「で、お前に白羽の矢が立ったワケか」
レナのコーヒーを味わいながら、下村が納得顔で言った。
「そうだ」
反対にどこか物言いた気な顔の坂井。
年齢の近い二人の青年のやり取りを菜摘がのんびりと眺めている。
「そりゃ、断れないよな。川中さん………もう、社長って呼べばいいのか、の頼みじゃな」
状況を楽しむような含み笑い付きの感想に坂井は脱力してしまう。
「そうだよ。だから、こうして付き合ってるんじゃねぇか」
昨夜、開店前のブラディ・ドールでいつものドライ・マティニィを飲み干した川中は坂井に二つの話しをした。
一つは、下村がフロアマネージャーの仕事を引き受けてくれることになったと言うこと。
なんとなくは予想していた話しだから、そうですか、とだけ答えた。
もう一つは、そのフロアマネージャーが義手に慣れるまでお前が面倒を見てやってくれと言うこと。
下村は左手を無くして間もない。
義手はもう出来ているが、扱いに慣れるまでにはもう少し時間がかかる。
店に出るようになるのもそれからと言うことになる。
動きのぎこちないフロアマネージャーでは格好が悪い。
下村のような男だから義手もすぐに扱いこなすだろうから、それまでの間、不都合があるようであったら手を貸してやれと。
その日、飲みに来ていた下村が腰を上げる前にその話しをすると、ちょっと驚いた顔をして口角を持ち上げた。
それから、今日、レナで会う約束をしたのだった。
そして、今日。
「まぁ、確かに慣れるには時間が掛かりそうだとは思ってたんだ。助かるよ」
下村の左手には白い手袋。
その下は義手だ。
「大体のところはリハビリだと思ってやるけどな。運転なんかはちょっと」
つい最近まで会社員だった男が左手を無くして数日でこの調子だ。
坂井は少し呆れて隣の男を見る。
最初から、少しおかしな男だとは思っていたが、やはりおかしな野朗だ。
「下村くん、器用そうだから、すぐ慣れるわ」
菜摘が他の客のコーヒーを煎れながら言う。
「慣れるのはすぐだと思うんですけどね。時々、左手の先があるような気がして起き上がる時とかに転んじまうんですよ。
ま、これも慣れですけどね」
右手で左の硬い手を触りながら応える。
以前よりは暗い、けれど何かをふっきたような顔だ。
ふっきたのは、人並みの生活なのか、無くした左手か、それとももっと他の何かか。
「社長には山ほど借りができた気がする」
「命一つ分か?」
「そう。こうして、やっぱり天使を送ってくれるし」
真顔をこんなセリフをさらりと吐く。
菜摘が一瞬、目を見開いて坂井を見る。
それから、下村。
誤解のないように、と坂井は重たすぎる口を開いた。
「こんな男でも、詩なんかを読むらしいんですよ」
と切り出して、天使の所以を説明すると、菜摘が可笑しそうに口元に手をやってコロコロと笑った。
天使の所以がおかしかったのか、下村が詩を読んでいたということがおかしかったのか。
当の本人は涼しい顔でコーヒーを啜る。
坂井の方が居たたまれなくなってしまう。
振り回されている自分が情ないのと、振り回している下村が憎いのとで、面白くない。
「菜摘さん、ご馳走様」
下村を待たずに代金を置いて、坂井は席を立つ。
その、不機嫌な横顔を横目でちらりと見ると、下村はカップの残りを飲み干してから代金を菜摘に渡す。
「わざと怒らせたの?」
釣りを用意しながら菜摘がこそりと問う。
「面白いでしょう?」
受け取りながら下村。
「坂井くんがまだまだ若いってことを思い出したわ。失礼な言い方だけど」
「それに、可愛い」
片目を閉じて珍しくもにこやかに笑うと、下村はドアを開けながらご馳走様と言って店を出た。
青年達のカップを片づけながら、菜摘は暫らくクスクスと忍び笑った。
残っていた数人の客も帰った頃、
カラン…カラン………
再び店のドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
振り返ると、川中と秋山がいた。
船を出すと言っていたからその帰りなのだろう。
「なにかあったのか?」
と、唐突に言い出したのは秋山の方だった。
「面白いことでもあったんだろう?」
「流石、女房の顔色を覗うのが上手いな。秋山」
川中が茶々を入れると、秋山の拳が川中の横腹を軽く叩く。
「川中さんのところの坊や達が楽しませてくれたのよ」
「おいおい、あの二人を坊やだって? 本人達が聞いたら拗ねちまうぞ」
苦笑したのは秋山で、川中は喉の奥でくつくつと笑っている。
「勘違いしないで下さいよ。坊やって言うのは、若いってことですよ。年齢がね」
二人のコーヒーを煎れる用意をしながら菜摘は言う。
何を今更といった二人の顔。
「坂井くんが、年寄り臭いってあなたも言ってたじゃないですか。だけど、下村くんと一緒の坂井くんを見てたら若いなぁって」
川中には同感といったところがあったのだろう。
口元にそんな笑みが浮かんだ。
さすがは雇い主だ。
「下村とは歳も近いしな。藤木や叶と違って、側にいやすいんだろう」
「そういやぁ、あいつの周りは年上の野朗しかいなかったよな」
「面白くなりそうだと思って、川中さんも下村くんに坂井くんをつけたんでしょう?」
指摘すると、ばれたかと笑う。
「呆れた確信犯だな」
「いいだろう? 弟分の面がコチコチに固まったままなのは見るに忍びなくてね。
それに、俺が横槍入れなくてもあいつらは距離を詰めただろうよ」
コーヒーの匂いが漂ってくる。
川中は思い出し笑いを殺しながら言う。
「下村が店に客として来てた頃から、なんとなくじゃれあってたんだ。坂井らしくなく、ちょっかい出してたのを見てた。
店に来た下村が煙草を銜えたのに火を出さなかった。下村はターキーのオン・ザ・ロックを頼んでいたから客になってたんだよ。
でも、火を出さなかった。珍しいことがあるもんだと思ったんだ。坂井は、で自分の煙草に火を点けた下村に笑って見せたよ」
「ほう」
秋山の表情にも、好奇心の色が浮かぶ。
「面白いだろう? 他にもあるぞ。下村が左手を切り落として躰が鈍ってる時にな、岸壁を歩いてリハビリにしてたんだと。
そうやって歩いている間、坂井は黙って下村に付き合ってた。と言うのは、ドクの話し」
「ほう。犬と猫って感じだな」
なるほど、そんな感じだ。
どちらが犬なのか猫なのかは、意見がわかれそうなところだが。
「下村くん、楽しそうでしたよ」
「だろうなぁ。あの二人じゃ。下村も確信犯だ」
「みんな、あの坂井から子供っぽいところを引きずり出したいのさ。あれで、素直に笑えばなかなか可愛いところが見える」
「問題発言だな」
菜摘からコーヒーを受け取りながら秋山が肩を上下させる。
気持ちはわからないでもないらしく、苦笑が浮かんでいる。
坂井を哀れんでの苦笑でもあるのだろう。
「可愛くて、頼もしい弟分ね。川中さん」
「あぁ、自慢のね」
今ごろ、その犬と猫は二人揃ってクシャミでもしているかもしれない。
自分達の前では見せない、あどけなく無防備な素顔を晒しあって。
「人前で天使って言うなっていつも言ってんだろう!!」
「いいじゃねぇか。あ、痛っ。蹴るなよなぁ」
「自業自得だ!!」
「凶暴な天使もいたもんだぜ」
「懲りねぇ野朗だなぁ!!」
………素顔を、晒しあって………
2000/12/02
モテモテ坂井直司(笑)可愛すぎるかもしれない(反省)しかも、下坂って言うよりは、社長と律ちゃんと菜摘さんの会話だし。弟分馬鹿な社長も、いいかも………