堂が佇みます。
建物の一つからは読経の声が響いてきて、観光色も門に掲げられた守護職本陣の看板以外に見当たらず。高台にあるために見渡せる京都の市街地に夕日が沈むという……、絵になるというか、神聖な気持ちになるようなお寺でした。
会津藩殉難者のお墓を目指し、薄暗い山道をせっせと上りました。緑に囲まれて苔むした、静かな場所に墓地はありました。合祀の碑の周りには会津のお城や容保候の写真が添えられていて、じんときちゃったよ。ここに眠る人たちも会津に帰りたかっただろうか。主君が守ると決めた京都のために亡くなって、京都の土になった人たちが偲ばれます。
墓地の前でガイドブックを広げていたら、犬の散歩をしていたおじ様が「次はどこ行くの?」って心配そうに声をかけてくださいました。どこに行く、とも決めきれずに思案していたので「大丈夫です、ありがとうございますー」って返しになったのですが、旅先での親切と言うのは染み入るものですね。


Second Day(平日)

高台寺の階段●二日目は祇園デス!
八坂神社はまだちょびっと正月っぽい雰囲気が残ってて、朱色が目立つせいか華やかに見えました。
この辺で谷さん殺されたのかーと物騒なことを思いつつお参りして、円山公園で「鴨がおる鴨がおる!」とはしゃぎ、石畳を歩いて月真院をちら見。そして高台寺へ。まだ朝早かったので、庭師さんの丁寧な作業を見ることができました。お客もほとんどおらず、堪能。
高台寺はねねが亡き夫・豊臣秀吉を弔うために造ったお寺。権力者のためのお寺だからなのか、お庭が本当に綺麗で、建物もそのお庭にぴったりで、「これが日本のわびさびだよな!」とかわかったような感心をしてました。外国からのお客さんには清水寺よりもコチラを見ていただいた方がわかりやすいのではないかしら。そんで伊東さん、こういうの好きそう……と思いました。コチラは朝早く、そして人の少ない平日がお勧めかも。

●ここまで来たら清水寺行っとく?ってな勢いで清水寺へも行きました。
斬り合いや桂さん潜伏を妄想しながら三条大橋や四条大橋に喜びつつ、河原町界隈で蕎麦。にしん蕎麦、美味しかったです。江戸っ子の試衛館ズは美味しくいただいていたのでしょうか?
史跡としては古高さん家跡を発見。夜の飲み屋街の中の方にあったので探しにくかったけど、説明版も出てました。池田屋跡がパチンコ屋になっているのは有名ですが、肝心(?)のパチンコ屋が改装中で一度はスルーするも、無事に発見。祇園会所跡のロー○ンからこの辺りまで、案外遠いような印象でした。

●一旦お茶して同行のSちゃんと別れ、私は二条城へ。
二条城は修学旅行の時に来たはずなんですが、小六に大政奉還や幕末がわかるわけがなく、廊下がうぐいすの声で鳴くらしい!と言うトピックだけで巡った記憶があります。が、今の私は一味違うぜ。
二条城、面白いぃー!!!!!
控えの間に局長いたんだろうなーとか、大広間の横に将軍護衛の侍が控える部屋があるって音声ガイドに「伊庭ハチー!!!」と悶えたりしてました。このきゅいきゅい鳴る廊下を歩いたのか!!と思うとたまんない……!!思いがけない興奮のビッグウェーブでした。それもこれも、国宝・二条城といえども平日の夕方+雨は人を寄せ付けないのか、私以外の観光客はほとんどが外国人でしかも少数。前のグループが角を曲がると、私が大広間前へ辿り着き、私が見終えると次のグループが角を曲がってくるといった感じで、灯りもなく薄闇に包まれつつある二条城をほぼ一人で堪能することができたからだと思います。ちょっと怖かったけどね!

雨の蛤御門●二条城を味わった後、雨が本格的になってきたんですが、ここまで来たのならと御所の蛤御門を見に行きました。御所近くの地下鉄駅から雨の中ズカズカ歩いて、御所の西側中程にある門の弾痕を見て満足して引き返してきました。


Last Day(土曜)

●京都ラストは朝のリーガロイヤルホテル前から。
不動堂屯所があったと言われている辺りです。相当広々した屯所だったようですが、コレが残っていればどんなにネタが増えたか。
それから一つ狭い道に入って、油小路の変跡等の碑を探しました。油小路の変はこう……リアルな感じです。あの辺にあったらしい局長の妾宅で飲み、ここで襲われ、ここで息絶え、ここで晒されたのかと言う足跡が残っているわけですから。しかし伊東さん、油小路から月真院まで酔った足で帰ろうと思ったのがすげぇよ!!遠くね?ちょっと距離あるんじゃね?

●いらん心配をしながら西本願寺へ行ったらば、毎日か毎週のことなのか、それとも何かしらの行事があったのか、大勢の方が西本願寺へ集ってました。本堂で読経?するような感じだったんですが、門のところで一礼して敷地に入られる人たちの姿を見ると、信仰の場として生き続けているお寺なんだなーと実感。つまりは朝早くから新選組の痕跡を求める我らは浮きまくり。この現代にしてあの信仰心が集う西本願寺、時代をさかのぼるほど信仰は厚いものだったのではと推測しちゃうんですが、そこで腹キリはマズイね!!!猪鍋はエヌジーだね!!!!!そりゃホムペにも一言も触れないよね!!!そんなことを深く深く実感。

西本願寺●西本願寺周辺を早く回り終えたので、伏見へ飛んでみました。
まずは御香宮。薩長軍が布陣した小高い神社です。まずはおまいり。
位置を確認して、今は団地になっている伏見奉行所跡へ。こちらは碑を発見できず。
でもこの二つの場所の距離感や高さの違いを体感できたのは嬉しかった!小説読んでても大河見てもイマイチ想像が難しかったんですが、これでなんとなく把握できました。
御香宮はちょっと小高いところにあり、その下の緩い傾斜に団地が立っています。当時の大砲の飛距離がどの程度だったのか勉強不足なんですが、高低差があるから届くかもしんないな。鉄砲は相当前進しないと難しいように思いますが。逆に新選組だったら、あの距離だったら斬り込んじゃうかもしんないな!「えぇい、まどろっこしい!斬りこめ!」と言うのは簡単に想像できます。
私はとーっても満足した鳥羽・伏見戦争跡だったのですが、同行のSちゃんには大変申し訳ないことをしました。京都まで来て団地うろうろって、ほんますんません……。

伏見稲荷の千本鳥居●伏見まで来たんだからと、伏見稲荷へ寄ってみました。稲荷と言えば狐、狐と言えば九尾、九尾の狐と言えば土方さん、そして朱は赤で土方さんの好きな色!!!という妄想連想がありましたヨ。そんな邪な連想のせいか、雨が降りました……。千本鳥居は美しかったけれど、雨でした。いや、それもまたオツなもんサね。

●河原町辺りで昼食とって、午後からは再びの単独行動。行きたい場所はほとんど行ってしまったので、どうしようかなーと思ってたら、ふと坂本さんのお墓を思い出しまして、再びの祇園から山登りとなりました
この頃、既に我が足は限界を突破してます。昨日の蛤御門がたたったのか、筋肉痛と言うよりは骨が軋む音がします。でも京都ラストなので、気力を振り絞り足を動かしました。……遊ぶのにこんなに頑張ったの久しぶり……と思ったよ。バスを調べるのが面倒なので、歩いちゃえと思ったのも悪いのだけど。
再びの八坂神社を抜けて石畳を歩き続けていると、甘くなさそうな坂道がどどーんと現れます。坂道の入り口に「見ろ!」とばかりに幕末維新ミュージアム、龍馬の墓ありの看板。オノレ……!と思いつつ、上がっちまいました。しこたまの坂道。息を切らせつつミュージアムに辿り着くと玄関前に自動販売機がありやがんの。悔しいと思いつつ、一服。そして館内で泣きそうになった……。直筆の書とか、身につけていた物とか、西郷さんを介錯した刀とか。幕末の流れのパネルとか、佐幕派・討幕派どちらの展示もあるところとか、幕末切ねぇ……!!ってしみじみ思うよね。かつて友達だったり、学友だったり同郷だったりする人たちが戦わなければならなかった時代があったんだな、しかもどちらの流れに身を置いたとしてもそれは故郷を思い日本の未来を思ったという点では同じなんだなと思うと、じんわりきてしまいました。
志士の墓前そして護国神社へ。山の一角が明治維新で散った志士達のお墓になっています。山にはいるのに300円を投入していざ。1043名を祀るお墓があります。会津と同じくここも苔むしてて緑に抱かれた場所で、藩ごとに別れて幾つもの墓石が並びます。高いところに桂さんと幾松さん。そして坂本さんと中岡さんの墓前からは今回の旅行で訪れたどの場所よりも京都の景色がよく見えました。坂本さんは、本当に本当に志半ばだったんだろうなー。自分がやり遂げたこと(薩長同盟)の行く末を見たかっただろうなー。現代の日本を見て、どう思うのかなーとか、そんなことを思ってました。
しかし、この坂本中岡両名の墓前に辿り着く迄に、私、軽く迷いまして。夕暮れ時の墓地でお客も誰もいないまま、おびただしい志士の墓前を右往左往してました。貴重な体験でした。
山を下り、エネルギー切れを感じたため三年坂まで行き、可愛いカフェで白玉と生麩入りぜんざいを食す。この生麩が美味でしたー!甘いぜんざいでほっこり癒されました。

●そして最後に京都駅のスカイウェイから京都の夜景を眺め、やりつくしました。
この旅のたった一つの後悔と言えば、頑張りすぎたことだ!と思うほど一息にめぐりすぎ、そして足に負荷をかけすぎました。
でもすんげー堪能した。楽しかった。感動というか、実感した。
何より実際の距離感がわかったのが嬉しいです。これでまた小説読んでもこれまでとは違った感覚を得られるんだろうなーと思います。幕末ってすげぇ!京都って深ぇ!

●このあと、旅は大阪インテ、神戸徘徊へと続きました。


更新日 2008/1/16

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