とても、大切な人達がいる
「タツ」
人ごみの中から呼ばれ、黒いコートがふわりと風を孕んで動きを止めた。
呼びかけた人物を粗方予想して振り返ったその視界には、思い描いた通りの人物が立っていた。
「よう。ご両人」
白い息を棚引かせながら達郎は、口の端を吊り上げた。
「趣味がよろしいな。開世の武闘派ヤクザは。あぁ? 順也」
振り返った先にいたのは、ダブルのストライプの濃紺の背広を着こなした背の高い男。
達郎の言う通り、武闘派といった体格をしている。
ご両人の片割れは、順也と呼んだ武闘派ヤクザの肩口よりも小さな背をした、少女とも呼べる女性が一人。
順也の肩から掛けただけの白いコートの中に、隠れるように佇んでいる。
「美女と野獣だって言いたいんだろう?」
その通りだと、達郎は言ってやる。
これ見よがしなヤクザのファッションに身を包んだ順也とは、あまりにも不釣合いなほど女性の雰囲気は清楚だった。
ヤクザのレコには、間違っても見えないだろう。
「そのスーツはやめとけ。今時流行らねぇし、刑事の反感を買う」
「はっ。年がら年中官給品のスーツで頑張ってるお巡りさんには眩しいか。アルマーニは」
図星だが、達郎は尚も笑ってやる。
「なぁにがアルマーニだ。アニマルみたいな面引っさげて吠えるんじゃねぇよ」
「古いなぁ。お前さんは。今時、新米刑事でももちっと粋なスーツ着こなしてるぜ?」
「俺の方が男前に見えるに決まってらぁ。心が錦だからよ。なぁ、美和」
話しを振られた女性は、順也の腕の中で必死で笑いを堪えている。
そこに話しを振られて、吹きだしてしまう。
ころころと可愛らしい笑い声に順也は憮然とし、達郎はにやりと笑う。
「どっちも、男前。見た目はなんとも言えないけど」
どこからどう見てもヤクザな順也と、どこからどう見ても刑事な達郎と、加えてどこからどう見ても堅気な美和と、三人は並んでふっと笑みを零した。
「仰る通りで」
「敵わねぇな」
平均以上の背丈と体格を誇る男二人が言うと、美和が満足そうに笑った。
「達っちゃん、ご飯もう食べちゃった?」
「んにゃ。お前らがこれからなら、羽振りのいい兄さんにご馳走してもらうかな」
言って、達郎は順也の肩に手を掛ける。
「刑事がヤクザに奢ってもらおうって、その根性が信じられんな」
「非番なんでね。古い馴染みと飲むのも勝手だろう」
なぁ、と再び美和に同意を求める。
姑息な手がいかにも刑事らしい。
肩に手は回したまま、達郎は陽気に笑う。
「何食う? 俺、宿直明けで飢えてるんだけど、中華とかいかが?」
「今日はイタリア料理」
「腹が膨れねぇな」
「帰れ。お前」
「行く、行く」
まるで酔っ払いのような絡み方をする達郎が、このよくある再会を喜んでいることを表している。
性質が悪い。
この懐っこい絡み方が、不快でない分余計に。
「イタ飯、大いに結構。行こうぜ」
片手に堅気の少女、もう片方には刑事を抱えたヤクザはうんざりと項垂れる。
それでも、漏れる苦笑いが憎い。
あまりに苦くて、順也をやり切れなくさせる。
「仕方ねぇなぁ」
全ての思いはその一言にして吐き出して、両腕にかかる異なった体重を感じながら順也は歩き出した。
警視庁捜査四課の日高達郎刑事は、紛う事なき刑事。
その親友・滝上順也は、これまた紛う事のない開世連合系幸田組の武闘派ヤクザ。
刑事とヤクザが友達になった訳ではない。
親友同士だった二人の青年が、ふと顔を合わせたら片方は刑事に、もう片方はヤクザになっていただけのことだ。
高校三年間を、同じ小汚い寮の部屋で過ごした仲だ。
無二の友達だと思っているのはお互い様だろう。
それに、落合美和の存在を加えると、余計に周囲には理解できない関係となる。
落合美和は、正真正銘堅気の人間。
清楚で可憐な空気は、順也や達郎には似合わなさ過ぎる。
親友同士の間には、三年間の空白時間があった。
そのブランクが、二人の立場を天と地ほどに遠いものにした。
ある日から順也は殺人事件の容疑者になり、挙句少年院に入っていた。
その間、達郎は警察学校に籍を置いていたのだ。
それでも、三人は高校時代からの親友だった。
「タツ。幸田組にちょっかいだしてるな?」
パスタを意外なほど上品に器用にフォークに巻き付けながら、順也が言い出した。
相反する立場にいる親友同士の間での仕事の話しは、少なくとも美和の前ではほとんどされない。
ワインを呷るようにして飲んでいた達郎が、口角を吊り上げる。
仕事場ではよく見せる笑みだ。
プライベートでは、もっと柔らかい男前な笑い方をする。
それでも、ニヒルな笑みも様になった。
「ちょっかいとは、言ってくれるな。お前らが社会にちょっかい出さなきゃ、俺らも楽なもんだ。そうなりゃ、失業だけどな」
イタリアレストランの片隅。
幸田組の息のかかった、そうとはとても思えない品のいいレストランの最奥のテーブルの前には、大きな衝立が置かれていた。
順也が手を回したのだろう。
半個室状態のテーブルでなら、ヤクザと刑事と堅気の女と言うシチュエーションを気にしなくてもいい。
ついでに言うなら、あまりに不釣合いな巻き舌調を披露してくれる達郎の場違いさに、居心地の悪さを感じることも無い。
「聞けよ。組織で動いてるんなら、俺も納得するさ。お前と俺の生きる世界の違いだと思って、覚悟を決める。俺には俺の仕事があって、お前にはお前の仕事があるもんな」
こんな時、美和は黙って耳を傾けているだけだ。
あまり、口を挟まない。
「でもな、今回はお前一人で動いている。いつから、単独行動が許されるようになったんだ? 警察は」
「真っ当な口が聞けるじゃねぇか。開世の番犬も」
ヤクザの眼つきよりもずっとヤバイ眼で、達郎は真っ向から順也を見据えた。
視覚から入り込み、内臓まで傷つけるような重くて深い眼差しは、さずがの順也もたじろぐほどだ。
怒り心頭に達してといった視線ならまだあしらえるのに、達郎の視線は笑っているから気味が悪い。
三白眼の奥に、薄ら笑いがある。
「動いてるのは俺一人じゃねぇよ。少年課がいずれ漕ぎ着ける。そうなりゃ騎兵隊にお呼びもかかる」
蕎麦を啜るようにパスタを啜る。
料理はできるのに、この辺は無頓着な男だ。
「まぁ、心優しい友人のご忠告には感謝するさ。礼に俺も一つ、忠告しよう。幸田……いや、開世からは手を引くんだな」
また、ワインを呷った。
「タツ……」
一瞬、順也が怯む。
揺ぎ無い自信を湛えた眼だ。
この男がこんな視線を寄越した時は、ろくなことがない。
「桜田門、舐めんなよ。予告ホームランだ。美和も聞いとけよ。んで、惚れ直せ」
二人の会話を聞きながらゆっくりと食事をしていた美和が呼ばれて、笑った。
苦笑いに近いその微笑に満足して、達郎は口を開く。
「今年中に、開世連合を潰してやるよ」
美和は大して表情を変えずにちらりと順也を盗み見て、達郎はどうだと言わんばかりに美和を覗き込む。
唖然とした順也は、背凭れに背を完全に預けて天上を仰いだ。
「本物の馬鹿野朗だったんだな。お前」
「馬鹿じゃなかったら、刑事なんかにはならなかった」
「幸田組を足掛かりにして、トカゲの頭を潰す気か。単純すぎて、それがどんなに難しくて無謀なことか教えてやる気にもなれんな」
さすがの順也の口調も険しくなった。
「開世連合は全国区だ。縄張りも日本中のいたるところに張られている。わかるか? 達郎。マル暴の刑事一人殺したところで、痛手を食らうほどヤワじゃない」
順也は、自分よりはよっぽど危険で無鉄砲な友人の説得にかかる。
「桜田門、舐めんなっつただろうが。お前ら極道は今の時代、凌ぎがやりやすくなったって喜んでんじゃねぇのか? 最近の刑事は質が落ちたってなぁ。そうやって、甘く見てろ。筋者の骨董品並の刑事がまだ健在だってことを、思い知らせてやるぜ」
細められる双眸の、不敵なこと不穏なこと。
過剰とも言い切れない自信。
日高達郎が怖い理由が、この顔を持っていることだろう。
順也は暫し達郎の眼の前に視線を止めてから、逃れるように外した。
達郎のこんな眼は、順也になけなしの良心を呼び起こさせる。
あまりにも真っ直ぐで、それを隠すための皮肉な表情や口調が間に合わないほど実直な男の前で阿漕な商売をやっている自分が、惨めに感じる瞬間がまれにあるのだ。
今がそれだ。
「勝手にしろよ。この大馬鹿野朗」
肩を竦めることで諸処の感情を有耶無耶にして、順也は達郎のグラスにワインを注ぐ。
「無茶、しないでね」
不意に、その場に綺麗に響く美和の声。
順也も達郎も動きを止めて、自分達を見上げる美和を凝視する。
美和の口元には掻き消されそうな笑みが浮かんでいる。
「やだよ? 死んだりしたら」
まるで、祈るような言葉だ。
笑ってはいるが、その眼は悲しそうに歪んでいる。
美和には、順也と達郎しかいないのだ。
高校生の時、達郎と順也が同時に恋したのが美和だった。
当時は勝気で、はっきりと物を言う少女だった。
不良で素行の悪さはピカイチだった順也と達郎にも、臆すことなく意見を言う。
けれどその仕種や言動は、品が良く清楚だった。
惹かれ、互いにフェアにいこうぜと胸のうちを明かしあった。
その数日後に、美和はレイプされた。
その時から美和は、成長することを止めた。
可哀想な女だった。
その女のために、順也は犯人を探して殺害した。
少年院に入り、前科持ちになったのだ。
順也が生まれる前に死んだ順也の父親は、殺人犯だった。
その血のせいかもしれないと、塀の向こうで思ったものだ。
自分は真っ当な道を歩まない人間なんだろうと。
反対に、達郎は警察官になって陽の当たる道を歩くのだろう。
実際に、二人の道はそうなってしまったのだが。
「死なないでね」
お願いだからと言う語尾は掻き消えた。
美和の側に居てやれたのは、達郎と塀の向こうの順也だけだった。
美和の両親は世間体を気にし美和を外へとやり、友人達は付き合い方に戸惑い結果、美和を傷つけた。
「美和がそう言うならな」
側にいてやれたのは、二人だけだった。
男女の肉体関係の一切ない親密な関係。
友人関係と言うには深すぎ、恋人でもない。
三人で添い寝したり、こうして食事をしたり、美和が不安がればどちらもが飛んでくる。
順也と達郎にとっては、性欲をしのぐほど大切な人間だ。
こんな関係も存在するのだと、達郎と順也は思っている。
いつだって時間はゆっくりと過ぎていく。
美和の望む通りに。
私が女の子を書くと、この美和ちゃんのようにやったらとおしとやかになるか、男勝りになるかです(笑)
女の子が主人公な話しはあんまり書かないです。
100作に1作の割合でしか……皆無か(笑)