愛はいらない、キスをしよう


<Side:下村>

「まりこは天使だね」
 俺から逃げていった女に対して、そんなことを言った男がいた。
「失敗した」
「なにを?」
「おまえを、天使を間違えちまった」
 その男がまだ生きていて、追いかけて来た女もまだ存在していた頃、俺はそんな会話を俺の天使と交わす。


 全てを捨てて女を追ってこの街に来て、なんだか妙な連中に会って馴染んで、挙句に左手なくしちまって、おいおい冗談じゃねぇぞと思っていたら、どういうわけか俺も天使に会っちまった。
 そしたら、なんか同じ職場に勤めることになって、天使とも一緒にいることが多くなって………運がいいんだか悪いんだか。


「しーもーむーらー」
 俺の天使は笑うと可愛い。
 普段は老人臭いのに、こうして歯を見せて笑うと子供地味て見える。
 が、状況がおかしい。
 今日はあまり客入りがよくなく、早めに店を閉めたのだ。
 それから、坂井はカウンターの片づけやら、以前から試行錯誤しているオリジナルカクテルにとりかかっていた。
 その間に俺は、他の店を回って来たのだ。
 で、帰ってみたら出てきた時と状況が大きく変わっていた。
 まず、坂井がいるのがカウンターの中ではない。
 ボックス席なのだ。
 そして、人が増えている。
「よう。ご苦労だな。下村」
 極普通に片手を上げたのは社長で、
「悪いな。片付けた後に。邪魔してるぜ」
 どこまで本心なのかわからないセリフを吐いたのは、ドク。
 で、その膝に腰を降ろしているのが、
「坂井くん、借りてるわよー」
 大崎女史………
「下村も飲むか?」
 更に、遠山先生までもが、グラス片手にボックス席で宴会を開いていたのだ。
 この面々なら閉店後に飲みに来ることは時々あるが、この人達に埋もれるように床に座り込んでいる坂井が変なのだ。
「………さかい………。酔ってるか?」
 顔が心なしか赤いし、さっき自分を呼んだ声も舌ったらずだった。
 いつも、きっちと着込んでいるベストにボータイは乱れ、襟元のボタンも開いて、鎖骨が覗いていたりなんかして……
 目に毒状態だ。
 襲っちまうぞ。
 しかし、あの坂井が酔うとは何事だ。
 酒にはそんなに弱くないし、限界量を超えて飲むなんてことをするとも考えられない。
 と、なれば、さっきからおかしそうに笑いを堪えている連中が原因か。
「どういうことでしょうか?」
「こういうことよ」
 大崎女史が突き出して見せたのは、トランプだった。
「………賭けですか」
 そういえば、博打好きな面々ではある。
「負けたらストレートで一杯」
 社長が軽くグラスを掲げてみせる。
 見る限り、坂井の酔いようはかなりのものだ。
 空のボトルも幾つか転がっている。
 負け続けたのだろう。
 坂井も、賭け事に弱いわけではないが、如何せん相手が悪かった。
 それは、坂井もわかっていただろう。
 勝ち目のない賭けに乗ったのは、社長の笑顔攻撃か、それに匹敵する脅しがあったのだろう。
 自分がこの場にいれば間違いなく、今の坂井の状態になっていただろう。
 この、幸運を喜ぶべきか………
「しーもーむーらっ」
 再び名前を呼ばれ我に返ると、へたり込んでいる坂井が子供のように手招きしていた。
「坂井、お前大丈夫かよ」
 肩膝ついて、坂井を覗き込むと、犬耳と尾の幻想が見えそうな笑顔を向けて抱きついてきた。
「………これは………、子供帰りですか」
 ぎゅーっと、抱きついてくる坂井の体を支えてやりながら問うと、
「そうなのよぉ。もう、可愛くて可愛くて」
 大崎女史がにこやかに笑いながら答えてくれた。
「俺は怒り上戸に賭けてたんだがなぁ」
「結局、大崎女史が勝っちまった」
 賭けの裏に更に賭けがあったのか。
 つまり、最初から坂井は酒の肴にされていたのだ。
 哀れ、坂井。
「で、下村君には一番美味しい状況を用意させてもらったのよ」
「美味しいって………」
 確かに美味しいが、こんな酔っ払い相手にどうやって手を出せと言うのだ。
「しもむらぁ。好きだよー」
 俺の肩口に鼻先を埋めて、ゴロゴロと喉が鳴りそうな表情を浮かべて、坂井が言う。
 周りには勿論聞こえている。
 素面だったら絶対に口にしない言葉もアルコールの力一つで、こうも簡単に出てくる物か。
 ちょっと、感激してしまった。
 我を忘れている状態で、俺の名前がちゃんと出てくるってのは愛だろう。
 愛。
 しかし、酔いが醒めて自分の口走ったことを聞いたら、坂井はどんな顔をするのだろうか。
「で、もう坂井は解放していただけるんですか?」
「あぁ。煮るなり焼くなり好きにしろ」
 何気に凄いことを口にしているが、遠山先生は素面だ。
 まさか、俺たちの関係が遠山先生にまで知られているとは思わなかった。
 いや、ついさっき坂井が口走りはしたが。
「しっかし、坂井が酔い潰れると子供帰りしちまうとは意外だった。下村はどうなんだろうなぁ」
 ドクの意地の悪い質問に、俺は言ってやる。
「暴れちまうらしいですよ。昔、一緒に飲んだことのある同僚に言われたことがあるんですけどね。二度と飲みに誘ってきませんでしたが」
「あれ、お前、もしかして面白くないって思ってるか?」
「わかります?」
 その通りだった。
 人に自分の物を勝手にいじくり回されるのは面白くない。
 こんな無防備な状態の坂井であれば尚更だ。
 状況は美味しくても、できることなら始終その場にいたかったものだ。
「しもむらー? 怒ってんのか?」
 ちょっと、顎を引いて、上目遣いで坂井が俺の顔を覗う。
 可愛い………。
 いや、そうじゃなくて。
「怒ってない」
「怒ってんじゃん………」
 だから、その上目遣いは反則だって。
「お前、自分でボータイとったのか?」
「んー? わかんねぇー」
「あら。怒ってるわね。嫉妬深い男は嫌われるわよ」
「仕方ないでしょ? 惚れちまったんだから」
 ヒュ―と、短い口笛を社長が吹く。
「俺」
「は?」
「坂井のボータイ取ったの。俺」
 自首してくれるのはいいが、社長が相手じゃどうしようもない。
 いや、遠山先生でもどうしようもないし、大崎女史やドクでもやっぱり困るのだが。
「酔いが回ってたから苦しそうだったんだ。安心しろよ。手は一切出してない。証人もいる」
 俺がどうやっても敵わない人たちばかりを集めてこの賭けを始めたのは、偶然なのだろうか。
 計画的のような気がするが………。
 この面々に嫉妬してもしかたがない。
「じゃ、もう、帰ります」
 脱力する体に鞭打って、坂井を支えて立ち上がる。
「ほら、坂井。しっかり立てよ」
「好きだよー。しもむらぁ」
「わかってるから、立てって」
 どんなに愛しくても相手は大の男。
 しかも、がたいはいい。
 更に、俺の片手は義手。
 お姫様だっこをしたくても、できるわけがない。
 飲み屋の付近をウロウロしている中年よろしく、俺は酔っ払いに肩を貸して叱咤しながら店を出た。
 背後に幾つかの忍び笑いを聞きながら、それから坂井が遠慮なくかけてくる重みを心のどこかで楽しみながら。




<Side:坂井>

「あ………れ………?」
 頭の芯がズキズキと痛んでいる。
 その疼痛で目が醒めた。
 一度は経験したことのある、しかし、ここ数年はご無沙汰だったこの痛みは………二日酔いだ。
 んで、ココは自分の部屋じゃない。
「しもむら………?」
「あ、起きたか」
 キッチンから下村の声。
 ヤバイ。
 記憶がない。
 昨日、下村が他の店を回って来るのを待っている間に、社長と遠山先生とドクと大崎先生が来たのは覚えている。
 その後の記憶がさっぱりだ。
「俺、昨日………」
「まったく、遊び心を忘れなさ過ぎる大人達にも困ったもんだぜ。覚えてないだろう? 昨日、賭けに負けて飲まされたんだよ。お前。限界量超えてな」
 思い出した。
 あのメンバーでポーカーをしたのだ。
 やってるうちに負け続けてるのが悔しくなって、ムキになっていったところまで………。
「お前が、ここまで運んでくれたのか?」
 氷の入ったグラスと薬を手に、下村がベッドサイドにやってくる。
「そう。で?」
「………あ………りがと………」
「ん。ほら」
 今日は妙に優しいじゃないか。
 いつもだったら、俺の落ち度を散々にけなしたはずだ。
「起きれるか?」
「あ、あぁ。だいじょう………」
 じゃ、ない。
 ちょっと、躰を起こそうとしただけなのに、頭が割れるような痛みが襲ってきて、閉口した。
 そんな、俺を見て下村はちょっと苦笑いし、自分で水を口に含んで口移しでキリリと冷えた水を飲ませてくれた。
 ………なんか、優しい。
 水はカラカラだった喉を潤し降りていく。
 親鳥が雛に餌をやるように、下村はそれを繰り返す。
 どこまでも優しい仕草がくすぐったい。
「も、いい」
「腹は?」
「今は、いい」
「寝てろよ。まだ午前だ。店まで時間はある」
 よしよしと、頭を撫でてくれる。
 気恥ずかしくなるくらいに、優しい。
 なんだろう。
 下村の奴、なにか企んでるのか? 
 それとも、俺が昨日なんかしたか?
「下村………」
「なに?」
「いや………。なんでもない」
「辛いか? 躰」
「いや、寝てれば大丈夫だと思う」
「無理するなよ」
「俺さ、昨日………なんか、した?」
 とたんに、下村が笑いを堪えたような顔になる。
 やっぱり、なにかしたらしい。
 そういや俺、昔正体を無くすくらいに飲んで酔った時に、子供みたいになると言われたことがある。
 今回も、それをやってしまったのではないだろうか。
 それで、下村は呆れているんじゃないか?
「………んだよぉ。その顔はっ」
「いやっ。別に、そんな自己嫌悪に陥るようなことはしてないぜ?」
 嘘だ。
 絶対に嘘だ。
 あの場には社長やら遠山先生やらと、他にも人はいた。
 俺が失態を晒したのなら目撃しているはずだ。
 何をしたにせよ、顔を合わせば笑われるに違いない。
「俺、変なこと言った?」
「変なことは、言ってない」
「じゃ、何言ったんだよ」
「いいから、寝てろよ。仕事にでれなくなったらどうするんだよ」
 それはそうだけどよ。
「なんだ、おやすみのキスが欲しいのか?」
「言ってろ。気障野朗!」
 頭が痛むのを覚悟でごろりと寝返りをうち、毛布を頭から被ってしまう。
 それでも、下村は額にキスをしてくる。
 身じろいで嫌だと言うと、喉の奥で殺す笑いが聞こえる。
 下村の忍び笑いを子守唄に、俺は心ゆくまで眠り込んだ。


 午後になると、幾らか体調も良くなり、店の開店時間にはすっかり回復していた。
 結局、下村からは何も聞き出すことが出来ないままだ。
 奇妙に優しいのも続いている。
 が、その件についてはすぐに理由が発覚したが………。

 更衣室でセーターを脱いだ俺の方を高岸が妙な表情で見ていたのだ。
 なんだよと、問い詰めれば、顔を赤くして、
「キスマーク、付けられてますよ。」
 と、耳打ちした。
「積極的な女ですねぇ」
 なんて言っている高岸を無視して、俺は従業員用の駐車場に即行した。
 ちょうど、スカイラインを停めた下村が車から降りているところだった。
「下村!!」
 怒鳴ってやると、悪びれた様子も見せず、
「ばれたか」
 ぬかした。
「ばれたか、じゃねぇよ!! 何してくれたんだ!!??」
「口に出してはとてもじゃないけど言えないようなことを」
「平然と言ってんじゃねぇ!!」
「だって、据え膳だったからさ」
「す、すえぜんって………」
「覚えてないもんなぁ。仕方ないよなぁ。いや、俺も悪かったよ。酔っ払い相手に、理性とばしてんじゃあなぁ」
 そんな自分の行為に、反省した結果、俺に優しかったのか。
「なぁ、俺、マジで何したんだよ………」
 こうなると、本当に自分の言動が気になる。
 酔いは醒めても、記憶は戻らない。
 それが余計に不安を煽る。
「聞きたいか?」
 こくんと頷くと、下村が口角を持ち上げた。
「じゃ、愛してる?」
 疑問形で聞かれたその言葉がイマイチ理解できないで硬直していると、下村はもう一度、言い聞かせるように同じことを口にした。
「愛してる? 俺のこと?」
「………はぁ?」
「言えよ。イエスかノーかだ」
 ここで、何故そんな質問を浴びせられなければならないのかが理解不能だ。
 下村には人並みの羞恥心がないから、よくそんなセリフを言うけれど、俺は違う。
 嫌いじゃない。
 嫌いじゃない。
 一緒にいるのも、触れ合うのも。
 好きなんだ。
 めったに言わないけれど、俺は下村が好きなのだ。
 ただ、俺は下村とは違って、一般人並の羞恥心をもっているからさらりと口に出来ないだけで………。
 ちくしょう、なんでこの年になって、好きな相手前にして赤面せにゃぁならんのだ。
「好きだよっ。愛なんてわかんねぇけど、好きだよ!」
 半ば自棄で声を張り上げると、嬉しそうに相好を崩した下村がついっと顔を寄せ、口付けてきた。
 怒る気にもなれない俺に、
「昨日、そんなことを言ってたよ」
 言った。
 あっさりと。
「子供みたいになって、くっついてきてさ。好きだよって」
「………うそ」
「ほんと。で、帰ったら帰ったらで、容赦なしに誘ってくるし」
「も、いい………」
 全て、自分で撒いてきた種だ。
 もう、いい。
 誰も責めようがない。
 クスクスと下村が笑っている。
「可愛かったよ」
「うるせぇ」
「ほんと、可愛かったよ」
「じゃぁさぁ」
 俺は、言った。
「お前は、俺のことアイシテル?」
 俺だけってのはフェアじゃない。
 下村は一瞬、驚いた顔をして立ち止まった。
 俺の顔をじっと見て、やがて優しく笑う。
 俺は、この笑みが好きだ。
 本人には決して、言わないけど。
「お前は俺の天使だよ」
「そんなんじゃわかんねぇよ」
「じゃ、愛してるよ。ま、俺も愛なんてわかんねぇからな。好きなのは確かだ」
 臆面もなく囁く。
 それから、またキス。
 触れるだけで離れていく。
 赤面するより、なんとなく嬉しくなって思わず笑ってしまう。
 これは、俺も相当こいつにいかれているらしい。


愛なんて難しい言葉はいいよ。
もっとわかりやすく、側にいよう。
キスをしよう。
一緒に生きよう。
求め合おう。
それから、たまに、好きだって言い合おう。
それだけで、十分だから。


「よー、坂井。二日酔いは大丈夫かー?」
「げっ、社長!!」
「なんだ、その言い草は」
「あっ、いえ、別に………」
「あ、ひょっとして邪魔したか?」
「ちょっと、ですけどね」
「下村!!」

愛なんかいらない キスをしようよ


2001/02/27
下坂の王道。坂井酔っ払い話し。もう、コレ、坂井?ってくらいにキャラが崩れてますが。
私は、下坂には他の周りの人物達を巻き込ませるのが好きです!で、照れる坂井とべっつにーな下村。でも、やっぱり二人はラブラブなのが好きっす。だからキス魔な二人(^^;)

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