ルーツ・コンプレックス 8




 三島蒼が短い滞在を終えて東京へ帰っていったのと入れ違いに、大月家に縁ある次の来客があった。
 桐沢画伯だ。
 朝子の葬儀の時はヨーロッパで個展を開催していて参列できなかった。ヨーロッパの後はすぐにアメリカへと飛んだ。その合間の僅かな時間を縫って仏前で手を併せ、いつも少年のような好奇心に輝く顔を酷く年老いたものに見せる涙を流し、また次の旅に出て行った。
 ようやく落ち着いてお邪魔できると、でっかい荷物を持ってきた。
 他にも数組の客を迎えていて、栄月館は活気に満ちる。
 弟達も従兄弟の春海に家事の全てを託すことには申し訳なさを感じるのか、洗い物や洗濯物の取り込みといった手伝いは何も言わなくても手を貸すようになっている。
 特に二葉は調理中の春海の傍にくっついて手伝いたがるようになった。どうやら料理に興味を持ち出したらしいと三咲からの報告を受けたが、果たしてその興味や情熱がいつまで続くものか。
 春海は邪魔になるであろう二葉に易しい用事を託し、料理の基本中の基本からちょっとずつ教えているようだ。
 不肖すぎる弟子と厨房に立つ春海は楽しそうだ。これがもしも自分の嫁ならば、春海は腹に抱えた一物を隠して振舞って見せるのだろうか。
「カズ兄は、ハルと仲直りができたわけ?」
 厨房で二葉とお茶の用意をしている姿を居間から眺めていると、三咲が珍しく声を潜めて一臣に耳打ちしてきた。春休みの高校生は暇そうで、末弟は野球部の練習に忙しい。
「仲直りって?」
「春海が家に来なくなったのって、カズ兄となんかあったからだろ?」
 これが二葉や四恩なら誤魔化せるが、大月兄弟異色の秀才に一臣の嘘は通じないだろう。下手な言い訳はしないでおく。
「お兄様達にも色々あるんだよ。大人だから」
「大人、ね。まぁ、なんにしても二人が仲良くて何よりだよ」
「なんだよ、珍しく絡んでくるじゃねぇか」
「ハルが女の子だったら結婚できるのになーって、兄貴の幸せの形を想像してみてるだけ」
 三咲にしては随分と夢のある話をする。何を言いたいのだと生意気な弟の顔を見ると、いつも大人びた表情ばかりを貼り付けている顔が、二葉のそれに似た悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「俺は、そーだったら嬉しいなって思う」
 久しぶりに三咲と二葉を取り違えているだろうか。そんな心配をしてしまうほど、三咲の口ぶりは幼く、また口にした願望も無茶なものだった。
 つい三咲を凝視していると、春海と二葉が作りたての三色団子を持って来た。
「三咲、桐沢先生呼んできて」
「はーい」
 春海のお願いには実に従順な三咲はすぐに応じて桐沢を呼んで来た。荷物を解いて一休みしていたのだろう。桐沢はすぐにやって来て卓上に並んだ淡い色彩の三色団子を見て相合を崩した。
「海外生活が続くとこういう菓子が恋しくなるんだ」
 仄かな甘味の団子は美味いし色合いも楽しいが、四恩と父の分として残った串に刺さるのは指紋がとれそうな歪な窪みが残っている。
「フゥ」
「んー?」
 製作者は呑気に自作の団子に食いついている。
「お前、料理するの、楽しいか?」
「うん。けっこう楽しい。俺、学校の料理クラブ入ったんだ。言うの忘れてた」
 料理よりも女子部員が目当てじゃないのかと言いたかったが、これまで女の子を口説き落とすことが人生で一番楽しい事だと認識している節のあった弟が他の事にも興味を持ってくれたのは喜ばしいことだ。もうちょっと、茶々を入れずに見守ろうと父の姿勢を見習って口を閉ざした。
「期待、してるよ」
 したい、と言いたいのも堪えた。春海と三咲がよくできましたとばかりに小刻みに頷いている。
「春海は男の子だから言っては失礼なのかもしれないが、それにしても朝子ちゃんに似たな。綺麗になった」
 女性への褒め言葉を与えられることにもう慣れてしまったのか、春海は曖昧に笑って反論も肯定もしなかった。
「一臣も春海が来てくれて嬉しいんだろう。少し丸くなったんじゃないか?」
「やっぱり! 俺も思ってたんだ。前みたいに怒鳴ったり殴ったりする回数が減ったって」
「春海が上手に諌めてくれるからだろ。カズ兄はすぐに手を出しすぎたんだ」
 桐沢が来ると一緒になって普段言えないことを兄に言えるのが嬉しいらしい。二葉と三咲は桐沢に若干近付いて同意する。
 良くない風向きを感じる。こういう時は避難しないと、桐沢と言う後ろ盾を得た弟達の攻撃はここぞとばかりに厳しいのだ。
「そろそろ行ってくるわ」
 今日も幾つかの助っ人を受けている。時間には早いが退散しようと立ち上がると、逃げるのかと調子に乗った野次が飛ぶ。舌打ち一つして一歩足を踏み出すと、双子は仲良く同じリアクションで後ずさり桐沢の背後に隠れた。
「日が暮れるまでには帰る」
「はい。気をつけて行ってらっしゃい」
 送り出す声につい頬を緩ませてしまうから、丸くなったなどと表現されるのか。
 首を捻りながらスニーカーに足を突っ込んでいると、ギィギィと不快な音を立ててブレーキをかけた自転車が玄関前に止まり、
「たっだいまー。腹減ったー!」
 大きなスポーツバッグを抱えた四恩が練習着のまま飛び込んできた。
「おかえり。フゥが団子作ってくれてるぞ」
「えっ、フゥ兄が? ハルのじゃなくて?」
 見る見る肩を落とす姿は居間からも見える。
「シィ! どういう意味だ! お前には食わせてやらん!」
 二葉の怒声が聞こえてきた。
「馬鹿だな、四恩。生地つくったのは春海なんだから、見た目さえ我慢すれば美味しいのに」
「うっそ、フゥ兄、食うな! 俺のおやつだぞ、それ!」
「ばーかばーか。もう食っちゃいました!」
 喧騒を残して家を出る。
 毎日聞いていれば頭が痛くなるような賑やかさだが、これがなければないで寂しいものだと秋から春へと季節が流れた中で知った。玄関を出ても尚聞こえてくる兄弟喧嘩は、きっと春海が上手におさめてしまうだろう。
 予定よりも早く家を出てしまったため、時間を持て余してしまった。家庭外に持つ自分の宿り木を幾つか思い描き、今日のような穏やかな天気に最も快適に過ごせるであろう場所を選ぶと一臣は四恩が乗り捨てた自転車に跨りペダルを踏み込んだ。





 漁港のアスファルトに胡坐をかいて座り込み、数少ない親子舟の乗組員達は網の修繕をしていた。
「こんちわ」
 漁協組合の長を務めるベテラン漁師にまずは挨拶すれば、浅黒く焼けた顔を上げて一臣の姿を認め、おうと低く応じる。そして顎をしゃくって幸太の方を指す。
「煮えきらん男だ」
 呆れとも説教ともとれる呟きの理由は、背中をやや丸めて作業する幸太の背後にあった。
「光子―、お前また店番さぼってるのか」
 声をかけると、幸太の背中から光子がひょこりと顔を出す。
「うるっさいなぁ。秋吉のおじちゃんが依頼してくれた大漁旗のデザイン考えてるの」
 ほら、とスケッチブックを突き出してくる。
 二十代の男女が背中合わせでそれぞれの作業に没頭できる、しかも親の目の前で。これでお互いに良き友人以上の関係にないと言い張るのだから滑稽だ。通い婚でいいではないかと両家一人っ子を差し出しあう形で公認しているのに、当の二人は決してこの関係を決定的なものにしようとはしない。既成事実も何も作ろうとはしない。お互いに彼氏彼女を作っては趣味が悪いと言い合って、別れたと報告してはそれみたことかと勝ち誇る。
「カズが見本を見せてやってくれ」
 結婚しろと組合長は仰る。
「俺は幸太と光子待ちなんスけどねー」
「俺らはカズが結婚っつー見本を見せてくれるのを待ってるんだ」
「そうそう。人のこと言う前に自分のこと」
 二人の傍で折った膝を、ぺしぺしと揃って叩かれる。
「そんじゃ、結婚するかなぁ」
 ここ数日あたためた悩みを吐露するつもりで発した声はいつもと違って聞こえたらしい。本音の混ざるそれに幸太も組合長も手を止めた。
「春海と」
 思わぬほど三人を揺るがせてしまった発言にオチをつけるつもりだったのに、幸太と光子は目を丸くして、組合長はやや間を置いて何も聞こえていないような素振りで作業を再開した。
「おま……、春海に何かしたのか?」
「は?」
「ついに告白しちゃった?」
 告白と言う甘酸っぱく懐かしい言葉と、彼らの勢いに気圧される。
 確かに珍しく悩み事を口にするためにここへ来たわけだが、肝心な部分はこれからで、さきほどの発言はただの冗談に過ぎない。それにここまで反応されても困るのだ。
「だってカズがこういう冗談に春海を使ったことないもん」
 異常事態だとの訴えに、そうであったかと己の言動を振り返るがピンとこない。
「春海を可愛がりすぎだってからかっても、従兄弟なんだから可愛いのは当たり前だーとかは言ってたけど、じゃあ春海と結婚します的なノリは今までなかった」
 ここで何があったか好奇心丸出しで突いてくるかと思いきや、
「なんか、あった?」
 二人仲良く声を揃え、しかも心配そうな顔で覗き込んでくるから、自分がよほど混乱しているのだとようやく認識できた。
 どう打ち明けてみようかと波止場を打つ波音を聞きながら思案して、先日の三島蒼と春海の会話についてあまり上手くはない説明をした。
 心配顔は言葉を重ねる毎に愕然としたものへと変化していった。
「つまりあいつは、俺のことが恋愛レベルで好きなわけか、と思って」
 そんな不恰好な語り終わりの後、空を仰いだ幸太はゆっくりと一臣を正面から見据え、
「海の水って塩っ辛いんだな、とか言われた方がまだ慰めようもあった」
 わけのわからないことを言い出した。
「びっくりするわ、この人。コイツに早く結婚しろとか、ぜぇったいに言われたくない」
「春海が可哀想だ。よくこんなろくでなしを一途に好きでいられるな。あいつはすげぇ」
 自分に向けられる好意に対して鈍感な方ではない。客商売でもあるから、人の気持ちには敏感だ。だけど、
「カズは身内にすごーく甘いけど、それと同じくらい甘えてんのよ」
 そういうことなのかもしれない。
 春海が自分の本音を守るために飾り立てた上辺の気持ちだけを汲み取って、彼の何もかもを理解した気になっていた。またあの夏の繰り返しではないか。知らない一面を目撃しては、隠し事をされたのだと勝手に衝撃を受けている。
「従兄弟だから春海が自分を好きなのは当然だって思ってる。特別じゃないって思ってるでしょう? カズは春海のこと身内だからって理由で当たり前みたいに守ってあげるかもしれないけど、春海がカズのこと好きなのも当然だって思うのはカズの勝手だよ。春海はこんなにも特別に、カズのことが好きなのに」
 光子の攻撃はあまりにも痛い。的確すぎて、痛い。
「カズは案外考えが古臭いの。自分の考えの尺度を相手にも押し付けたり、亭主関白だったりさ」
「亭主関白ってのはお前の知るところじゃねぇだろ」
 自分だって知らない、とささやかな反論を試みるが、
「あんたみたいに保護欲の強い奴、亭主関白に決まってる」
 一刀両断だ。
 思わず黙って幸太に救いを求める。光子の剣幕に笑ってしまっていた幸太は、いい顔でニタリとした。
「あの時」
 光子には通じないであろう暗号から切り出した。
「お前は春海を守ってやれてなかったって悔しがってたけど、俺には春海をとられて悔しがってるように見えたぜ」
 肝心なことを忘れてはいないかと幸太は笑った。
「お前は身内に甘くて甘えてて、自分に厳しい」
 なぁ、光子。そんな合いの手に心得たとばかりの相槌が一つ。
「春海の気持ちはわかった。それで? お前は、どうしたいんだ」
 釣竿の先に針をつけておくのを忘れたことを気づくような、驚くべき喚起だった。
 元々、スムーズに回転する頭脳ではないと思っていたが、何か基本的なことが抜け落ちやすい、危ない脳なのかもしれないと我ながら心配になる。
「お前は、春海のことを身内以上の情を持って見れないか? 春海がいつか良い人見つけてカズちゃんの保護はもういりませんって言われた時、そうか良かったなって見送れるのか? 春海以外の人間を栄月館の厨房に立たせる気はあるのか?」
 具体的場面を畳み掛けるように並べ、想像してみろと幼馴染は強要する。
「一臣は、どうしたい?」
 お前の考えで決定的に足りないのはそこだ。幸太は容赦なく、一臣の欠点を貫いてくる。
 美菜浜のためでもなく、家族のためでも、春海のためでもない。自分のために考えてみろと。
 自分を省みることが苦手なのだと、この歳になって自覚する。誰かのためにと言い訳するのだけ得意になっていた。
「チビ達には親父さんがいるし、この先それぞれに彼女なり嫁さんなりをこしらえるだろう。親父さんは朝子さんの思い出と生きていく。美菜浜には俺らだっている。だけど、春海にはお前しかいないって、気付いてやれてるか?」
「ハルにとってカズはさ、神様みたいな存在なんだよ。ちっちゃい頃、夏休み中母親と離れてこっちにいるの寂しくないのかなって聞いたことがあるんだけど、カズちゃんがいるから平気ってにっこりするの。あの頃の子どもって、友達も増えるけどやっぱり親が一番信頼できるし、好きなわけ。でも春海には、カズが一番だったんだよ」
 そいう春海が可愛くないのか。言外に匂わされ、これまで当然の事実として認識していた物事の殻を破ってみる。
 春海が来て、自分の中でひゅうひゅうと空しく風を通していた穴は埋まった。手の届くところに在る穏やかな横顔が自分だけのものになることを想像して、もう何年も忘れていた緊張と高揚が沸き起こる。
 あの小さく華奢な体を抱きしめることが許される。どこでルールが改正されたのかと思うような、開けてはいけないはずのドアがいつの間にか開けられていたような不思議な開放感がある。この時をずっと待っていたのかもしれない。そんな自分に戸惑う。
「抱けるだろ、春海のこと」
 光子の耳を塞いで声を低め、幸太は実に直截的な表現をした。
「お前の亭主関白っぷりも相手を決壊させる保護欲も、春海なら耐えられる」
 ふっふっふとわざと悪い笑みを見せ、幸太の手が勢いをつけるように一臣の膝を叩いた。その手を再び光子の耳に強く当て、
「お前が腹を括ったら、俺も括るぜ」
 お前の方がよほどずるい男だと言い返し、もう過分すぎるほどの声援を受けた体で立ち上がる。
「お前の世間体くらいは、俺らでどうにかしてやる」
 頼もしい言葉に対し、浴びるほどもらったアドバイスと説教への礼を。
「ありがとよ。おっちゃん、邪魔しました」
「あぁ。……、カズ坊よ」
 立ち去りかけたところ、しわがれた声に呼ばれた。
 一連の会話が届いていたとしても無言を貫ける漁師は珍しく口を挟んだ。
「お前の我儘一つくらいは、美菜浜の親父共はお安い御用で叶えてやるぞ」
 一臣を見ることなく、手元の作業を止めることもない。
「お前には、世話になってるからよ」
 語尾にはわかったらさっさと行けという意味が含まれたのだろうけれど、一臣は咄嗟に足を動かすことが出来なかった。
 開いたままの口をゆるゆると閉じて、端折られたようなありがとうございますを残して走りだした。



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2009/8/1更新

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