<4th感謝企画小説おまけまえがき>

感謝企画小説「Catch the Rainbow」がサッカー色満載だったので、BL目当てで来られている方のためにおまけを書いてみました。「Catch the Rainbow」の後日談的な内容となっています。


Hello, darling.



 慰安旅行に行きませんか?

 冬の休暇前。
 里帰りの予定をたてはじめた寮生に、そんなお誘いをかけたのは坂本だった。
 リーグ年間順位三位、ナビスコ、天皇杯準優勝となった神戸レインボーチャーサーに優勝旅行という華々しいリゾートは用意されなかった。
 来年は心機一転、常勝軍団になることを誓ってオフへと突入。
 この間にしっかり体を休めて、心身のリフレッシュをはかるようにとドクターからの仰せを受けた。
 そこで坂本が提案したのは、一年戦い抜いた体へのご褒美に完全プライベートの温泉旅行。
 選手会長の富永ではなく坂本が提案元になったのは、坂本が夫婦水入らずの旅行をするためにある程度の人数を確保して、旅館を貸しきってしまおうという魂胆でいるかららしい。
 家庭持ちの選手はずっと前から既に予定を組んでしまっていて、残り物の寮生に声がかかった。
 どうせ暇だしたまには温泉もいいかもしれないと加わった高山と英介は、参加申し込み後に他の参加メンバーを知って軽く後悔した。
「なんで薫さんと内田コーチも参加してるんですか……?」
「イチさんがグアムに家族旅行で置いていかれたんだってさ。泣きつかれてつい……」
 ついじゃねぇよと思いつつ、不安を抱えたままの一行が辿り着いたのは、山間にある旅館だった。
 古いが木々に囲まれて建つ、静かな旅館だ。
「……う、わぁ」
「高そう……」
 大衆居酒屋での宴会が似合う若いメンバーには、敷居の高い宿ではある。
 全客室は離れになっていて、それが広大な敷地にほどよい距離をもって雪を被った木々に埋もれるように建っている。
 こじんまりした宿は、神戸RCレギュラーメンバーで貸切らしい。
 緊張なんてしてないで、リラックスして過ごそうぜと坂本は笑った。
 喧しい連中だけど、勘弁してやってくださいと事前に謝ってるからと。
 にこやかな笑顔の女将や仲居達に迎えられ、イレブンはお世話になりますと頭を下げた。


 古さはあるが、廊下やロビーは綺麗に手入れされギシギシなる床の音さえも風情と称することができてしまう。
 宿の細やかな演出が、久々の温泉情緒を感じさせた。
 徹底ぶりと古さがかもす重厚感に緊張を覚えたが、
「……あ、なんか懐かしい感じ」
 仲居に促されて踏み入れた畳の部屋に、英介はそんな感想を零す。
「田舎のばあちゃんの家の縁側みたい」
 木造の離れが面する中庭を映すガラス戸に歪みが生じているのは、手作業でつくられた昔ながらのガラスを使っているからだという。
 床の間には品良く生け花が飾られている。
「あー、畳、すげぇ寛ぐー」
 ゴロンと横になり伸びをする英介に、仲居はお茶をいれながらクスクスと極控えめな笑い声をあげた。
「今晩の夕食は七時半から皆様ご一緒にということですので、それまでごゆっくりなさってください。大浴場、露天風呂は二十四時間入浴可能ですし、お部屋にも内湯がございますので」
 部屋の説明を終えた仲居は静かに退室する。
 従業員の物腰も柔らかでマニュアルを感じさせず、坂本が絶賛する理由がわかる気がした。
 英介は転がったまま、茶を啜る高山を見上げた。
「……なんだよ?」
 視線に気が付いて、怪訝な顔を向けられてしまう。
「なんかこんなにのんびりするの、珍しいから」
「……あぁ、そうだな。祝勝会なんてはしゃぐための旅行だし、体休めの旅行なんて滅多にしないもんな」
 鍛えているとはいえ、シーズン中の疲労は蓄積し続けている。
 年末には悲鳴をあげそうだ。
 それを休めることを目的とした旅行と認識したら、急に体の力が抜けていくようだった。
 暫らくは沈黙を楽しむ。
 ぼんやりと庭を眺めていると、無意識に英介の口唇が動いた。
「……サッカー……」
「したいって?」
 呆れたような、でも共感しているような複雑な表情で、高山は消えた語尾を拾った。
「し足りない」
「俺もだ」
 のんびりするための旅行であることを確認したのに、もうこれだ。
「さすがにこんな所じゃボール持って来れないしな」
「浴衣じゃロードワークもできないよ」
 静かなやり取りは苦笑を誘った。
「気持ちだけじゃなくて、体もリフレッシュさせてやらないとな。一年間、頑張ったんだから」
 英介が自分の脇腹を摩った。
 試合中の接触で肋骨に皹が入った。
 今年唯一で最大の怪我だった。
 高山は両足を交互に負傷した。
 大きな怪我にはならなかったが、無理をして試合に出場し続けたのが祟って終盤には疲労がとれずゲーム中に攣ることが幾度かあった。
 酷使続けた体は悲鳴を上げている。
「風呂、行くか」
「行く!」
 商売道具の手入れだって、大切なプロの仕事だ。

 本館にある露天風呂に向かう前に、英介はフロントに立ち寄らなければならなくなった。
「……すみません、Mサイズの浴衣に変えてもらっていいですか?」
 部屋に用意されていた浴衣はLサイズが二着。
 サッカー選手の宿泊に宿側が気を利かせてLサイズを用意したのだろうが、英介にはちょっと大きすぎた。
 親切をお節介にしてしまうようで申し訳ない気持ちで切り出すと、
「女性用の可愛い浴衣でもいいんですけど」
 とんでもない茶々が背後から入った。
「薫さん!」
 振り返ると神戸の悪魔、矢良と内田が揃っていた。
「お前なら女物でもいけるだろ? ここの宿、女性客用の浴衣は好きなデザインの選べるらしいし、見立ててやろうか?」
「いやいやいやいや。勘弁してくださいよっ」
 熱烈に勧められる女性物の浴衣は固辞して、無事に一回り小さなサイズの浴衣を手にすることができた。
 そんな揶揄があったとは言え、さすがに旅先では矢良と内田の強烈なからかいも大人しめだ。
 四十を超えた独身男二人の温泉旅行。
 悪魔の姿にも同情を抱いてしまった。
 露天風呂には既に同僚達の姿があったが、それでも充分に広かった。
 宿の佇まいはこじんまりとしていたが、風呂はかなりの広さがあり、それが自慢の一つらしい。
 風呂と呼ぶには広すぎる気さえする。
 サラリとしていて無色透明のお湯は疲労回復の効能もあるという。
 それを意識すると痛めた肋骨も足も、新しい組織を形成してしっかり治って回復しそうだ。
 温泉にしては温めの温度設定もクラブハウスのジャグジーのようで体の力が抜ける。
 温めの湯が災いしてなのか、それとも根っからの性質なのか、体を休めるための入浴は何時の間にか反省会に変わってしまっていた。

「……う、わ」
 離れの大浴場からロビーのある本館に戻るまでの数メートルの渡り廊下は、ひんやりしていて気持ちいい。
 神戸市内とは違い、積雪量もかなり多い。
「英介?」
 思わず上がった妙な声は、前方を歩いていた寺井を振り向かせてしまった。
「おい、真っ赤だぞ。のぼせたのか?」
「だ、いじょうぶですよ。のぼせてません」
「ははーん」
 慌てて自分の頬をさすって赤味を消そうと試みた英介の視線を追った寺井は、わざとらしい納得の声を上げた。
「なんスか」
「べっつに〜?」
 寺井は愉快そうに目を細め、止めていた歩みを進める。
 先に風呂から上がった同僚達は、ロビーで寛ぎながら夕食の支度ができるのを待っている。
 シチュエーションこそ違うが、寮やクラブハウスで見かけるのと全く同じ面子が揃っているのだから、新鮮味はどうしたって欠ける。
 それなのに英介が赤面してしまう理由は、ただ一つ。
「タカ、似合うじゃん。浴衣」
「またそういうこと言って。からかわないで下さいよ」
 窓辺で寛いでいた高山に、寺井は真っ先に声をかけた。
 他のメンバーの元に向かおうとする英介の浴衣の袖をちゃっかり掴んで。
「寺井さんは似合わないっすね。その頭じゃ」
 金髪を黒に染め直そうとして失敗したアッシュグリーンをしげしげ眺める。
「ほっとけー」
「寺井、お前日本人として恥ずかしいほど浴衣が似合ってねぇな」
 そんな会話に富永も加わり、寺井のゴワゴワした髪の毛を掻き乱し始めた。
「自分でもさっき鏡見てわかりました。いいんですって、俺は仕事着が似合えば」
「それも微妙な線だ」
「ひどっ」
 旅館が揃えている男物の浴衣は濃紺で、温泉宿定番の宿名は入っていない。
 スポーツを職とする偉丈夫達が着込めば、みんなそれなりに様にはなる。
 仲居達はカウンターの向こうからうっとりとした視線を投げかけ、女将さんは目の保養をさせていただいてと笑っている。
「タカは似合ってるでしょ。英介が見惚れるくらいには」
 寺井は、会話の間に逃げようとした英介を捉えて高山の前に引き出す。
「おぉ、似合ってるぜ。お前タッパあるし、体格もいいし。だいたい顔がきりっとしてんだよ。無愛想すぎるけど、日本男児って感じで悪くないぜ」
 富永に誉められるとちょっと素直になるのか、高山はまんざらでもない様子でどうもと礼を言う。
「ま、人間一着くらいはびしっと決まる勝負着を持ってるもんだ」
「やっぱり最後に落されるんじゃないですか。お礼なんて言うんじゃなかった」
 肩を竦める高山は、確かに濃紺の浴衣姿が様になっている。
 体格的には勿論似合うのだが、何よりも顔立ちが。
 精悍で一文字に結ばれた口唇はいかにも寡黙そう。
 切れ長の双眸には、よく見ればわかる優しい光がある。
 どちらかと言えば古風な顔立ちは、物静かで凛とした空気をかもす。
 それは浴衣にもこの静かな宿にもしっくりきている。
 英介が風呂上りの頬を更に紅潮させる理由は、そこにある。
「俺らには貶されてもさ、英介が誉めてくれるんだからいいだろ?」
「素直に誉めてくれれば俺のプレーももっと伸びますよ」
 なんてやさぐれた発言を寺井と富永は笑った。
 笑い事じゃないですよと言おうとした口が閉じられた。
 寺井に捕まえられたままの英介の状態を見て、察してしまったから。
 いつもの彼らしくない態度が、何よりの誉め言葉だった。


 宴会の席では飲ませ魔の富永も大人しかった。
 宿の空気がそうさせるのか、神戸RCのメンバーにするとかなり穏やかな夕食となった。
 目の前に並ぶのは美しく器に盛られた山海の幸で、仲居さんがお酌してくれる地酒にも満足させられた。
 至福の気持ちでそれぞれの部屋に戻る頃には、アルコールがほどよく回っていた。
 いつものテンションの高さで飲み干すアルコールとは違い、綺麗なアルコールを摂取したような、そんな気分にさせられた。
「内湯も入ってみたいけど、今入ったら一瞬でのぼせるな」
 縁側の椅子に腰掛けると、高山が冷たい水を差し出してくれた。
 二人で眺める中庭は控えめにライトアップされていて、キラキラと光を反射する雪を見ているとそれだけで酔いもほどよいところまで抜けていきそうだった。
「静かだな」
 ここには車のエンジン音も賑やかな人の気配もない。
 内湯に流れる湯の水音だけが聞こえてくる。
 耳にこびり付いているのだと思っていた何万単位の観衆も、今は蘇ってこない。
 意識がサッカーから切り離される。
 英介はそれを少しだけ恐れた。
 無意識に膝頭から脹脛にかけての古傷を撫でた。
「……おい」
「……あ? あぁ、なに?」
「浴衣、捲れてる」
 藤椅子に上げた片足から、派手に浴衣が捲れていた。
 複雑な顔でそれを指摘した高山の前で、英介は慌てて裾をなおす。
 この時、二人は静寂と沈黙の違いを知ることになる。
 眉を八の字にして俯いている英介の頬が赤いのは、酔いのせいだろうか。
 確かめたいと、高山が思った。
「おいで」
 伸ばした手を英介が拒めないことを知っているのだろう。
 真っ直ぐに躊躇いなく伸ばされる。
 吸い寄せられるように手を差し出すと、しっかりと握られ引かれる。
 間にあるテーブルを迂回すると、膝の上に横向きに乗せられた。
「心もとない顔してる」
 触れると浴衣の薄い布地越しに体温がゆっくりと伝わってくる。
 まるで子どもをあやすように頭を撫でられる。
 思いがけないほどの優しい仕草に不覚にも泣いてしまいそうになって、英介は高山の肩口に頬を摺り寄せた。
 サッカーと遠ざかった自分には自信も鎧もないようで、怖くなったのは確かだ。
 世界に一人きりのような感覚に襲われかけていた。
 目の前には相棒がいて、同じ宿内にはチームメイトがいるというのに。
 見透かされるとは思っていなくて、与えられた温もりが心底嬉しかった。
 空っぽだと思っていた自分の中には、高山への想いと高山から与えられる想いが溢れているのだと気が付くと、ほわりと体が温かくなった。
 英介が顔を上げると、窺うような高山の顔があった。
 いつもよりもずっとずっとかっこよく見えるのは、着ている物が違うからだろうか。
 キスをした衝動に名前をつけるなら、『愛しさ』だ。

 「たかおか、せいじ」
 英介からの珍しい口付けの感想かと思ったら、高山が声に出したのは先日の天皇杯決勝で対戦したチームに所属する同年代の選手の名前だった。
「は?」
 怪訝な顔をすると、もう少し黙ってろと口唇に親指を乗せた。
「たかやまこうじ」
 今度は自分の名前を確かめるように読み上げる。
「たかおかせいじ、たかやまこうじ。すげぇ似てるのに、なんで清二は清二で俺はタカ?」
 高山の問いを理解するのに数秒かかった。
 ずっとずっと気になっていた謎を打ち明けた小学生のように、高山は英介が答えを出すのをじっと待っている。
「……つか、お前……、そんなこと気にしてた?」
「別に気にしてたわけじゃねぇし、別に名前で呼んで欲しいなんて甘ったるいこと言わないけど清二と俺の名前の語感が似すぎてるって気が付いた」
 英介を膝に乗せた状態だが、子どもっぽいことを言っているのは高山の方だ。
「あー、似てるな」
「お前はそんなこと考えてないし、意識もしてないんだろうけど、ちょっと……、なんでかなって」
 考えたんだと抱き寄せた英介の肩に呟いた。
 頭に手を置くと高山の硬い髪の毛が掌をチクチクと刺激する。
 英介の何気ない言動を気にして執着して気に留める高山が、確かに自分を特別に想っているのだと実感して英介の胸が甘く痺れる。
「同業者には妬かないようにって思ってるんだけど、水内みたいなのもいるから……」
 付き合えるものなら是非と公言している同年代のキーパーを高山はひどく警戒していて、犬猿の仲と書きたてられる始末。
 そう言えば元旦の決勝戦終了直後、高岡清二に何か引っ掛かることを言われた気がする。
 高山に嫉妬したとかなんとか。
「……」
 思い出したまま、それを口にしようとして英介は結局何も言わずに口を閉じた。
 なんとなく、高岡清二と自分の体のためにも言わない方が利口だという気がした。
 ただでさえ人付き合いが下手くそで消極的な高山に、これ以上犬猿の仲を増やされても困る。
「なに」
「え?」
「今、なんか言いかけた」
「……可愛いなって」
「うそつけ」
 ごち、と額をぶつけられる。
 小さく鈍い痛みに、英介は舌を出す。
「こう言う状況で他の奴の名前を出したら拗ねるくせに」
「……気になるんだ」
 高山は弱々しく言って、きつく英介を抱き締めた。
「英介が特別に思う人が、みんな気になる。どんな風に特別なのかとか、気になって仕方が無い」
 低く呟くような告白は情けなさ過ぎて、英介は思わず可愛がってやりたくなる。
「俺、信用ない?」
 そうじゃないけど、と口の中で言葉を濁す。
「俺が一番ならいいなって、思う。友人としても、チームメイトとしても、ライバルとしても。俺だけならいいのにって思う」
 共に戦ったという高校時代の部活仲間、憧れのエースストライカー、同年代のディフェンダー、海外のスーパープレーヤー、家族。
 その全てを差し置いて自分が一番で特別になりたいのだと、子どものような我がままを打ち明ける。
「英介の気持ちを疑うとか、そういうことじゃない。ただ俺が、欲張りなだけ」
 落ち込んだように溜息をついて、英介の反応を待っている。
 ぽんぽんとその頭を叩いて、英介は抱えた高山の頭に口唇を寄せた。
「負けたくない相手はたくさんいるし、憧れる選手も世界中に山ほどいて、一緒にサッカーできたら幸せだとも思う。でも、タカを実家に連れてったのはタカが俺の家族になればいいなって思ったからで、そう思ったのはタカだけ。俺が、男だけど男に抱かれてるのは相手がタカだからだ。タカだからとか、タカだけとか、そういうのはいっぱいあるよ」
 だからこれ以上欲張るなと、英介は茶化すわけでもなく祈るように命令した。
 自分は、たくさんのものを持っているわけじゃない。
 サッカーと、自分の手が届く範囲にいる人へ向ける愛情だけだ。
 限りある自分の持ち物の中で、高山はそのどちらもを向けられているのだから。
 それについさっき、不意に感じてしまった心細さを埋めてくれたのは高山なのだ。
 固まったようだった高山の腕が、徐々に体に食い込んできた。
 じわりと締め上げられて息が詰まりそうになったが、英介は文句は言わなかった。
「マンツーマンでやってやろうって思うのは清二だけど、清二にはチューしてやっかとか、絶対思わないし」
 苦しいと訴える代わりに笑って、コメカミに音をたててキスをした。
 やっと高山が顔を上げた。
「あんまり、喜ばすな」
 どんな顔をしていいのかわからないといいながら、高山はポーカーフェイスで目元だけを和らげる。
「じゃあ、もっとサービスしてやるよ」
 やけに可愛い高山に絆されて、ついついそんなことを言ってしまった。
 調子にのった一言で、英介は鳩が豆鉄砲を食らったような顔というのを目の当たりにすることになった。



「……う……ぁ」
 頭上から声を押し殺したような吐息が洩れ聞こえてくる。
 髪を梳く高山の指に力が入るのがわかる。
「感じる?」
 英介が顔を上げると、高山は困ったような顔で頷いた。
 手を置いた逞しい腿が快感をやり過ごすように震えた。
「どうやったら上手くなる? ビデオでも見て研究しようかなぁ」
 半分本気で呟いたら、そんなことしなくていいと掠れた声で高山が言った。
 手の中で充分気持ちよくなっている証拠を見せる昂ぶりに、英介は柔らかな舌を這わせる。
「ん……ふ」
 じゅると、溢れた先走りの体液を啜る音も生々しい。
 英介の口は小さく、高山の大きく育った性器を咥え込むのは難しい。
 浅く咥えては舌で舐め上げる行為を繰り返す。
「く……っ、うっ」
 以前、喉の奥までわざと突き入れられて思い切り噎せ、更にはその場で嘔吐したことがある。
 以来、よほど気がのらないと及んだことのない行為だ。
 希少価値をもたせた方が有り難味も増すというもの。
 初体験の相手が百戦錬磨の年上女性だった高山には拙く感じるかもしれない愛撫ではあるが、英介の口淫は肉感的な快楽よりも視覚や聴覚から受ける快楽の方が濃い。
 小動物が水を飲む時のような仕草を見るだけで、高山の背筋には快感が這い上がる。
「あんま大きくすんな。咥えらんねぇ」
 というようなことを咥えたままで英介が喋る。
 ぐっと、質量が増した。
「……無茶、言うな……っ」
 最初は膝立ちだった英介の体勢も、愛撫を施している内に座り込んでしまった。
 髪の毛から耳の裏、顎の裏側へ指先を軽く沿わされると、出張った部分を咥えたまま英介がくぐもった声を上げた。
 顎に添わされた手で、顔を離すように促され大人しく従う。
 その口唇から自身へと糸が伝った。
「うぇ」
 苦手な先走りの体液の味に顔を顰め、冷蔵庫の中から取り出したビールで口直しなんていうのはご愛嬌だ。
 ここまで我慢できただけでもかなりの成長だ。
 既にそれなりの距離を置いて布団が敷いてある奥の間に移動すると、高山はいつもよりも性急に英介を横たえた。
 押し付けるような口付けは、あまり余裕がないことを報せる。
 相変わらずの静けさの中で、口付けの音だけが卑猥に響く。
 キスにこれだけの音が纏わりつくなんて初めて知った。
 浴衣の合わせ目を大きく開いて、高山の手が滑り込んでくる。
「……英介、もう、いいか?」
「ぅ……え?」
 切羽詰った声に思わず英介が目を丸くした。
「正直、もう余裕なんかない」
 言うなり足を開かされる。
「ちょ、ちょっと待って」
「待てない。もうほんとに、さっきからヤバイ」
 迷いなく浴衣の裾を割った手が下着を脱がせる。
 高山を止めることはできないと、英介はわかってしまった。
 見上げる高山の目がギラギラと光っているから。

 言葉の通り、余裕はなかった。
 開いた足の間に体を入れて閉じさせないようにして、英介の悲鳴を口付けの中に封じる。
 いつもなら英介をいちいち窺うようにするのに、今夜は違った。
 ローションで誤魔化すように指を差し入れかき回される。
 痛みに上がる声は高山に啄ばまれていく。
 その強引さに沸き起こるのが、不快感ではなく快感であることに英介は戸惑った。
 もっと食べてと自分の肉体を狼の眼前に差し出す兎の気持ちだ。
 耳元で聞こえる高山の荒い呼吸が、意図なく闇雲に肌を這う左の手が、自分の体を食い千切っていくように思える。
 欲張るなと言っておきながら、こんな風に貪られると嬉しいなんて。
「ぁ……、んっ、あぁっ」
 長い指に感じる箇所を刺激されずり上がりそうになる体は、容易に押さえ込まれてしまう。
 断続的に弱い場所を攻めて立てられ、英介は自分の下肢が濡れていくのを感じた。
 自分ばかりがこんなに感じて、それを見られていることがたまらなく恥ずかしい。
 一歩間違えば屈辱感にスライドする感情を羞恥に止めるのは、高山の満足げな眼差しだった。
 指を抜いた高山の手が、ぬるりと内腿を撫でる。
 そのぬめりは自分が零した体液だけではなく、潤滑剤のせいでもあるとわかってはいても、自分がひどく淫らになった気がして体が震えた。
 額に高山の額がコツリと触れキスをされ、呆気なく歯列を解かれる。
 同時に溶かされた蕾に熱が押し付けられる。
「……ぁ、あっ、……んっ」
 英介自身がその口で高山の余裕を欠くまで愛撫を施した性器はより熱と硬さを増して、再び英介の体の内側へ侵入を果たそうとしている。
「あぁっ、は、あー……っ」
 疼痛と圧迫感に上がるはずだった悲鳴は、高山の口唇に触れると嬌声に変えられていく。
 繋がる瞬間は、何度経験しても慣れることができないし、少し怖い。
「英介」
 その恐怖を掻き消す声に呼ばれ、目を開く。
「俺が、わかるか? 英介の、中にいる」
 掠れた声に囁かれた言葉は卑猥な響きをもって英介の脳に届いた。
 まだずるずると英介の媚肉を擦り上げるように奥へと進んでいる途中だ。
 心に反応した体が震え、高山を締め付けた。
「……っ、あ」
 高山が満足そうな唸りをあげるのと、英介が喘ぎを零すのとは同時だった。
 襲ってくる波に耐えようと、目の前の体に縋りつく。
 指先に感じるのは逞しい背中ではなく、浴衣の生地だった。
 手の平に欲しいのは布の感触ではない。
 伸ばした手を彷徨わせ、英介は大きく開いた高山の浴衣の中に手を差し入れた。
 布の下、肌の上、ようやく得られた高山の背中の感触に安堵しながら、確かめるように撫でた。
 体を少し動かす度に収縮する背中の筋肉や汗の感触が欲しかった。
「ん……ふ、ぁ。は、ぁ」
 繋がった下肢は暫らくそのままに、高山は代わりとばかりに英介の口内を犯していく。
 英介の小さな口をまるで果実にそうするように貪っていく。
 キスはもっと可愛い行為で、微笑ましくて、胸があったかくなるものだと思っていた。
 性的行為の一つで、淫らで、熱くなるものでもあると教えたのは高山だ。
 自分よりも経験のある高山を満足させたくて、英介も夢中で舌を絡めた。
 息もつけないほど激しい口付けの合間に、優しく頬や耳朶を撫でられると気持ちよさに体が震え、英介の腰が無意識にうねるように動き始める。
 それを待っていたように、高山はゆっくりと腰を動かし始めた。
「あっ、あっ、やぁあ……っ」
 無理矢理に開かれていた蕾は感じきった心に反応して柔らかく花開き、高山の動きを助け英介に快楽を与えた。
 背中に這わせた手の平に高山の筋肉の動きが伝わる度、下肢から脳天へ快楽が突き抜ける。
 あまりに強烈な快楽から逃れたくて、英介は高山の汗ばんだ首筋に額を摺り寄せた。
「英介」
 そんな掠れた声で呼ばないで欲しい。
「英介」
 返事が欲しいらしいが、そんな余裕はない。
「英介、顔、見せろ」
 荒い息とともに吐き出された要求に、ふざけんなと即答しかけて言葉を飲み込んだ。
 片腕で腰を引き寄せられ深みを抉られ体が反る。
 同時にもう片方の手が顎をとらえてゆっくりと引き離しにかかる。
 嫌と一言口にすれば、高山はすぐに止めてくれるとわかっているのに。
 快感に緩んだ表情を、高山の視界に曝け出してしまう。
 肩から引き離した顔を、高山がじっと見下ろしている。
 繋がったままで動きを止めると、二人の上がりきった呼吸だけが大きく響いた。
 時折、我慢できずに洩れる声が恥ずかしい。
 刺激は与えられていないのに、中に高山がいると思うだけで気持ちが昂ぶる。
 汗もかいてるし、恥ずかしすぎて泣いてしまっている。
 頬もきっと赤いだろうし、きっと欲望丸出しの顔をしてる。
 その顔の輪郭を高山の手が辿り、髪の毛をそっと払う。
 せめて視線だけでも逃げたいと思ったのに、それも叶わなかった。
 自分が見られることの羞恥よりも、相手の顔を見ていたいという欲求の方が強かった。
 荒い息を吐き出す薄っすらと開いた口唇の形が好きだ。
 キスがしたいと、震える声で告げてみた。
 高山の怖いくらい真剣だった眼差しがふっと緩み、柔らかい微笑みが浮かぶ。
 僅かに首を傾げるように角度をつけて、好ましいと思う顔が近付く。
 自分で思っていた以上に、自分はこの顔の形や目鼻のバランスが好きなのだと、最近ようやく自覚し始めた。
 口唇の表面を擦り合わせるようにするだけのキスが離れていく。
「……んぅっ、……んっ」
 慌てて舌を伸ばして、届いた場所を舐めるとざらっとした感触に出会った。
 髭の伸び始めた高山の顎だったらしい。
「キスは、あとでじっくりな」
 笑って、宥めるように額をぺろりと舐められる。
 セックスの途中で見せる高山の笑みは、普段の彼からすると信じられないくらいにセクシーだ。
 絡まり邪魔をする浴衣の帯を乱暴に解くと高山は英介の体を抱えなおし、その体内を動き始める。
 濡れた肌がぶつかる卑猥な音も掻き消すように、英介の悩ましげに震えた吐息が溢れる。
 集団生活の中で抱き合う日々を送っているから、声を押し殺すことはすっかり癖になってしまった。
 いつもと同じように喉で堪えた嬌声は、冬の山里の静寂をひっそりと溶かすようだった。
 あとでじっくりと言ったくせに、つまみ食いをするように口唇を啄ばまれる。
 声を聞かせろという催促かもしれなかったが、悦びに白濁する頭ではわからない。
 長いストロークで攻めながら、二人の体の間で濡れそぼる英介の性器を緩やかに扱く。
 英介が最も乱れてしまうやり方で、追い上げていく。
 一人で果ててしまうのを耐えながら、英介は高山の体により密着しようと高山の腰に足を絡める。
 呼吸も忘れてしまいそうな快楽の中で、英介は閉じそうになる目を開け自分を穿つ男を見上げた。
 目が合った高山が、余裕を欠いた真剣な眼差しをふっと緩めて頬を撫でた。
「英介」
 穏やかな仕草はそこまでで、次の瞬間には容赦のない動きで内部をめちゃくちゃにかき回される。
 耐え切れなくなりそうな快楽に翻弄されて、英介は左右に首を振り涙を零す。
 こんな風にされて嬉しいと感じるのは、高山だからだ。
「ひぁああっ……、あ、あ、や、タカっ、もぅ……、ぁああぁー!」
 普段は噛み殺す悲鳴が口唇から迸った。
 頭が真っ白になり、体が何度か震えた。
 下肢を濡らしていく体液は、まるでこの体の容量を超えて溢れ出す感情のようだ。
 もっと綺麗なものならいいのに。
 もう一度この身に取り込んで、今度こそ零さないように大事に大事に奥底へしまっておくのに。
 溶けそうな気持ちのまま、英介はゆっくり倒れこんできた高山の首筋に滲んだ汗を舐めた。
 好き。
 ぷかりと水中から浮上してきた気泡のように、言葉が浮かんでくる。
 弾けることなどない感情を上手く伝えるにはどうしたらいいだろう。
 絶頂の余韻に白濁する頭でぼんやりと考えていると、ちゅっと肌を吸い上げられた。
 英介の首筋に顔を埋めた高山が、肌を痛いくらいに吸い上げる。
 そうして耳の裏や鎖骨や脇腹にキスマークを刻んでいく。
 高山の硬い髪の毛が肌を擽り、英介は身を捩る。
 喜んでいるくせに動物が唸るような声が出て、思わず笑ったら高山も笑っていた。
 望んでいたキスは口唇に留まらず、体中に降らされていく。
 溢れた想いを吸い取っていくようだと、目の前の存在に夢中になっていく思考の端で思った。 



 気持ちがよすぎて脳が溶けるぞという警告なのか、英介は夜明け前にぽかりと目を覚ました。
 布団に入った頃よりも視界は明るくなっているが、まだ太陽は昇っていないらしい。
 雪景色の早朝なのに寒さをさほど感じないのは、一緒に眠る高山の腕のおかげだった。
 彼の胸にひっついた背中がポカポカと温かい。
 普段よりも濃厚で時間をかけたセックスの途中、先にダウンしたのはやはり英介だった。
 その後、高山がどうしたのかはわからないが、満足してもらっていなければ困る。
 昨夜のことを思い出している内に、自分の下半身の状態が気になった。
 二度寝も捨てがたく横になったまま悩んでいると、静寂の中に途切れることなく続く水音が聴覚に引っ掛かった。
 夜明け前の温泉もいいな。
 思いつくと二度寝の魅力は薄れていく。
 高山を起こさないように顔を上げると、自分達の眠っている布団の横にはぐしゃぐしゃに乱れた布団が放置されていて、二人分の浴衣が剥がれたシーツの合間に見えた。
 ゴミ箱に届かなかったティッシュとゴムの残骸も転がっている。
 満足しきって眠る高山の腕の中から起き出すと、腰に力が入らず一瞬倒れそうになる。
 なんとか堪えて立ち上がると、さすがに寒さに体が震えた。
 隣の布団から浴衣を発掘して羽織る。
 隣でごそごそしていても高山は目覚めることはなかった。
 気持ちよさそうな顔で眠っている。
 しょっちゅう見ているけれど、高山の寝顔は英介のお気に入りでもある。
 少し口が開いていて、気持ちよさそうな寝息をたてる。
 鋭利という形容が似合う彼が、目を閉じて意識を沈めるだけで随分と柔らかな空気をもつ。
 子どものよう、と言うのとはちょっと違う。
 なんという言葉がぴったりくるだろう。
 英介は品揃えの悪い自分のボキャブラリーの引き出しを探ってみる。
 穏やかな?
 平和な?
 幾つか浮かんだ言葉では表現しきれていない気がした。
「……愛しい?」
 口をついた言葉は、自分が探したかった言葉の種類からはみ出しているようにも思ったが、それが一番しっくりきたから、それでいいかと思う。
 その『愛しい』寝顔を眺めていると、投げ出されていた手がパタパタと布団を探り出した。
 枕を差し出したら、それを抱き締めて眠り出した。
 ガキくせぇ。
 だからこそ、愛しい人なのだけど。


 体液やら潤滑剤やらの名残を流し、檜の浴槽に指先を浸してみる。
 水質が柔らかいのか、高めの水温でも肌がヒリヒリするようなことはない。
 肩まで沈み込むと、ほうっと溜息が零れた。
 内湯の檜風呂を照らすライトも控えめで、紫色に変わり始めた空とキラキラ輝く雪が贅沢な気分にさせた。
 余裕がないと言っておきながら、高山は自分の義務だけは欠かすことができないらしい。
 ちゃんとコンドームを使ってくれたから後の処理に困らなかった。
 ただ今日は過剰に使われた潤滑剤に辟易したが。
 思うようにしてと態度で示したつもりだけれど、優しさだけは捨てられない高山が愛しいと思った。
 檜の淵に顎を乗せる。
 今、俺、ものすっごく気が緩んでる。
 そう自覚しながら、目を閉じた。
 清々しいほど弛んだ気分だ。
 さっきまで、サッカーから遠ざけられてひどく心細かったのに。
 心底リラックスしているのを自覚して、英介は積もった雪に手を伸ばす。
 ひやりと冷たいソレは温もった指先で触れると、ゆっくりと形を無くしていく。
「……あ」
 伸ばした自分の腕に赤い痕を見つけた。
 薄くて小さなキスマークだ。
 あちこちに散らばるそれは、それなりに発達した筋肉に覆われた英介の体に鮮やかに咲き誇るわけではなく、硬い蕾のような密やかさで体中に刻まれていた。
 絶頂の余韻に酔う英介の中の熱を冷ましてしまわないようにと、肌に触れた口唇を思い出す。
 薄闇と乱れた呼吸と滲んだ汗と、あの、表情、熱。
 肌の上に蘇った様々な感覚に英介は難しい顔をした。

 どうしよう、好きすぎる。

 サッカーと密接に暮らしている時には、幾ら休日でもどこかで気が張っている。
 プライドは堆く、戦うために必要な魂や精神を守ろうとしてガードも強くなる。
 それが取り払われた今、頭は本人でも驚くほど素直に働く。
 左手の薬指では銀色の指輪が鈍く光っていた。
 付き合いだしたシーズンが終わっての優勝旅行先でもらった指輪は、あっという間に傷だらけになってしまった。
 刻まれた太陽のイラストもよく見ないとわからないほどになってしまっている。
 この指輪をじっくり眺めるのは貰った時以来じゃないか。
 見る度に恥ずかしくて嬉しくて、一人でパニックになってしまっていたから。
 キスはするけど、自分達の関係に名前をつけるのなら『親友』で言い。
 想いを自覚し告げあった頃は、そんなことを言っていたのに。
 何時の間にかそれだけじゃ物足りなくなっていた。
 ぜんぶ、欲しい。
 体も気持ちも、欲しいと思うようになっていた。
「……こんな風に好きになるはずじゃなかったのにな」
「衝撃発言だな」
 独り言にツッコミが入った。
 声もなく振り返った英介の視線の先に、呆れ顔の高山がいた。
「好きになるはずじゃなかったって方も気になったけど、こんな風にって、どんな風に?」
 浴槽の淵にしゃがみ込んだ高山は意地の悪い笑みを浮かべていた。
 何も言えずにいると、高山はわかってるよというように笑って体を震わせた。
「俺も入ってもいい?」
 頷くと、羽織っていた浴衣をその場に脱ぎ落とし、大きな体が湯船に滑り込んできた。
 波立った水面が板張りの露天を濡らしていく。
 内湯は二人で入っても十分広いのだが、高山は当然と言うように英介に手の届くところまで移動してきた。
「それ、気になるか?」
 ソレ、と指差したのはキスマークだった。
 今度は首を横に振った。
「大人しいな」
 寛ぐ高山の前で、英介は体操座りの状態で小さくなっている。
「お前が喋ってくれないと、困る」
「なんで」
「淋しいから」
 風呂のせいではなく、英介の頬が赤くなる。
 ざばっと湯の中から勢いよく出て来た英介の手は、べしゃりと高山の顔面を叩いた。
「いてっ」
「喋るな」
「は?」
「もう喋るな、お前っ。恥ずかしい」
 じゃあ、とほんの少しの間があってから顔が近付いてくる。
「その面も近づけんな!」
 ぐぐっと押し返そうとする手をとられた。
 秘密は少ない。
 けれど裸ではない心。
 いつも武装して、プライドを積み上げてきた心。
 その奥に触れられる。
「英介」
 呼ぶな。
 喋るな。
 その声を、聞かせるな。
 壊れてしまいそう。
 おかしくなってしまいそう。
 溶けてしまいそう。
「……タ、カ」
 ほら、勝手に口が動いてしまう。
「好き」
 手が勝手に伸びていって、甘えるように腕を掴んでしまう。
 頑丈だと思っていた涙腺だって、断ち切られて。
「好きだ」
「うん」
 自分が大切だと思ってきたものを侵蝕して、お前が俺の一番大事なものになっていく。
 それは恐怖と空恐ろしいほどの快感を呼び、英介を揺さぶる。
 そんな嬉しそうな顔で見るな。
 強くありたいと、しゃんと伸ばしてきた背を抱いてもらいたくてたまらない。
「なんで泣いてるの」
 困ったように喉の奥で笑う。
 その笑い声が好きだと、まだ友人だけの関係だった頃に思っていた。
 プレーの次に好きになった、高山の一部。
「今日は英介から、もう百回くらい好きって言われた」
「……そんなに、言ってない」
「言った。さっき、抱いた時。最後の方なんて半分意識飛ばしてて、好きってずっと言ってた」
「……言って、ない」
「言ってたよ。だからほら、俺はこんなにも機嫌がいい」
 どうして。
 どうしてお前はこう言う時に限って饒舌なんだ。
 どうして俺を辱める言葉を紡ぐ時は皇かになるんだ、その口は。
「英介」
 どうして溢れる感情に破裂しそうに苦しんでいる俺の目の前で。
「俺も、すげぇ好きだよ」
 口唇が触れ合うほどの親近距離で。
 どうしてそんなに可愛く愛しく笑うのですか。





 渡り廊下から見る庭では、太陽の光を浴びた雪がキラキラと眩しく輝いていた。
 ロビーに出ると、早起きして新聞を読むのが習慣になっている富永がソファーに座っていた。
 コーヒーを片手に、顔を出した後輩に視線を投げかける姿は寮にいる時と全く変わらない。
 ただここは山奥の風情な宿で、傍らでは昔懐かしい外へ続く煙突付きの石油ストーブが焚かれている。
「おはよう。早いな」
「おはようございます。富永さんこそ、こういう時なんだからゆっくり寝てればいいのに」
 ぽっかりと目が覚めるんだと富永は困ったように笑う。
 時計の針は朝七時を指したところ。
 仲居に柔らかな挨拶と共にコーヒーを勧められ、二人は富永の正面のソファーに腰を降ろした。
 ロビーから見える中庭も見事な雪景色で、石塔や植木に丸く雪が被っていた。
 純和風の景色の中に漂うコーヒーの匂いは決して浮いたものにはならず、宿の景色に溶け込んでいく。
 静かな静かな時間が過ぎていく。
 新聞から目を上げた富永は正面に座る二人をチラリと見て、また新聞に顔を向ける。
 何か、あったらしい。
 英介の表情がふわふわしている。
 これはあれだ。
 数年前の優勝祝賀会イン・ハワイ。
 英介が提示したバージン上げちゃう条件も、それを高山が満たしたことも皆が知っていて、そんな中での南国旅行で同室になった二人は無事に本懐を遂げられたらしく。
 その翌日に見た顔が、こんな風だった。
 ぼんやりと夢の中にいるような顔の英介と、気色悪いほどに上機嫌な高山と。
 二人の間で、何かあったのだ。
 それは事件とかではなくて、温かく胸を満たすような言葉のやり取りであるとか、各々の認識であるとか。
 証拠に、二人の座っている距離がやたらと近い。
 英介は半分高山の腕にもたれている状態で、普段の江口英介と比べるとやはり気色悪いほど大人しい。
 まぁ、入団してからずっと、二人が恋仲になっても尚、こいつらは仕事に集中しすぎだった。
 息の抜き方を覚えてもいい頃だ。
 サッカーしか見えない視界なんぞ、いっそ閉ざしてしまえばいいんだ。
 見える範囲は広ければ広いほどいい。
 例え、隠しそびれたキスマークなんて野暮な物が見えたとしても、黙っているという術を知っているのなら。
 相手の胸の奥にも自分の心の底にも手を伸ばして、何が潜んでいるのか一度くらいは覗いてみてもいいと思う。
「俺ら散歩行ってきます」
「あぁ、行っておいで。足下気を付けろよ」
 転んで捻挫でもしたら、引率ドクターに殺される。
 いつもならそう茶化すところだが、せっかく仕事のことを忘れているらしいから口にチャックをする。
「若手はスノボー、オッサン組は公魚釣りでもして過ごすよ」
「健康的でいいじゃないですか」
 些細なことに微笑を返し、高山は彼に良く似合う黒のロングコートを着込む。
「お出かけですか?」
「湖まで散歩に。朝飯までには帰ります」
 年嵩の女将すら頬を染めるような表情をして、もそもそとカーキ色のファー付きダウンを羽織る英介の手をとった。
「じゃ、行ってきますね」
 にっこりと、見慣れない笑顔を浮かべて玄関を出て行った。
 見ているこっちが恥ずかしくなるような、柔らかい微笑だ。
 足下に気を付けてと言う女将の呟きは一足遅く、彼らには届かなかったが心配することもないだろう。
 転んでしまうほど早足で彼らは歩かないはずだ。
 今日のような日はゆっくりと、新雪に足跡を一つ一つ刻むのを楽しみながら歩くはずだ。
 身を切るほどの寒さの中、手袋をしていない右手と左手はしっかりと結ばれていて、それを見ていると不意に愛しい人に会いたいと慕情が込み上げてきた。
 ロビーの隅に鎮座する古時計は、妖精が住まうと言われる北国で自分と同じく勝負に生きる人へと電話をかけることを許してくれる時刻を指していた。
「あの二人に中てられるなんて、俺もまだまだだな」
 独り言もこの宿では優しく響く。
 今ごろはまだ寝こけているであろう同僚達も、穏やかな朝を迎えられればいい。
 携帯電話を開きながらキャプテンらしいことを最後に思って、富永は受話器の向こうに耳を澄ました。

 ――――――――――Hello, darling.

 この声は、愛は、
 届いていますか?
 貴方の声は、愛は、
 僕の心のどうしようもない深層にまで届いてます。
 僕の朝はとても美しく、けれどちょっと寒いのですが、貴方の声のおかげで僕の心はほわほわと、ぬくぬくと、とてもあたたかい。
 貴方もそうであると、自惚れ半分に思います。
 願います。
 声は、
 愛は、
 ぬくもりは、
 手を繋いだ傍らの貴方に。
 国境を越えた姿見えぬ貴方に。
 ―――――――――――――Hello, darling.


end


感謝企画小説サッカー編「Catch the Rainbow」


2005/01/01
表がサッカー満載だったので、こちらはラブ満載にしてみました。darlingって言葉は、日本人にはちょっと恥ずかしいけれど、素敵な思いを込めた言葉だなと思います。

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