ルーツ・コンプレックス 4


 ズクリと腹の底が重みを増すような気がして、一臣は鳩尾を摩った。
 東京の夜の明るさに心が躍らない年齢ではないのだが、今ばかりは抱える事情が重過ぎる。
 時間潰しに上がりこんだ同郷出身の友人の部屋で溜め息ばかりついていると、珍しいこともあるものだと目を丸くされた。
 日が暮れて出かけなければならない時間になってもぐずぐずと昔話に花を咲かせようとする一臣を、彼自身も話を続けたい気持ちがあるだろうに早く行って来いと部屋から追い出してくれた。事情を知っているわけではないだろうに。
 二葉から渡された小さなカードに印字された日本の三大副都心の一つに足を踏み入れる。
 平日の夜ではあるが、人の賑わいは美菜浜のそれと比べ物にならない。人波を縫い、目的地を目指す。
 何度もしようと試みた電話は、結局は繋げることがないままだった。アポなしの来訪だから、もしかしたら春海は出勤してないかもしれない。どこかでそれを期待する気持ちもある自分の意気地の無さに腹が立つ。もしも会うことができたら、後日の約束を取り付けて帰るつもりでいる。幸太が言ったように、春海がどんな場所で働いているのか、どんな顔をして東京で暮らしているのか、それを確かめるための上京だ。
 それだけだと言い聞かせるのに、柄にもなく手に汗が滲み脈動が力強くなる。
 角を一つ、二つと折れた時、ビルのフロア案内版に目当ての店名を見つけてしまった。白く灯りの灯された看板に、ロコと言う店名が浮かび上がっている。
 暫くそれを見上げた後、吸い込んだ空気を腹の底へと落とすように気合を入れ、雑居ビルの二階へと続く階段を上った。
 物怖じしないようで胸中ではアレコレと不安を描いては憂鬱になりながら、いざとなれば恐れも躊躇も捨てることができるのが自分だと己を取り戻し、遥々目指してきた店のドアを開けた。


 白い扉からサックスのBGMが流れ出してきた。日が暮れてから開く店にしては明るい照明が目に入る。漆喰の壁に影を映す観葉植物が何点か、エントランスから右手に厨房とカウンターがあり、奥へ長く客席が広がっている。若い経営者による小洒落た飲み屋の雰囲気を確認しつつ、カウンターの中に立つ人に目をやると同時、
「いらっしゃいませ」
 女性の落ち着いた声と涼やかな微笑と出会う。
 一臣はほんの一瞬、来店の目的を忘れてしまう。それほど印象的な女性だった。
 黒いハイネックのノースリーブから大胆に除く肌は透き通るように白く、それを病的に感じさせないアーモンド形に切り取られた双眸の中、黒々した大きな瞳がはめ込まれている。何も塗っていないように見えるが、キラキラと潤っている口唇が緩く微笑んでいる。年齢は自分と同じか少し上。美貌につりあう抜群のスタイルだが、色気があるという言葉は似合わない。手を出せば凍りつくような、高嶺の花のイメージだ。
 その視線が自分のつま先から頭のてっぺんまでを一撫でし、
「お一人ですか?」
 無駄な愛想がない問いかけにようやく我に返ると、視線を女性の奥の厨房へとやりながら問い返してみる。
「こちらでお世話になっている大月春海の身内の者ですが、今日は出勤してますか?」
 慣れない丁寧な言葉遣いに苦心しながらの問いに、女性の猫目が大きくなる。愛嬌ある表情なのに、可愛らしいという印象を抱かせない。
「春海の?」
 呟いてくるりと背後を振り返ると、肩に届くかどうかと言うところで切りそろえられたワンレングスがさらりと音をたてる。
 厨房は栄月館のものと同じくらいの規模で、見ていて気持ちいいほど整理されている。
 その奥から、春海が姿を見せた。
「春海―? お客さん」
 女性の呼びかけに顔を上げ、深く被ったキャスケットの奥の目を真ん丸くさせる。
「……カズ、ちゃん」
「仕事中に悪い。ちょっとだけ、いいか?」
 驚いたまま固まっている春海に代わり、返事をしたのは女性だった。
「いいよ。店の奥使って」
「いや、また日を改めます。その約束だけしたら帰ります」
「いいって。わざわざ出てきたんでしょ? ゆっくり話しな」
 随分と気さくに一臣を店の奥へと促す。重ねて断るのも好意を踏みにじるようで、春海に視線をやって答えを求める。
「……蒼さん」
「今日は乾き物でさばくから。ゆっくり話しておいで」
 どうぞ、と店の奥へと誘う白い手に頭を下げる。
 通されたスタッフルームも厨房と同じくすっきりと片付けられていて、春海は一臣に二人掛けのソファーに座るよう促し、自分はまた厨房へと戻っていった。
 一臣は狭い休憩室をぐるりと見渡す。壁のハンガーラックには朝子の葬儀の時に見た春海のコートと黒いシックなコートの二着だけが掛けられている。ローテーブルにはメンソールが数本残る灰皿とノートパソコンが一台。休憩室と言うよりは誰かの私室と言われても違和感がない。蒼さんと春海が呼んだ女性は店長だろうか。そんなことを考えていると、春海がコーヒーカップを二つ持って戻ってきた。
 キャスケットを脱ぎ、ソファーに座った一臣と向き合うようにスツールを移動させて腰を下ろした。
 この前はコートを着ていたからわからなかったが、カットソーやギャルソンエプロンを身につけた体の細さが目立った。
「悪かったな。突然押しかけて。後で俺からも謝っとくけど、本当に平気か?」
「大丈夫だよ。蒼さん……、店長の三島さんって言うんだけど、サバサバしてるから」
 向けられた笑みに安心してカップに口をつけると、その間に春海の表情がたちまち曇った。
「みんな、どうしてる?」
 思えば朝子の葬儀から一ヶ月も経っていないのだ。朝子と言う心の支えを失った悲しみも、美菜浜の叔父や従兄弟への心配も、美菜浜で固まって暮らす一臣たちとは違い一人で耐えなければならない春海の傷の治りは遅いのかもしれない。
「ぼちぼちやってるよ。俺の飯が不味いって大合唱だ」
 手にしたカップに視線を落としたまま、春海は口元だけで笑う。
 その笑みを見て、一臣はここに来るまで何度も繰り返した口上を破り捨てる。春海の現状にも探りを入れながら段取りよく話を展開しようと思っていたが、止めた。
「春海」
 急に硬くなった一臣の声に春海が顔を上げた。緊張の色が濃くなる。
「栄月館の新しい板前を探しに来た」
 喪失に癒えきらない傷が流した血が春海の目を潤ませているのを正面から見据え、そう切り出す。
「親父もチビたちも、春海に来て欲しいと思っている」
 春海は呆けたような表情で静止してしまったが、構わず続ける。
「だから、どんな店で働いているのか見に来た」
 身内の情と言う唯一の切り札で太刀打ちできる場所なのかどうかを見るためでもある。
 おそらくは、いい店なのだろう。春海が自由に呼吸ができる環境がここにはあるような気がする。
「春海が楽しそうにやってるようだから何も言わずに帰るべきだったんだろうけど、こっちも栄月館の歴史とガキ共の胃袋背負ってるから勝負せずに帰るわけにも行かない。聞くだけ、聞いて欲しい。条件なんて比べ物にならないだろうけど、天秤にかけるだけかけて欲しい。勝手なことだけ言いに来て、悪い」
 上京の主旨には往生際の悪さが出た。
 家業の重みや家族の希望を盾にするなら、もっと強引な手段にでるべきだ。春海の人生を第一にと思うのなら、何も言うべきではなかった。中途半端な覚悟で、家族や友人の後押しを言い訳に、春海を困らせる言葉を伝えてしまった。
 昔はもっと、頼りがいのある兄貴分でいられたのに。
 来て欲しいと自分の意思を伝えられないのは、自分が提示できる条件のお粗末さだけが原因ではない。自分と春海の間にある気まずい過去が、仲の良い従兄弟と言う関係に影をおとしているからだ。
 あの事件を清算しなければ、美菜浜は春海にとって幸せな記憶の中に拭えない苦さを残した場所として在り続けるのだろう。
 自分のせいだと自覚するのなら、一臣には放っておきたい古傷に触れる責任があることを受け入れなければならない。自分だけではなく、春海も痛みを覚える話題であろうと切り出さなければならない。
 母の葬儀の席で言い放った言葉の責任をとるためにも。
 春海は俯いたまま、戸惑ったように長い睫毛をパサパサと上下させている。
「性質の悪いヘッドハンティングと、もう一つ、話しておきたいことがある。……煙草、いいか?」
 切り出しておきながら素面ではいられないと灰皿を引き寄せる。友人宅でほとんど消費してひしゃげたパッケージから取り出した煙草を銜たところに、
「カズちゃん」
 呼ばれ顔を上る。
「この店、何の店か知ってる?」
 問われた意味がわからない。そういう顔になったのだろう。春海は一呼吸置き、一臣の目を真っ直ぐ見た。
「ここね、同性愛者のお客さんが集まる店なんだ」
 握ったジッポーの蓋を上げようとしていた親指は意味なく金属の表面を撫で、上げようとしたはずの蓋を押さえつけるような位置で固まった。
 パンドラの箱の鍵を開けようと提案したのは一臣で、目の前にあった鍵穴に胸の奥底に隠していた鍵を突っ込んだのは春海。ギシギシと蝶番を軋ませながら蓋を開くのも、春海だ。
 開封された箱からは、あの暑い夏の記憶が出てくる。



 高校生だった自分は、春海の担任が泊まっているというホテルを目指して自転車を走らせた。続く熱帯夜はその夜も同じで、内陸に向かって小高くなる地形にペダルを漕ぐ体に汗が滲んだ。
 昼間、二人で涼んだ公園の横を通り過ぎようとした時、一臣の視線が捕らえた従弟の姿は、夕暮れの国道で見た若い教師の腕の中にあった。桜の樹に身を隠すようにして重なる影に戯れの気配はなく、一臣のただでさえ鈍い思考を凍りつかせるには十分な光景だった。
 昼間には二人乗りの自転車から落ちてしまわぬように自分のシャツを掴んでいた細い手が、男の首に絡んでいる。爪先立ちになった春海の縋るような手が闇の中に浮かび上がり、それが春海の想いなのだと知る。
 夕暮れの中、担任の前で見せたぎこちない笑みの正体がわかった。わかったと同時、これまで可愛がっていた従弟の全てを知っていると思っていた自尊心は木っ端微塵に砕かれた。
 せんせい、と消え入りそうな声はやはり春海のものだった。涙の気配がする声だった。
 春海はあの男が好きなのだ。妻子ある教師のことが。
 真っ白になった頭で簡潔な事実を理解して視線を引き剥がそうとした。それが男の肩越しの春海の目に捕まった。
 あ、と思った時にはペダルを踏み込んでいて、それからどんな道順で町を突っ切ったのかよく覚えていない。
 家にも帰り辛く、幸太の家に上がりこんで一夜明かした。
 翌朝、逃れられない追試のために制服に着替えるため帰宅すると、春海の姿は既になかった。朝子がぷりぷり怒りながら息子の勝手な行動を怒り、春海が予定を早く切り上げて東京のアパートに帰ってしまったことを残念がった。朝子には秋の文化祭の実行委員の集まりがあると言い訳したらしい。
 春海の帰省はその夏を境に、受験や補講を理由に途切れた。
 春海にとって美菜浜は一つの拠り所だった。きっと、あの教師も同じ存在だったのだろう。円満とは言い難い家庭環境の中、学校と言う子どもが大半の時間を過ごす場所で見つけた安らげる場所だったはずだ。
 同性であることや相手に妻子があることを考えられるほど春海に余裕はなく、抱え続けた心細さを打ち消してくれる存在に夢中になったのだろうと想像できた。落ち着いて考えれば自分の従弟が男と抱き合っていたことに対する嫌悪感はなく、縋るような手つきに込められた愛情を認めてやれるだけの理解も持ち合わせている。
 だけど、あれから一度も春海にコンタクトを取ってやろうと行動にうつすことはできなかった。気にしなくていいんだと電話越しに伝えてやることも、年に一枚送ればそれで何かが変わったかもしれない年賀状すら書けず、月日が流れるのをただ見ていた。
 春海が中学を卒業したであろう年も、成人を迎えたであろう時も、春海は元気にしているだろうかと酷く寂しそうな顔をして呟く朝子にフォローをしてやることもできず、高校生だった自分はいつの間にか二十六歳。いつの間にか民宿の若旦那に落ち着いてしまい、先日には青天の霹靂が“若”と言う文字を奪っていった。


 二つ年下の従弟は、記憶の中にあるものよりも大人びた顔に微笑を浮かべ、そのくせ泣き出しそうな気配を一臣に与えながら告白を続けた。
「あの先生のことが、好きだった」
 偽らざる気持ちであると消え入りそうな声は真実味を帯びて一臣に届く。
「学校で先生が優しくしてくれる度に夢中になって、男同士で悩んだこともあったけど、奥さんいるのもわかってたけど、それでも俺の相手してくれたの、嬉しかったんだ」
 中学生が溺れるにはあまりに切ない恋だ。
 春海が女性ではなく同性に惹かれたのは、異性関係に奔放な母親の性を受け入れられなかったせいかもしれない。
 儚く美しい面差しをした可愛そうな子どもを慰めようと、手を伸ばすだけの情と余裕と下心があの教師にはあったのかもしれない。
 詳しく語ることをしなかった少年と男性教諭の馴れ初めを勝手に想像して、暗鬱な気分になる。
 当時高校生で自らとった赤点に苦しんでいた自分はただ、従弟を横に侍らせて子どもじみた遊びに没頭するだけの日々しか与えてやることは出来なかった。春海と伯母との生活が決して幸せなものではないと感づいていても、訪れてくる春海を受け入れてやることしかできなかった。
「でも、先生と生徒だし、男同士だし、先生には奥さんも子どももいるし。先生、真面目だし。俺は先生にとって重たい秘密だったから、あの日を最後にすることにして、夏休みが終わったらただの先生と生徒に戻ろうって、約束した。それが、あの夜」
 そう言って、春海は両手を開いて見せた。もうそこに包み隠していることはないと言うように。
約束は守られたのだろう。
 かわいそうな子どもに差し伸べた手は、大人の勝手な事情で引っ込められた。火傷に気付いて引かれた教師の手は、美菜浜と言う場所まで一緒に掻っ攫っていってしまった。
 弄んでいた吸わず仕舞いの煙草を拳の中で折り曲げて、一臣は溝を埋めるために問う。
「俺に見られたから、うちに来なくなったのか」
 当然だろうとも思う。気まずい気持ちは一臣にも理解できる。けれど、それほど自分は信頼されていなかったのかと、裏切られた気持ちは拭いきれない。
 同性を愛することはマイノリティに属する志向なのかもしれないが、それを理由に今までずっと庇護してきた身内を途端に嫌悪するような男だと思われたのか。
 春海は躊躇うように視線を彷徨わせ、やがて小さく首を縦に振った。
「あれから、どうしてた?」
 自分達でこじ開ける傷口からじわりと血や膿が滲み出すのを感じながら、一臣は話を促した。疼き続けていた傷は、例えケロイドとして痕を残そうとも口を塞いで乾かして過去にしてしまいたい。空白を埋めるだけの情報が欲しかった。
「高校進学して、二年生になる前に辞めた」
「なんで」
「授業料とか払えなくて。それから小さい創作和食のお店で働いて、調理師免許とったんだ。店長さんがいい人で、一人暮らしの部屋借りる保証人になってくれた。そうしたら、いつの間にか母さんも部屋解約してて。もう本当に行方知れず」
 伯母の強気な瞳をふと思い出した。恋愛依存とも囁かれた女性の目には、凛とした強さも確かにあった。それはもしかしたら、多くの男性から愛されることを自信とする強さだったのかもしれない。それが器量良しの妹に対抗する術だったのかもしれない。
「そのお店で働いてたんだけど、店長が体壊してお店閉めて、それから蒼さんに誘われてこの店にきた。三年くらいになるかな。なんとか一人でやってたよ」
 一人で、と言う言葉がチクチクと喉元を刺しながら腹の底に落ちていく。
「高校の学費、叔母さんが援助してくれてたんだ」
「……連絡、とってたのか」
「時々、電話くれた。でも母さんが意地張って、何度か電話口で酷いこと言ってるの、聞いた。母さんも意地になって、叔母さんの援助を断ったみたい」
 ちらりちらりと朝子の表情が脳裏に蘇っては消える。自分の人生が走馬灯のように駆け巡るという最期の時、朝子は支えきれなかった甥のことを思ったか。こじれたままになった姉の幸せを願ったか。
 こみ上げた痛みを押し戻すために口に含んだコーヒーは少し冷めていた。
 やるせないとはこういう心境のことを言うのだろう。もう空白の時間をやり直すことはできないし、死んだ人間の気持ちを確かめることも思いを晴らしてやることもできない。
 自分がもう少し、器用だったなら。器の大きい人間であったなら。変わったかもしれないけれど。
「恋人は?」
「え?」
「今、付き合ってる奴はいるのか」
「……いないよ」
 うじうじと沸き起こる後悔を振り切るために一臣が発した言葉は唐突で、あまり思いやりがあったとは言いがたい。春海も気圧されたように答えた。
「じゃあ、昔の話はここまでだ。先に話した件、考えてくれ」
 握りこんだ手を開けば、今まで抱えていた緊張感が解れていった。途端に慣れないスーツが窮屈に感じてネクタイの結び目に指を突っ込み強引に引っ張る。店長と話をする場合を考えて着込んできたのだが、無駄に緊張感を増幅させるだけだった。
 緊張も気まずさも解いてしまって息をつくと、言いたい言葉がすんなり口をついて出た。
「で、考えてみて駄目だったとしても、また前みたいに帰って来い。あそこはお前の実家なんだから」
 言い終えた時、これまでずっと抱えてきた腹の底の澱みが綺麗さっぱり消えてなくなっていると実感した。
 目の前では春海が聞き慣れない国の言葉を耳にしたような表情で数度瞬きを繰り返し、やがてくしゃりと顔を歪めて俯いてしまった。
「お袋があんなことになる前に、迎えに来てやればよかったな」
 これは新たな傷だ。それを深手にしないように春海が首を横に振ってくれる。
「俺は、また前みたいにお前が顔出してくれたら嬉しい」
 積年の思いは自覚以上に切実な響きを帯びた。
 一臣の欠点は執着心の強さだと、自他共に認められる。地元、郷土人、実家に対しての執着が人のそれよりも強い。
 美菜浜は一臣にとって日本一の町で、そこに生まれ育つ人々の気性を誇らしく思っている。美菜浜にかかる圧力があればそれを憎み、自然災害に傷付いたのなら一刻も早い復旧のために奔走できる。地元出身の人間の犯した罪の裏には事情があるはずだと思い込むほど激しい身贔屓をする傾向にある。
 殊、家族となるとそれがより酷くなる。どんなに煩い弟達でも一人不在となると落ち着かない。一臣の性格上、それを言葉にも態度にも出すことはないが、双子が修学旅行から帰ってきた日の夕食が妙に心地よく感じたりしていた。
 春海に対しても同じこと。春海の訪れない夏休みの居心地の悪さは、あれから何年経っても慣れることなく、常に新鮮な欠落感を一臣に覚えさせた。
 この不満を終わらせたい。
 過去を清算し、何も気にすることはないのだと春海に理解してもらい、離れていてもどこで暮らしているのか居場所を心得、たまに元気にしているかと連絡がとれるだけでもいい。
 つい射抜くほど強く見つめた視線の先、俯いていた春海が肩口で目を拭う仕草を見せて我に返る。
「春海?」
 幼い頃からこの仕草には弱いのだ。弟達がこの世の終わりでも見えたかのように泣き喚いても平然としていられるが、春海がシクシクと泣き始めるのにはいつも動揺してしまう。
 ポツ、とデニム地の厚手のエプロンを滴が叩き、春海の肩は大きく震えた。
 一臣にとっては物足りない年月だった。同じ月日の流れの中で、春海は何を思っていたのだろう。振り切れるほどの奔放さもなく、腹の奥に澱む寂しさや心苦しさと戦ってきたのか。雪解けを告げる一臣の拙い言葉にあっ気なく落涙してしまうほど、満身創痍だったのか。
 泣き止ませるための言葉を探しながら間を潰そうとカップに伸びた手は、しかしそのままずいっと伸びて春海の丸っこい後頭部を撫でた。
 堪えきれない嗚咽と共に何もかも吐き出してしまえと唆す。寂しかったのかと問えば一つ微かに頷く気配が手の平に伝わり、怖かったのかと重ねればまた一つ。
 あの夏の夜、逃げ出さず春海と向き合い、秘めてきた恋の結末を聞いてやればよかった。吐露した後悔にはやはり首を横に振り、春海は声を上げて泣いた。
 都会の片隅、小さくも居心地の良いこの店に居場所を見出しているのなら、それはそれでいい。
 母や祖父母、その先の先祖が守ってきた栄月館を自分の代が大きく変えてしまうかもしれない。それでも身内の居場所を無理に奪って続けるよりはマシだと、重い責任も丸呑みできるような気がした。
 春海の耳に、美菜浜に過去も未来も続くであろう波音が蘇ればいいと願うように思った。



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2009/7/1更新

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