「怒った?」
無言でシフトチェンジをする坂井を、下村が覗き込んだ。
「俺の天使」公言騒ぎの翌日、下村は坂井のご機嫌取りに昼食を奢ることにした。
会ってさえくれないかと思っていたが、誘ってみると案外素直に了承してくれた。
坂井を釣るには飯が一番だ。
「べっつにー」
素っ気無く言って、スカイラインをホテル・キーラーゴの駐車場に滑る込ませる。
「呆れたか?」
「わかってるじゃねぇか」
「お前のことならなんでもな」
「わかってねぇな……」
サラリと、坂井にはあまり免疫のない科白を吐く。
呆れるというか、諦めた。
それでも言われっぱなしなのは、なんとなく癪に触る。
自分の機嫌のボルテージには妙に気を遣う下村が、再び坂井の顔を覗き込んでくる。
チャンス。
普段なら絶対にしない坂井からのキスに、下村が驚いた顔を晒した。
坂井の口元に僅かな勝利の笑みが浮かぶ。
「天使………」
呆然とした下村が思わず漏らした言葉に、ガツンと一発くれてやる。
「腹が減った。行こうぜ。オーナー自慢のステーキがお待ちかねだ」
食う気満々で、坂井は車を降りた。
「仰せのままに。天使様」
坂井に聞こえないように呟くと、下村もそれに続いたのだった。
時間が遅いこともあってか、ホテルのレストランにはコーヒーを楽しむ客が数人いるだけだ。
窓辺の席についた坂井は、迷うことなくステーキのセットを頼む。
下村はオープンサンドをオーダーした。
「食わないのか?」
「お前が食ってるの見てる」
下村はいつもそうだ。
小食という訳でもないのに、あまり食べない。
坂井の旺盛な食欲を眺めている。
ステーキを豚の足を食べるように食べる坂井の口元に、下村は視線を投げている。
その食べっぷりが可愛いと思うあたりが、重症だ。
「よく食うな」
「普通だろ?」
「その食欲を俺に向けてくれたらと思うよ」
ぼやいた下村の鼻先にキラリと光るナイフが突き付けられた。
「悪かった」
素直にホールドアップすればそれ以上なにも言わず、黙々と食事が再会される。
坂井が綺麗にステーキセットを片付けると、下村は2人分のコーヒーを頼んだ。
腹も一杯になり、坂井の機嫌もすっかり回復した。
じっと、眼下に広がる海を眺めている。
穏やかな海だ。
釣りに行こうと社長が言い出すかもしれない。
暫らくそうやって海を眺めていた坂井が、ふっと視線を目の前の男に移す。
あまり強くもない陽射しの中で、下村が眠っていた。
右手で頬杖をついて、長い睫毛を伏せている。
テーブルには開いたままの左手がある。
ボーイ達が恐れるブロンズの義手と冷酷なポーカーフェイス。
つい先日までは、ごく平凡な会社員だったということが信じられない。
投げ出されている左手に、坂井は触れてみる。
触覚がないからか、下村はピクリともしない。
白い手袋に覆われた硬質な感触を、坂井は感じる。
凶器にも成り得る手。
それは時に自分の肌の上を悪戯に滑り、弄る。
他の誰も持ち得ない、下村の手が好きだ。
滅多に笑わない、笑うとしても皮肉に笑うと言われる表情も、坂井の前では違う。
ガキみたいに笑うし、反対に酷く優しくも笑う。
多彩な表情を見せる。
けれど、それも坂井だけが見ることが出来る特別なもの。
知らず浮かんだ微笑。
そうして、坂井はしばし下村の寝顔を堪能したのだった。
数分後。
坂井の耳に押し殺したような笑いが聞こえてきた。
喉の奥で笑うような、どこか上品で耳に心地いいその笑い方には聞き覚えがあった。
肩越しに振り返ると、普段通りきちんとスーツを身につけた秋山が立っていた。
可笑しそうに笑いを堪えている。
「……秋山さん……。いつから……」
呟くような問いかだったが、下村は薄っすらと目を開けた。
浅い眠りだったのか、眠そうな気配はない。
伸びをするように躰を起こす。
「わりい。けっこう寝てた?」
「いいや。ほんの5分くらいなものだよなぁ。坂井」
下村が寝始めた頃から、2人を観察していたのだろう。
ホテルの総支配人というのは暇な職業なのだろうか。
「今、厨房でレナ風のコーヒーを煎れさせてるんだ。もう、一杯飲んで行けよ」
そう言うと、下村の隣に腰を降ろし、
「最近、安見と高岸が仲がいいんだ」
唐突に秋山が切り出した。
無意識だろうが、眉間に僅かな皺が刻まれている。
下村と坂井は軽く目を合わせて、
「高岸はいい奴ですよ。まだまだ、ガキですけどね。もう、数年も社長の側に居りゃぁ、一人前になりますよ」
「安見も年頃ですからね。秋山さん。いつかは覚悟を決めなきゃなんなくなる」
この親馬鹿をからかってみる。
スクウェア秋山の弱点がこれだ。
「うるさい。お前らも父親になってみれば、俺の気持ちがよくわかるんだ」
ウェイターの運んできたコーヒーを口にして、秋山は話題を転換する。
「その高岸が、今日は面白い話しを持ってきた」
意味深な間。
坂井は嫌な予感に襲われる。
「坂井は下村の天使なんだってな」
この瞬間、高岸、半殺し決定。
「なんのことだと思ったんだが、なるほどな」
カップを口に運びながらちらりと、秋山が坂井を見る。
目元に朱を刷いた表情は、可愛いと形容してもいいだろう。
普段、カウンターの中で老人のような物言いと仮面のような無表情を崩さない青年が、こんなふうに慌てる姿を晒すのは新鮮だった。
「左手はなくしちまったけど、天使を手に入れたか。羨ましい話しだな」
「秋山さんにだって、可愛い天使と綺麗な天使がいるじゃないですか」
「生憎うちの天使たちは、お前の天使みたいに素直な反応はしてくれないんだよ。しかも、手を組んで俺を尻に敷こうとする」
「それが、快感とか」
「実はな」
フロリダ帰りとパリ帰りの会話に坂井は何も言えず、黙ってコーヒーを口にする。
「ま、邪魔をしないうちに退散しようか。下村、お前さんの天使はお前の寝顔がお気に入りらしいぞ」
「秋山さん!!」
スーツに似合わない軽い足取りでその場を去った。
残された坂井は、自分を見つめている下村の視線を避けるように俯いている。
「さーかーいー?」
揶揄の響きを含んだ呼びかけに、坂井が目だけを向ける。
羞恥の浮かぶ双眸が照れ隠しに睨み上げてくる。
「んだよ!!」
「素直じゃないなぁ。いや、反応は素直なんだけどな。いろんな意味で」
「そういう言い方はやめろっ」
「海岸通りでも散歩しようぜ。店が開くまで時間もあることだし」
「人の話聞けよ」
「いいじゃん。お前、なんだかんだ言っても俺と一緒にいるの好きだろう?」
一瞬絶句した坂井に、下村が口角を上げて笑ってみせる。
噂が嫌なら、下村から離れていればいいのだ。
飯に誘われようが、そっぽを向いていればいい。
必要ない存在なのだと言ってしまえばいい。
なのに、自分は今だって下村と一緒にいる。
突っぱねてしまい切れない。
下村の言っていることは、坂井にとってはずばり図星だ。
「……仕方ねぇなぁ」
悪くねぇ。
そう思える自分がいる。
自分がついてくることを疑わずに先を行く背中に苦笑しながら、坂井は駆け出した。
その背中に追い付くためではなく、ただ隣に立つために。
秋山さん、書きたかっただけっス……(^^;)
坂井にとって、下村のような存在は初めてなんじゃないかなぁ。藤木さんや叶さんみたいに、追いつきたい人でなくて、隣で一緒に戦うなり生きるなりする人って。そんなこと考えながら書きました。(←後付けじゃん)