色世界
桃: やわらかに、おだやかに



 一果がその人と出会ったのは、夏休みの美菜浜だった。
 友達と夏のバーゲンで水着を買って、隣町の美菜浜海水浴場へと遊びに出かけたのだ。
 一頻りはしゃいで遊んで、海の家で軽食を買って、広げたレジャーシートに戻ろうとした時だった。
 小麦色の肌をした青年達に囲まれてしまったのだ。
 飲み物を買い足すために、一人で友人の輪を離れたのがいけなかった。
 気軽に声をかけられて、逃れるようとしたのに強引に周囲を囲まれた。慣れた様子で視界を遮り、じわりと距離を詰められて肩に手を置かれる。その時だった。
「駄目ですよ」
 混乱で声が発せないでいた一果から、男達が一歩引いて振り返った。
「女の子、怖がってます。やめてください」
 落ち着いたトーンで割り込んできた声に、一果も俯かせていた視線を上げる。
 そこにはこの浜辺では見慣れた、藍色のTシャツを着た青年が立っていた。一果を取り囲む男達よりも年上のようだが、優しそうな雰囲気がやや頼りなくも映る。
 しかし青年が纏う藍色のTシャツには「美菜浜若年会」と大書してある。あれはこの浜辺で困ったことがあった時は助けてくれる人の集まりの名前だと、隣町に住む一果は美菜浜生まれの友人から聞いていた。
「はぁ?」
「邪魔すんなよなー」
 青年達の凄む様子に怯える様子もなく、若年会の若者は一果に近付き庇うように立つ。その背中に、「栄月館板前・大月春海」と肩書きと名前が染め抜かれていた。
「せっかく美菜浜に来てくれたんなら、楽しく遊ばなきゃ」
 ねぇ、と小首傾げる態度は落ち着いていて、かと言って相手を挑発するようなものでもない。さらっと揺れた紅茶色の髪の毛が綺麗で、一果は状況を忘れて一瞬見惚れた。声の印象から男性だと思ったけれど、改めてその容姿を見ていると女性とも思える。
「なんなら、アンタが遊んでくれてもいいんだけど?」
 それは青年達も同じだったのか、矛先を変えたように春海の顔を覗き込む。
「遠慮します。君達と遊んでも、ちっとも楽しくなさそうだし」
 今度のは明らかな挑発だった。がらりと表情を変えた青年達が恫喝しようと息を吸い込んだ。その時、鋭いホイッスルの音がその場の空気を一変させた。
「こーらー! 何揉めてんだ、そこ!」
 巡回中の腕章をつけた中年男性の二人組の手を、友人の真菜が引っ張って近付いてきていた。ちぇっと舌打ちした青年達がそそくさとその場を去るのを止めもせず、春海が中年男性に手を振っている。
「本条さん、高倉さん、お疲れさまですー。真菜ちゃんも、ありがとう」
「一果っ、春海さんっ、大丈夫っ?」
 駆け寄ってきた真菜が広げた腕に飛び込んで、味わった恐怖を吸い取ってもらう。この浜辺で生まれ育った真菜が、一果が見当たらないことに気付いて慌てて顔見知りの巡回班を呼んでくれたらしい。
「二人とも、何にもされてないかっ?」
「ハルちゃん、無茶しちゃいかんよ〜」
「無茶してないですよ。お客さんにお弁当届けに来たら、この子が困ってるのが見えたからちょっと声かけただけです。俺だって男なんだし、そんなに心配しなくても」
「いやいやいやいやっ、ハルちゃんになんかあったら一臣に殺される!」
 あわあわする二人の前で大丈夫ですよと優雅に微笑んだ春海が、腰に巻いていたシャツを取りさり気なく一果の肩にかけてくれる。
「怖かったね」
 その声と覗き込んでくる柔らかい眼差しに、一気に視界が曇った。
「いちか〜」
 真菜が優しくよしよしと頭をなでてくれるから、余計に涙が溢れてきた。ごめんなさいとしゃくりあげると、
「安心したんだよね。落ち着くまで泣いちゃえばいいよ」
 蕩けそうに優しい言葉をかけてくれるから、一頻り泣いた。ようやく落ち着いて巡回班の男性にお礼を言えた。
「真菜ちゃん、あの、もしかして、大月くんのお兄さん?」
 地元っ子の耳元で訪ねれば、真菜は指をパチンと鳴らした。
「惜しい。大月の従兄さんだよ。ハルミさんって言うの」
「あ、四恩と同じ高校の子?」
 大月四恩はぶっきらぼうで野球一筋で子供っぽい。話しかければ懐っこく笑ってくれるが、時々デリカシーに欠ける発言をする。かっこいいのに残念な男の子として同年代からは認識されている。
 けれど一果はそんな彼のことが気になって仕方ない。彼が教室で友達と大きな声で笑っているとドキドキするし、体育の授業でトラックを走りぬける姿に目を奪われる。授業中に居眠りを咎められてバツが悪そうにしている顔が可愛くてたまらないし、桜でんぶでハートが描かれたお弁当を前に脱力している姿を見ては顔も知らぬそのお弁当の製作者に対してモヤモヤした気持ちを向けたりもした。
 だから、彼についてのデータもたくさん持っている。家族のことも、好きな食べ物も、苦手な科目も、野球部の試合日程も。
 今日、一果を助けてくれた人が、四恩のお弁当を作っている人。四恩が「ハルミ」と時々話題に乗せる人。大切な人。
「この子、イチカって言うの。N町の子なんだ」
「せっかく遊びに来てくれたのに、怖い思いをさせちゃったね」
 これまでその存在に密かに覚えていた嫉妬心がたちまちに溶けて消えてしまった。四恩がこの人を大切に思っていた気持ちが、よくわかる。
 やわらかで、おだやかで、ゆるぎない。
 この人を大切に思う四恩のことが、ますます好きになってしまった。





2011/5/29
カッコイイ春海を書こうと思ったSS。
一果ちゃんは「サンクチュアリ」に登場させてみた四恩といい仲になりそうな女の子ですが、こうしてひょっと出しをしたキャラクターにどんどん性格が出てくるのが私の悪い癖。

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