灯台下暗し。備中松山城はすごかった!

友人と久々に休みが合致したある週末。
ドライブの約束をし、行き先を「松山城行ってみようやー」と気軽に決定。
同じ県内に住みながら、実は二人とも備中松山城には行ったことがなかったのでした。
天気が良いことを喜びながら、いざ紅葉の地元岡山県の高梁市へ。


高梁市の市街地は谷間にあり、底には高梁川が流れています。その市街地から臥牛山に向かうと備中松山城。ただし山を見上げてもその姿はちらりとも見えず。
この日は三連休初日だったためか、シャトルバスが運行されていました。平日は恐らく走っていないと思われます。途中の城見橋公園の無料駐車場に車を止め、15分置き運行のシャトルバスに乗り込みます。ふいご垰と言うくねくねした山道をバスが行きます。
垰の駐車場までバスが送ってくれます。平日はこの垰駐車場まで自家用車で上がれるはず。
バスを下車したら歩き!
前を行くのは見知らぬカポーこれがまたすんげぇ山道です。
田舎育ちで山道畦道獣道慣れてる私でも、観光でこの道か、と思う道です(笑) よく言えば自然のまま。硬い山肌を削って山道をつけたのがよくわかるような、かなりの坂道です。足腰が弱い方やお年を召された方は遠慮した方が良いかも。何せ行き先は日本一高い山城なので、甘くみないこと。でも草木の合間から見える眼下の高梁市街地や紅葉が目を楽しませてくれます。
上から見下ろす高梁の街は美しかったです。高梁川がどーんと流れて、山を背負った街。
それにしても、この城に通勤するお侍さんは大変だったろーなー。江戸時代には山麓に御根小屋と言う御殿を作って、殿様はそこで寝起きし政治を行ったそうです。そりゃそうだ、お殿様だってこの山登るの大変だ。

突如として現れますぜぇはぁ言いつつ山道を進むと、突如岸壁と白壁が現れます。
大手門跡。
これが備中松山城の見所。
片側が断崖絶壁になっていて、自然と人工物の融合作品のよう。
岸壁の合間に生えた木の成長によって割れ目が広がっていて崩壊の可能性があるため、岩盤の歪みを監視するセンサーがついています。しかし圧巻の風景。
二の丸から階段を上がりかけると、目の前に天守閣が……!!
この出現には興奮しました。マチュピチュ遺跡を見つけた人の気持ちです。
こんな山の上にこんなお城が!!と驚愕します。
さすが日本三大山城の一つ。しかも現存天守!
山の麓からはチラリとも窺うことのできない城の姿は、山を登りきった人にだけ見ることができる、白と黒のコントラストの美しい城でした。
城は明治以降城主を失い放置され荒廃していたところ、昭和・平成と修復を重ねて現在の姿を取り戻したそうです。修復の歴史が本丸内に展示されています。

現存天守入場料300円を払って入城〜。
天守は2層。一層目は改修に関してのパネル展示と、装束の間があります。装束の間はお殿様用の部屋だったらしく、一段高い6畳もない狭い部屋です。とてもお殿様の部屋とは思えない。この部屋は落城の際に城主が自刃するための部屋とも言われているそうです。実際、ここで自刃した人はいない、のかな?
囲炉裏もありますが、これは珍しいそうです。山頂で寒いからかな?攻め上がって来る敵に対して石を投げる石落としなどなど、色んな仕掛けも見れます。
せまーい階段を上ると2層目。御社壇があり、江戸時代の改修の時に奉納された宝剣がおさめられていたのでしょう。今は美術館にあるそうです。格子越しに高梁の街と紅葉が見えました。山城から見た景色は平城から見る景色とは全く違って、自然の美しさを堪能できます。見事。
けれど城の内部は驚くほど質素。昔は畳敷きだったのでしょうが、それにしても狭い。そのギャップもなんだか魅力。

日本で一番高い山城からの眺め幕末の城主は江戸幕府老中・板倉勝静。恐らくは殿がこの城に上がったことは少ないと思いますが、山田方谷が領民のために無血開城した山城。遡って1240年に秋葉重信が城を建築し、そこから戦国時代を経て江戸時代後期まで、戦火を被りめまぐるしく主を替えながら改修や要塞化を重ねてきました。城の周辺には秋明菊と言う菊が咲いています。本当に城の周りにだけ。これは自生したもので、赤色しか咲かないのだそう。信長の時代の備中兵乱と言う戦で落城した城主の怨念が咲かせるという言い伝えがあるそうです。
この山奥にそんな歴史を重ねた建造物があるなんて思わなかった。灯台下暗しとはまさにこのこと。ここは県外の方にも自信を持ってオススメできる場所でした。紅葉の季節、体力気力が充実している時にスニーカーでのお出かけを推奨します(笑)
高梁は映画「バッテリー」のロケ地にもなった街で、市街地には武家屋敷も残っています。今度はじっくり武家屋敷散策したいな。



更新日 2008/11/2

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