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楽園



 愚かなほどに優しいお前は、きっとそれでも俺を忘れないでいてくれる。

 何か文字の刻まれた特別なジッポの蓋を持ち上げる時の顔。
 深紅のフェラーリのボディを指先で辿るその姿。
 海を見つめる捕えようのない眼差し。
 そう言うものが、時々たまらなく邪魔に思えて仕方がない。
 自分がなくした左手のように、坂井の思い出もなくなってしまえばいい。
 全部自分のものにして、閉じ込めて、心まで手に入れたいと思ってしまう。
 ゆっくりとゆったりと、しかし鋭く店内を巡る坂井の視線がちらりと下村に向く。
 それに頷くでもなく視線だけで返事をすると、下村は音もなく踵を返し入り口に姿を消した。
 坂井と下村が交わす視線だけでのやり取りを川中がよく盗み見ては、何を話しているのか探ってくる。
 別に店での事務的なものですよと言えば、納得したのかしてないのか複雑な表情で二人の視線を追いかけた。
 別にこの合図がこうと言うのではない。
 店の中で過ぎていく時間の流れの中でのタイミングや客の状態。
 そんなもので理解しあう。
 そう説明すれば、川中はそれだけじゃないだろうと言い切った。
 もっと深いところで理解しあっている。
 そうだろう?
 子どものような目をして下村にそう言ったのだ。
 さて、どうだろうなと下村は冷笑を浮かべた。
 理解しあっている?
 本当に?
 俺は坂井の痛みの全てを。
 下村が知ることのない死者達への坂井の思いを。
 坂井は下村のこの気持ちを。
 醜いまでのこの気持ちを。
 そろそろ限界だなと、ネオンで薄っすらと赤く染まった夜空を見上げた。
 坂井ほど、自分は強くない。
 散々なくした後に、また何か大切なものを失うなんて考えられない。
 だから、手に入れるのだ。
 決してなくしたくはない、何よりも愛しいものを。



 それから数日間、ブラディ・ドールのバーテンダーとフロアマネージャーは姿を消した。



 ひんやりとしていて、サラサラとした感触のシーツに頬を摺り寄せて、坂井は思い瞼を上げた。
 清潔なシーツの匂いと乾いた感触が懐かしいような気さえする。
 鉛のような体を仰向かせて視線を巡らせるが、その先に捕えられる人物はいなかった。
 誰もいない部屋で一人。
 全裸のままの体を起こすと、腰のあたりから呻くような痛みが体中に走りぬけた。
 一瞬詰めた息を吐き出した。
 ジャラリと不快な音が左手で鳴る。
 ベッドの下で渦を巻く重い枷と鎖を引き摺って、台所まで歩いた。
 ジャラジャラゴロゴロと派出な音をたてる鎖はご丁寧にも随分長く、しかし玄関までは届かない。
 刃物の見当たらない部屋の電話線は切られていた。
 部屋の中は自由に動けるけれど、外にはでることができない。
 軟禁ってやつかと坂井は煙草を銜えた。
 ジッポはなく、マッチがダイニングテーブルの上に転がっていた。
 ジッポを隠してみたり、フェラーリのキーを奪ってみたり。
 乱暴にしてみたり、馬鹿なことをしてみたり。
 今までもそんなことは何度かあった。
 いつだってどこか淋しそうな面をして、縋るように乱暴をして。
 あまりの愚かさにいつも承諾の溜息を漏らしていた。
 今回はそうはいかない。
 過去数回の暴挙はいつも一瞬のこと。
 長くて一日程度のことだった。
 今回は……何日目だっけ?
 三日目か四日目。
 しかも、こんな小道具まで使いやがって。
 店は休んでいるのだろう。
 買出しに行っている以外の時はずっと坂井を抱いている。
 おかげで体はガタガタだ。
 頭がゆるいと言うか、飛んでいると言うか。
 わかっている。
 下村が何をしたいのか。
 そんなことはわかっている。
 何がいいのかあの馬鹿は、自分にえらく惚れているのだろうから自分の全部を手に入れてしまいたいのだろう。
 藤木や叶のことさえも放り出して、下村の知らないところのない自分にしてしまいたいのだろう。
 独占欲の塊みたいな男だから。
 まりこを追いかけて来た時は、もっと淡白な奴なのかと思っていたのに思い違いだったらしい。
 がちゃりとドアの開く音。
 狂気地味た色素の薄い双眸が、坂井の姿を認めて細められた。
 それは本当に無邪気に。
 胸が痛むほど幸福そうに。
「ただいま」
「……おかえり」
 この男に会って、自分が求められることが嫌いじゃないと知った。
「……腹、減った」
「すぐに作るから」
 この男に惹かれて、安息を知った。
 平穏の永続を願ったりもした。
 幸せが、時に胸を引き裂くような切なさをもたらすのだと知った。
 例え、それが歪んだ感情で形成されていようとも、自分達にはそんな不完全な幸せな日々こそがお似合いだと思った。


 坂井がどんなに素直に下村の手中におさまっていようと、下村は坂井の鎖を解こうとはしない。
 全ての罪を自分が背負うため。
 坂井のプライドを守るため。
 今までと何も変わらない日常を過ごすように食事をして、シャワーを浴びてベッドに転がる。
 堕落したような平穏なようなそんな時間を過ごす。
 枷で繋ぎとめられてから変わらない一日。
 下村が、坂井のこの平然とも見える態度をどう思っているのかは知らない。
 今もただ、転がって煙草を吹かしている。
 何か言ってほしいわけじゃないけど。
「なぁ……」
「んー?」
 何でもないようなふりをして、本当は心を痛めているくせに。
「店……、行けよ」
 手を伸ばして煙草を奪い取って、何気なく言ってみれば煙草を銜えた唇にゆるいカーブを描き出した。
 火を点けたばかりの煙草を深く吸ってから、ベッドサイドの灰皿に押し付ける。
 ぎしりとベッドが軋む音。
 ひんやりとした青銅の手で顎を持ち上げられて、降りてくる唇を受け入れる。
 性的な仄めかしを感じさせないほど軽いそれは、坂井が自ら誘ってもそれ以上は深くはならない。
「坂井」
「あぁ?」
「なんか言いたいことあるだろう?」
「ねーよ」
「じゃあ……」
 じゃらりと重い音をたてて鎖を掬い上げた下村が、顔を離して琥珀色の双眸で覗き込んでくる。
「このまま、お前が死ぬまでこうしててもいいんだな?」
 頬を撫でるブロンズは冷たくすべらか。
 酷薄で狂気地味たことを投げつけるその目は、それでも逃げろと訴えるのだ。
 俺を否定して、嫌悪を持って逃げていけと。
「よくはねぇけど、悪くもないよな」
 じっと下村の目を正視して坂井が言う。
 まるで今晩の夕食のメニューについて意見するかのような軽い声で。
 その一瞬、下村の双眸に過ぎる苛立ちだとか悲しみだとか幸福だとか。
「お前は俺に甘すぎる」
 下村の声は震えていた。
 キスをした。
 震えは消えた。


 カタリと硬いモノ同士が触れる音がして、坂井は視線をサイドボードの方へ視線を流した。
 浅く深くキスを繰り返されていつもよりも長い戯れに息が切れていた。
「……何? ソレ?」
 身じろげば鎖の音。
 セックスの間も邪魔で仕方ないが、下村は気にしていないらしい。
「なんでしょう」
「変なもん使うなよ」
「気持ちいいことは好きだろう?」
「そりゃ、お前の技術でどうにかしてほしい問題だな」
 くっくと喉の奥で笑った下村の手には小さなドリンク剤のようなビン。
 黙って封を切るのを見ていると、下村が怖いかと尋ねてくる。
 その声はいつもの情事の最中の与太と同じニュアンス。
 何故、自分がこんな暴挙を許しているのか坂井自身、理解ができない。
 出会ってけっこう早い時間に体を繋げあうだけの関係にはなって、そのまま付き合いは続いて何時の間にかこいつが目の前からいなくなるのは嫌だなと思うような存在になった。
 それを「下村が好き」だとか言う言葉にまとめてしまえないのが自分の男としての、今にも崩れてしまいそうな矜持の一つ。
 それでも下村はなかなか言葉では伝えない坂井の想いを、しっかりと言うかちゃっかり理解していて、なんだかんだで相思相愛。
 あんまりにも五分五分で、預けあっているこの関係に不安がないわけではないけれど、それでも街が眠っている間に二人で何でもない日常を過ごすのに不満はなかった。
 なのにこの情事はなんなんだろう。
「口、開けて」
 如何わしげな液体をつきつけられて素直に口を開く気にはなれずに、躊躇すると下村の苦笑するような嘆息が聞えた。
「変な監禁生活」
「お前が言うな」
 小さな小ビンを下村が傾けて自分の口に含んだ。
 そうされれば拒めない坂井はわざとらしい溜息をつき、それを受け入れる。
 流れ込んできた液体は苦くて甘くて舌をやたらと刺激して喉を滑り胃まで落ちた。
「不味っ……」
 思い切り顔を顰めた坂井の眉間にキスを降らして下村がまた喉の奥で笑う。
「じゃあ、口直し」
 もう一度キス。
 あまりに不毛なやり取りに、吐き気がしてくる。
 いや、この気分の悪さはあのわけのわからない液体のせいか。
 ペロリと唇の薄い皮を舐めて、薄っすら坂井が開いた口唇を覆うように深い口付け。
 絡まる吐息が、ぞくりと背筋を震わせる。
 口直しと言った言葉とおりに下村のキスは、薬の嫌な味を消すほど甘く坂井の口内を蹂躙する。
 だんだんと四肢の力が抜けていき、頭に白く靄がかかる。
 鼓動が異常に早く激しくなっている。
「……っ」
 吐き出した息は熱く、喘ぐような声が混ざっているような気がする。
「……や、だ」
 強烈なほどの熱が体中を駆け回って、じわじわとそれが快感にかわっていく感覚は想像以上で思わず理性を完全に手放しそうになる。
 このまま自分が壊れてしまいそうな勢いが体の中にある。
「……こ、んなのはっ、嫌だっ。下村」
 自分が自分でなくなってしまう恐怖。
 坂井が今まで余裕とも言える態度でいられたのは、下村が自分の中から消し去ってしまいたいと思っている記憶が決してそうはできないことがわかっていたからだ。
 どこか仕方ねぇなぁと、無駄なあがきに付き合うような思いでいれた。
 なのに、今坂井を支配する熱量は強烈すぎて、絶対に見失うことがないと思っていた自分をなくしてしまいそうな錯覚に陥る。
「大丈夫だから、坂井」
 下村はそう言って笑う。
「お前は忘れられないよ。あの人達のことは絶対にな。だから、せめて、今だけでいいからさ。一瞬でいいから、全部を俺にくれよ」
 縋るように言った下村の手が額から髪の毛を梳いていく。
 そんな些細な接触にも感じてしまう。
「一瞬だけでいいんだ。全部、俺だけに」
 額に口付けた下村の声は真摯。
 薬のせいにすればいい。
 自分のせいにすればいい。
 その言葉だけが、坂井の胸に深く染みた。


 縋るというよりはしがみついていてきた。
 ボロボロと涙の溢れる瞳を開いて、何度も下村の姿を探す。
 そして、何度も名前を呼んだ。
 応えても満足しないかのように何度も飽きることなく。
 口付けを繰り返すたびに絡まる唾液の音が大きく響く。
 汗をびっしょりかき脱力した体でも、刺激を与えれば反応した。
 互いの吐き出した精で濡れた坂井の膝からゆっくりと足の付根へ手を滑らすと、その先を予感してか下村の下で坂井がぶるりと震える。
 冷たいはずの鎖まで、いまや二人の体温に温もりただ重みを伝えるだけのものとなった。
 最初は呆気なく達してしまう自分の痴態を恥じて嫌だと繰り返していた坂井も、すぐに我を忘れて溺れた。
 何度も下村を受け入れて、中まで濡れた箇所に下村が指を挿しいれた。
「っ……は、あ」
 もっと濃い快楽に散々身を浸した坂井には、指先だけの刺激は物足りない。
 いやいやと訴えるように首を振った。
 中で内壁を抉るように動く指を坂井の体が貪欲に締め付ける。
 強請るようにシーツを蹴る足をブロンズで押さえつけ、戦慄く唇も塞いだ。
 ただでさえ、薬のせいで感じやすくなっている体から熱を逃さないようにとする下村の行為は坂井には拷問でしかない。
 異常なほどの独占欲をはっきりとここに見せて下村は坂井を貪った。
「……っら……、しも、むら」
 子どものように手を伸ばして、力いっぱいしがみついて坂井が助けてと叫んでいる。
「も……う、やだっ。どうにか……しろ」
 ふっと下村が微笑む気配に、じわりともっと深いところから沸き起こってくる快感に坂井が細い悲鳴を上げた。
 首筋を貪るように舌で愛撫しながら、体を丸めさせて自分の吐き出したもので濡れる坂井の中へと猛ったものを沈めた。
 もう何時間にも及ぶ情事のせいで坂井の下肢も下村も、シーツもどろどろだった。
 奥まで入ってきた下村を締め付けて、坂井は自ら腰を揺らめかす。
 足を絡めて自分で快楽を引き出す坂井を下村が不意をついて引き抜くと、不満そうに下村の背中に回った手に力が入る。
 淫猥な音をたてて繰り返される挿入がだんだんと早くなり、下村も坂井の嬌態を見つめていた目を伏せて首筋に押し付けた。
「んっ、あ、ああっ」
 ジャラジャラと鎖が鳴っている。
 自分達の体は擦れ合って淫猥な音をたてる。
 耳元で下村がすすり泣くような熱い吐息を漏らしている。
 こんなにも求められている。
 そう思った瞬間、体が震え下村を締め付けた。
 体の中におさまって最奥をすりあげるものの形まではっきりとわかるほど。
 背中を抱きかかるようにしていた下村がより強く引き寄せてきた。
 坂井のきつい締め付けに下村が促されるようにして、坂井の中に欲望を吐き出した。
 体の中に感じる熱い迸りを受けて、坂井も喉を反らせて達した。
 何度目かの欲望の放出に疲れ果てた体がぐったりとシーツに沈む。
 それでも体の奥にはまだ鎮まりきらない熱が燻っている。
 下村もまだ坂井を眠らせるつもりはないらしく、再び熱を呼び戻そうと愛撫を加える。
 下村は飢えた肉食獣の様相で朝まで坂井を貪った。


 手酷い裏切りだと坂井は思っただろうか。
 川中達が知ったらどう思うだろうか。
 許さないと憎悪を向けるのだろうか。
 別に……どうだっていいや。
 今は坂井が目の前にいて、腕の中にいる。
 懇々と眠る坂井の顔は青ざめていて、部屋に差し込んできた生まれたての光を浴びて作り物めいた美しさを見せた。
 色を無くした頬に漆黒の髪が綺麗に映えた。
 吸っていた煙草を消して、屈みこむと下村はそっと坂井の頬に口付けしベッドを下りた。
 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して口をつけ、キッチンカウンターの上に視線を落とした。
 そこにあるのは小さな鍵。
 坂井をこの部屋に連れ込んだ時から変わらない位置にある鍵を手にして、再びベッドに戻る。
 坂井はまだ眠っていた。
 投げ出されている腕を取り、この数日坂井を繋ぎとめておいた枷を外した。
 赤くなった手首が晒される。
 音をたてないように長い鎖をベッドの下の置いた。
 ベッドヘッドからキッチンカウンターまで、この鎖は届く距離にある。
 実際下村がいない間に坂井はカウンターの向こうの台所にも足を向けている。
 気付いたはずだ。
 この鍵の存在に。
 いつだって、坂井はこの部屋から出て行くことができた。
 下村の手から逃れることはできたのだ。
 なのに、この天使は下村の手の中から飛び立とうとはしなかった。
 なんて愚かな天使だろう。
 下村の凶暴な思いを、子どもをあやすような態度で受け入れた。
 どうして自分は。
 どうして自分は坂井のこの明確な想いに満足できないんだろう。
 こんなにも坂井は自分を求めてくれるのに。
 どうしたらこの飢えは癒える?
 もしも、もしも自分が先に逝っても坂井はきっと自分を忘れない。
 心を手に入れることができる。
 何が足りない?
「坂井」
 不意に、たまらなくなって、手を、伸ばした。
 安らかに眠る坂井の首筋に。
 汚れを落とした肌はさらりとしていて心地いい感触を伝えてくれる。
 頚動脈を探って触れた。
 トクントクンと穏やかで正確な鼓動が皮膚を介して伝わる。
 もし、ここで坂井を殺してしまったら自分はどうなるだろう。
 思った時には指先にじわりと力が入っていた。
 自覚して、もっと強い力を込めた。
「坂井」
 目を覚まして。
「坂井」
 ふっと長い睫毛が震えた。
 離そうと思っていた手にはまた力が入る。
 静かに開いた双眸が寝起きの割にははっきりと下村を映し、それから僅かに喉を反らせて瞑目した。
「坂井」
「んー?」
「お前……おかしいよ」
「お前もな」
 随分掠れてしまった声は振り切ったように笑いを含んでいる。
 見たこともないくらいに優しい目が悪戯に光って、重いはずの手を上げて下村の後頭部を引き寄せ額を付き合わせた。
「……ごめん」
「謝るくらいなら最初っからすんな、ばーか」
 ぎりっと眉間に皺を寄せたかと思うと、後頭部から離れた手がバチンと派出な音をたてて下村の頬を打った。
 鎖の音がないことを気付きながらもそれには触れず、じんじんする頬をさする下村の髪をかき崩す。
 何度もこうして繋ぎとめては、天使に似合う世界を知っているから手放している。
 学習能力ないよな、俺。
 坂井の方がずっと狡猾なのかもしれない。
 罠に自らはまって、その罠を解く方法を知っている。
 罠が解かれることも知っている。
 本当に愛らしい天使様。
「俺、お前にだけはほんっと敵わないな。社長より手に負えねぇ」
 しみじみと下村が言えば、確信犯的笑みを浮かべた。
「そんなこと言うの、お前くらいだな」
「そこまで惚れてるんだ」
「物好き」
「お前だってそうだろう」
「お前よりはましって気がする。別にお前なんか監禁してやろうとは思わないし」
 なんで怒らないかなと、沸いた疑問は坂井の表情にすぐに答えを見つけて消えた。
 この想いは俺だけじゃないから。
 どこか異常なこの数日の最後の日に、下村と坂井は一日中ベッドの上で例えばの話をして過ごした。
 どこか温かい国へ行って二人で暮らそうかとか。
 そこで小さな酒場でも開いて、きっと坂井の腕と下村の管理でならやっていけるだろうし。
 船は無理だろうけど、海の近くがいい。
 休日には釣りをしたりする。
 雨が降ったら二人で昼間っからセックスをして眠る。
 英語喋れる?
 下村が聞いて坂井は喋れねーよと答え、じゃあ教えてやると下村が言った。
 坂井が犬を飼いたいなと言った。
 下村は猫がいいと言った。
 決して叶うことはないのだろうけど、ブラディ・ドールと言う坂井と下村の離れがたい酒場のことや、川中良一と言う離れることのできない男のことや、血生臭い街、死んでいった男達のことを一時だけ忘れて語り合った。
 その瞬間はとてもとても幸福で、でもとても悲しく過ぎた。
 夕方になって、二人の遊びは終わった。
 坂井は黙ってバスルームに消えた。
 しゃんと伸ばしたその背中が、体の心配は不要だと告げ、生温い幸せの終わりだと告げた。
 一緒にいたいだけという、本当にささやかな願いさえも叶えられないこの街で見た一時の夢は終わった。




 揃って頭を下げて無断欠勤を詫びた二人を、川中は暫しじっと見つめてから小さな溜息をついてから、お前達がいない間に客足が引いたと小言をくれた。
 お咎めはなく、ただドライマティニィといつも通りにオーダーする川中の目に湛えられたやりきれなさが二人の胸をチクリと刺した。
 その後にやってきた宇野や馴染みの常連達も特に何も言うことなく、坂井の作った酒を飲みながら一心地ついたとばかりに小さな溜息を漏らしては席をたった。
 いつもの通りの店じまい。
 二人で赤提灯で飲んで、坂井のアパートに上がりこんでただ眠る。
 閉ざされた日々の余韻などどこにも感じられないままに。


 そして、時間が過ぎた。
 街が動き出して、血が流れた。
 坂井を繋ぎとめようと必死になっていた下村は、呆気なく逝った。
 叶えられることのない夢と、残酷な現実を残して逝った。
 あの男が死んで、夢を見ることが怖いと思うようになった。
 時間を巻き戻せたらなんて言う馬鹿げたことを考えたりもした。
 過去の幸せが、時に胸を引き裂くような痛みをもたらすのだと知った。
 もしも、この痛みが下村が自分に与えたいものだというのなら、それはそれで、とても幸せで甘美なことなのかもしれない。
 あの時下村が坂井の腕に嵌めた枷は、今もこうして坂井を戒める。
 手の届く所に置かれていた鍵を思い出す。
 あの鍵を手に取って逃げ出そうとは、不思議と一度も思わなかった。
 下村のあの行為を坂井は望んでいたのかもしれない。
 なのに自分をおいて逝った。
 本当にどうしようもない大馬鹿野郎。
 せいぜいあの世とやらで後悔すればいい。
 おいて逝ったことや、連れ去ってしまわなかったこと。
 もっともっと、欲しがって我儘を言って繋ぎ止めてしまわなかったことを。

 俺はもっと欲しかった。
 お前と過ごす時間が。
 お前の気持ちが。
 お前の全部が。

 本当はもっとずっと、繋いでいて欲しかった。
 鍵を外して欲しくなかった。
 甘えてるか?
 でも、いいよな。
 お前はいつももっと甘えろとか言ってたし。
 どうせ、過去の話しだし。
 心の中にしか、いないんだし。


2001/06/16
ごめんなさい――――――!!!!
坂井と下村のイメージ壊れまくりかもしれないです。しかもエロエロというよりは、じくじくしてるし。悶えさせますとか言いながら、なんだか……ああああ、藤原さん私を捨てないで――!!
うちの坂井は下村が鬼畜になればなるほど余裕がでてくるらしいです(笑)下村に惚れてる坂井でした。
緊縛って言うかなんていうか……(自己嫌悪)そして、お薬……あああああぁぁぁぁぁ……

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