神戸市内のとあるホテルで雑誌インタビューが行われた。
インタビュアーは若手を中心にピックアップして、選手の姿勢や目指すもの、チーム関係を主に扱う雑誌だ。
隔月出版の雑誌の巻末には毎回ベストイレブンを選ぶと称した人気選手の投票があり、これから溢れてしまった選手は年齢を感じるのだとか。
その雑誌の対談式インタビューの申し込みが、神戸レインボーチャーサーに来た。
対象は、
「まぁた、えっちゃんとタカかよぉー。もう俺もダメかねぇ」
と片岡昴がぼやいていたように、江口英介と高山浩二の二人だった。
現在の人気投票でも江口英介は1位で、高山は愛想のなさが災いしても5位にランクしている。
片岡昴はまだまだ7位と充分上位だ。
最近、100位近くまであるランキングから転落した坂本は『これはかなり落ち込む』と本気でへこんでいた。
英介や高山達の世代は、ユースの時からタイトルをあと一歩のところで逃してきた。
無冠の世代と呼ばれている。
今では彼らもA代表としての召集を受ける、若手ではない世代になってきた。
その無冠の世代は仲が良いと評判で、中でも英介と高山の仲の良さは有名だ。
英介はよく喋りよく笑いよく怒る明るいタイプで、高山は寡黙で人付き合いが不器用なタイプと、対照的な二人がつるんでいるところが意外らしい。
過去に週刊で発行されるサッカーファン御用達の雑誌にも出たいとぼやいていたことがあった英介だが、今ではこの若手雑誌だけではなく週刊サッカー雑誌にもよく登場する。
若手雑誌とは違い、週刊誌にはいいプレーいい結果を出さないことには注目されない。
英介も高山も、今では神戸レインボーチャーサーの中心選手となっていた。
オールスターにも呼ばれる人気のある選手でもある。
そんな二人の選手へのインタビューや取材やテレビ出演の依頼は多い。
しかし、高山はトークが苦手だ。
試合後のヒーローインタビューも苦手である。
決勝点を入れてしまったときなどは、ホイッスルが鳴り響くと共に負けたチームと一緒になって脱力するほどだ。
数々の取材を受けるのは、相棒である英介がトークが面白く得意だからだ。
寡黙な高山も、英介と組ませれば多少は舌の滑りがよくなるのだ。
一度、神戸のOBである市井の出演しているサッカー番組に強制的に出されたことがあったが、あの時はまいった。
英介もいたことにはいたが、極端にあがり症な高山はろくに喋れもしないほど緊張していた。
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今日もうんざりした顔の高山と、陽気な英介はオフということもあり気分転換がてらに市内でホテルへと出かけていった。
今回の取材は、神戸レインボーチャーサーがファーストステージで優勝したのがきっかけだ。
昨年チーム初のリーグ優勝を果たした神戸RCだが、今年もチャンピオンシップへの切符を手に入れることができた。
高山は、昨年はブラジルへレンタル移籍していたため優勝の瞬間を味わうことはできなかった。
苦しい一年間を味わった高山と、神戸RCのレギュラーとして定着した英介がプロになって初めて一緒に味わった優勝についてのインタビュー。
雑誌ならまだましかもしれないと、自分を慰めながら高山は車のハンドルを握っていた。
助手席の英介は免許もとっているのだが、何せ方向音痴のため怖くて市内など運転させられない。
頑張ってもスタジアムやよく通る道までだ。
一度、助手席で高山がCDを交換している間に、高速にあがっていたという経験もある。
結局車も買わずに、相乗り専門。
それでみんな安心しているのだ。
高山のスカイラインはすべらかに指定されていたホテルの駐車場に滑り込んだ。
サイドブレーキを引いて、エンジンを切ったところで高山は深い深い溜息をつく。
「終わったら、服買いに行こうぜ。あとDVD欲しい」
「あー、そうだな」
「楽しいこと考えて」
これは彼なりの慰めらしい。
「靴、欲しいかな」
「買いに行こう」
にっと笑って、英介は車を降りる。
このホテルにも遊びに来たような様子だ。
ジーンズにいつも着ているようなパーカーと、ラフな姿が彼らしい。
高山もジーンズに黒いシャツと大して変わらないが。
鬱々とした気分を抱えて高山も車を降り、恋しいスカイラインをロックした。
「じゃあ、まずはファーストステージおめでとうございます」
黒ブチ眼鏡のインタビュアーの安原は好感が持てる男なのだが、インタビューはインタビュー。
元気よくありがとうございますと返した英介の隣で、高山はペコリと頭を下げた。
「高山選手は初めての優勝だよね。どうだった?」
テーブルの真ん中には小さなテープレコーダー。
「あー、まぁ、嬉しいし。安心? したかな」
「安心したっていうのは?」
「あー、その、周りはみんなそういうのを体験してて、俺だけ知らなかったっていうのが疎外感っていうか、やっぱプロになったからには、一度は味わってみたいじゃないですか」
『あー』と伸ばしてから考えて、ゆっくりと言葉を紡ぐタカの言葉を安原はいつものように待ってくれる。
英介はオレンジジュースのストローを銜えて笑いをこらえている。
「ビールかけ、したの?」
「しました」
「神戸だったら凄いことになったんじゃない?」
「「なりました」」
英介と高山の声は重なった。
うんざりとした声だ。
あの英介までもが。
「どうなったの?」
「いや、もうなんか、学生のノリで騒ぐんすよ。富永さんが」
「富永選手が?」
「そう」
「あ、あの富永選手が騒ぐわけ?」
「そう」
「去年はそんなこと聞かなかったけど?」
「去年はホラ、うちのスポンサーの社長がちょうど亡くなってチャンピオンシップとか喪章つけてやったから、ビールかけとかはしなくっていつもの飲み会だったんだけど」
だいたい、去年のステージ優勝の時点でかなり凄かったのだ。
『こんなの富永じゃない!』というくらいだった。
今回はさらにすごかった。
普段冷静な彼が、後輩に飲ます飲ます。
潰すのだ。
片っ端から。
分別とかそんなの問題じゃなかった。
もう本当に凄まじかった。
「あの人酒強いからホロ酔い程度でさ。セクハラしまくりだし、説教とか褒めちぎりとかで絡んでくるし。意外なのは神尾さんがねぇ、泣き上戸だったんスよ。なんかねぇもう、みんな富永さんのおかげで、ナントカ上戸って奴にされてた」
翌日は燦々たるものだった。
ぴんぴんしていたのは富永一人だった。
「へ、へぇ。えっちゃんはどうなったの?」
「俺、覚えてねぇの。起きたら寮の部屋だった」
「こいつも……すごかった。脱ぐし、叫ぶし、なんかいらんことで謝ってるし。まりっきり体育会系」
高山もあの時の状態を思い出して、ただでさえ重い口をさらに重くする。
「高山選手は?」
「あー、俺けっこう強いから、ちょっと気持ちよくなるくらいで終わったかな。結局片付けとか会計とか看病とかやらされたから、酔った方がいいんだけど」
二日酔いは朝の走りこみを無理に行って汗にして流してしまったから、英介たちほどしんどくはなかった。
昴なんかは完全に酔うと、黙ってしまって非常に怖かった。
途中、市井が顔をだしてさらに煽っていったのもいけなかった。
まぁ、富永がそんなになるほど嬉しかった勝利だったのだ。
今年のチャンピオンシップで勝てたとしたら、その時が恐ろしい。
「今年は凄かったね。開幕4連敗の後にすぐ7連勝」
安原が本題に入っていく。
「のりましたから。ビッグウェーブに」
「のったよね。4連敗目の試合が、5失点無得点の大敗だったから、びっくりしたよ」
「あれはねー、神尾さんが燃えちゃって」
ゴールキーパーの神尾は、その試合の後に隠れて悔し涙を流していた。
そして、次の試合が無失点4得点だった。
神戸が息を吹き返したと派出に扱われた。
「今季は富永選手が左に入ったんだよね。それで高山選手がトップ下で復帰した。富永選手はマルチプレーヤーだから、左サイドでもいけるよね。高山選手が今まで左に入ってたけど得意なのはトップ下だった。二人がポジションを交換した形になるけど、やっぱりやりやすい?」
「あー、そうですね。ユース代表の時もトップ下でやらせてもらってたし。ただ、富永さんっていうすごい選手がいたポジションでなんで、プレッシャーはありますしそういうことも言われますけど、うーん……、俺は俺なんで」
高山はそう言って、ちょっと照れたように笑ってからコーヒーを口にする。
「結果はどんどん出てるよね」
「んー、ブラジルん時にあんまりサッカーらしいサッカーできてなかった分、気持ちよくサッカーできますから。なんか爆発してんのかもしんないっスね」
スポーツ紙上では、高山は失意の帰国とあり開幕4連敗の時などは、高山はブラジルで自信を無くしたと騒がれた。
大嘘だったわけだが。
「えっちゃんは、高山選手が帰って来たことで自分のプレーに影響はあった?」
「やっぱ、やりやすい。富永さんなんかワンプレーでシュートにもって行けるパスを出してくれるけど、タカとだともう少し複雑なプレーができる気がする」
「例えば?」
「例えばワンツーとかヒールとか。ほんっとーに俺よく逃すから。アラーって感じで。でもタカとなら、『あ、あいつなんか考えてるぞ』ってわかる」 気持ちがいいプレーができるのだ。
これと似たようなことを、片岡昴が口にしていた。
相棒は富永真吾だったが。
「サッカー以外のところでもやっぱ大きいよね」
「大きいね。だって、同期ってタカだけだし。同期がいるのといないのとではやっぱり全然違う。普段、先輩や後輩にはいえないことでも同期なら言えることがある。愚痴だとか弱音だったりするけど、俺ってためとくタイプじゃないから、タカが捌け口になってんの」
「一年間、違うチームでプレーするっていうのはどうだった?」
英介と高山はちらりと視線を合わせた。「刺激にはなったけどね。俺はもー、ハラハラしっぱなしだったよ。上手くいきゃいいんだけどさぁ、こいつダメだったっしょ? こっちがしんどいよ」
ズバズバと高山にとっては痛いところを口にする。
高山は気にした様子はない。
「でもね、やっぱりタカがあっちでしんどい時を耐えてるって思ったら、俺も頑張ってなきゃ顔あわせらんねぇって思ったよ。タカとは、同じレベルでありたいと思うから。タカが停滞するなら俺は容赦なく置いてくつもりだけど、ブラジルっていうタフな国でタカがプレーするととはプラスになるって思ったし、だからちょっと必死だった」
本音ばかりの羅列。
高山は彼には珍しく、咽を震わせて笑いをこらえていた。
英介がそれを聞いて小突いている。
「高山選手はどうだった? ブラジルで気持ちのいいプレーができないでいる時に神戸でえっちゃんが活躍して、優勝してるのを見てるのって」
笑いを引っ込めて、高山はうーんとまた唸る。
「やっぱり……苦しかったですね。なんで、俺がいない時にって八つ当たりみたいなことも思ったし。でも、英介も言ってたけど同じレベルでいたいって俺も思ってた。だから、潰れるギリギリですんだと思うし。帰ってきて……、チームメイトの重大さとかわかりましたよ。あー、俺が、100%の状態じゃなくても、100%の英介がいると英介と同じ状態に近づける気がする。そういう存在がチームにいることのでかさとか」
こちらも不器用なまでに本音の羅列になった。
安原はうんうんと頷きながら彼らの様子を見守っている。
いつもなら高山が気にしてしまうカメラマンのシャッター音も気になっていない。
英介のジュースのストローはくたくたに噛まれている。
「ブラジル、行ってよかった?」
高山は一瞬きょとんとした顔をして、それから笑った。
「よかったですよ。身になるものがなかったとしても、マイナスにはならない。だって、俺はまだ目指すものがいっぱいあるんだって知ったし、もう得ているものもあるってわかったから」
ふわりと、高山が柔らかく笑った。
今時では珍しいくらいの硬派な彼がこんな風に笑うのを、安原は見たことがなかった。
「この先、もしも二人が別々のチームでプレーすることになったらどうする?」
意地悪ともとれる質問に、二人はまたちらりと目を合わせた。
「サッカーするだけですよ。俺は俺の、英介は英介の」
「かっこいー、タカ」
「うるさい。もう、お前が喋れ」
高山が英介の頭をどついて、バトンタッチとなった。
英介は文句を言いながらも口をつぐんだ高山の言葉に加える。
「それはそれでね、面白いと思う。すっげぇライバル視するだろうし。あの野郎、また得点しやがったとか、この前は負けたけど今回はそうはいかねぇとか。競争意識もって高めあえると思う。実際、同世代の連中とか見てそう思うし。特に山形にナツキがいるけど、あいつのマークだけは抜いてやろうとか思うし。ナツキも、俺が抜くとすげぇネチネチ言ってくる。お前、陸上にしろよって」
仲のいい友達という関係だけじゃなく、彼らは同時にサッカー選手でもある。
一人一人の、プロの選手だ。
一緒にいて騒いで仲良くしてということだけでは、やっていけないときもある。
その自覚があるのだ。
気の合う友達である前に、二人はJリーガーであることを知っている。
「今年はなんとえっちゃんが、ファーストステージ終了時点の得点王なんだけど」
「そう! その話題待ってたの! 今まで昴さんがガンガンにいってたからね。今年は俺よ」
「じゃあ、狙ってる?」
「そりゃ狙ってますよ。俺、点取り屋だから」
自らを点取り屋と称する英介は、それがそのままニックネームになっている。
前に韋駄天がつくが。
「高山選手も今年は積極的にゴール狙ってるよね」
「いやっ、まったくそんなことはないですよ」
不意に高山が狼狽する。
理由は安原もわかっている。
それが今回の本題でもあるのだから。
「うちの編集部にもね、けっこう問い合わせがあるんだよ。今度、神戸の選手に取材に行く時は例の件の真相を聞いてくださいって」
ぐたーと高山はソファーに沈んだ。
その体勢で、英介の肩をポンポンと叩く。
頼むといっているのだ。
「狙わされてるんですよ」
代わった英介がニヤニヤと笑いながら言う。
「セットプレーはもうほとんどタカがやってますからね。みんな、セットプレーになったらタカに『直接』ってぼそっと言うんですよ。得点させてみたくて」
目的は得点後のパフォーマンスにある。
「あのキスはなにがきっかけだったの?」
今年の開幕戦。
高山はペナルティーエリアぎりぎりでもらったフリーキックを決めて見せた。
高山はセットプレーが巧いのだ。
その後のパフォーマンスとして、高山は英介にキスをした。
何があったのかと問えば選手達は本人達に聞いてくださいと笑いを押し殺した顔をして、英介は『いやー、興奮してたんじゃないですか?』と笑い、高山本人はノーコメントという意味深な対応をとった。
「キャンプでね、うちは毎年ゲーム大会するんですよ。それで優勝者の言うことをなんでも一個ずつ聞かなきゃだめで、今年は坂本さんが優勝したんですよ」
「それでキスしろって言ったの?」
「うんにゃ。坂本さんが言ったのは、ゴール決めたら何か面白いパフォーマンスしろって言うのね。しかも、サポーターズTVの年末の名シーン集で放送されるくらいのって」
安原が爆笑している。
高山らしいと、周りのスタッフも笑っている。
「ほんっとーに、思いつかなかったんですよ」
「でもキスしようって思う? えっちゃんならいけるって思ったの?」
憮然としていた高山の頬に朱がのぼる。
「いやっ、その、英介の罰ゲームが似たようなもんだったんで」
「俺がタカにちゅーしたの。一回してるからいっかって」
「で、恒例にしちゃったの?」
そう、あのパフォーマンスは一回きりではなかったのだ。
高山がゴールを決めて、尚且つチームが苦しい状態にいない限り、高山は英介を捕まえてピッチの中でキスをした。
「坂本さん、ツボに入ったらしくて『誰が一回でいいっつったんだ』って脅すんですよ」
高山の頬はみるみるうちに真っ赤になっていく。
こういうところが若い女の子のファンを多くもつ理由なのだろうと思う。
「えっちゃんは嫌がんないよね。っていうかさ、自分から行くよね?」
「ははー、行くね! 面白いんだもん! 帰りのバスとかめっちゃ暗いからね、こいつ」
勝ち試合後の移動バスの中も暗澹たるものだ。
またやってしまったと、相手である英介の隣でへこんでいるのだ。
二人のファンがなんとも複雑な心境でそのパフォーマンスを見ていることを知っているだろうか。
「やっぱり照れるんだ?」
「俺、もう慣れたけどね。最初はマジでびびったけど。タカはダメダメ。自分からやってくるのにね」
高山は脱いでいたキャップを顔に被せてノーコメント。
本当にこの二人は仲がいい。
まるで兄弟のようだ。
彼らの先輩達に言わせれば、時に酷く険悪な喧嘩もするらしいのだが。
「今年は2連覇がかかっているシーズンで、ナビスコカップも勝ち進んでるよね。連覇と三冠が狙えるけど、意欲はどう?」
この話題になると、二人の顔つきが変わって見える。
英介の無邪気な今時の若者面には、今まで隠していたかのような自信がじわりと滲み出た。
一見ちゃらちゃらして、どこにでもいそうな若者の外見をしているが、こいつがピッチに立つと豹変する。
近寄れないオーラが出てくる。
ギラギラした獰猛な男の目になるのだ。
多分、今とピッチでの彼の外見から推測する年齢には随分なズレが生じることだろう。
高山の目にも自信が浮かぶ。
こちらがハラハラするような緊張がとける一瞬だ。
「やりますよ。そりゃ。勝つためにサッカーしてるんですから。タイトルだけが全てじゃないけど、獲れば自信になる。ただ、タイトルだけに拘るんじゃなくて、いい試合をしてくことが一番大事だと思いますから」
「いい試合してれば、結果もついてくるし、その先にタイトルも見えてくるんだと思うんで」
最後はきっちろサッカー選手らしい、そして彼ららしい言葉で締めてくれた。
「はい、以上です。お疲れ様でした」
安原がニコニコと笑いながら、カチリとテープの停止ボタンを押す。
それを合図に高山はまたズルズルとソファーに沈んだ。
でかいでかい溜息が零れる。
「お疲れさま。けっこう喋ってたよ?」
「あー、やっぱり苦手です。こういうの」
苦笑いを浮かべた。
「そのためのえっちゃんだからね」
「ナツキがね、酷いんですよ。俺にインタビューがこないのは、わざわざインタビューを申し込む必要がないくらいに普段から喋ってるからだって言うんスよ」
「それはあるかもしれないね」
ひでぇと笑う英介の隣で、高山は早く帰りたさそうにしているのがおかしい。
「じゃあ、最後に写真を、いいかな?」
しかしそうはいかないのだ。
カメラマンの指示で、二人は壁際に揃って立つ。
「楽にしててー」
そう言いながらカメラマンは笑っている。
英介は慣れているからいい。
何せ女性ファッション誌にも、気になる有名人男性として写真撮影の依頼が来たくらいだ。
その写真だって彼らしい明るい笑顔を撮らせていた。
高山の写真も何度か撮ったことがあるカメラマンだが、いつも高山の硬い表情を崩すのに苦労するのだ。
神戸の専属カメラマンでも、試合以外の場で彼のリラックスしている写真を撮るのは難しい。
「高山さん、もうちょっと楽にしてもらってけっこうですよー」
「無理無理。タカ、ポーカーフェイスが標準なんだから」
高山自身も困惑してしまってより緊張した面持ちになってしまう。
タッパの差から高山が自然と後ろに回ったり一歩下がる。
「ほんとに慣れねぇよな」
英介が呆れて肩を落とし、振り向いてポスンと高山の左胸を叩く。
高山は無愛想な面のまま、伸ばした手で英介の赤銅色の頭を掻き乱す。
「お前っ、俺が早起きしてセットした頭を!」
「セットォ? そんな大そうなもんかよ」
言い合いながら二人は手を出し合って、カメラの存在を忘れてしまう。
背の高い高山の方がリーチも長いから、英介の方がからかわれているように見える。
結局今回の紙面を飾ることになった写真はインタビュー中に高山がソファーに沈んでいるのを英介が指差して笑っている図となったのだった。
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ホテルを出た二人の様子は正反対。
英介はまったく変わりないが、高山は憔悴していた。
とりあえず憔悴したのと小腹が空いたという訴えで、近くのスターバックスに入った。
ちょうど空いたソファー席に座ると、高山はやっと解放されたような息をつく。
深くキャップを被っているが、その表情は英介には手にとるようにわかる。
笑いを噛み殺す英介に向く、いくつかの視線に先に気がついたのは高山の方だった。
女の子サポーターの読者が多い雑誌の人気投票で一位を獲得し、ファッション誌にも載ったことのある顔が堂々と歩いているのだから、目立つだろう。
英介はサッカー選手として有名でなくてももてる顔をしているのだ。
声をかけられサインを求められることはよくあるが、それでプライベートな時間が潰されてしまうこともしばしばだ。
高山はファンには申し訳ないなと思いながら、キャップをとると英介の頭に乗せてぐっと深くかぶせる。
「サンキュ」
英介は高山の行動の意味を察して、礼を言う。
こうやって、肝心なところでフォローしてくれるのだ。
いつも無愛想でどこか近寄り難い雰囲気をもっている高山なら、ファンもなかなか声をかけ辛い。
「なぁ、タカ」
「んー?」
スターバックスのコーヒーのストローにも噛み痕をつけながら、英介がキャップの下の目をくるりと輝かせて言った。
「あのキスってさ、みんな疑わないのかね」
ソファー席は賑わうスターバックス店内の奥にある。
声を潜めれば二人の会話は聞えないだろう。
高山は周りを少し気にしてから、
「ほっとけよ」
と言った。
今季のキャンプで、例のゲーム大会の英介の罰ゲーム後。
『なんか好きみたいなんだけど』と言い合って、実に曖昧な恋人同士という関係も築いた二人だ。
Jリーガーで代表入りもするという注目される立場にある二人で、男同士という関係。
おおっぴらにできないのは二人ともわかっている。
「……それとも、お前、言いたい?」
嘘をつくのが苦手な英介だ。
いつでもありのままの自分を見せている。
ところが、英介の答えは違った。
「別にー。趣味悪いねって言われるのも嫌だし。それに、世の中をかき回すのは趣味じゃないよ」
「趣味悪い、ね」
「そんなに、独占欲が強いわけじゃないし。疑うわけじゃないし。だって、俺らってそういうのじゃないじゃん」
がしがしとストローを噛みながら英介が言う。
甘いわけじゃない関係だ。
恋愛感情よりも、同士だとかそういう感情の方が強い。
だいたいまだ、
「キスしかできてねぇもんな」
思わず呟いた高山の言葉に、英介が狼狽した。
童貞だと自ら白状した通り、英介は意外にも色恋沙汰に疎い。
「なっ、なななにっ? お前っ、俺としたいわけ? 俺見てやりたいって思うわけっ?」
赤面した英介など珍しい。
「……そりゃあ」
「ま、待った。その前になっ、その前に、俺がやられるわけか? そ、その俺っ、コイビトできたからって童貞なままなわけっ?」
「声でかい」
「いや、ここすげぇ重要だから」
「……俺はな……、俺はお前みて欲情する」
「ヨクジョー」
「勃つっつーこと」
ぼんっと音がしそうな勢いで英介がますます赤面していく。
遊んでいそうな見てくれで、遊んでいない英介からはあまりセクシャルな匂いがしない。
『永遠のサッカー少年』などのキャッチコピーがつくくらいだ。
「告白の通りお前童貞だろうし、経験ないだろうから無理強いしないし、男同士って体の負担もでかいらしいし、サッカー選手だし、無理強いしねぇけどな」
「あ、あ、そう……そうですか」
高校時代に付き合っていたのが教師だという高山は、見てくれに反して経験豊富だ。
初体験が中3の時だと聞いたときは、さすがの英介も落ち込んだ。
サッカー馬鹿だと思っていたのにすることをしていたなんて。
神戸のベテランでもう35歳の富永真吾は、今も神戸RCの独身寮の虹明寮生活をしていて、独身だ。
女性関係はどうなっているのだろうとみんな心の隅で思っていたら、なんと彼女はしっかりといた。
相手はなんとブロンドヘアーの美人で、スキーのモーグルでオリンピックに出場するような女性らしい。
お互いまだ現役でやっていて、不器用な者同士だから結婚なんてまだまだと笑っているらしい。
引退したら結婚をするらしい。
どうりで冬季オリンピックを本気になって見ているはずだ。
どこで出会ったんだか。
片岡昴もなかなか女性の影のない男だが、こちらもどこで知り合ったんだかという女性がいつかひょいっと現れるのだろう。
男ばかりの集団生活。
そういった話はけっこうされるが、これまた意外なことに高山もけっこう加わっているのだ。
『タカの発言、えげつない』
と言ったのは昴だったか。
『お前、恥じらいとかって言葉を知らねぇのかよ』
とは寺井だったか。
「……なんか……」
「ん?」
英介は赤い顔のままで机に伏してしまう。
高山は平然とコーヒーを飲んでいる。
「……嫌なプレッシャーが……」
「プレッシャーっ? お前が? ありえねぇ」
取材中にはあれだけ口べただった男の、この発言の数々はどうだろう。
英介は一瞬ぶちのめしてやりたい衝動に駆られてしまう。
「俺とお前って図自体ありえねぇんだよっ」
ははっと高山が声を出して笑った。
こんな時でありながら英介はこの笑い声にどきっとする。
たぶん、自分が好きな『音』なんだろうなと思う。
低くてくぐもっているような、少し乾いた声だ。
「ありえねぇな」
「だろ?」
思わず英介も笑う。
こういう空気は好きだ。
一連の会話の流れの中で、怒ったり泣いたり。
振り回したり、振り回されたり。
対等であるお互いの関係を感じることができるから。
「英介が、俺がしたいこと知っててくれてばいいよ」
「……おう」
しかし、精神的に大人なのは高山の方なのかもしれないが。
キャップの下から英介が何か言いたそうな視線を寄越したが、高山は気がつかなかったふりをした。
まったくいちいち可愛い野郎だなと高山が改めて思った時だった、
「浩二クン?」
女性の声がかかった。
ファンなら高山さんだとか選手だとか、タカだとかだが、クン付けで呼ばれた。
誰だと高山が顔を上げる。
英介もキャップの下から上目遣いに見上げた。
「……西村先生?」
高山が呟いた。
センセイという言葉に英介もはっとする。
高山が以前付き合っていた女性が教師だったはずだ。
「久しぶりね!」
綺麗な女性が立っていた。
長い髪をアップにして、口元にある黒子が色っぽい。
あまり教師という印象はない。
やたら色っぽく見える。
「びっくりした。今、こっちにいるんですか?」
どうぞと高山がソファー席にすすめる。
ありがとうと笑って、英介にもちらりと頭を下げた。
ふわりといい匂いが漂ってきた。
「そうよ。でももうセンセイじゃないの」
「結婚してから教師、辞めた?」
昔自分が世話になった教師に対する言葉遣いとは思えないのは、高山とこの女性が男女の仲にあったと聞いたからだろうか。
「離婚」
いたずらぽく笑う彼女は確かに綺麗な人だ。
「離婚?」
「私がね、浩二が好みだって騒いでたのがいけなかったの」
浩二、ですか。
呼び捨てですか。
高山の顔色は変わらない。
ただ、ふぅんと相槌をうった。
「冗談、相変わらず通じないのね」
肩を竦めて英介と目を合わせた。
仕草がどこか子供っぽく、自分達の教師をするような世代にはあまり見えない。
人懐っこさなんかは教師特有のものなのかもしれない。
「えーっと、江口選手、よね?」
「……そーっス」
「浩二と仲いいのねぇ。時々ニュースで見るけど」
「……サッカー、見ないんですか?」
現コイビト、の元カノに対してどういう口をきいたらいいのかわからないで英介は彼らしくなく歯切れが悪い。
彼女の方は気にした様子もなく、そうなのと頷いた。
「ルールとかよくわからなくてね。教師してた時もサッカー部の試合とか見に行ったの本当に少しだし」
「ふぅん」
「江口さんのこととかテレビで見るけど、画面で見るよりもずっと可愛いのね」
それは禁句だと高山は思ったが、言ってしまったものは仕方ない。
快活な英介の表情が影をひそめてしまっているのを感じていた。
「そりゃ、サッカーしてる時と今は違いますから」
コーヒーを空にしてしまうと、英介は高山を見て言った。
「俺、HMV行ってるから。ゆっくり話ししろよ。終わったら電話してな」
じっと高山の目を見て早口に言い放つ英介の声に、苛立ちが滲んでいる。
「英介?」
「じゃね」
ペロリと舌を出して、英介は席をたった。
「ごめんね」
西村が言う。
返事をせずに、英介はスターバックス店内を出て行った。
「可愛いとか、そういういこと言われるの嫌いなんですよ。あいつ」
「そうなの? ルックスはいい方じゃない」
「だから」
かっこいいと言われる顔をしているのに、英介は露骨に自分のルックスだけを口にされるのを嫌がっている。
本人に聞けば、ルックスよくてもサッカー馬鹿が嫌いならこっちが傷付くだけだからだと言う。
高校時代の彼女との別れがトラウマになっているのかもしれない。
派出目な顔立ちに赤銅色の髪の色で、代表召集の際は監督に目をつけられていた。
有名な鉄拳制裁も受けていた。
それを覆すだけの姿勢と心を見せ付けて、英介はピッチに立っている。
英介の一番いい姿はピッチにあるのだ。
それは高山も同じだ。
「怒らせたのかな?」
「……たぶんね」
「浩二がそんな顔するのって珍しいわよね」
「……そうかな?」
「そうよ。年相応ってヤツね」
チームメイトにも言われたことがなかったけれど、高山はそうかもしれないと思った。
そして、苛立ちも何もかもを自分に真っ直ぐぶつけてくれる英介を想った。