台風接近中のニュースを聞きながら、その日のトレーニングは終了した。
短い芝生が風になびきはじめ、終了間際からは雨が降り出していた。
きたな、と分厚いファイルを手にした内田コーチが呟き、早く帰れと急かす。
何せ、今年に入って三つ目の史上最大勢力。
異常気象のワールドレコード大安売りだなと、皮肉気に内田が笑っていた。
「今日は危ないから、帰ったら家から出ないように。スバルも、今日は夜遊び禁止だ。ベビーラッシュにつながり そうにない寮の外出外泊は全部取りやめにしといたからな」
「ベビーラッシュにつながりそうな外出外泊しやがるのは誰と誰ですかっ」
「プライバシーの侵害になるのでそのへんは言えません」
悪戯に笑うヘッドコーチの前で、昴はがっくりと肩を落とす。
「ベビーラッシュって何スか?」
ユーキが首を傾げれば、
「若い子は知らんかー。大停電が起こった十ヵ月後にはベビーラッシュがくるって話」
坂本が年を感じるなぁなどとぼやきながらも説明してやる。
「真っ暗闇の中の男女がすることと言ったら一つってことだよ」
なるほど、と若手達はひどく納得してみせるが、親近感のわく話ではないらしい。
他のチームの若い世代では密かに結婚ラッシュが起こっているらしいが、このチームではもう少し先なのかもしれない。
彼らの見本となるべきベテラン勢が、なかなか家庭を引き連れて来ないせいかもしれないが。
「明日は休みだし、馬越さんの美味い飯食って大人しく寝ておくれ」
世話が焼ける内が可愛いモノだと笑いながら、内田は可愛げある若者達の身支度を急かした。
怖くなるような風の音と、蛇口をいっぱいに捻ったシャワー以上に激しい雨。
夕方から強くなり始めた雨風は、9時を回って不安を煽るほど激しいものになってきた。
神戸は台風の真っ只中で、高山の部屋のベッドもそれに近い状態だった。
「練習のはずだったのにっ」
「うーるーさーいー」
「……っんーっ」
英介が暴れる度にベッドは軋み、半端に肌蹴たパーカーやシャツが腕に絡みつく。
雨の日の高山は甘えたで強引だと知っていても、逃げられるかどうかは別の話。
力技で圧し掛かられれば本気で抵抗したくなるもので、英介はさっきから渾身の力でもって高山の下から這い出ようと試みて闇雲に手を振り上げ、蹴りを繰り出そうとする。
「暴れるだけ、無駄」
英介の腹の上に体重を掛けないように乗り上げた高山は平然とそう言い放ち、振り回される手首をとってシーツに縫いつけた。
「今日は絶対に逃がさない」
強い口調は英介を怯えさせる。
怯えの後には反感がくるのが英介の性質だが、相手が高山では甘い痺れにしかならない。
それも悔しくて、素直に身を委ねることができないのだが、英介の抵抗すら高山には楽しい。
外は暴風がガタガタと各部屋の鎧戸が鳴り、中では大の男二人の動きを受け止めるベッドが軋む。
服を剥ぎ取り、鎖骨に歯を立てると英介の抵抗が弱々しくなっていく。
雨の日の英介は、高山に甘い。
と言うのも、元はと言えば雨の夜が嫌いな高山が普段になく英介に甘えてみせるから、それに英介が応えてくれるという理由なのだけど。
高山が顔を上げると、英介は怒ったような困ったような複雑な表情を浮かべていて、小さな溜め息を一つつき、高山の頭をぽんぽんと撫でた。
そして高山の子どものような我侭を許すように、頭頂部にキスをされた。
それが額に降りてきて、口唇を掠めた。
「甘えるのと盛るのは違うって、わかってんのか」
「違うのか」
「ばか」
軽口を叩き合う口唇を互いに塞いで、今夜はもう溺れてしまおうと英介は目を閉じた。
雨は激しさを増すばかり。
煽られて、上気した肌を貪るのに夢中になる。
柔らかくはないがしなやかな肌を噛んで、舐めて、痕を残していく。
左足首を捉えて持ち上げて、足首に歯を立てた。
腱の弾力を確かめるように顎に力を入れると、痛みを感じたのか英介の足が跳ねる。
逃がさず、膝を噛んだ。
そこに残る縫合の痕を辿ると、微かな悲鳴を上げて英介が身を捩る。
「痛いか?」
そうは見えないけど、と心の中で留めて問えば、案の定英介は首を横に振った。
だけど止めてと、震える声で訴える。
ならばと膝から上の内腿に舌を這わすと、ぎくりと体を強張らせる。
抵抗される前に、昂ぶりをみせる性器を口に含んだ。
シーツを握り締めていたはずの英介の手が、高山を引き剥がそうと頭に触れる。
「やめっ、タカ! やだ、それっ……ん、好きじゃないっ」
一方的になってしまうこの行為が嫌いなのだと知ってはいるけど、止めてはやれず口淫を続け、舐めてしゃぶる更に奥へと触れる。
「や……っ、やだ、あ」
わざと音を立てるようにすると、肌を震わせた英介の体が濡れていく。
直接肌で感じる愛撫よりも、英介は目や耳で感じる卑猥な空気に弱い。
溢れてきた体液の滑りを借りて奥へ忍ばせた指を動かせば、声なく悶えて下肢を蠢かせた。
猫科の獣のようなという表現は、英介に対して既に使い古された表現かもしれないが、触れてみればやはりその言い回しがぴったりだと高山は思う。
抵抗の仕方とか、快感に仰け反る背中のラインが。
ギリギリまで追い詰めた英介を解放し、顔を上げて英介の様子を窺った。
涙の膜を張った潤んだ双眸が、悔しそうに見上げてくる。
その中にほんの僅かな甘えが見えるのが、たまらなく可愛い。
抱きしめて欲しいと眼差しで訴えかけるよりも前に、自分の足で抱きしめてもらいたい相手のところへ駆けて行って自分から手を伸ばして温もりを得ることができる英介だ。
自分の行きたい場所へは自分の足で行く。
そんな英介が自由に動くことができず、困惑と羞恥に怯えながら自分を頼ってくる。
支配欲やら嗜虐心やら、あまり健全ではない自分の感情を自覚しながら高山は英介の頬を撫でた。
紅潮したそこを摩ると、恨めしそうな眼差しを長い睫毛の奥に隠してふっと息をつく。
預けきったような表情も愛おしく、頬を撫でる手を耳へ移動させてそこもゆっくりと摩ってやった。
ん、と時折心地よさそうな溜め息を零す口唇をじっと見つめながら、高山は徐に英介の体へと体重を載せ、下肢を密着させた。
額を合わせれば英介が目を開けて、睨みつけようとして失敗していた。
英介の大きな瞳には自分のアホほど真剣な顔が映っていて、気圧されたような形で英介が微かに首を縦に振った。
ぐっと体を押し付ける。
「……っう、ぅあ……っ」
触れ合った場所から内部へと体を沈ませると同時に、英介の顔が歪み苦痛の声が零れる。
逃げようとする英介の腰を掴んで引き寄せると、喉を反らしながら慌てて自分の手を噛んだ。
繋がった場所は熱く痺れるようで、まだ快感は遠いところにある。
くぐもった悲鳴を上げる英介から痛みを溶かそうと、高山は英介の手の平や首筋を舐めて慰撫する。
繰り返す軽い口付けを気に入ったのか、英介の体からゆるゆると強張りが溶けていく。
呼吸を促すように腹から喉元を撫で上げれば、ほぅっと幾分楽そうな息をついた。
頬を包んで、親指の腹で口唇を撫でると本当に微かな喘ぎを溢れさせた。
柔らかいそこを撫でていると、不意に高山を包む英介の体内が絡みついてきた。
明らかな変化は本人も自覚するところなのだろう。
頬が赤くなり、ただでさえ潤んでいる瞳は、今にも雫を落としそうなほどにじわりと濡れた。
不意に強いアルコールを飲み干した時のような熱が腹の底からこみ上げてきて、高山は奥歯を噛み締め、体を突き動かそうとする衝動を押し留める。
大きな波をやり過ごしていると、目元に英介の指が伸びてきた。
随分と熱を持った指先で、眉からこめかみを不器用に撫でる。
手に負えない獣を宥めるような仕草が、嫌いではない。
同じように高山も英介の顔に手を伸ばし、額に浮かんだ汗で張り付く前髪を梳いてやる。
そこに口付けると、
「……ん」
小さな声を上げて顎を僅かに持ち上げる。
口唇にと強請る仕草は幼く、自然と笑みが浮かんで応えようとした瞬間、突然目の前が真っ暗になった。
「ぅわっ」
英介も驚いて体を僅かに強張らせる。
「……停電だ」
夕食時に馬越寮監が、停電になる可能性があるから懐中電灯等を手元に置くようにと声を掛けていた。
部屋の外に意識をやれば、怖いくらいの風の唸りが聞こえてくる。
ベランダに吹き込んでくる雨が窓ガラスを激しく叩く。
世界の終わりのような嵐の夜から意識を戻しても、当然のことながら相手の顔は全く見えない。
「……ふ、ぁ」
ただ、戸惑いに満ちた吐息が耳をくすぐる。
「英介? 大丈夫か?」
手探りで頬に触れれば、しっとりと汗ばんだ肌が擦れる。
頷いたのだとわかったが、表情が窺えないのはひどく不安なことだった。
「……なんか、ほんとに暗い」
気弱な声が聞こえてきた。
抱き合う時は大概灯りを落とすが、ここまで暗くなることはない。
ぼんやりと、お互いの位置や所作が見えてくる。
エアコンやテレビの小さな電源の光もなく、月明かりも街灯も零れてこない今夜はまさに真正の闇だ。
「怖い?」
問えば、衣擦れの音が聞こえてきた。
首を横に振ったのだろう。
視界がないせいか、声も音もくぐもって聞こえる。
相手の様子を確かめる手がかりは、声と繋がった体で感じる熱やら感触のみ。
ゆるく体を揺すると、声を我慢する気配がある。
しばらく同じ場所を擦り上げていると、抑えきれない声が零れだした。
押し殺した呼吸が痛みを耐えるものではないとわかって、高山の動きも大胆になる。
「あっ、あ、……や、だ。んぁあ……っ」
激しい雨音にかき消されることなく、英介のあえやかな声が耳を打つ。
そして掻き回す英介の体の中も、ゆるゆると高山を包み込み絞り上げるような動きをみせる。
「……っ、やべぇな」
「やっ、だ。もう……っ、なんで……っ、ぁあっ……」
本人も無意識な淫らな動きに飲まれそうになって、高山は慎重に息を吐き出す。
いつもよりも感じやすいのか、高山に流されるままのことが多い英介の体が急かすような動きをする。
視界がない分触れ合う肌の湿り具合や温度を鮮明に感じて、高山の理性が霞む。
「……た、か」
性欲に身を浸しそうになった高山を我に返らせるような、心細い声に名前を呼ばれた。
「タカ」
「どうした……?」
肌にぺたぺたと触れた手が背中に回って、ぎゅっと力を入れて抱きしめられる。
「……なんか、興奮してんのか、不安になってんのか、わかんない」
縋りつくように抱きつかれ、耳元に囁かれた言葉がこれで。
興奮するなと言うのが無茶な話。
背筋が痺れる錯覚が通り過ぎて、その痺れが全て英介の中に埋めた欲望へと変化していく。
ぅわ、と英介が驚愕の声を上げる。
それが嬌声に変わる前に、肩口に噛み付かれた。
それでも漏れ聞こえてくる声と反応する内壁と、背中に回った手が高山を煽り立てる。
「わり……、ちょっと、飛ばすかも」
自分の肩に齧りついている英介に向かって前置きして、抱きついてくる体を自分の動きやすいように抱えなおした。
目には見えない分、汗ばんだ肌の感触が生々しくいやらしいなと思いながら腰を引き、一気に押し込む。
「は、あぁっ……!」
甘い声を上げ、英介が体を反らせようとする。
それを押し留めるようにきつく抱いて、熱い息を吐く口唇を探り当てた。
口唇の在り処を確認するとそこに自分の口唇を押し当て、舌を潜り込ませた。
深く英介を抉る度、口付けの角度を変えて貪る。
唾液の零れる音と、肌がぶつかり合う律動の音が淫らに響く。
手探りの行為は表情が見えない分気遣いもできず、ひどく動物的になる。
食べつくしてしまえればいいのに。
血一滴零さず食い尽くしてしまえば、離れることなどないのだから。
でも。
でも、自分を呼ぶ声やくるくると変化する表情がなければやはり満たされないだろう。
どうやったって満たされることのない欲望と拭いきれない不安は誰もが抱えるものだろうけれど、激しい雨の 音を聞いているとそれが膨れ上がる気がする。
チカチカと脳裏にちらつく玄関から出て行く母親の背中は、もう一生拭えるものではないのかもしれない。
家庭環境の秘密を全て暴露した今でも、それは癒えることがない。
あの時、幼かった自分は確かに不安を感じていたし、傷ついてもいたのだ。
痛いと呻いて、寂しいと訴えて、抱きしめてと縋る。
それを許してくれる人がいる。
一生抱えていくであろうこの古傷が痛む度、あやして慰めてくれる人は傍にいるのだ。
必死でかき抱いた体は腕の中でしなやかに濡れていく。
痛みを和らげる薬であるかのように、名前を呼んだ。
荒く乱れた息の合間、「どうした」「ここにいるよ」と応えて名前を呼んでくれる。
早く、停電が復旧すればいいのに。
たぶん、自分はこれ以上ないくらいに情けない顔をして、そのくせ欲望丸出しの最悪な面だろうけれど。
腕の中、時々嫌だと否定の言葉を口にしながらも、しっかりと自分の背中を抱いて応えてくれる英介の顔を見てみたい。
それが叶わないから勝手に頭の中で想像して、自分の想像に煽られて英介の肌のあちこちに噛みつく。
得たいのは快楽ではなく英介そのものなのだと、激しい飢えを感じた。
されるがままの英介の熱い呼吸も目元を濡らす涙も取り込んでしまいたいと、闇雲に口付けた。
「や……、あぁ……っ、も、タカ」
苦しそうな声を上げながらも、英介の手が頭を抱え込んできた。
指が緩く頭を撫でる仕草を繰り返す。
愛撫とも言いがたい拙い仕草だったが、急かされるような寂寥に似た激情が和らいでいくのを自覚した。
英介と、名前を呼ぼうとした瞬間、ブン……と空気を震わせて視界が一気に明確になった。
外は依然、嵐の真っ只中だが、電力は復旧したらしい。
煌々とした灯りに照らされた英介は、涙で濡れた瞳で高山を見上げていた。
驚きに大きく開かれたそこに、予想した通り凶悪な顔をした高山自身が映っている。
お互いに暗闇の中で、少しずつずれていたピントががっちりと絡み合う。
暗闇から明るみへ。
突然の変化にお互いが暫く戸惑っていて、上がりきった呼吸だけが熱く肌の上を滑っていく。
「……英介」
汗や涙で濡れて紅潮した頬や、ほわりと開いた口唇や、自分だけを映す目を見ていると、たまらない気持ちになって、どうしようもなくて、ただ名前を呼んだ。
ふっと一つ息を吐いた英介の長い足がピクリと跳ね、体が緊張する。
「……っ、ぁっ、あ、んーっ」
喉を反らして英介が声を上げる。
「……っ、う……ぁ」
引き絞るように収縮する英介の内壁の動きに促され、高山も一息に絶頂へと導かれる。
「はっ、あぁ……っ、きもち、い……」
うっとりと呟いた英介の体がとろとろと濡れ、やがてゆっくりと弛緩していく。
目が眩むような気がして、英介の上に圧し掛かったまま息を整えた。
高山の頭を撫でていた指も力を無くして、パタリとシーツの上に落ちた。
余韻に何度か大きく震えた英介の体も、やがてくったりと脱力しきる。
顔を覗き込むと、眼差しが霞んで遠くを見ている。
「英介」
名前を呼んで音をたてたキスを額に落とすと、“戻ってきた”ようにパチリと一つ瞬いた。
「気持ちよかった?」
頬を撫でながら意地の悪い質問をすれば、不機嫌そうな表情を作りつつ、
「良かったよ」
意外にも素直に答えた。
「見えないと興奮するなんて、変態チック」
「どっちが?」
「……どっちも」
「そうだな、ちょっと飛んでた」
「……どっちが」
「どっちもだろ」
そんなやり取りを交わしていると、英介の手が自分の鎖骨あたりを摩った。
見ればあちこちにくっきりと歯型が付いていて、少々ギクリとする。
明日はオフだからいいとしても、明後日までに消えるだろうか。
「外、大丈夫かな」
そんな高山の心情など知らず、英介の視線がベランダの方へ向けられる。
これだけの嵐だ。
明日のニュースには幾つかの被害が報告されるのかもしれない。
「試合じゃなくて良かった」
まだふわふわした声で紡がれる内容には色気の欠片もないが、それにももう慣れたし内容には同感だ。
「なんでベビーラッシュになるのかわかる気がした」
高山の首筋に伝う汗を拭いながら、一転して英介は悪戯っぽい目をして見せた。
「タカが俺の顔色窺ってるのもわかったし」
「……どういう意味だよ」
「普段どんだけ優しくしてくれてるのかわかったってこと」
フフっと楽しそうに笑って、きゅっと鼻を摘んだ。
「あー、……ごめん」
「何?」
「今日の、……、無理させた」
「たまにはいいんじゃねぇ? ちょっとだけ、ドキドキした」
度が過ぎれば殴るから大丈夫だと、英介は色気なく続けたが、高山の体は自分に都合の良いところだけを拾い上げて熱を帯びる。
その変化は繋がったままの英介にも伝わったのだろう。
複雑な顔をして、頬を赤らめ視線を逸らし、観念したように背中に手を回してくれた。
軽く揺すり上げただけで体は再燃し、英介の口唇から声が溢れた。
英介が息苦しくならないよう、タイミングを計って触れるだけのキスをすると目を細める。
「……やっばい。見えててもドキドキする。タカの顔好きなのかも」
「やばいって何。かもって何」
「ん……っ、興奮して、ヤバイって、ぅあ」
言葉が無邪気な分煽られて、さっき果てたばかりの体がどんどんと昂ぶっていく。
英介は与えられる刺激に時折目蓋を下ろしながらも、なんとか目を開けて高山の顔を見ようとする。
やたら熱い指先で好きかもしれないと言った高山の顔をペタペタと触って目鼻立ちを確かめるようにして、自分からキスをし、花が綻ぶように笑った。
貪るような情事の後に、こうしてじゃれあうようなセックスが出来る。
すっかり不安は溶かされて、高山も英介の微笑みにつられて笑う。
笑い声が肌を擽り、やがてそれも艶を含んだ泣き声に変わった。
外は嵐。
ここは静かな雨で濡れる。
「台風一過」
のんびりと食堂から外を眺めながら富永が呟き、新聞を捲った。
「すごかったっすね、昨日」
「おぉ、さすがに怖かったなぁ」
早くに目が覚めた高山は、早起きする富永のコーヒータイムに付き合っていた。
「明日までにグランドが乾くといいねぇ」
馬越寮監も付き合って、今朝消滅したらしい台風の残した傷跡に思いを馳せる。
「片付け忘れてたプランターがクラブハウスの医務室に突っ込んで水浸しらしい」
「マジっすか」
「それはそれは、矢良くんが嘆くねぇ」
昨日の練習中、スタッフが台風上陸に備えて飛びそうなものは片付けていたのだが、見逃しがあったらしい。
「今日、昴が片付けてる」
「昴さんが?」
「あぁ、なるほど」
馬越寮監は思い当たることがあるのだろう、小さく笑い出した。
「昨日、外泊したんだよ。夕食前に連絡があって、今日は帰れませんって」
「馴染みの女の子の家に上がりこんで台風がひどくなるまで待って、女の子に今日は危ないから泊まっていけばって言わせたらしい」
不可抗力のレッテルが欲しかったらしいが、それが通じる相手でもないし、通用させるには前科が多すぎる。
停電の夜の間に連絡は行きわたり、無断外泊ではないにしろコーチの言いつけを姑息な手段で聞かなかったことにした仕置き方法まで決定したらしい。
なんとなく後ろめたい気持ちにもなって、そうですかとだけ相槌を打った。
「英介はどうした」
「……寝てます、けど」
「ふぅん」
「……」
「まぁ、そこはセーフだろうな。ぎりぎりベビーラッシュ組だ」
「産めませんよ。どっちも」
「おっと間違った。ゴールラッシュだったな」
「……変なプレッシャーかけられると……」
「大丈夫大丈夫。最近のお前のフリーキック、曲がりすぎってくらい曲がって落ちてるから」
それはチームメイトによって根性も曲げられているせいだと思います、とは口に出さず、はぁと生返事に変えておく。
「雨の翌日晴天っていうのはいいねぇ」
しみじみと窓の外を眺めて馬越寮監が花壇の手入れをしようと、今日の予定を立て始める。
「空気が澄んでる」
「雨だったからですか?」
「そう。雨は空気中の汚れを洗い流してくれる。洗濯と一緒だよ」
そうなのかと思って改めて見上げた空は、なんとなく色が違って見える気がする。
「王子様もお目覚めか?」
富永の声に振り返れば、あまりご機嫌麗しくない様子の英介が食堂に入ってきていた。
朝の挨拶だけは富永と馬越に向けて口にした。
昨日、眠りに付く寸前までは花のような微笑を向けてくれていたのに、何故だ。
つかつかと歩み寄ってきた英介はそのまま高山の正面までやって来て、ちょいちょいと右手の人差し指を曲げた。
面ヲ貸セ。
応じて腰を曲げるより早く、にゅっと腕が伸びてきて高山のシャツの襟を鷲掴みにした。
何だと思う間もなく、引き寄せられた顔目掛けて英介の頭が近付いてきた。
「……っ! ……っ。……ぅー」
額に衝撃。
朝なのに星が見えた。
ふらつく体に力を入れて耐え、視線を僅かに下に向ける。
物凄い形相をした英介が睨みつけてきて、無言のままに自分のパーカーのジッパーを一番上まで引き上げた。
そのジェスチャーで、この理不尽にも思える暴力の原因がわかった。
昨日つけた歯型や鬱血の痕が原因だ。
「……すみません」
多少の痛みや強引さは許してくれても、人目に触れる可能性のある痕を英介は嫌がる。
仕事柄、素肌を人に晒す機会は多い。
一つ二つなら目をつぶってくれただろうが、昨夜のは数が多すぎた。
もう一度、迫力のある睨みを利かすと英介はくるりと踵を返し、ドタドタと食堂を出て行った。
ジンジン痛む額を押さえながら、ついさっきまではほのぼのした朝だったのにと後悔する。
こんなことなら昨日のうちに謝っておけばよかった。
「タカ」
「……ぃっす」
「クラブハウス行って昴の手伝いして来い。そんで、英介の練習着から長袖引っ張り出して来い」
傍観を決め込んでいた富永はやはり全てお見通しで、笑いを含んだ声で実に的確な指示を出す。
「うぃっす」
高山は返事以上の言葉を失い、額を押さえながら馬越寮監の入れたコーヒーを飲み干した。
行ってきますと走り出す高山の背中を、若いねぇと笑う二人が見送る。
昴の愚痴を聞きながらさっさと掃除を済ませて、スタッフに勘繰られながら英介の長袖練習着を探し出して来よう。
不安も甘さも洗い流し吹き飛ばし、雨も風も止んでしまった外は清々しいほどの青空に包まれている。
帰りに甘いものでも買って帰ろう。
そうしたら不機嫌顔で過ごしているあの子は、この晴天のような笑顔を浮かべてくれるだろうか。
高山のスニーカーは地面を蹴る。
大きな水溜りを一つ飛び越え、高山はグランドへと向かった。
2006/04/30
暗闇エロでした。
以前、日記でエロシチュエーションでご意見をと書いたところ、「暗闇が萌えますよ」とこっそり耳打ちしていただきまして、確かに!と形にしてみました。体位にも変化を、と思ったんだけど、暗いとわかんないよねーと断念。それはまた次のエロ話で!
しかし私のエロはストーリー性がないんだよね。エロを書くことに全てのパワーを使い切ってしまう。今度はストーリーの中のエロを書きたいです(エロ談義)