プレス  (中)

 ジーンズのポケットに突っ込んであった携帯電話に着信があった。
 履歴には富永真吾の名前がある。
 なんだろうとHMVへの道を歩きながら英介は電話をかけた。
 気を紛らわさないと苛々してしまうから。
 コール音が続く。
 今ごろ富永の携帯電話が「太陽に吠えろ」の渋いテーマソングを奏でていることだろう。
『もしもし?』
「エースケです。電話、もらったみたいなんですけど」
『おぅ、そうそう。今、どこにいる?』
「今、センター街ですけど」
 電話の向こうでいろんな雑音が聞える。
 たぶん、昴の部屋でまた何人かで集まってゲームをしているのだろう。
『わりぃんだけど、本買ってきてくれないか? たぶん、センター街の本屋にならあると思うから』
「いいっスよ」
『って言うか、英介、お前、何か怒ってないか?』
 鋭い、と英介は一瞬固まる。
「あー、ちょっと、苛ついてます」
 くくっと富永が笑う気配。
『タカと喧嘩か? お前、一人じゃ帰ってこれないんだから仲直りして帰ってこいよ』
「……帰れますよ」
『嘘つけ。無理しないで、仲直りしろよ。セカンド最初の相手は乗りにのってる大阪だからな』
「優しくないなぁ」
『得点したら優しくしてやる。本の題名とかメールで送るから。頑張れよ』
 ケラケラと笑いながら電話は切れた。
 ここ数年、富永のテンションがあがりっぱなしで怖い。
 切れた電話をついつい見つめて、英介は嘆息した。
「敵わねぇな」
 暫らくしてメールがきて、題名と出版社と作者名だけのメールがきた。
 ご丁寧に作者名の振り仮名をうってあるあたりがむかつくのだが、それがなければ読むことが出来ないのでありがたい。
 富永らしい、なんだか難しそうな本の題名だった。

 富永に頼まれてしまった本を店員の助けを借りて購入して、英介は地下で大きな音のBGMの流れるHMVに降りた。
 むしゃくしゃする気分は変わらない。
 自分のコンプレックスの一つでもある顔のことをずけずけと言われたことと、その言った相手が高山の昔のコイビト。
 自分たちの関係が、自分達自身でコイビトだと肯定してしまえないほどなんだから、昔の恋人に妬くなんて筋違いなのかもしれないこともむかついてしまう。
 ふっと目についたのは、英介の好きなヒップホップ系バンドの視聴コーナーと、高山が好きだと言っていた声が綺麗で大きい女性歌手の新曲の視聴コーナーだった。
 高山はアイドル系は嫌いだから、よほど声が綺麗だったり発声がしっかりしていないと聞かない。
 この女性歌手は高山もいいな、なんて言っていた。
 ヘッドフォンをつけて、スタートボタンを押す。
 ボリュームをあげて、耳を傾けた。
 心地良い低い声から、何かが吹っ切れるほどの高音域。
 
 あぁ、ちくしょうと思う。
 こんな自分は嫌いなのに。
 どうしたらいいのかわからない。
 こんなヤキモチとか妬くような関係じゃないのに。
 もっとわりきってて、もっと適当に、今までの通りの関係でありたいのに。
 
 女性歌手は狂おしいほどの恋心を歌っている。
 とても綺麗な声で。
 高山が好きな声で。
 
 こんなぐちゃぐちゃした感情を、高山相手に抱くなんて嫌だと思うのに。
(タカが下手に経験あるからなぁ〜。なんか俺ばっかうじうじしてそうで抵抗が……)
 英介は悩みがあれば人に聞いてもらって外へと発散していくタイプだ。
 だが、高山とのことはさすがに誰にも相談できずにいる。
 富永のさっきの言葉だって他意はない。
 チームの中で唯一の同期の二人で、神戸RCのホットラインとして息のあったプレーを見せる後輩の友情を心配してのことだろう。
(独占欲強くないとか疑うわけじゃないとか、さっき言ったばっかじゃねぇかよ。俺が)
 曲はちょうど終盤で、さっきまで激しい心の内を歌っていた歌姫が一転した穏やかな声で、恋人に素直になってみようかと前向きな姿勢を歌う。
 恋人だけでなく、自分の気持ちにも素直になって、少しの間周りの目なんか気にせずに、貴方を想う。
(俺、じゅうぶん自分に素直だもん)
 
 曲はフェードアウトして、カップリングが流れるまでの僅かな静寂が満ちる。
 ほうっと溜息をつこうとして、その吐息を英介はそのまま飲み込んだ。
「ごめん」
 低い高山の声が頭直接届いたから。
「!?」
 本当に驚いて、背後を振り返ると高山が立っていた。
 キャップを被った頭に額を押し付けていた高山が体を起こす。
 カップリングはアップテンポに流れ始めていたが、耳に入ってこない。
「ごめんな」
 もう一度、謝る。
 真摯な謝罪。
 何に?
 そう尋ねるほど野暮じゃない。
「むかついた」
 ヘッドフォンを外して、ストップボタンを押して、高山に向き直る。
 歌姫の歌う詩が耳に蘇る。
「知ってるか? 高山浩二がいっちゃんかっこいいのって、サッカーしてる時なんだぜ?なのに、サッカーしてるお前見ないでお前に惚れるなんて、趣味悪ぃーっつーの」
 僅かな沈黙の後、高山が目をそらす。
 照明が絞られ気味の店内でも、高山の頬が紅潮するのがわかった。
 困ったように口元を手で覆って、言葉を捜している。
「別に、謝るようなことねぇし。ただ、ちょっと俺にも独占欲くらいあんのかなって思っただけです」
 繰り出された英介の軽いジャブが、高山の左胸に当る。
 言葉を失ったままの高山は結局何も言えないままで、いつもの英介の仕草にやり返すことはせずに、ただ手を伸ばしてキャップのツバをぐいっと下げる。

「遠征にもってくDVD買うって言ってなかったか?」
「言ってたよ。何かいいの知ってる?」
 さっきまでのむしゃくしゃも、何故だか高山の顔を見ればおさまってしまう。
 現金な自分だと思わないこともないが、高山の顔を見るとこいつは自分に嘘はつかないという根拠のない自信が生まれてしまうのだ。
「あとは何が欲しいって?」
「俺は服。お前、靴買うって言ってなかったっけ?」
「いや、靴はスポンサーんとこに頼むことにする」
「タカのスポンサー、ナイキだろ?あそこのホームページのさアスリートのページに、ナイキをスポンサーにしてる人のプロフィールとか載ってるんだけど」
「……見たのか」
「見た。男前に写ってた」
 笑いながら英介は言う。
 一つ下のユーキという選手がスポンサーをナイキに決めて、こんな写真撮ったんですよと報告してくれたのを一緒にパソコンで見たのだ。
 高山のスポンサーがナイキだったのは知っているが、まさかあんな写真があるとは思わなかった。
 半ばモデルだ。
 今日の雑誌取材のような自然体ではなく、明らかにちょっとポーズをとっての撮影だったのだ。
 表情をそんなに作らないでクールな感じでいきましょうと言われたのでまだよかったが、ポーズをとるのは抵抗があって撮影時間が随分かかってしまったのだ。
 他に数人知った選手がいたが、どれもいつもと違った澄ました顔が見れて面白かった。
 高山は黒いウィンドブレーカーのジッパーを口元あたりまで引き上げているポーズで、面白くなさそうな無愛想面が逆にかっこよく写っていた。
「でも見てておかしくってさー、ユーキと腹抱えて笑ってたわ」
 背後に立っていた高山が、拳骨で英介の頭をぐりぐりとこすって仕返しにする。
「やっぱホラ、サッカー選手はピッチの上が一番かっこいいんだって」
 笑って逃げながら英介が手に取ったのはアメリカ映画のベタな恋愛モノだった。
 普段あまり選択しないジャンルに高山が首を傾げる。
「そんなの見たいのか?」
 お前ならこっちだろうと手にしたのは、こちらもアメリカ映画らしい軽快なストーリーと豪華なキャスティングで評判だったスパイ映画だ。
「タカ、アクションモノとか面白くないって言うじゃん」
「だってストーリーだいたい読めるだろう」
「俺は読めないの。タカは邦画好きだよな」
 高山の拘りは意外にもいろいろあって、それぞれ深い。
 中学時代の友人がアマチュアの映画監督とかの関係で、映画はマイナーだけど面白かったり独特の映像美を見せるものを選んでくる。
 音楽でも映画でも英介が知らないものを知っている。
「だからってこんな恋愛モノなんて」
「お前の持ってる恋愛モノは屈折してよくわかんねぇんだよ!参考に、し、よう……と思って……て」
 語尾が消えた。
 相変わらず恋愛沙汰になると調子がおかしくなるヤツだ。
 経験不足故の大胆さと戸惑いを併せ持って自分に挑んでくる。
「参考に?」
「……参考に」
「そりゃ、何のとお聞きしてもよろしいんでしょうかね」
「よろしくねぇよ!とにかく、ソレとさっき俺が聞いてたCD買って来い」
 手にしたDVDを押し付けて、英介はさっさと高山の前を通り過ぎて視聴コーナーで、今度こそ自分の好きなヒップホップを聞こうとヘッドフォンを着ける。
 仕方ねぇなと、高山は押し付けられた英介の買い物を手にしてレジに向かったのだ。
 レジのお兄さんに『高山選手ですよね?』と尋ねられ、商品と見比べられたのにはまいったが。


 普段なかなかできない分の買い物をしっかりして、二人は帰途につくことにした。
 苛立ちを見せていた英介の機嫌はHMVですっかり回復して、後は彼らしく久々の買い物を楽しんでいたようだ。
 車を虹明寮に向かって走らせながら、英介はさっき買ったばかりのCDをかけた。
「いい曲、だな」
 助手席で少しだけ退屈そうに、窓の外を見ながら英介が呟く。
「エースケ」
「何?」
 見事なオレンジ色の丸い夕陽の光を受けて、英介の髪の毛は濃い赤色に見える。
「あの人に妬いたんだよな?」
「……やっぱり、俺、趣味悪いかも」
「からかってるわけじゃなくて、なんか、嬉しかったんだよ」
 ひょっとしたら、高山は自分に普通に恋しちゃってるんじゃないだろうかと英介は思った。
 でも相手が江口英介だから諦めているんじゃないかと。
「あの後、何、話したんだよ」
「別に普通に。お互いの近況とか。彼氏との約束があったらしくてすぐに別れたけど」
 へぇと相槌をうつ。
「なぁ、妬いたの?」
「……タカって……、淡白なのか粘着質なのかわかんねぇな」
「好きなモンには拘るよ。他はどうでもいいんだけど」
 
 曲はサビにかかっている。
 前を走る車のストップランプが灯り、高山もブレーキを踏む。
「俺達の関係に敢えて名前つけなかったのは俺の方かもしれないけど、俺がお前のことを好きだってことは他に言いようもないから。だから、俺がお前のこと好きだってところは、信じててよ」
 ハンドルにもたれるような体勢で英介を覗き込んで、高山が言った。
 無愛想に映ってしまう切れ長の目が、真っ直ぐに英介を見つめてくる。
 別に高山の気持ちを疑ったわけじゃない。
 同性を好きになるというリスクは、安易な気持ちで抱けるものじゃないから。
 ただ。
 怖かったのかもしれない。
 今まで縁のなかった独占欲とか執着が、自分の中に生まれることが。
 『親友』という関係がもっと深くなってしまうことに恐れがあった。
 らしくなく臆病になってしまっていた自分が、高山に真摯な言葉を口にさせた。
「自惚れてるから安心しとけ」
 素直になるわと歌う声に後押しされて、英介はいつものように笑って、茶化したような言葉を口にできた。
 にっと口角を持ち上げて英介が笑う。
「……あー」
 高山がふっと困った顔になって英介から目を逸らした。
「なんだよ?」
 言いたいことがあるなら言えと口調に滲ませる。
 高山はますます困った顔をして、ぼそっと言った。
「キスしたいなと思って」
「……っ馬鹿野郎! いちいち断んなよな! 余計に恥ずかしいじゃねぇかよ!」
「そう?」
「そ、そうだよ! そんな、するって言われたら……緊張……」
「緊張。お前が? ありえねぇ」
「ムカツク!」
 本当にむかついたらしい勢いで英介が怒鳴り始めた。
 『お前がそういうこと明け透けに言う方がありえねぇんだ』とかなんとか。
 
 信号はまだまだ赤。
 この信号は待ち時間が長いことで有名だ。
 それを確認してから、高山はハンドルを握っていた手を英介に向けて伸ばした。
 首裏に手をそえて、ぐいっと強引に英介の顔を近づける。
 怒鳴りつづけていた英介の口はマヌケにも開いたままで、高山の口唇に触れた。
 試合中のパフォーマンスにも似た強引で、『当てる』といった表現がぴったりの下手くそなキスだった。
 時々勢いあまって歯ががちりと当って痛いキス。
 かと思いきや、急に柔らかく下口唇を噛まれる。
 英介の見開いていた瞳がぎゅっと閉じられた。
 同時に閉ざされた歯列を舌先で辿った。
 いつも英介は恥ずかしがって嫌がりこの辺でどうにか言い訳をつけて逃げてしまうのだが、今は生憎車の中。
 逃げ場はない。
「口、開けて」
「……っ、いャ」
 律儀に断ろうとして開いた口に、高山は舌を滑り込ませた。
 強張ってしまった英介には悪いと思いながら、普段抑えている分の熱をぶつける。
 慣れていない深いキスに英介は、緊張と怯えと恍惚と、複雑な気持ちを覚える。
 微かに耳に届いた湿った音が羞恥を呼び起こし、そして吹き飛ばす。
 突風に煽られるような感覚。
「……んっ、やめっ……」
 咽を逸らせて口付けから逃れる。
 目を細めて自分を見つめる高山があまりに近いところに見えた。
 後頭部を支えるようにあった手がすぅっと離れてシフトレバーを握った。
 ゆっくりとスカイラインが滑り出す。
 英介がまだぼうっとしている間に、高山は実に冷静に運転を始める。
「……っ、む、カツク」
 まだ別の舌によって探られているような感触が残る舌が巧く回らない。
 くっくと笑いを殺しながら、高山はハンドルを切る。
 笑い声は発することが出来たけど、実はしまったと思っているのだ。
 もう少し余裕のある時にするんだったと。
 体が疼いてくるのが辛い。
 サッカー選手であることが辛いと感じたのなんて、英介とこういう仲になるまでなかったのに。
「まぁ、徐々にね」
「徐々に!? 徐々にって何が!?」
「聞きたい?」
「いや……けっこうです」
 赤くなった頬を隠すように、英介は脱いでいた高山のキャップをかぶってツバを思い切り下に下げた。
 逃げ出したいのにそうもいかなくて、頬は熱が出たように熱くて、英介は子供のように泣き出したい衝動にかられてしまう。
 涙腺が緩いのは、過去の優勝時のウィニングランでサポーターにもチームメイトにも知れ渡っていることだ。
 


 その後、二人の間には会話はないままに虹明寮についた。
 明日は朝練があるからなのか、外出する時には半分以上出払っていた車も戻ってきている。
「腹減ったな」
「減った」
 やっと交わされた会話はそんな色気なんかみじんも感じないものだった。
 けれども、
「タカ!」
 英介はそれなりに気にしていたようで、車から降りると声をかけてきた。
「お、れも、それなりに覚悟決めるから……、あの、そんなに……無理? 無理を、すんなよ!」
 そう言い捨てると、後部座席の荷物をまとめていた高山を置いてさっさと寮に入っていってしまった。
「荷物……。まぁ、いいか」
 大量の荷物を抱えながら、高山は頬が緩んでしまうのを自覚した。
 まぁ、半歩の前進。
 苦手なインタビューだったが、ちょっとしたきっかけになってくれたのだから悪くないかもしれない。
 


「おかえりー」
 寮に入った英介を最初に迎えたのは、風呂上りらしい富永だった。
「ただいまです。風呂、もう入ったんですか?」
「さっき走ってきたからな」
 ここ数年、引退も囁かれている富永は体力作りには余念がない。
 昔は厳しかった顔つきがどんどん柔らかく若返っているように思えるのは、英介の認識だけではないはずだ。
「したのか?」
 忘れていればいいのに、キャプテンマークを外しても最年長プレーヤーとしてこのチームの父親のような目を配っている富永だ。
 詳しくは訊いてこなくても気になるのかもしれない。
「仲直り? ……しましたよ」
 ぎこちない返事に富永がにやりと笑って、わざとらしく片方の眉を跳ね上げさせた。
「したって?」
「な、仲直り、を」
「したんだ?」
「仲直りを!」
「わぁってるよ。なにそんなにムキになってんの? ホラ、もうご飯だよ」
 にやにやと人の悪い笑みを浮かべて、富永は談話室の方にも声をかける。
「おーい、飯だぞー。みんな出て来いよー」
 あのニヤニヤ笑いとこのオヤジそのものの発言をファンが聞いたら、どんな反応をするんだろうと思う。
「富永さん、頼まれた本!」
「後でいいよ。荷物置いてさっさと食堂においで」
 頭からタオルを被ったジャージ姿。
 そんな後姿は食堂に消えていった。
 何か勘付いているのだろうか。
 一抹の不安を感じていると、紙袋がガサガサという音が聞えてきた。
 かと思うと背中に衝撃を受けた。
「うおっ!?」
「人を荷物持ちにしてんじゃねぇぞ」
「あー、ごっめーん」
 お気に入りのパーカーに、ついただろう28センチの大足の足型を想像する。
「やっぱゴメンじゃねぇよ! 足出してんじゃねぇぞ!」
「洗えば済むことだろう?」
「そういう問題じゃねぇんだよ!」
「ケチケチしてんじゃねぇよ」
「あぁ!?」
 玄関先で始まった喧嘩に、食堂に向かおうとしていた寮生がぎょっとして立ち止まる。
 彼らの後輩はあわあわと青ざめ、先輩達はまたかーと通り過ぎていく。
「おー、今日もプリンじゃーん」
 そんな喧嘩の終幕は、食堂から聞えてきた昴の声によって打ち切られた。
 そんなこんなで今日も神戸レインボーチャーサー独身寮、虹明寮は賑やかだ。

Back 前       Next 後


NOVEL TOP   BACK