悦楽と疼痛のバランス 5



『Jリーガー高山浩二は逢沢瑠璃子の隠し子だった!!』

 衝撃の記事は、逢沢瑠璃子がまだ小さな劇団に所属していた頃に人生を変える出会いをしたと英介に教える。

 
 当時、瑠璃子は19歳。
 ボロボロの劇場の倉庫で、彼女は初めて貰った役の練習をしていた。
 誰もいないと思って思う存分に悪女の役作りをしていたところに響いた拍手。
 その拍手の主が、当時大道具のバイトをしていてこっそり倉庫で居眠り中だった、高山浩二の父となる高山正一だった。
 ちなみに現在の高山正一氏は、ロマンスグレーに長身でスマートな体格と、頬の削げた精悍で渋みのある顔立ちの理想の中年男だ。
 過去はさぞかし男前だっただろうと、数十年経った今でも見る人に思わせる。
 逢沢瑠璃子は今も昔も変わらず美人だ。

 とにかくそんな美談美女は出会い、恋に落ち、人知れず入籍した。
 ゆっくりと流砂に飲まれるような恋の間に、瑠璃子はオーディションでテレビドラマの大役をもらい一躍ブレイク。
 『身分違いの』という枕詞が二人の関係を表すようになった頃、瑠璃子は妊娠した。
 芽が出たばかりの女優の、とんでもない報告に事務所は猛反対。
 入籍すら世には知られていないのに夫も子もあると知られれば、鰻登りの人気に影響があるかもしれないと判断された。
 無事に出産することはできたが、これからの俳優人生と結婚生活は天秤にかけられたままだった。
 究極の選択を迫られた瑠璃子に、正一は気負うことなくこう言ったらしい。
『事務所の人が納得するような大女優になるまで、息子は僕が育てよう。君は演じることに専念して早く名女優になって、そうして誰にも文句を言われないくらいになったら、また改めて籍を入れよう。それまで僕は君を愛しつづけるよ』


 その約束が、今まさに果たされようとしている。
 その渦中に、
「いろいろと打ち合わせすることがあって、あのホテルで会ったんだよ。勘違い報道を否定するのは籍もいれて準備が全部整って、一気に告白してしまおうってことになって、こんなに説明するのが遅れたんだ。お袋の事務所の人に携帯電話も取り上げられてたし、俺は軟禁状態だったし」
 英介は巻き込まれてしまったらしい。
 記事には時を越えた純愛が無事にハッピーエンドを迎えたことも記されている。
 隠し子がいたことと、その隠し子がJリーグや日本代表で活躍している有名人であること、さらにその息子の交際相手が同性であること、そしてその恋人はイ ングランドへ移籍の可能性があるということ。
 話題は盛りだくさんすぎて、収拾がつかなくなっている。

「お前がイングランドにいるって、どうにか連絡とれた昴さんから聞いた日に、さっさと籍を入れさせて公式発表させて、飛んできた」
 言葉の通り、飛んできたのだ。
 はぁ、と重い溜息を、高山はついた。
 それでも全てを打ち明けて少し楽になったのだろう。
 まとう空気が軽くなっている。
「お前には話しておこうと思ったんだけど、お袋がびっくりさせたいから入籍の時でいいって言い出して。こんなことになって、本当にごめん」
 記事をじっと見つめ続けている英介の横顔は、まだ驚きに満ちている。
 両親が再び籍を入れる時には、自分の存在も暴露されることにはなるだろうと思っていたし覚悟もしていた。
 それぞれ苦労もあっただろうし、息子の目から見ても二人は本当に愛し合っている。
 友人の家族とは違う形をとってはいたが、離れて暮らしていても確かに逢沢瑠璃子は自分の母親だった。
 反対するつもりなどなかったが、それに英介がこんな形で巻き込まれるのは想定外だった。
「ごめんな」
 英介はなかなか記事から顔を上げてくれない。
 これ以上言い募ることもできなくて、高山は沈黙する。
 英介がイングランドのクラブで練習に参加していると聞いた時、血の気が引いた。
 いつか移籍で離れることは覚悟しているが、喧嘩別れをしたまま離れることは考えられなかった。
 耐えられないと思った。
 一刻も早く弁解をと、飛行機に乗り込んできたのだ。
 いつもなら苦労する時差ボケも感じる暇がなかった。
 長い溜息を吐き出していると、英介がようやく顔を上げた。
 じっと高山の顔を見る。
 これが逢沢瑠璃子の隠し子なのかとでも思われているのだろうと思っていたら、
「……はぁ〜〜、俺、なんかすっごい馬鹿みたい」
 がっくり肩を落して、頬を染めた。
「先走りすぎだよなぁ。恥ずかしい」
 イギリスまで来ちゃったよと、途方に暮れたような瞳が高山を見上げた。

 昴に言われた。
 英介はお前を疑ってるわけじゃない。
 だけど嫌な気持ちになるのはわかるだろ?
 しかもお前とは連絡とれないし。
 だから、不安になる。
 そのまま放っておかれて怒ってるんだ。
 迎えに来ないと本当に手の届かないところに行ってしまうぞと、過激な拗ね方をしているだけだ。
 何があったのか知らないが、英介の勝ち。
 お前の負け。
 早くお迎えに行きなさい。
 可笑しそうに笑いを噛み殺しながら昴はそう言っていた。

「こんな事情、想像もできなかっただろ。仕方ない」
 本当だよ、と茶化して英介はベッドに仰向けに転がった。
「あー、もー、なんか本当に馬鹿みたいー!」
 鬱憤を晴らすように大きな声を上げるが、英介の口調は冗談めかして明るい。
「日本に帰るのが恥ずかしい」
 そう訴えて、指先が高山の服の裾を掴んだ。
「帰るのか?」
 これを確かめなければと、高山はその手を掴んでしっかりと見下ろした。
「まだ要らないって言われたから、帰って日本でこつこつアピール……する」
 答えながら繋がった手を目にした。
 そう言えば触れるのは久しぶりだと思うと、頬が熱くなった。
 高山もそれに気付いて、握る手に力を込める。
「……? タカ、ほっぺ、赤くなってない?」
「あぁ、これか。これな、家を出ようとした時に……」
 両親が再婚についての公式文書を関係者に出してから、ようやく母の事務所の人から軟禁を解かれた。
 事務所から下手に巻き込んでしまったことへの罪滅ぼしに、イギリスまでの飛行機のチケットを渡されて、さぁ行くぞと家を出た。
 エレベーターホールで鉢合わせしたのはマスコミではなく、江口友里と勲だった。
 勲の剣幕は凄まじく、高山の言い訳も聞く耳を持ってくれない。
 勲の憤怒と高山の困惑に収拾をつけたのは、
「友里ちゃんに殴られた」
 友里だった。
 目の前で、まず勲に平手で一発を食らわした。
 唖然となる勲に、『うるさい』と落ち着きすぎている声音で言った。
 どこに行くのかと問われた。
 英介のところに行くと言うと、
『事情はあとで説明してくれればいいです。早くえっちゃんの所に行ってあげてください。でも、このまま行かせるのは癪だから』
 ツカツカと近寄って、英介とよく似ているがそれよりきつめの顔立ちで睨まれて、平手で殴られた。
『えっちゃんはきっと高山さんの顔みたら、全部許しちゃうから。私が代わりに殴っとくわ。えっちゃんを傷付けた罰よ』
 赤くなった頬を抑えて、地球の裏側までやってきたのだ。
「……でもタカは本当に不可抗力だったわけだから……、ごめんな?」
 そろそろと伸びてきた指先が、優しく頬を撫でた。
 本当に友里の言った通りだ。
 確かに高山のせいではなかったわけだが、弁解一つもしてやれなかったのは自分に非があるのに、もう許されている。
 渡英なんて大胆な真似をしておきながら、今は申し訳なさそうに表情を曇らせている。
 腹筋を使って起き上がると、真っ直ぐに高山を見上げ、
「事情はわかった。タカは何にも悪くないじゃん。俺の方が悪い。ごめん」
 謝罪の言葉を口にする。
「お前が謝ることないよ。まぁ、トゥルーザーの練習参加はさすがにびびった」
 このままいなくなられたらと思うと、大人しく飛行機に乗っているのももどかしかったのだ。
「うん、楽しかったな。やっぱりこっちは体の大きい選手が多いから、もう痣だらけ。どーんってこられたら、吹っ飛ぶんだぜ? 足も長いから、ボールとれないし。キーパーにさ、すっごいのがいるんだよ。純平くらい大きいけど、純平みたいに敏捷な感じはしない。でも、向かい合ってじりじり距離を詰めてくるんだ。気が付いたらシュートコースがなくなってる。それでさ、そのキーパーが……」
「英介」
 気まずさはどこへやら。
 楽しそうに話始めた英介を、高山が困った顔で制止する。
「移籍はしないんだろ?」
「要らないって言われたからね」
「じゃあ、その話は今度」
 不満そうに尖った口唇に指先で触れて、髪の毛を掻き乱す。
「俺が、浮気したって、ちょっとは思った?」
「ちょっとはね。全然疑わずにいれたわけじゃない」
 ベッドに片膝を上げて、英介は高山の手が髪の毛を弄るのを好きにさせている。
「なんにも言わないから、どうなのかなって時間が経つ毎に思ってって、がーって一気に腹たってさ。タカが何にも言わないんなら、俺も何にも言わないで好きなことしちゃおうって出て来た」
 高山は英介の気持ちの隅々まで知ろうと、英介の言葉にじっと耳を傾ける。
「でも本当は、タカのことで弱気になってる自分がいるのが嫌で、それを振り切ろうと思ってサッカーしに来た」
 高山は苦笑する。
 これからは不安にさせないように気をつけなければ、この恋人は弁解をさせる前にどこか遠くに行ってしまうらしい。
「でも、たぶん、ちゃんと信じてたよ」
 だから、早く迎えに来いって思ってたんだ。
 英介は真面目な顔で言う。

 昴にも、友里にも勲にも、父にも母にも言われた。
 お前は英介に愛されてるんだなと。
 それを本人を目の前にして実感してしまった。
 周囲がそうと分かるほどの愛情を、英介は自分に対して持っていてくれるのだと。

「俺も」
「……ぅん」
 ゆっくりと高山が背を曲げて、コツンと額を合わせる。
「俺も、お前は信じてくれてるって、信じてた」
「……うん」
 近すぎる双眸に、英介の方が照れて大きな瞳を合わせては逸らしてキョロキョロさせる。
 行き場を失った手は、迷った末に頬に添えられた高山の手に触れた。
 高山の指に嵌められている指輪の感触を、英介の指が感じた。
 早く直に触れ合いたいのを焦らすように、二人はこの距離を楽しむ。
 隠しようもなく高鳴る胸と、僅かな緊張。
 高山が詰めた距離を英介が退くことで遠ざける。
 いつの間にか口唇には笑みが浮かび、退きすぎた英介がぱたりとベッドにひっくり返る。
 追いかけて高山が覆い被さり、まだ逃げようとする英介を捕えた。
「もう、逃げるな」
 逃げたって追いかけてくるくせに。
 英介の反論は口付けで遮られる。
 ほんの一瞬、押し付けられるだけのキスだった。
 そんなに長く離れていたわけじゃない。
 それなのに、触れるだけのキスで体中に甘い痺れが走る。
「逃げるなよ。不安になるから」
 口唇が触れるか触れないかギリギリの距離で囁いて、高山は英介の頬を包んだ。
 もう一度合わさった口唇は、お互いを誘うように開かれて深く合わさった。
 ベッドに押さえつけた英介の指に自分のそれを絡め、そこに縫い付ける。
 もう逃げないだろうとわかっていても、そうせずにはいられない。
 その自由奔放さを気に入っているのだけれど。
「……っい」
 口唇に勢い余って噛み付かれ、ぴりっと痛みが走る。
 一旦離れようとする高山を、英介は固く握ったはずの手を振り解いて引き寄せた。
 英介がリードを奪う口付けは激しく、いつもの彼らしくないほど性急だった。
 息継ぎの合間に、英介が吐息に啜り泣きを混ぜた。
 睫毛を閉じると、それを縁取るような雫がぽろりと弾かれた。
「……英介」
 不安にさせていたのだ。
 あの英介が、堪えていた涙をつい零してしまうほど。
「痛い」
 泣き声で訴えられ、高山は狼狽した。
「ど、どこがっ?」
 さっき掴んだ腕だろうか、それとも今の抱擁がだろうか。
「気持ちが痛いよ」
 英介の小さな声が高山の胸を貫く。
 よく似た痛みが互いの胸の奥で燻っている。
 痛い痛い痛い。
 早くこの疼きを治してよ。
 お互いに、そう思っている。
「早く治してよ」
 口にするのは英介で、高山を見上げた瞳には涙の他に珍しいほど明け透けな甘えが見えた。
 紅潮した頬にはハラハラと涙が滑る。
 英介の甘えは、弱音の暴露。
 一番見せたくないところを、英介は今高山に晒している。
 自分の中の激しい感情がごそりと引っ張られていく感覚。
 眩暈と戸惑いと衝動を覚えるほど、英介を想っていると自覚する。

 好き。

 愛してる。

 伝えたい言葉はたくさんあるけど、声には乗らなかった。
 リョウタは会話が大切だと言った。
 これも会話のうちだろうか。
 触れ合う感触や体温や吐息で交わす想い。
「……痛いよ」
 腕の中で英介が泣いている。
「俺も痛いよ」
 震える口唇を啄ばみ、
「たぶん、一生治らない」
 涙を舐めとり囁いた。

「恋の病だ。誰にも治せない」


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タカの正体暴露編です。タカを書き始めてからすぐに、隠し子とか似合わなくていいなぁと思って(笑)
次でラストでーす。ラストはオマケ編というか、高山一家総出演であります。タカ父、タカ母出てきます。

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