翌日。
午前練習を終えた高山は矢良薫を呼び止めた。
「どうした? お前、最近調子よさそうにしてるけどな」
最近、このチームドクターはファンに人気があるらしい。
グランドを去るときに、『薫先生』と黄色い声がかかる。
数年前に神戸RCの歴代の名シーンを収録したビデオ・DVDが発売された。
その中に、ゲーム中に左足を失った義足のチームドクターの一節が収録され、矢良薫の存在が若いサポーターにも知られることになった。
矢良は中身を外見に映したような容姿をしていて、ニヒルな口元と目元にひょろりとした背格好はインテリ崩れといったタイプでありながら元サッカー選手とあって、容姿・経歴共に女性には魅力なのかもしれない。
しかも独身貴族で調子がいいから、リップサービスも旺盛だ。
クラブハウスに向かいながら、矢良は選手である高山以上にファンサービスと思われる笑顔を振り撒く。
すごい人だと思う。
いろんな意味で。
「シャワー浴びて、すっきりしたら屋上に来いよ。最近、ニコチンないと生きていけないんだ。俺」
矢良はチームドクターとしても、チームOBとしても様々な相談を持ち込まれるらしい。
あの富永真吾も矢良には相談をもちかけているらしいと聞いた。
だいたいにしてその場所はクラブハウスの屋上で、矢良相談室と呼ばれている。
体を落ち着かせ着替えてから、屋上に向かった。
屋上に先に来ていた矢良は煙草を銜えて眼下の練習場を見ている。
ファンサービスに応じる何人かの選手の姿があり、歓声や黄色い声援がここまで聞えてくる。
「おぉ、英介はどうした?」
「あいつ、今日はユーキと帰ります」
「ユーキ、免許とったばっかりだろうが。怖いなぁ」
「寺井さんが先行して、昴さんが後続のVIP待遇で走るらしいですよ」
くつくつと笑う矢良の口唇から煙が零れる。
ファーストステージ終盤には怪我人が相次ぎ、挙句オーバートレーニング症候群を若手が起こして、矢良はかなり多忙な日々を送っていた。
選手のコンディションに細心の注意を払っていた。
ニコチンがないと生きていけないと言ったのは、多忙だった間吸えなかった分がきているのかもしれない。
「で? なんだ? 恋の悩みか? センセイ、経験豊富だからいくらでも聞いてやるぜ?」
にやにやと笑いながら話をふる。
「まぁ、恋の悩みなんですけどね」
「ほう、珍しい。まさか俺童貞でどうしたらいいのかわかりませんって言うんじゃねぇだろうな」
「……似たような、モンなんですけどね」
煙草を上下させて、矢良が驚いた表情を晒す。
普段そんなにポーズらしいポーズをとっていない、皮肉で口が達者で余裕綽々としている姿が素の矢良だが、そう言えば驚いた顔はそんなに見たことがないなと高山は思った。
「で、何?」
僅かな動揺を感じさせる質問に、高山は素直に答えることにした。
矢良と言葉の掛け合いなどしても不毛なだけだと経験が言っている。
「俺、英介とできてるんですよ」
ポロリと矢良の口から煙草が落ちた。
火を点けたばかりの長い煙草だった。
「……まぁ」
高山の想像よりもずっと早くに自分を取り戻した矢良が、そう前置きした。
見開かれていた二重の双眸が、いつもの彼らしい眠そうで面倒臭そうなものに戻っていく。
「わからないことはないけれども」
ばさばさと髪の毛をかきあげて、矢良が言った。
覚悟していたよと言いたそうな様子で。
「否定は?」
高山が尋ねる。
覚悟を決めたようなその表情を、矢良ははんっと笑い飛ばした。
「否定するようなもんじゃないだろう? するとすれば軽蔑とかそんなところだろうが、生憎俺にはそんな偏見はない。だいたい他人の色恋沙汰に口出しするような趣味はねぇよ。お前の親父じゃないんだから」
コツンと義足を鳴らして矢良は新しい煙草を銜えながら、落ちてしまった煙草を拾って携帯灰皿にいれる。
「俺の古い友人にな、野郎しか愛せないってヤツがいた。俺にも一度誘いをかけてきたが、これまた生憎俺は女しか愛せないヤツだった……あぁ、これも偏見だな。俺はそいつを愛せなかったというのがいいのかな? ともかく、断ったんだ。友人は悪かったなと俺に謝って、それから連絡は途切れた。数年前に連絡をよこしたと思ったら、そいつはなんとアメリカに言って性転換手術を受けて胸のでかい、スタイル抜群のいい女になってたんだ。惜しいことしたなと思ったね」
本当のことだろうか嘘だろうか判断しにくいところだ。
「だから俺はお付き合いを願い出たんだが、いただいたのはOKの返事でも平手でもなくて拳だったがね。で?お前は何?女になりたい?それとも英介をナイスバディの美女にしたいか?後者の可能性は多いに低そうだがね」
「ドクター」
「わかったよ。そう怖い顔をして睨んでくれるな。お前らのお付き合いは薄々勘付いてはいたが、進展のなさにも気付いてたよ。若いのにかわいそうにと同情しながら」
一旦滑り出したらもう止まらない矢良の舌だ。
この調子で数々の心配をさらっと解決してみせるのだ。
その間、相談者には忍耐が必要になるが。
「図星だろう?どこまですすんでるのかなんて、野暮な質問を敢えてしてみるか?例えばABCで表現するなら?」
忍耐と寛大な心が。
「……薫さんが知ってるとおりですよ」
矢良どころか、サッカーを見る者の全てが知っているだろう。
そこまでの関係ならば。
「マジですか?おいおい、本当にかわいそうになってきたぞ。高山、お前体に悪いことがよくできるな」
「ドクター、あんたマジで腹がたつ!」
「ははっ、お前が声を荒げるなんてよっぽどだ。今の一言でいろいろわかったぜ?お前は相当たまってるし、相当あの韋駄天の点取屋にいかれてるんだ」
ホールドアップをしながらケラケラと笑って、悪びれた様子もない。
口が悪いチームドクターだが、選手を落ち込ませはしても本当に傷付ける発言はしない人だ。
「やりたいんだ?」
「やりたいでしょう。好きな相手だし」
「で? 相談ってのは?」
「知らないんで、教えてもらおうと思ったんですよ。男同士のやり方」
「俺に!? 俺はお前の中でどういう認識なんだよ」
「なんでも知ってそうだなって」
「あぁ、そう」
暫らくの沈黙。
チームのご意見番はこう言った。
「早くしないとセカンド始まるぜ?」
そうなのだ。
今日は月曜で、今週末の土曜からはJリーグのセカンドステージが始まる。
セカンドステージ最初の相手は同じ関西の、大阪ライジングドチェアフル。
通称、大阪RC。
Jリーグ発足時から存続しているチームだが、成績は振るっていなかった。
ところが今季、過去にブラジル代表をW杯の獲得に導いた名将を監督に招き、新体制になってから結果を面白いほど出している。
ファーストステージでは神戸RCが優勝を手にしたが、大阪RCとは勝ち点1の差だった。
神戸としてはこのままセカンドステージも優勝し、Jリーグ史上数少ない両ステージ制覇といきたいのだ。
そのためには、初戦の白星獲得と大阪RCの出鼻を挫きたいものである。
エースストライカーに無茶して調子を崩させるわけにはいかない。
「明日オフだろ。今晩、頑張ってみたらどうでしょうね」
「ドクター、人事だと思いすぎです」
「お前の性生活のためと、チームのためを思って言ってるんだがね」
ニヤニヤ笑うその顔に誠実さがないというのは悲しい。
「……そりゃー、どうも」
高山は思った。
このドクターは優秀だけれども、やはり恋のアレコレは医者には治せない。
恋愛のイロハに関しては役に立たないドクターだったが知識はあったわけで、的確なA to Zを得た高山は、その日の夜に夜這いをかけて返り討ちにあった。
翌日のオフから高山と英介の間では、理由のいえない喧嘩が繰り広げられ、チームメイトを困惑させた。
それでも英介は彼なりに自分への妥協策を練って、高山にこんな提案をしたのだ。
セカンドステージ制覇で、両ステージを通じての王者になる。
若しくは、チャンピオンシップで優勝し、Jリーグ王者になる。
加えて、高山が未だ成し遂げていないハットトリックを達成したら覚悟を決めるという。
そんな大きな目標をもって、神戸レインボーチャーサーはセカンドステージに挑もうとしている。
end
最後は薫ドクターの登場で締め。なんか、こんな人実際にいたら嫌かもしれないと思ったり(笑)きっとドクターはチーム一人一人の弱味とか把握してます。それこそ選手から監督、フロントまで。