Fraulein 3



 カツ……ン……カツンカツ……ン………

 たどたどしい靴音を響かせて、坂井は夜道を歩いていた。
 人目に晒されなくなって、涙腺がじくじくと痛み出した。
 悔しいやら恥ずかしいやら情けないやらで。
(ちくしょう……なんで俺が……。くそ寒いし………)
 スカートがこんなに寒いものだとは思わなかった。
 唇はごてごてした感じで気持ちが悪いし。
 男に生まれてきて良かった………なのに、なんでこんな格好をしなければならないのか。
 すんと鼻を啜り上げて、坂井は肩に掛けていたカバンを揺すり上げる。
 月明かりが煌々と足元を照らし出している。
 こんな夜に不審人物は犯行に及ぶのだろうか。
 出てこなかったら、明日もこんな格好をさせられるのだろうか。
 ぞっとする。
(頼む、出てきてくれ。出てきたら、少しは加減して殴ってやる)
 祈るような気持ちで歩きにくい足を運ぶ。
 後ろから気配を殺して、叶や下村達がつけているはずだ。
 尾行されているとわかればその気配は感じ取れるが、知らなければまったく感じないだろう。
 考えてみれば随分物騒な連中だ。
 これだけ物騒な人間が揃っているのだから、囮なんか使わなくても解決するような気もしないでもない。
 しかし、ここで引き下がれば自分が浮かばれない。
(頼む。来い。来てくれ)


………………キィ………………


 必死の願が通じたのか、坂井の聴覚に僅かだが自転車のペダルを漕ぐ音が引っ掛かった。
(来た!)
 思わずガッツポーズを決めそうになるのを抑えて、坂井は冷静を努めて歩を進める。
キィ………キィ………キィ………
 一定のリズムを刻んで近付いてくる自転車の音。
 近付く気配。
 坂井の呼吸が背後から近付く気配に重なる。
キィ………
 ふっと、風が耳を掠めた。
 次の瞬間、肩に掛けていたカバンがぐいっと他の力に引っ張られる。
 黒い影が真横を通り過ぎたかと思うと、疾走していく。
 アイコの言っていた手口通りだ。
 すかさず坂井が駆け出した。
 非常事態には、歩きにくい靴も気にならない。
 一つ目の角を通り過ぎ、二つ目の角を自転車は曲がった。
「アイツ、早ぇな」
「角曲がった所で死体が転がってないことを祈ろうぜ」
 尾行組は一拍遅れて走り出す。
 坂井が角を勢い勇んで曲がった。
 曲がったところで、黒い影が立ちはばかっている。
 ぬっと手が伸びてきた。
 予想通りの動きを、坂井は余裕でかわし左足を軸に右の足を引いた。
 影が怯むのが伝わってくる。
「死ね。変態野郎!」
 にやり笑って蹴り飛ばそうとしたところ………

 ガクッ。
「へ?」
 軸足がずれた。
 動きにくい細いヒールで、バランスを大きく崩したのだ。
 ぐらりと視界が傾いだと思うと、坂井は地面に転がっていた。
「ちくしょっ……」
 悪態をついた視界に、きらりと煌めくナイフが見えた。
 ヤバイ!
 咄嗟に腕を上げて刃の襲来を防ごうとする。
 ガツン!
 襲ってきたのは痛みではなく、鈍い金属の音だった。
 見れば、白い手がサファイバルナイフの刃を受け止めている。
「あっぶねぇー」
 呑気にも聞える呟きが耳元でする。
「おせぇ」
 ほうっと息を吐いて坂井が罵れば、
「お前が早すぎるんだ」
 と笑う。
 不審人物と言えば、ナイフの先にある人間の手らしきものの手ごたえの異様さに目を見開いている。
「うちの店の看板娘になんてことしやがるんだ、この変態野郎!」
 青銅の手で、ナイフを払うと下村は間髪おかずに手加減なしの蹴りを食らわす。
 男はうめいて無様に道に倒れた。
 下村は容赦のない蹴りで男を打ちのめしている。
「坂井、大丈夫か?」
 シガリロを銜えた叶がしゃがみこみ、坂井を覗き込む。
「足、挫いたみたいですけど後は」
 大丈夫ですと続ける。
「おい、下村。そのくらいにしとけよ」
 振り返った叶が言えば、散々痛めつけた男の首根っこを掴んで無理矢理立たせる。
 外灯の下に露わになった犯人の顔を見て、坂井がまず声を上げた。
 その様子を見てから下村も、今更のように男の顔を覗き込む。
「……あ」
「なんだ? 知った顔か?」
 ぞろぞろと他の尾行組まで顔を揃えだした。
「うちの客ですよ」
 中肉中背の中年男は、ブラディ・ドールに時々やって来る会社員だった。
 店に来ては、女の子に愛想を振り撒いている。
 騒ぎを起こすわけでもない、普通の客だったのだが。
「まぁ、危険人物にはとてもじゃないが見えないわな」
 叶の言う通り、男は下村にボコにされ鼻血を流しながら泣きべそ状態である。
 敵意や悪意の類はないようだが、
「でも、ナイフ持ってましたよ」
「護身用ってことで今じゃ、一般人が持ってても珍しくはないがな」
 さてどうしようかと思い始めたところで、下村に首根っこを掴まれていた男が、めそめそと泣きながら謝罪の言葉を繰り返し始めた。
「動機を話してみな。俺達は警察じゃないんだ。金輪際うちの店に近付かなければ、見逃してやらないこともない」
 と、寛大なことを言い出したのは川中だった。
 下村に歯でも折られたのか、聞き取りにくい声で話し出した動機は、ここに顔を揃えた男達には到底理解ができないものだった。
 つまりのところ、女に不自由しない男達には縁のない悩みである。
 容姿のせいか性格のせいか、昔から女性とうまく付き合えなかった男がブラディ・ドールの女の子に優しくされて、心癒されかけたと言う。
 ブラディ・ドールの女の子なら誰でもいいから、自分の所有物にしていまいたくてどうしようもなかったと言う。
 薄ら淋しい話ではあるが、今ならそこら中に転がっていそうな哀れな現代人の強行であった。
 あまりに情けのない動機に、一同怒りを忘れて呆然となる中、男は未だシクシクと泣き続けている。
「………そんなことのために、俺はこんな格好までさせられたのかよ………」
 女の頬を発ってコトに及んで、あまつさえそれらしい言い訳をさらりと口にできる坂井には、到底理解ができない。
 怒りよりも、虚しさが渦巻く。
「今後またこんな情けのないマネしやがったら今度はその怪我じゃすまないぜ。わかったか?」
 コンコンと下村が男のこめかみを青銅の手で小突けば、男はひぃっと息を飲んで震え上がる。
 川中を見れば、軽く頷くので男の首根っこを掴んでいた手を離してやる。
「行けよ。もう。仕方がないから見逃してやる」
 お陰でいいものも拝めたしと、下村は胸中でだけ続ける。
 解放された男は、怯えながらも何度も男達に礼と謝罪を言い、転がるように夜道に消えて行った。


「なんなんだよ。ちくしょう」
 沈黙の続く一同の静寂を坂井が破った。
 ひどくまいったような声だったから、薄闇の中で忍び笑いがもれてくる。
「ちくしょう。人事だと思って………」
 恨みがましい目を向ける。
「悪かったな、坂井。足、大丈夫か?」
「挫いただけです。でも、この靴………歩けないんですケド」
 自棄になったように、地べたに座り込むとヒールの細いブーツを脱ぎ捨てる。
 格好とはあまりに似つかわない動作だが、何故かそれが可愛く映る。
「とりあえず着替えたいんですケド」
「店に一回戻ってからドクのところだな。叶、俺のポルシェ転がしてこいよ」
 鍵を放られた叶は、へいへいと小走りに路駐してあるはずのポルシェに向かった。
「このままの格好で連れてってもいいんだけどな」
「冗談でしょう? こんなかっこう見られた日にゃ、俺は街中の笑いものですよ」
 きっと追っかけファンが増えるだけだろうとは、とてもじゃないが言えない。
 やがて、叶が川中のポルシェを転がしてきた。
「ホラ、お姫様」
 坂井の神経をわざと逆撫でて叶がドアを開けると、坂井は眉間にざっくり皺を刻んで立ち上がろうとするが、相当派出に挫いたのか立ち上がれない。
「よいせ」
 耳元で川中の声がしたと思うと、膝裏に川中の大きな手が差し込まれ抱え上げられた。
「うわぁ!?」
 細いが背丈のある坂井の体を余裕で抱え上げている。
「社長! 下ろしてください! 歩けます!!」
 真っ赤になってじたばたする坂井の抵抗など気にもせずに、川中はお姫様だっこ状態の坂井を車の中に押し込んだ。
「意外に軽いな。お前」
 などと感想を吐きながら、叶と運転席を交代する。
「ご協力感謝します、だな。自衛団の真似事をさせて悪かったよ」
 言われた秋山と叶は、ちらりと顔を見合わせて肩を竦ませ、
「思ってもないくせに」
 声を揃えた。
「礼はお前のトコの看板娘の酒だ」
「それと、ドクになんてからかわれたか報告しろよ。下村の今晩は燃えましたなんて惚気はいらないからな」
「しませんよ」
「何言ってるんですかっ」
 坂井の機嫌をこれ以上悪くしても後が大変だと、川中は下村と高岸を乗せて店に引き返し、連絡した桜内の診療所へ向かった。
 着替えを済ませた坂井はやっと肩の力を抜いた。
 もったいないと言い出しそうな下村に口をきかせる間もおかずに、しっかりと化粧を落とし、違和感も流したのか今はすっきりした表情をしている。
 が、それもどこから情報を得たのか桜内に、
「いらっしゃい。お嬢さん♪」
 と、出迎えられ向上しかけた機嫌は一気に下降した。
 特別手当をやるよと言う川中の機嫌とりにも大して反応せず、坂井は長い一日を終えようとしていた。


 その夜、叶が言ったような「燃えました」などと言う報告のネタになるようなこともないままに、坂井はむっつりとしたまま布団にもぐった。
 下村はといえば、機嫌をとることに成功できずひたすら坂井の愛らしい姿に煽られた熱を持て余したまま、その傍らで「ちくしょう」と悪態つきつつ眠りについたのだった。

 翌朝。
 目覚めた下村は、頬に感じる違和感に首を捻りながら洗面台に向かい、鏡を覗き込んで静止した。
「さかい……」
 脱力した男の片頬には、ベージュの口紅で大きく、
『バーカ』
 と描かれていた。

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女装さえさせれればよかったので、大いに手抜きが感じられますね(笑)ちょっとギャラリー出しすぎたかなと反省です。きっと、誰かが坂井直子ちゃんの盗撮をしていることでしょうから、プロマイド流出でしょう。管理人のこんな自己満足小説のお付き合いくださってありがとうございます(^^)

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